今月初め、山間地のご門徒のお宅に
「年に一度の報恩講」お参りに行ったときのこと。
おつとめの後、用意して下さった「おとき」を頂いていると、
その家のご主人(80才)が 言われた。
ゴインゲさん、ワシは もう貴方のお祖父さんの代から
数えて、貴方で西楽寺の三代のご住職と出会わせて
もらったことになります。
ワシも 年を取ったもんです。
どうか、ワシの葬儀は、ゴインゲさん、よろしく頼みますよ。
こういうセリフを聞いても、今頃はあわてない。
「葬儀事前予約」 でも書いたとおり、
承知しました。
ただし、順番だけは ちゃんと守ってくださいね。
僕が先なら、(葬儀の導師を) できませからね。
と笑ってこたえた。
もちろん、これは、老少不定(順番どおりに死ぬわけではない)と
いうことを強調するつもりの冗談まじりの言葉である。
ところが、そのご主人は、真顔で
いいや、それは違う!
順番を守らんといけんのは、ゴインゲさんの方じゃ!
と声を大きめにして 言われた。
その瞬間、僕は愕然とした。
いままで、こんな言葉を返されたことはない。
そうかっ!
ご主人に「順番を守れ」という僕の言葉は、
ご主人に「先に死になさい」という意味。
僕に「順番を守れ」 というご主人の言葉は、
僕に「しっかり長生きしろ」という意味。
僕の言葉は 冷たいが、
ご主人の言葉は ちゃんと あたたかく
僕への 心配が込められていた。
それは、先日 2008年03月19日 のブログに対していただいた
JINEIさんからコメント
私より先に卒業してはなりませんぞ。
という言葉の中にも 感じた。。
順番どおりにいかない老少不定の中にあればこそ、
出会う相手の身を案じ気遣う優しさに、僕の心は熱くなった。
わが身が大きな優しさの中に包まれていながら、それに
気づかないままに 、ここまで 来た自分がある。