八王子市散田町在住のスポーツ好き親父の戯言!

八王子市の学童野球チーム散田ドラゴンズ元管理人(2007年3月~2016年2月)のブログです。

カタールW杯初戦!優勝4回のドイツに逆転勝利!

2022年11月25日 22時15分45秒 | スポーツ

もう既に山ほど報道されていますが、自分の備忘録として、書きたいと思います。

 

スポーツ全般の観戦が好きな私ですが、サッカーは代表戦だけ見るにわかサッカーファンです。現在の日本代表は人材豊富ではあるものの、その最適な組み合わせがイマイチ見えないまま本大会に突入し、なおかつE組は、ドイツ、スペインがいる死の組と言われていたため、それほど大きな期待をしていたわけではありません。

 

しかし、それにしても前半はこんなに力の差があるのかというくらい、日本代表は何もできませんでした。オフサイドになったものの、カウンターから伊東選手が駆け上がり、前田選手にパスしたのが唯一の見せ場で、ボールポゼッションは8割方(感覚としては9割くらい)ドイツに握られる展開でした。いろいろな記事を読むと、ドイツの左SBが高いポジションをとったため、右ウイングの伊東選手が後ろに下げられて攻撃の糸口がつかめなかったようです。左ウイングの久保選手もほとんどボールを触れませんでしたし、期待されたトップ下の鎌田選手も攻撃に絡めませんでした。

 

そうこうするうち、ドイツにペナルティエリア内でフリーで展開され、GK権田選手が後ろから倒してしまうペナルティを取られてしまい、痛恨の先制点を献上してしまいました。強豪相手に先制を許したのは、かなりのハンデというか、ほとんど勝ち目がない展開です。さらに前半終了間際に、再びゴールネットを揺らされた時には、テレビを消して寝ようとしたくらいですが、ここはオフサイドで救われ、何とか事なきを得ました。

 

しかし、この調子では勝機はないと思っていましたが、後半立ち上がりから、森保監督がこれまでに見せなかったような采配を見せ、これがズバズバと決まっていきます。森保監督はこれまで選手起用については、むしろ批判されることが多く、素人の私から見ても、何で選手交代をしないんだろうということがままありました。

 

それがこの試合では、見たこともないくらいアグレッシブな選手起用です。後半スタートから、左ウイングの久保選手とDF冨安選手を交代させました。3バックに変更と言っていましたが、実際はDFを増やしているので、5バックへの変更でした。これで、前半押し込まれていた攻撃を抑えることが出来たのだということです。

 

そして、後半12分には、左SB長友選手に代え三苫選手を投入し、FW前田選手に代え浅野選手を投入しました。さらに26分にはボランチ田中碧選手に代え堂安律選手を投入し、30分には右SB酒井宏樹選手に代え南野拓実選手を投入しました。これで正真正銘の3バックになり、攻撃陣はこれまでどういう組み合わせにしたらいいのだろうと議論になっていた、浅野、伊東、南野、三苫、堂安、鎌田といった面々が同じピッチに立つ、超攻撃的布陣になりました。

 

そして、この布陣となった直後、三苫選手がドリブルで左サイドを駆け上がり、左に開いた南野選手にパスし、センターに折り返したボールをGKノイアーが弾いたところを詰めていた堂安選手がゴールに蹴り込み、同点としました!このゴールは、三苫、南野、堂安の連携だけでなく、ファーサイドに走り込んでいた浅野選手がいたからこそ、ノイアーは外側に弾けず堂安選手がいた内側に弾かざるを得なかったそうです。それもこれも、この攻撃的な布陣への変更が功を奏したということでしょうね。

 

そして、後半38分には、ドイツのデュエル王遠藤航選手が見事な粘りでファウルをもらうと、板倉選手が素早くリスタートし、前線にボールを送ると、浅野選手が見事なトラップでボールを足元に収め前に運ぶと、ゴール目の前の僅かなニアサイドの隙間にボールを蹴り込み、見事な決勝点を決めました。

 

今大会は、アディショナルタイムが長くハラハラしましたが、日本は見事に守り切り、ドイツ相手に勝ち点3を獲得しました。まだ、決勝トーナメントを決めたわけではありませんが、これまでだったら考えられなかったような強豪相手の逆転勝ち、見事なジャイアントキリングでした。次戦、コスタリカ戦に期待です!

