先日、法事の席で30代半ばくらいの男性がこんな話をされました。
「ごいんげさんの法話を聞いていると、僕たちの普段の理屈とは 正反対のことを言われますよね。
お経を読むのは、先祖のためではなく、自分たちが聞かせてもらうのだとか、法事は死んだ人の行方を心配するのではなく、自分が亡き方に心配かけるような危うい生き方をしてはいないかと訪ねることだとか。
最初は それが世間の常識と反対だと思ってましたが、考えてみれば、反対に生きているのは、どうやら僕たちの方だったような気がします」 と。
ニコニコと 話してくれる男性を見ながら、こちらまで笑顔になっていました。
たしかに、仏さまのお話を、私たちの道理や理屈で聞けば とても受け入れることはできません。
自分を中心に損か得かを問題にする私の物差しと ウソかマコトを問う 仏さまの真実の物差しは、まさに正反対なのですから。
でも、自分の物差しが 仏さまの物差しと 反対向きであると気づかされたのは、すでに自分が仏さまの物差しの中にあるということでした。
そんな気づきのなかで 発見した 「反対の法則」が ホームページにまとめてあります。
よろしければ どうぞ ご覧下さい。
(⇒ http://www.imacoco.net/index.php?cID=376)
折しも、お盆の時期ですが、お盆は ウランバーナ というインドの言葉に由来します。その意味は倒懸苦 つまり 「さかさまに吊るされた苦しみ」ということです。
仏さまの物差しと反対の見方をして、それに気づきもしない私こそ、逆さづりの苦しみの中にいるのかもしれません。
どうぞ お盆をご縁に 仏さまの教えに お出会い下さい。