伝説の歌番組・夜のヒットスタジオを語る

伝説の音楽番組「夜のヒットスタジオ」の22年間の足跡を通じて、日本の歌謡界が最も輝いていた時代を振り返ります。

夜のヒットスタジオ・歌手別出演履歴<23> 野口五郎

2007-07-29 | 夜のヒットスタジオ/歌手別出演履歴
「夜ヒット・出演履歴」シリーズ、今回は"新御三家"の一角を成す、野口五郎の出演履歴を振り返ります。

◆野口五郎-初出演:1971年9月27日(第152回)/最終出演:1987年3月4日(第951回)、出演回数:124回
001 1971/09/27(152) 青いリンゴ
002 1972/01/17(168) 好きなんだけど
003 1972/02/21(173) 好きなんだけど
004 1972/03/20(177) 悲しみの日曜日
005 1972/04/17(181) 悲しみの日曜日
006 1972/08/28(200) めぐり逢う青春
007 1972/10/30(209) めぐり逢う青春
008 1973/01/22(221) 雨に消えた恋
009 1973/02/12(224) 雨に消えた恋
010 1973/04/16(233) オレンジの雨
011 1973/06/25(243) 君が美しすぎて
012 1973/07/16(246) 君が美しすぎて
013 1973/10/15(259) 愛さずにいられない
014 1973/11/12(263) 愛さずにいられない
015 1974/01/28(273) こころの叫び
016 1974/02/25(277) こころの叫び
017 1974/04/08(283) 告白
018 1974/06/17(293) 告白
019 1974/07/15(297) 愛ふたたび
020 1974/09/09(305) 愛ふたたび
021 1974/10/21(311) 甘い生活
022 1974/11/18(315) 甘い生活
023 1974/12/09(318) 甘い生活
024 1974/12/30(321) 甘い生活
025 1975/01/13(323) 私鉄沿線
026 1975/02/17(328) 私鉄沿線
027 1975/03/17(332) 私鉄沿線
028 1975/04/07(335) 私鉄沿線
029 1975/05/12(340) 哀しみの終るとき
030 1975/06/16(345) 哀しみの終るとき
031 1975/07/14(349) 夕立ちのあとで
032 1975/08/18(354) 夕立ちのあとで
033 1975/09/22(359) 夕立ちのあとで
034 1975/10/13(362) 美しい愛のかけら
035 1975/11/10(366) 美しい愛のかけら
036 1975/11/24(368) 私鉄沿線<※日本歌謡大賞特集>
037 1975/12/08(370) 美しい愛のかけら
038 1976/01/12(375) 美しい愛のかけら
039 1976/02/09(379) 女友達
040 1976/03/01(382) 女友達
041 1976/04/12(388) 女友達
042 1976/04/26(390) 女友達
043 1976/06/07(396) きらめき
044 1976/07/26(403) きらめき
045 1976/08/30(408) きらめき
046 1976/09/13(410) 針葉樹
047 1976/10/25(416) 針葉樹
048 1976/11/22(420) 針葉樹
049 1976/12/13(423) 針葉樹
050 1977/01/17(428) むさし野詩人
051 1977/02/21(433) むさし野詩人
052 1977/03/21(437) むさし野詩人
053 1977/04/11(440) 沈黙
054 1977/05/16(445) 沈黙
055 1977/06/06(448) 沈黙
056 1977/07/25(455) 季節風
057 1977/08/08(457) 季節風
058 1977/09/05(461) 季節風
059 1977/10/03(465) 私鉄沿線/昭和枯れすすき(with森昌子)
