JIIN’S ブログ

寺院の住人が綴る、ジーンズをはいた時のような気取りなしブログ!

ブログ 移転のお知らせ

2017年10月03日 | ONSAI

この度、西楽寺のホームページのリニューアルに伴い、
このJIIN'S ブログもそのコンテンツとして組み入れられることとなりました。

これからは、次の URL からご覧下さい。




http://www.imacoco.net/


今までの記事は このままアーカイブとして このURLからご覧いただけます。
これからも どうぞ JIIN'S ブログを よろしくお願いいたします。


覚悟

2017年09月28日 | ONSAI

ONSAI です。

西楽寺は温泉津温泉街の中にあります。
しかし、山門正面の家から右へ七軒は すべて空き家です。

私の卒業した小学校も中学校も、統廃合となってなつかしい学び舎は もう、ありません。
限界集落から集落崩壊へと…加速度的に進む過疎化高齢化の波を実感します。

そんな中、先輩住職さんとお寺の将来の話をしていたときです。

「こんな過疎地でなく、人口の増える都会地にあったなら、こんなことができるのに…。」
「もっと 門徒数が多ければ、これもしたいな…」

心安さに甘えて、いつしか私の言葉は夢ではなく、愚痴になっていました。

すると
「他所の条件や環境を羨むうちは、まだ覚悟ができていないということだよ。」

とバッサリ。

「…たら、」と「… れば、」ばかりで、現実から逃げて都合のいい理想を掲げる自分をズバリと指摘されて、かえって気が楽になりました。

そうでした。逃げようのない今のお寺と地域の現実を認め、引き受けていく覚悟があってこそ、自分のお寺の未来を描き、語ることができるのでした。

腹を据えて前を向いて一歩ずつ、でした。


イケメン法座

2017年04月17日 | ONSAI
先日の男前法座、人数は前回より少し減ってしまいましたが、それでも、皆さん熱心に聞いて下さいました。
男性ばかりが座っておれられる本堂内は、いつもとちょっと違う雰囲気です。
 
そして、今回は20才代の清々しい青年が2人もお参りしてくれました!!!
そのうちの一人は 、県外から祖母様の家にたまたま帰っていたところに「男前法座」の貼り出しを見て、お参りしてくれたといいます。
 
「壮年向き法話会」といえばそれまでのことですが、「男前法座」と銘打った甲斐がありました。
 この2人のおかげで、男前法座が「イケメン法座」にグレードアップです。
 
また、80才の方からは、「自分は この年になってもまだまだ、仏事のイロハを知らなかったと感じました」と言う言葉を聞かせていただきました。
 
いえいえ、こちらこそ、そんなふうに 素直に聞かれる姿に頭が下がります
何はともあれ、私自身 とても刺激的な男前法座のご縁でした。
 
心は 次回へ…。
 
 

第2回 男前法座

2017年04月10日 | ONSAI

第2回 男前法座が近づきました。

お寺になかなか お参りしていただけない男性方をターゲットに
あえて、「男性限定」で始めたご法座です。

好評をいただいた第1回で お聞かせ頂いたご意見にしたがって
今回は、具体的な事例からのアプローチ。

テーマは、「今さら聞けない 仏事のイロハ」

     

仏事について、その由来や意味などを含めて具体的にご案内して
そのなかに伝えられる心を味わっていけたらと思っています。

さぁさぁ、「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」とか。
どうぞ お参り下さい。


私が参れば、それで「百人会」

2017年02月18日 | ONSAI
過去40回、20年間にわたり、100人以上のお参りをいただいていた百人会法座ですが、今回はどうやら 70~80人くらいになりそうです。

当地では、全国トップクラスの過疎化・高齢化が加速度的に進んでいます。
西楽寺が含まれる温泉街の町内会は この20年で半減し、42戸から21戸になりました。お寺の門前向かい側の通りには空家が7件並んでいます。

そんな中でも、100人を越える参詣者があることは、お寺として、住職として自慢であり、誇りでした。いままでも、100人割れを心配しながらも辛うじて100という数字は守ってきました。

ところが、今回の百人会まで あと3日ほどありますが、100人という数字にはとても及びそうもありません。この厳しい現実を前にして、私は入り乱れた焦燥感と脱力感の中で意気消沈していました。
 
そんなとき、Boumori が
 
「百人会の本来の意味は、何だったの?
  100人が80人になったら、それで意味がなくなるの?」
 
と問いかけてくれました。
 
そうでした。100人という数字は、あくまで一人でも多くのご門徒を法座へおすすめするためのお寺側の数値(努力)目標です。人数にこだわって、本来の目的を忘れていました。
 
大切なことは、ご門徒にご法座の席に着いていただくこと。
100人ではなく、一人ひとりのご縁でした。
 
蓮如上人のお言葉
一宗の繁昌と申すは、人の多くあつまり、威の大なる事にてはなく候う。一人なりとも、人の、信を取るが、一宗の繁昌に候う。」
を思い出しました。
 
折しも、Hさんが百人が会出席回答通信欄に
「私がお参りすると 100人になるといつも思って居ります」
と添えて下さった言葉が 私の胸に熱くひろがります。
 
「この私」が法座に席に身を置かせてもらうこと。
参詣が70人でも、80人でも 百人会です!
 
