ガタゴトぷすぷす~外道教育学研究日誌

川口幸宏の鶴猫荘日記第2版改題

セガン論の「ウソ」について(6)

2017年10月09日 | 研究余話
 ブロケットが言うところの、白痴教育やセガン自身の生活にかかる費用とは、ブルネヴィル編集になるセガン著書のフランス語版翻訳ではfraisとされていたことは、先に述べた。従って、セガン1846年著書で、セガン自身がfraisというタームで同上の旨を回想しているかどうかの検討が、まず行われるべきであろうと思う。結論を言えば、fraisという概念は、まさに多様な文脈で用いられており、同上の文意での「費用」という意味で使用している箇所は皆無である。
 そこで、今一度、ressources概念に立ち帰ることにしよう。
 セガン1846年著書は松矢勝宏によって抄訳されている。では、松矢はressourcesにどのような訳語を与えているだろうか。結論的に言えば、ただ一カ所を除いて、「資料」の意味を宛てている。そのただ一カ所というのは、次の一文である。
l'éducation des jeunes idiots n'ayant été pratiquée que par moi, tantôt avec mes seules ressources tantôt avec des ressources restreintes, ・・・・(原典p.301)
「白痴児の教育は、私だけによって、ある時は私財をなげうって、ある時には限られた資力で実施された」(邦訳書133ページ)
 しかし、これは全くの誤訳であり、誰の助けも得ることなく、自分自身が資料を収集し、そうした限られた条件の中で、独力で白痴教育を実践した、というのがセガンの原文の意味するところである。松矢が何故に、この箇所だけ、このような訳義を宛てたのか。その本当のところは不明だけれども、ブロケットの追悼文、ブルネヴィル編著書のそのフランス語訳文を目にしていた彼が、それらの論旨に引きずられてしまった、というところにあるのだろう。
 これまでの「セガン論のウソ」の記述から、セガン追悼などに頼っていたセガン研究から一歩も二歩も身を引き、セガンそのものに寄り添った読解をする必要があることが理解されよう。しかし、その試みをなそうとする者はいないのが現実である。(この項終わり)

☆午後、DVD「科学者の道」(1836年)視聴。パストゥールの化学者(細菌学の開祖)としての姿を描いたもの。セガンとほぼ同時代と言っていいか、セガンより少し後のことか。フランス「医学会」が彼の研究のあり方、成果を認めようとはせず、居丈高な姿勢が描かれている。これは、セガンがフランス医学界から「追放」されたことと見事に重なるものであり、これまでのぼくのセガンの読み方を反省しなければならないと思わされた。要は、フランス「医学会(界)」の「聖域」を荒らし、あまつさえ、「医学」のそれまでの到達を完全に乗り越えるという成果を出したことに対する、やっかみと自己存在の尊厳にしがみつき続ける醜態なのだ。