060 1977/10/17(467) 風の駅
061 1977/11/28(473) 風の駅
062 1977/12/19(476) 風の駅
063 1978/01/23(481) 風の駅
064 1978/02/20(485) 愛よ甦れ
065 1978/03/27(490) 愛よ甦れ
066 1978/04/24(494) 泣き上手
067 1978/05/15(497) 泣き上手
068 1978/06/12(501) 泣き上手 
069 1978/07/03(504) 泣き上手 
070 1978/07/24(507) 泣き上手
071 1978/09/04(513) グッド・ラック
072 1978/10/09(518) グッド・ラック
073 1978/11/27(525) グット・ラック
074 1978/12/18(528) 送春曲
075 1979/01/08(531) 送春曲
076 1979/02/05(535) 送春曲 
077 1979/03/05(539) 送春曲/愛あればこそ(with安奈淳/西城秀樹/郷ひろみ)
078 1979/04/02(544) 真夏の夜の夢
079 1979/05/07(548) 真夏の夜の夢
080 1979/06/04(552) 真夏の夜の夢
081 1979/07/02(556) 女になって出直せよ
082 1979/07/30(560) 女になって出直せよ
083 1979/08/20(563) 女になって出直せよ
084 1979/09/17(567) 青春の一冊
085 1979/10/01(569) <不詳>
086 1979/10/08(570) 青春の一冊
087 1979/11/05(574) 青春の一冊
088 1979/11/26(577) 青春の一冊
089 1979/12/17(580) 青春の一冊
090 1980/01/21(584) 青春の一冊
091 1980/02/11(587) 愛の証明
092 1980/03/03(590) 愛の証明
093 1980/05/12(600) コーラス・ライン
094 1980/06/09(604) さすらい気分
095 1980/07/07(608) さすらい気分
096 1980/08/18(614) さすらい気分
097 1980/09/01(616) 愁雷
098 1980/11/03(625) 愁雷
099 1980/12/08(630) 愁雷
100 1981/01/19(636) 序曲・愛
101 1981/02/16(640) 序曲・愛
102 1981/03/16(644) 序曲・愛
103 1981/04/27(650) 氷をゆらす人
104 1981/07/06(660) 氷をゆらす人
105 1981/08/10(665) 裏切り小僧
106 1981/09/07(669) 裏切り小僧
107 1981/11/16(679) 裏切り小僧
108 1982/01/11(687) ダイヤル177
109 1982/02/01(690) ダイヤル177
110 1982/03/22(697) ダイヤル177
111 1982/05/24(706) ふるえて眠れ
112 1982/06/21(710) ふるえて眠れ
113 1982/08/02(716) 舞
114 1983/01/31(741) 19:00の街
115 1983/03/28(749) 19:00の街
116 1983/05/23(757) 過ぎ去れば夢は優しい
117 1984/04/30(805) 一人が好きですか
118 1986/12/24(941) 涙のチケット
119 1987/01/07(943) 世界は日の出を待っている<※マンスリー>
120 1987/01/14(944) A SONG FOR YOU<※マンスリー>
121 1987/01/21(945) 新宿午前四時/ミッドナイト・ロックンロールショウ<※マンスリー>
122 1987/01/28(946) 涙のチケット<withジェラルド・ジョリング、※マンスリー>
123 1987/03/04(951) 涙のチケット
(追記)1972/06頃(放送日不明) 青い日曜日

