ガタゴトぷすぷす~外道教育学研究日誌

川口幸宏の鶴猫荘日記第2版改題

セガンの実践の場、男子不治者救済院

2018年01月22日 | 研究余話

 写真は「男子不治者救済院」リトグラフ
 セガンの公的機関における実践の場の最初は「男子不治者救済院」である。当時はパリ北郊外、フォブール・サン=マルタンにあった。長い間、日米のセガン論では「サルペトリエール救済院」だとされてきた。いや、今でもそのように論じる向きもあるようだ。フランスでは「セヴル通りの不治者救済院」とするのが大方の向きである。原典史料調査をしないから、そういう風説に従ってしまう。
 セガン自身が男子不治者救済院と女子不治者救済院とに雇用されたけれど、能力がなく、男子のほうにのみ勤務した、と綴っているのだから、その制度的法的根拠を確かめるだけでいいわけだ。
 で、前掲したリトグラフはパリ歴史博物館(カルナバレー博物館)に保存され、常時展示されているものを、2013年秋に複写することができた。このリトグラフの「発見」によって、セガンの教育実践の具体場面を、いくらかは特定ることができる。屋外での身体訓練、屋外での軽労働、そして屋外での祈り。
 リトグラフ中央に描かれている空間は、「中庭」である。この中庭こそ、セガンが子どもたちとにぎやかに活動した場であった。その詳細は、いずれ、ここに綴ることになるだろう。