『エッセンス・オブ・久坂葉子』

 少し途方に暮れて立ち尽くす。この一冊についての感想は、苦しくて声にしづらい。

 『エッセンス・オブ・久坂葉子』を読みました。
 

〔 「明日はいい子になります」と、いった日はいつだったろう…… / 神様、私は、お約束を破って / こんなにこんなに罪深い女になってしまいました。 〕 プロローグより

 ぱらりとめくったらいきなりこんな(↑)言葉にぶつかって、かーっと逆上せてレジへ直行した。亡くなった年から計算すると、これは17歳のときに書かれた詩ということになる。
 早過ぎる死を自ら選ばずにいられぬ類の才能とは、何と痛ましい鋭さを持っているものだろう…と、胸が締め付けられる言葉たちだった。自分自身にすら向けられる両刃の、刹那の、こぼれ落ちる言葉たち。 
 
 稀な天分に恵まれていながら、その才能が大輪の花として咲き誇れる時期を待たずして、早咲きしてしまったような狂おしさ。或いは、無理やりこじ開けられた傷んだ蕾の、ひりりとした痛み。 
 そこまで考えてはいけないのかも知れない、先入観がそう感じさせてしまうだけなのかも知れない…。若くして自ら逝った人の才能を前にして、「嗚呼、何と儚げだろう。どうして周りの人たちは、この今にも消えてしまいそうな儚さにもっと気付けなかったのだろう」…と思ってしまうのは、後の時代から見通すことの出来る者のあまりにも勝手な言い草だから。

 自殺をした人の真実は、生き続けていく私にはわからない。ただ、この世の中で、生き延びるにはあまりにも細すぎる、ガラス細工のような繊細さをまとい生まれてしまった人が確かにいる、ということはわかる。
 いわゆる恋多き女性…だったのだろうか。何となくこの人の恋愛は、庇護を求めて泣いている、頑是ない子供のようなところがあったのではないか…という印象を受けた。己の中に、どうしても満たされない部分があって、そこを埋めるてくれる誰かにしがみつきたくて、ただがむしゃらに手を伸ばす…そんな、不器用な恋をしていたのではないか…と。本当は、真摯に生きたかっただけだろうに。

 エッセイや短篇や詩、そして「幾度目かの最期」(亡くなる日の朝に書きあげられた作品)が収められている。代表作とされる小説は入ってなかったので、いずれそちらも読もうと思う。
 早川さんの後書きにあるように、『華麗なる一族』を地でいくような名家に生まれ、“かかとの高い靴をはき、シルクのいでたちだったので、まさか歩くわけにもゆきません”と、さらりと書く優雅を備えつつ、収入が上がってからあえてゴールデン・バットを愛飲するという粋も持ち合わせていた。21歳の女性が、である。

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