 

 

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ダメージ!

2022年11月06日 17時53分54秒 | Jog&Walk,Health

群馬マラソンを走り(歩き)終えて3日目、ようやく普通の生活が出来るようになりましたが、昨日、一昨日は体のダメージがひどかったです

 

大会当日にもゆっくりお風呂に浸かりましたが、翌日の朝も身体がバッキバキだったため、朝風呂に入りました。しかし、そんな付け焼刃ではどうにもならず、この日は、歩くのから、座ったり立ち上がったりするのから、階段の上り下りから、全てがきつかったです。足は大腿部・ハムストリングスからふくらはぎ、すねまで全てが張って痛く、それだけでなく、首回りや腕まで痛く、満身創痍といった感じでした。

 

そして、翌々日の昨日、まだ身体はバキバキでした。ただ前日よりは多少ましで、歩くのは何とかなってきました。しかし、早歩きは出来ず、普段信号が変わりそうな時に小走りで渡ったりしていましたが、当然無理でした。あと、階段を降りる時に、大腿部に力がかかるのがきつくまるでお爺ちゃんのような歩き方になってしまいました。

 

そして、3日目の今日、まだダメージは残っていますが、よくある筋肉痛のひどい程度までに回復してきました。そこで、4kmを32分で、ようやく疲労回復のためのごく軽いジョギングをしました。普通は直後に行うものでしょうが、直後の2日間はとてもそれどころではなかったです。

 

このひどいダメージは、年齢のせいではなく、足をつった中で20km前後を走った(歩いた)ためだと思いたいところですが、どうなのでしょうね。

 

以前、ジョギングで45kmを走った時は(「フルマラソン(と同じ距離)を完走しました!」)、42kmあたりで足がつりそうになりましたが、今回のように歩くようなことはありませんでしたし、今回のようにダメージが残ることもありませんでした。それどころか、この日は2011年3月9日で、翌々日にはあの東日本大震災が発生し、革靴で20kmを歩いているのです。とはいえ、当時はまだ40歳代ですし、タイムも今より全然早いです。これからは年齢に抗うのではなく、うまく付き合いながら、身体を鍛えていこうと思います。

 

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初マラソン(群馬マラソン)は、大失敗!

2022年11月04日 20時26分39秒 | Jog&Walk,Health

ジョギングを始めて14年くらいになりますが、最初の頃は日曜日は散田ドラゴンズのお手伝いをしていたので、マラソン大会に出ようという気もあまり起きませんでした。そのうち、横中PTA会長の勧誘を断り切れず、横中PTAチームとして、駅伝に出たことがありました(「第61回全関東八王子夢街道駅伝競走大会!」)。駅伝はチームで襷をつなぐプレッシャーがものすごく、自分ひとりで走れるマラソン大会に出てみたいなと思うようになりましたが、それほど本気で大会を探すでもなく、そのうち散ドラを退団すると、仕事が忙しくなり、ジョギング自体もままなくなり、マラソン大会どころではなくなりました。

 

その後、徐々にジョギングも復活し、群馬に単身赴任した昨年からはだいぶ走る距離も戻ってきました。そんな時、この群馬の中心部を走る「群馬マラソン」の存在を知り、エントリーしてみました。

 

20km走れればマラソンは走れると言われますし、結構前ですが、ジョギングで40km以上何度か走っているので、正直走れないなどとはまったく思っていませんでした。しかし、です。世の中そんなに甘くないですね。

 

エントリーの際に自分のタイムを自己申告するのですが、内心4時間30分(6分24秒/km)くらいで走れると思っていたものの、初マラソンですし、控えめに5時間でエントリーしました。そうしたところ、一番最後のEブロックからのスタートとなり、しかも並ぶところを間違えていて、その中でも結構後ろの方になってしまいました。すると、スタートしてからも、周りはスタート地点のカメラに手を振って応えるようにゆっくり走る人たちばかりで、しかも道一杯に人が溢れていて、中々前に進めません。焦った私は、道の端から人を抜いたり、空いているスペースを探して左右に蛇行して抜くなど、スピードをあげて、ノロノロ集団を抜いていきましたしかし、これが良くなかったと思います。完全にオーバーペースでした