野口五郎は1971年、15歳のときに「博多みれん」で歌手デビューをしました。デビュー当初は演歌歌手として売り出していましたが振るわず、2曲目「青いリンゴ」では歌謡曲・ポップス路線へ転向。この路線転向は成功し、この歌は大ヒット。一躍、新世代の男性アイドル歌手の旗手として、彼とほぼ同世代の女子学生らを中心として人気を獲得、スターダムを駆け上がることとなります。

夜のヒットスタジオ初登場は1971年9月。"新御三家"の中で最も早いに夜ヒット初登場でした。
翌1972年に入り、"新御三家"のあとの二人、西城秀樹・郷ひろみもデビューし、この年の年末には両者ともに夜ヒットにようやく初登場。これ以降、1980年代初頭までは、野口、西城、郷の誰か一組がほぼ毎週必ず交互に番組にキャスティングされている、という状況が続き、この時代の夜ヒットの出演歌手の中でも「看板スター」ともいえる存在でした。

1974年の「甘い生活」、続く1975年の「私鉄沿線」以降は、単なるアイドル歌手としての殻を破り、当時流行の真っ只中にあったフォーク・ニューミュージックの流れを自身の歌の世界に取り込み、「針葉樹」「むさし野詩人」「風の駅」など叙情的な雰囲気の強い楽曲を次々とヒットさせ、徐々にアイドルとしてのイメージから若手随一の実力派男性シンガーとしてのイメージへと、世間の認識も変化し、玄人からも高い評価を得るようになりました。他方、小学生の頃より楽器の演奏を趣味で始め、アマチュアバンドの活動も行っていた、という類稀なる音楽的センスも注目をされ始め、「真夏の夜の夢」「女になって出直せよ」では自前のバンドを率いて、ギター演奏をしながら歌を披露しています。

しかし1980年代に入ると、他の"新御三家"の二人、西城秀樹、郷ひろみが好調なレコードセールスを維持する一方で、野口についてはセールスが衰退していくようになり、1982年には1972年から10年連続出場してきたNHK紅白歌合戦にも落選、1970年代までは常連としてノミネートされてきた各音楽賞レースからも遠ざかり、徐々に活動の軸も音楽業から俳優・タレント業へとシフトする傾向が強まっていきました。夜ヒットに関しても、1982年8月の「舞」での出演以降は、(「たのきんトリオ」の台頭などといった他の要因も影響していますが)、出演機会が大幅に減少してしまいました(但し、1983年の初頭に発表した「19:00の街」は、自身主演のドラマ主題歌として売り出されたことも功を奏して、久々のヒットとなりました)。

番組が2時間枠へ拡大してからてしばらくの間は、出演機会は殆ど皆無という状況が続いていましたが(因みにこの時期には、バラエティー番組「天才・たけしの元気が出るテレビ」(日本テレビ)にレギュラー出演し、タレントとしての新境地を開拓していました)、当時の番組関係者があるとき、彼のコンサートを見に行ったところ、その音楽的センスの秀逸さに至極感動し、これをきっかけとして、1986年末、2年8ヶ月ぶりに当時の新曲「涙のチケット」をひっさげて番組に登場。このときのステージングは好評を博し、翌1987年1月期のマンスリーゲストにも抜擢。それまでの彼の歌手としてのイメージを敢て封印し、ロック色の強いナンバーを披露し、「音楽家・野口五郎」としてのセンスの良さを存分に視聴者にも知らしめました。

彼は極度の緊張症であることでも知られており、特に夜ヒットに出演するときは、緊張のあまり自分の出番が終るまでは身体の震えが止らなかった、と番組最終回の際にも回顧しています。「真夏の夜の夢」でギター演奏を披露した際に、終ったあとも、興奮と緊張が入り混じって指が小刻みに振るえている様子が映し出されていた様子が、以前のCS再放送でも流れていましたが、スマートな雰囲気の中に潜む、音楽というものに対するストイックなまでの意気込みの強さが、まさに彼にしか出せぬ持ち味であったと言えると思います。

