JIIN’S ブログ

寺院の住人が綴る、ジーンズをはいた時のような気取りなしブログ!

2016年 西楽寺 御正忌報恩講

2016年01月28日 | Boumori

 Boumoriです。

 

かなり日にちがずれていて 申し訳ありません。

 

 

 

15、16日の2日間 「ご正忌報恩講」おつとめさせていただきました(^^)

 

夜と朝にはインターネットで ご本山のお聴聞をさせていただいたり 小豆を煮て参詣者にぜんざいをお出ししたり

 

今年も無事に おつとめさせていただけて 嬉しく思います。

 

 

 

今年の「ご正忌報恩講」は 東京から来たというご婦人がお参りになられました。

 

「温泉津の温泉に入りたくて来ました」 と言われるその方は 西楽寺の街角掲示板を見て このご法座を知られ お参りされました。

 

温泉津の温泉も西楽寺も気に入っていただけたようで

 

「西楽寺のご法座に合わせて予定を立てて また来ます(^^)」と 西楽寺の年間予定表を 持って帰られました。

 

 

有り難いご縁 また お参りになる日が楽しみです🎵

 

 

また 今日はおつとめのあと 「大田西組 報恩講スタンプラリー」の表彰でした(^^)

 

大田西組では6ヵ寺以上お参りすると表彰されますが 今年から寺族も表彰対象者となりました。

 

私は 今年は12ヵ寺 お参りさせていただきました(^^)

 

「若い時は お聴聞も義務のように感じて 気持ちが積極的ではなかったけど 今は楽しみにもなってきたし 年を取るのも悪くないよね?」

 

と つい先日 近所の坊守さんと話をしました。(と言っても 彼女は私より10才ぐらい若いんですが…(^_^;))

 

 

 

表彰状と一緒にいただいた記念品。

 

源左さんのうたが書いてあります(^^)

 
 
 
 

新春特別 超豪華景品

2016年01月25日 | ONSAI

ONSAI です。
 

日曜日の夜は、西楽寺護持会の役員新年会でした。
お世話下さる地区役員さんとの初顔合わせに、今年もまたいよいよ始動という気持ちにさせていただきます。

新年会は恒例により、議事はなく、挨拶と連絡事項だけですぐに懇親会となり、余興では住職がビンゴゲームさせていただきます。

毎年いろいろと景品を考えるのですが、今年はネット検索で「超豪華景品」を用意しました。

       

1等賞   温泉旅行2泊3日 ペアご招待の目録(中身は 入浴剤 2回分)

2等賞   お米一年分  目録             (中身は 365日使える シャモジ)

3等賞   韓国あかすりエステツアー 目録 ( 中身は あかすり用手袋)

さらに残念賞も、空クジなしで 豪華景品です。(次のいずれかの景品を選択)

       

★ 残念賞     金 一億円    のティシュボックス1箱

★ 残念賞     金の延べ棒  のティシュボックス1箱

地区役員さんはみな、オトナですから、ちゃんとジョークを受け取って下さいます。

そして、坊守(Boumori ) からは、特製の精進粕汁をご接待させていただきました。

         

外は、数十年に一度という 大寒波の中でしたが、お寺の中は湯気いっぱいの温かいひとときを過ごさせていただきました。

地区役員の皆さま、今年もどうぞ よろしくお願いいたします。


平均年齢 38.1才!

2016年01月17日 | ONSAI

お参りするなり、参詣者の雰囲気がいつもの法事・仏事と違うのを感じました。

この前の日曜日、O家先代ご主人の七回忌法要だったのですが、仏間は子夫婦・孫夫婦・ひ孫さんが居並び、若さが満ち溢れていました。

聞けば、大人14人、子ども4人で、大人の平均年齢は、なんと38.1才!
超過疎・高齢化の最先端をゆく当地で、こんな仏事は年に一度あるかないかでしょう。

       

せっかくのご縁ですから、おつとめは正信偈を中心にしたヤング・バージョンに変更。
「この場に身を運んで座っていらっしゃるだけで、100点」あげました。

ついつい、私もテンション上がって、ご法話も長めで、ちょっと砕け過ぎたかも…。


お供えも若い世代のために 饅頭に替えて、あの秘密のケンミンSHOW でも取り上げられた「法事ケーキ」です。

法事の最後に みんなで美味しくいただきました。

      



ちなみに、法事饅頭と法事ケーキの参考画像 です

      

      

 

 


