JIIN’S ブログ

寺院の住人が綴る、ジーンズをはいた時のような気取りなしブログ!

理屈じゃないね

2010年11月30日 | Weblog

今月初め Boumoriの実家の父が 急逝した。
突然に吹いた無常の風を信じられないままに 里へ向かった。

Boumoriは 兵庫から島根に嫁いだときから、親の死に目には 会えないだろう…と覚悟していたという。
呑気な僕は 今さらながら そこで初めて 実家を遠く離れて嫁ぐ”重さ”に気づかされる。


密葬前の身内の通夜には 父の孫8人が全員集合。
遺体のそばに 布団をならべて、最初で最後の じじと孫8人一つ部屋の夜 だった。

とりわけ、我が家の末娘は、孫の中でも最年少。
西楽寺のじいちゃんの葬儀の時は、まだBoumoriのお腹の中にいた。

8人の孫たちの中、ただ一人、初めて"遺体"に出会い・"白骨"を拾った。
とても ショックだったようだ。
じいちゃんは、孫に遺す 最後の大仕事 をして、「死」という真実を示してくれた。

そうだよ。必ず  死ぬいのちを 偶々 生かされて いたんだね。


葬儀から帰り道の車中、

「理屈じゃないね…」
そういいながら、 助手席でBoumoriが 涙をぬぐった。

何かをしてくれるからとか、助けてくれるから…とかじゃない、
親は、ただ "いてくれる"」それだけで  いいんだよね。
そんな 父が いなくなって、ただ悲しくて涙がでる。」
と。

こんなふうに「居てくれるだけでいい」…と存在そのものに意味を見出す
ことを「存在価値」というと聞いたことがある。

仏さまの ものの見方がこれだ。
これは 後日 「ひらがな法話」で 詳しく書いてみようと思う。


いっぱいの愛情の中に育てられ、たくさん護られてきたのに
何にも 返すこともでなかったわ…。


その娘婿である 僕もまた、父から  たくさんの優しさをいただいた。
やはり、お返しもできないままだ。

だけど、いただいた 願いや優しさを 直接返すことは できないが、
それを 今度は 我が子やその連れ合いたちに 届けることはできる。

これもまた 恩送り なのかもしれないね。

そう言いながら 西楽寺へ着いた。


はや 霜月半ば過ぎ…

2010年11月17日 | Weblog


   
                 

あまりに目まぐるしいで出来事が次々とつづく……。
まるで濃縮ジュースを 一気に 飲み干した後のような気分。

振り返れば 西楽寺報恩講が終わってもう3週間になる。

                  

今年は、遠く2時間もかけてバス一台で T町G寺さまが 30名もお参り下さった。
                  

実は、昨年 G寺さまの永代経法座のご縁をいただいたとき、

「温泉津近辺の報恩講は、たくさんのお寺さまの参りあいがあり、法要も
 キチンとした声明(節のついたお経)・作法が おつとめされますからっ!(エヘン)」

と 僕が 胸を張ったものだから、

「それなら、一度 みんなで お参りさせてもらいましょう!」

ということになった次第。
なんとも、その 実現力 に感服。

                  
おときの仕度をまかなう 厨房のみなさまも おつかれさまでした。

                  

ご満座の法要のお導師をつとめさせていただきながら、

「あと、何回 こうして わが寺の報恩講のご縁に遇(あ)えるだろうか…」

という思いが 頭の中をよぎった。

※ べつに わざわざ早く逝くつもりは ありませんから。
    まっ、こうやって 書いているモンほど しぶといものです。(^^ゞ