晋ちゃんの気ままな散歩道

あっちこっち横道にそれたり休んだりしながら気ままに散歩しています。

中之島バラ園から大阪城

2017-05-16 22:04:30 | ウオーキング
     
     天満橋を通って大川沿いを歩きます

     
     次は大阪城の石垣の探索です

     
     外輪船?

     
     
     川崎橋を渡って大阪城へ

     
     いきなり見事な巨石です


     
     里山丸と刻印石のそばにある広場、秀頼と淀君の自害あと言われています

     
     天守閣の方へ坂を上ります

     
     小学校の遠足でお弁当を広げています

     
     天守閣

     
     私たちも天守閣のそばで昼食をとりました

     
     昼食のあと、いよいよ石垣の探索です
     1583年秀吉によって築かれた大阪城は1615年の「大坂夏の陣で焼失」
     家康は豊臣の城を完全に埋め立て盛り土をしその上に新たな城を築いた
     しかしその後もたびたび火災が起こり、1665年落雷で天守を焼失
     今の天守閣は1931年市民の寄付によって築かれた


     
     今日は幼稚園から小学校までの生徒さんが沢山遠足に来ている

     
     「桜門枡形」、大阪城内随一の巨石群で造られている
     別名「タコ石」左側人の陰にタコのような模様がありそう呼ばれている
     表面が36畳の大きさ、岡山城主池田忠雄が分担した
     枡形の上には多門櫓がありましたが明治維新の戦火で桜門とともに
     焼失しました

     
     城内のこの辺りに巨石が集中している
     


     
     城外へ出て石垣を見る

     
     とにかく大阪城の石垣は奇麗
     大きさもほぼ揃っており安定感がある
     写真では分からないがこの石の中にはいろんな藩の刻印が彫られている


     
     石垣の角を形造る算木積みも同じ大きさに整形した石をダブル、
     トリプルに積んで強度と美観と奇麗な曲線を保っている


     

     

     
     一番櫓

     
     大阪城には沢山の櫓があったが昭和20年(1945年)の大空襲で
     5基の櫓が焼失した


     
     見事に大きさの揃った石が積み重ねられている
     石の色が違っているのは喫水線が下がったためだそうだ


     
     ここの石にはいろんな刻印が彫られている

     
     大阪城の石垣とお濠は徳川時代のものがそのまま残っている
     日本各地から運ばせた立派な石で造ったスケ-ルの大きなものだ

     
     大阪城が落城したのは幕末、徳川慶喜が逃亡し、城内は薩長軍に占領され
     戊辰戦争で櫓も焼失した

     さらに太平洋戦争時陸軍の師団司令部や兵器工場があったため
     アメリカ軍の空襲を受けた


     
     何時もの様に谷四のNHK前で解散した
     本日の歩数14,435歩 8,661m

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