「ひろがり」と「つながり」のなかで

2016年01月14日 | ONSAI

絶版・売切れになっている『洋譜・三帖和讃』という本を中古市場でもさがしても 見つかりませんでした。

とはいえ、毎朝のおつとめに必要なものなので、なんとか手に入れたいと思っていました。

そこで、初めての経験ですが、インターネットのフェイスブックを利用して

「どなたか、この本をお持ちでご不要の方、中古品で構いませんので、譲っていただけないでしょうか?」
こんな 感じです → クリック 

とお願いしてみました。

すると、その次の日には

S県K寺Yさまから「2冊ありますのでお譲りします」という連絡をいただきました。

そして、今 すでに私の手もとには その本が…。

       


Yさま、ようこそ 私の記事に目を留めてくださり、さらにご厚意をお届下さり 本当に有難うございます。

さらに縁とは不思議なもので、西楽寺本堂に掛けてある和讃繰出し帳は昨年、K県S寺K先生から頂戴したものですが、
K先生とYさまは、とても近いご親戚関係でいらっしゃることがわかりました。

        


西楽寺のお朝事は、お二方のお支え中、有難くおつとめさせていただくことです。

それにつけても、インターネットの広がりと繋がりって ホントに凄いものです。


レッスン始め

2016年01月05日 | Boumori

 

Boumoriです。

 

今日は 私の仕事始め レッスン始めです(^^)

 

 

毎週 出張レッスンに伺っている 江津市波積町の 光善寺さん。

光善寺の2人の子供さんと ご近所の子供さんたちの 計6人のピアノを見ています。

 

今日は 住職さんの許可をいただいて 光善寺の長女のMちゃんと次女のSちゃんの写真を撮らせてもらいました(*^▽^*)

 

 

 

 

 

 

 

3月の発表会に向けて 頑張ります🎵(^o^)

 

 


これからが、これまでを決める

2016年01月01日 | ONSAI

2016年、平成28年となりました。
明けましておめでとうございます。

元日の朝、年が明けると同時に始まる 元旦会(修正会)にて、お参り下さった方々へこんなことを申し上げました。  

     


「これまでが これからを 決める」 のではない。
「これからが これまでを 決める」 のだ    (藤代聡麿)


昨年末にどなたかのFB記事で教えていただいた 言葉です。

通常は、「これまでが、これからを決める」と考えます。過去・現在・未来という時間の流れからもそう思います。

実際のところ、「これまで」のことと無関係な「今」も「これから」もあり得ませんし、「これまで」のことは、決して変えることも消すこともできません。


ところが、同じ「これまで」でも、「これから」をどう生きていくかで、その意味が変わります。


たとえば、石につまずいて倒れたとき、「どうして、あんなところに石があったのだろう…。」、「あの石がなれければ 順調だったのに…」と愚痴のタネにすることがあります。

反対に 「あの時、つまずいたから、足もとに気をつけるようになって、大きな失敗をしなくてすんだ」と つまずいた石を 踏み台にしてステップアップする生き方もあります。


つまり、「これからが 今までを決める」とは、失敗したことも、惨めだったことも みんな無駄ではなかった、自分には必要なことだったと「これまで」(過去)に意味を見出し、引き受けていくことでしょう。

変えることも、消すこともできないこれまで(過去)は、これからの生き方次第で、その意味が大きく変わるわけです。


それならば、人生の最後、いのち終わらんとするときに、「これからが これまでを決める」ということを当てはめてみたら、どうでしょう。

つまり、「死んだらどうなるか?」ということ(これから)が 、それまで生きてきた自分の人生(これまで) を 決めることになります。



とすれば、いのち終わった後(これから)、「死んだらしまい」、「死ねば すべてなくなる」とするならば、その人生(これまで)は、全く意味のない、空しいものとなると言わねばならないでしょう。


私たち浄土真宗の門徒は、この いのちの行方、死んだらどうなるか…ということを「後生の一大事」という言葉を用いて 仏さまの教えをたずねてきました。

南無阿弥陀仏のこころを受け取るとき、私の人生は 「死んだらしまい」 ではなく、この世の縁の尽きるままに 仏さまの世界に生まれさせていただくのだと お聞かせいただきます。生を奪う死という事実が そのまま 死ぬことのない いのちを頂くご縁となります。


いのち終えた後という「これから」が 定まるとき、 「これまで」、つまり 人生そのものに 生きる意味が見出されます。

泣いたことも、わらったことも すべて 無駄ではなかったと
引き受けていける道が開かれてゆくのです。


今年もどうぞ よろしくお願い致します。  合掌
ONSAI でした。