ブログに 100人越えを報告して「素晴らしい」と讃えられるためではなく
限界集落の中にあっても、一人一人のご縁を大切にひろげてゆく…。
そんな百人会でありたいと思いました。
 
「お参りの人数は少なくなっていくかもしれないけど、
少しずつ新しいご縁もあるし、そこからまたご縁が広がっていくのも楽しみよね。」
 
Boumori の明るさは、なかなか住職を落ち込ませてくれません。(深謝)
 

阿弥陀さまの処方箋

2017年01月20日 | ONSAI

ONSAI です。

『本願寺新報』 1月20日号の「みんなの法話」です。

12月初旬にこの執筆依頼をお受けしましたので、ご本山の御正忌法要「特別講演」でお取次させていただいた法話をダイジェスト版のようにまとめてみました。

原稿締切が、特別講演の当日頃でしたので 講演内容の点検・確認には、ちょうどよいご縁をいただいたことです。

しかし、原稿の推敲・校正は、それを書いた者にはなかなか難しく、Boumoriの 「ご門徒目線」を意識したアドバイスは有難かったです。たとえていうなら、作曲は私ですが、編曲はBoumoriという感じで 出来あがった「みんなの法話」です。

         


話すだけが伝えることじゃない

2016年12月09日 | ONSAI

広島市内でいただいた2日間の布教のご縁の合間に、そのお寺から車で15分ほどの老人介護施設に入居しておられるご門徒Wさんを訪ねました。

ご本山から下付されたご本尊にお参りして、ひと口のご法話をと思いましたが、Wさんは立て続けに身の上を語られます。

お金のこと、病気のこと、食事のこと、止めどなく話されて、私はただうなずくばかりでした。


ついつい、仏さまのお話をお伝えすることが私の役目だと こちらが話す機会を待っていましたが、ただ聞くということも「伝える」ことかもしれないと思い、この度は ただ聞くことにしました。

帰り際に、90歳を過ぎたWさんは手を振りながら 「また、きて下さいね。」と、笑顔で見送ってくださいました。


手を振り返しながら、また(この世で)あえるかな?と名残惜しく思いました。自分は、まだまだ当分生きるつもりで。

無常の教えを口にしながら、それを他人事にしている自分がありました。

 


一番いい時

2016年11月24日 | ONSAI
報恩講のお参り合いの控え間で、先輩住職さんが

「西楽寺さん、あなたくらいの年齢の時が一番仕事のできる時だねぇ。やりたいことが思うようにどんどんできるでしょ。」

と声掛けて下さいました。

「今が一番ってことは、これからは下がるだけですね。(笑)」

とうそぶいてみましたが、確かに 言われる通り、そんな気がします。

今までの経験と知識、そして人的繋がりのネットワーク。自分が思うことの段取りと手配は次々と具体的に進めていけるようなに思いします。

「こんな状態がいつまでキープできるのでしょうか。」

と尋ねたところ、
70才代後半のそのご住職は、

「そうだねぇ、65才くらいまでかな。それを過ぎると気力と体力がついて来なくなるから。」

と教えて下さいました。

ということは、あと7〜8年が 私の踏ん張り時。無理せず、したたかに、でも誠実に生きていこうと思います。

わき見注意

2016年11月18日 | ONSAI
山あいの高速道路をはしっていました。
 
長いトンネルを出ると次のトンネルの入口と「わき見注意」の看板が見えてきます。
 
何だろ?

ついつい、目が向けると、そこには道路の左右に広がる渓谷の紅葉がひろがっていました。
 
 
「見るな」と言われると見たくなり、「言うな」と言われると言いたくなります。
 
 
法座の席で お念仏の声が聞こえなくなった、お念仏申しましょうーと声掛けしても聞こえない、といわれます。
 
それならば、「お念仏してはいけません」と本堂に張り紙したら、いいかもしれません。(←ジョーダンですから。)
 
でも、その前に阿弥陀さまの願いがすでにこの身に届けられていることをお伝えすることが先でした。なんまんだぶ。