 

もう一つ、脱水気味になりかけていたかもしれません。スタート直後には、唇がカサカサになっていました。5時前には起床して9時スタートで4時間が経過しています。普通のジョギング時は、起きて1時間くらいで出発するのに対して、はるかに時間が経過して、こちらが思う以上に水分を消費していたのだと思います。

 

結果、20kmくらいから体の異変を感じ始めました。足のふくらはぎがピクピクし始めたのです。20kmだろうが、30kmだろうが、ジョギングで足がつったなんてことはありません。嫌な予感が頭をよぎります。元々のプランでも、「歩く」という選択肢はまったく入っていませんでした。まだ半分以上あり、どうすればいいかまったく分からなくなります。そうこうするうち、25kmあたりで完全に足がつって走ることが出来なくなり、立ち止まらざるを得ませんでした。周りを見ると、そんな人がポツポツと出始めています。

 

足を伸ばしたして、また走り始めますが、すぐまたピクピクっときて走れなくなります。こうなると、一気にペースダウンです。26km、27km、28kmまで到達するのが何と遅いことか。何とか30kmまでたどり着いたものの、まだ12kmもあり、とても完走できる気はせず、もう絶望感しかありません

 

それでも何とか歩いたり、ヨロヨロ走り、31kmまで走ると、横の電柱に首を持たれかけのびている中年男性がいました。足ではなく、熱中症か何かで、女性ランナーが声をかけていました。こっちもそれどことではないのですが、とりあえず、近くにいた警備員の方に大声で声をかけ(そこまで走ることも出来なかったので)、その倒れている人を任せました。ゴールするまでにこうした人を4~5人は見かけたでしょうか。明日は我が身という気持ちが強くなります。それでも、会社で数人の部下にはマラソン大会に出ることを話していたので、棄権だけはしないとヨロヨロとですが、前に進みます。

 

トボトボでも歩くだけなら完走は出来ます。しかし、問題は制限時間です。チェックポイントごとに制限時間が定められており、それを過ぎると、バスで回収されてしまいます。まだ、10km以上あるので、歩くだけでは、この制限時間にひっかかる可能性大です。既に走る気力はないのですが、こうした時に頼りになるのは、一緒に走る仲間です。といっても、知り合いではありません。たまたま、隣近所を走るランナーの方です。私の場合、〇〇病院というTシャツを着た女性ランナーです。他にも見たので、チームとして参加しているのでしょう。この方は、私のように足はつってはいないのでしょうが、もう走ることが出来ずに競歩のような早歩き状態でした。私は歩きながら少し状態が良くなると、トボトボ走り、この女性ランナーを追い抜き、足がまたピキッときて歩かざるを得なくなると、彼女に抜かれるという繰り返しでした。こんなことを10kmくらい続けて、何とか40kmまでたどり着きました。しかし、最後の2kmはきつかった。もう少しだと思いつつも、長い1本道でゴールの方が見えながら、中々たどり着かない辛さ。本当に疲労困憊で何とかゴールにたどり着きました。

 

群馬マラソンは、利根川べりや、ニューイヤー駅伝コースの一部を走る見どころのあるコースですが、そんな余裕はまったくありませんでした。今はリベンジしたい気持ちと、もうこりごりという気持ちの半分半分ですね。

 

以下がラップタイムです。後半のペースダウンがよく分かります。

 

 ~5km  27:49

~10km  29:26

~15km 30:27

~20km 31:28

~25km 35:09

~30km 43:56

~35km 44:56

~40km 44:45

~42.195km 21:13

 

結果、ネットのタイムは、5:09:09 でした。途中、4時間30分のペースメーカーに抜かれ、5時間のペースメーカーに抜かれました。恐らく、スタート直後に私がイライラして早々に抜かしたランナーたちにも相当数抜かれています。まるでうさぎと亀の話のようです。

 

ジョギングとマラソン大会はまったく違う。人がいると、自分の走りも影響を受けるということを改めて実感しました

 

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