夜のヒットスタジオ・歌手別出演履歴<22> 由紀さおり

2007-07-25 | 夜のヒットスタジオ/歌手別出演履歴
「夜ヒット・出演履歴」シリーズ、今回は由紀さおりの出演履歴を振り返ります。

◆由紀さおり-初出演:1969年5月19日(第29回)/最終出演:1988年11月23日(第1041回)、出演回数:65回
01 1969/05/19(0029) 夜明けのスキャット
02 1969/07/07(0036) 天使のスキャット
03 1969/10/20(0051) 枯葉の街
04 1969/11/17(0055) 枯葉の街
05 1970/02/09(0067) 好きよ
06 1970/06/15(0085) 手紙
07 1970/09/21(0099) 手紙
08 1970/10/12(0102) 手紙
09 1970/11/23(0108) 生きがい
10 1971/01/04(0114) 生きがい
11 1971/02/08(0119) 生きがい
12 1971/03/15(0124) この愛を永遠に
13 1971/05/24(0134) この愛を永遠に
14 1971/07/12(0141) 男のこころ
15 1971/08/23(0147) 男のこころ
16 1971/11/01(0157) 初恋の丘
17 1972/01/10(0167) 初恋の丘
18 1972/02/14(0172) 土に還るまで
19 1972/03/20(0177) 土に還るまで
20 1972/04/03(0179) 土に還るまで
21 1972/04/24(0182) 土に還るまで
22 1972/06/05(0188) 土に還るまで
23 1972/07/10(0193) 故郷
24 1972/08/14(0198) 故郷
25 1972/09/25(0204) 故郷
26 1972/10/23(0208) りんどうの花
27 1972/11/27(0213) りんどうの花
28 1972/12/18(0216) りんどうの花
29 1973/01/08(0219) りんどうの花
30 1973/02/05(0223) りんどうの花
31 1973/03/26(0230) ルーム・ライト(室内灯)
32 1973/04/23(0234) ルーム・ライト(室内灯)
33 1973/05/21(0238) ルーム・ライト(室内灯)
34 1973/08/20(0251) 恋文
35 1973/10/22(0260) 恋文
36 1973/11/12(0263) 恋文
37 1974/01/14(0271) 春の嵐
38 1974/03/11(0279) 春の嵐
39 1974/05/13(0288) みち潮
40 1974/08/05(0300) 挽歌
41 1974/09/02(0304) 挽歌
42 1974/11/18(0315) 挽歌
43 1975/01/20(0324) 季節風
44 1975/04/07(0335) さよならの走り書き
45 1975/04/28(0338) さよならの走り書き
46 1975/10/06(0361) 慕情
47 1976/02/23(0381) かたちばかりの幸福
48 1976/03/08(0383) かたちばかりの幸福
49 1976/05/03(0391) つかの間の雨
50 1976/08/30(0408) こころもち 気まぐれ
51 1977/01/24(0429) ふらりふられて
52 1977/03/07(0435) ふらりふられて
53 1977/05/09(0444) う・ふ・ふ
54 1977/06/20(0450) う・ふ・ふ
55 1978/06/05(0500) ガラスの日々
56 1978/07/17(0506) ガラスの日々
57 1978/10/09(0518) トーキョー・バビロン
58 1978/11/27(0525) トーキョー・バビロン
59 1979/04/02(0543) 愛を切り札にして
60 1979/08/20(0563) 愛したもうことなかれ
61 1980/03/17(0592) たそがれタペストリー
62 1982/09/27(0724) アデュー
63 1983/07/25(0766) シングルナイト
64 1987/08/19(0975) お先にどうぞ
65 1988/11/23(1041) ゆらゆら

由紀さおりの芸暦は古く、1950年代半ばに本名の「安田章子」名義で、姉の安田祥子と共に童謡歌手として活躍。そして一時芸能活動休業の後、1965年に今度は歌謡曲歌手として「ヒッチハイク娘」なる曲でデビューをしたものの、これが全く振るわず、その後数年間、混沌とした低迷の時代を強いられました。

