JIIN’S ブログ

寺院の住人が綴る、ジーンズをはいた時のような気取りなしブログ!

私が参れば、それで「百人会」

2017年02月18日 | ONSAI
過去40回、20年間にわたり、100人以上のお参りをいただいていた百人会法座ですが、今回はどうやら 70~80人くらいになりそうです。

当地では、全国トップクラスの過疎化・高齢化が加速度的に進んでいます。
西楽寺が含まれる温泉街の町内会は この20年で半減し、42戸から21戸になりました。お寺の門前向かい側の通りには空家が7件並んでいます。

そんな中でも、100人を越える参詣者があることは、お寺として、住職として自慢であり、誇りでした。いままでも、100人割れを心配しながらも辛うじて100という数字は守ってきました。

ところが、今回の百人会まで あと3日ほどありますが、100人という数字にはとても及びそうもありません。この厳しい現実を前にして、私は入り乱れた焦燥感と脱力感の中で意気消沈していました。
 
そんなとき、Boumori が
 
「百人会の本来の意味は、何だったの?
  100人が80人になったら、それで意味がなくなるの?」
 
と問いかけてくれました。
 
そうでした。100人という数字は、あくまで一人でも多くのご門徒を法座へおすすめするためのお寺側の数値(努力)目標です。人数にこだわって、本来の目的を忘れていました。
 
大切なことは、ご門徒にご法座の席に着いていただくこと。
100人ではなく、一人ひとりのご縁でした。
 
蓮如上人のお言葉
一宗の繁昌と申すは、人の多くあつまり、威の大なる事にてはなく候う。一人なりとも、人の、信を取るが、一宗の繁昌に候う。」
を思い出しました。
 
折しも、Hさんが百人が会出席回答通信欄に
「私がお参りすると 100人になるといつも思って居ります」
と添えて下さった言葉が 私の胸に熱くひろがります。
 
「この私」が法座に席に身を置かせてもらうこと。
参詣が70人でも、80人でも 百人会です!
 
ブログに 100人越えを報告して「素晴らしい」と讃えられるためではなく
限界集落の中にあっても、一人一人のご縁を大切にひろげてゆく…。
そんな百人会でありたいと思いました。
 
「お参りの人数は少なくなっていくかもしれないけど、
少しずつ新しいご縁もあるし、そこからまたご縁が広がっていくのも楽しみよね。」
 
Boumori の明るさは、なかなか住職を落ち込ませてくれません。(深謝)