落合順平 作品集

現代小説の部屋。

居酒屋日記・オムニバス (73)       第六話 子育て呑龍(どんりゅう)④ 

2016-05-22 10:16:45 | 現代小説
居酒屋日記・オムニバス (73)
      第六話 子育て呑龍(どんりゅう)④ 




 「とりあえず、ビール」


 ウフフとカウンターに肘をつき、真理子が笑う。
弁当を買った数日後。ふらりと真理子が幸作の居酒屋へやってきた。
時刻は午後の10時。いつもの真理子ならあわただしく自宅へ戻り、いまごろは
家事に追われているはずだ。
だが今夜にかぎり、呑気そうな顔で頬杖を突いている。


 「実はね、子供たちから、外出許可をもらってきたの。
 だってさ。大きな声では言いたくないけど、41回目の誕生日なのよ。
 たまにはゆっくりしてきてねって、娘たちに背中を押されて出てきました」



 「ほう、誕生日か。じゃ、おれがお祝いに、いっぱいおごってやろう」


 「一杯だけ?。なんだか盛り上りにかけるわね・・・まぁ、いいか。
 でもさ、あとで身体で返せなんて言わないでしょうね?」



 「馬鹿やろう」 思わず幸作が、苦笑する。
真理子が居酒屋へ顔を見せるのは、久しぶりのことだ。
シンママの真理子は、昼間はフランチャイズの弁当店で働き、夜は
終夜営業の食堂で忙しく働いている。
昼間の仕事と深夜の仕事の合間に、溜まった家事を片付ける。
シングルママの真理子に、自由になる時間などほとんどない。


 幸作が冷蔵庫から、冷えたビールを取り出す。
真理子の好みはホップの効いた、昔ながらの苦い瓶ビールだ。



 「ひとつ聞いてもいいか。
 身寄りの少ない太田へ、わざわざ戻ってきたのは何故だ。
 富山にそのまま残り、子育てをするという選択肢もあったはずだ。
 本音を聞きたいと思っていたが、いままで、聞くチャンスがなかった。
 教えてくれ。なんで太田へ戻って来た?」



 「何でかな・・・」なみなみと注がれたグラスを持ち上げて、
真理子が美味そうにビール―を飲み干していく。
あっという間にビールのグラスが空になる。いつもながらの見事な呑みっぷりだ。


 「昔の話をしてもいい?」



 呑んだ直後から真理子は少しずつ、可愛い表情を見せるようになる。
すぐに頬が赤くなる。少しずつ、上機嫌の顔に変っていく。
いつもとすこしだけ、話し方も違ってくる。
早口の真理子が、だんだんゆっくりした話し方に変っていく。


 「呑龍さまが帰っておいでって、わたしのことを呼んだの」



 「子育て呑龍が帰っておいでと、お前さんを呼んだ?。
 馬鹿言うんじゃないよ。お寺が、お前さんなんかを呼ぶわけがないだろう。
 富山と群馬じゃ300キロ以上も離れているんだぜ。
 変なことを言うなよ。
 なんだよ。柄にもなく、もう酔っぱらっちまったのか?」



 「そうじゃないの。
 母も、父も、呑龍さまに呼ばれて、この太田へ戻って来た。
 父は期間工として、青森から富士重工へやって来た。
 母は保母さんになりたくて、秋田から東京三洋電気へ15歳で就職した。
 そんな2人が初めて出会ったのが、毎年、呑龍様の境内で開かれている、
 関東の菊祭り」



 「へぇぇ・・・君の両親は2人とも東北地方の出身か。
 なるほど。どうりで身寄りが少ないはずだ。
 毎年開かれている関東菊花大会のことだろう。
 ふぅ~ん。そこで君の両親が、ばったり、運命の出会いをしたのか?」



 「いつものデートも、呑龍様の裏手の金山あたり。
 大光院の境内と門前通りには、母と父の、若い日の足跡がたくさん残っているの。
 2人が住んだのは、呑龍様のすぐ横。
 桜で有名な八瀬川の通り。
 川の両岸にソメイヨシノが、300本も植えられているの。
 川岸にある小さなアパートの一室で、41年前、わたしが生まれたの」



 「なるほど・・・
 そこまで聞くとたしかに、呑龍が、君を呼び戻したかもしれないな・・・」


(74)へつづく


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