ところが、1969年、いわば事実上の再デビュー曲ともいえる「夜明けのスキャット」が深夜放送から火が付き、当時の大学生らを中心に支持され、累計150万枚以上の大ヒットを記録(ちなみにこの曲は1969年のオリコン年間シングルチャートで第1位を記録しています)。この曲を皮切りとして、「枯葉の街」「手紙」「生きがい」など、その清涼感のある美声を存分に生かした質の高い楽曲を次々ヒットさせ、人気歌手の仲間入りを果たすこととなります。
ヒットスタジオにも勿論出世作である「夜明けのスキャット」で発売から2ヵ月(1969年3月10日発売)後の1969年5月に初登場。売れ出した最初の頃は新曲発表のとき以外はさほど番組に顔を出していなかったようですが、1971年~1974年にかけては1~2ヶ月に1回ペースの準レギュラー格として登場。後に「ドリフ大爆笑」などのコント番組でも広く知られることになる芸達者ぶりを夜ヒット前期の名物コーナー「歌謡ドラマ」の中でも遺憾なく発揮しており、このコーナーの常連出演者でもあったようです。

1970年代後半以降、歌手としては佳作は多いものの、ヒット作にはあまり恵まれなくなりましたが、上述のコント番組などでの芸達者ぶりが大きく注目され、1980年代に入ると、映画「家族ゲーム」(1983年)・「早春物語」(1985年)、ドラマ「あんみつ姫」(「月曜ドラマランド」内シリーズ、フジテレビ・1983年)、「妻たちの課外授業」(日本テレビ・1985年<※因みにこの番組は夜ヒットの裏番組でもありました>)、朝の連続テレビ小説「チョッちゃん」(NHK・1987年)、バラエティー番組「今日もワクワク!」(日本テレビ・1985年)等の司会など、女優・タレント業に完全に芸能活動の重点を置くようになります(夜ヒットの出演も上記リストでもわかるように1983年7月の出演を最後に暫くブランクがあり、この期間内に彼女の女優としての代表作とされる作品の多くに出演しています)。

しかし、1985年、姉である安田祥子と共に初心に戻る意味合いから姉妹ジョイントによる童謡コンサートを開始し、次第に再び歌手業、それも彼女の芸能活動の原点である「童謡歌手」としての活動が注目され始め、1987年の末には1979年の落選から暫く遠ざかっていた「NHK紅白歌合戦」にも歌謡曲歌手としてではなく「童謡歌手」として再出場。これ以降は、ドラマ・バラエティー番組への出演は極力控えるようになり、歌手業を再び主軸においた芸能活動を展開するようになりました。
ただ、あくまでも童謡歌手としての活動を軸としながらも、数年に1回のスローペースながらも歌謡曲の新譜をリリースし続けており、特に1987年に発売した「お先にどうぞ」は久々のオリコンチャート入りを果たすスマッシュヒットとなり、夜ヒットにもこの曲で4年ぶりに出演しました。

1990年代半ば~2000年代初めにかけては、姉・祥子とのユニットで紅白にも連続出場し、童謡歌手としてのイメージが完全に浸透していきましたが、2002年の紅白に落選して以降は、再び女優として側面が注目されつつあり、以前ほど彼女の歌う姿をテレビで見かける機会は減りつつあります。

半ば夜ヒットの話題からは脱線しますが、私は小さい頃から由紀さおりという人が持っている個性や世界観に好感を持っています。

最初に由紀さおりの存在を知ったのは、「ドリフ大爆笑」に毎回コメディリリーフとして出ていた頃で、実際のところ、まだ幼かったせいもありますが、最初は彼女のことをてっきり「単なるタレントさん」だと思っていました。それぐらいにこの番組で見せる、上品ながら時折突然やってくる「狂気」に近い強烈なボケぶりが絶妙だったんですよね・・・(たとえば、初期「バカ殿」のお約束ともいえる「15でございます」という強烈な年齢サバ読みや、いかりや長介と夫婦という設定でのお互いの容姿・性格に対する徹底的な罵倒合戦なんかはとても本職歌手とは思えないぐらいのコメディアンとしてのセンスの高さを感じさせます)。おそらく夜ヒットの「歌謡ドラマ」でもああいう雰囲気だったんだろうなあ・・・と、CSの「大爆笑」の再放送を見ていて思います。 本職歌手ながら彼女の女優・コメディアンとしての才能は本職女優・芸人の勢いを時に打ち負かしてぐらいに凄ましいものがあります。

歌手としても、昔の映像で流れる彼女の歌声と今の歌声が殆ど変わっていない点もやはり特筆に値する部分だと思います。普通であれば、年齢を重ねるに従い、たとえプロの歌手といえど、声量が衰えるのが普通で、聞いている側が逆にその音程の不安定さや声量の衰えからハラハラさせられることも往々にしてあったりしますが、彼女の場合はすでに還暦近くになった今でも、かつてのヒット曲を同じキー、同じトーンでブレもなく歌え、聞いている側も安心して歌に神経を集中できる。こういう歌手はなかなかいそうでいないと思います。

歌手、女優・タレントいずれの側面から見ても彼女は「ずば抜けたプロ意識の持ち主」であるという感じがします。何れの側面のイメージも同等に広く浸透しているのはその何よりの証拠ではないでしょうか。彼女から教わるべき部分、今のタレント・歌手たちにはかなり多いように思います。

夜のヒットスタジオ・歌手別出演履歴<21> 細川たかし

2007-07-22 | 夜のヒットスタジオ/歌手別出演履歴
「夜ヒット・出演履歴」シリーズ、今回は細川たかしの出演履歴を振り返ります。

◆細川たかし-初出演:1975年5月5日(第339回)/最終出演:1989年12月13日(第1093回)、出演回数:74回
01 1975/05/05(0339) 心のこり
02 1975/07/21(0350) 心のこり
03 1975/09/08(0357) みれん心
04 1975/11/03(0365) みれん心
05 1975/11/24(0368) 心のこり(第6回日本歌謡大賞特集)
06 1975/12/22(0372) みれん心
07 1976/01/12(0375) 女の十字路
08 1976/03/08(0383) 女の十字路
09 1976/04/05(0387) 女の十字路
10 1976/06/14(0397) 置き手紙
11 1976/07/05(0400) 置き手紙
12 1976/08/09(0405) 置き手紙
13 1976/10/11(0414) 北の旅愁
14 1977/01/03(0426) 北の旅愁
15 1977/01/31(0430) 北の旅愁
16 1977/03/07(0435) 北の旅愁 
17 1977/07/11(0453) おんなの春
18 1977/10/31(0469) ひとり旅
19 1978/01/02(0478) 津軽じょんがら節
20 1978/10/09(0518) 港夜景
21 1979/04/23(0546) 港夜景
22 1979/10/08(0570) ゆきずり
23 1980/04/28(0598) 一緒に暮らそう
24 1981/02/09(0639) いつかどこかで
25 1981/08/03(0664) 女ごころ
26 1982/04/19(0701) 北酒場
27 1982/05/17(0705) 北酒場
28 1982/06/14(0709) 北酒場
29 1982/11/22(0732) 北酒場
30 1983/03/14(0747) 矢切の渡し
31 1983/05/02(0754) 矢切の渡し
32 1983/06/06(0759) 矢切の渡し
33 1983/07/04(0763) 矢切の渡し
34 1983/08/08(0768) 矢切の渡し
35 1983/10/03(0776) 矢切の渡し
36 1983/11/14(0782) 矢切の渡し
37 1984/01/23(0791) 新宿情話
38 1984/02/20(0795) 新宿情話
39 1984/04/09(0802) 旭川・恋の町
40 1984/05/21(0808) 星屑の街
41 1984/07/02(0814) 星屑の街
42 1984/09/17(0825) 浪花節だよ人生は
43 1984/10/08(0828) <不詳>
44 1984/11/19(0834) 浪花節だよ人生は
45 1985/03/18(0850) 酒場であばよ
46 1985/05/15(0858) 日本列島旅鴉
47 1985/06/12(0862) 日本列島旅鴉
48 1985/07/24(0868) 日本列島旅鴉
49 1985/09/18(0876) 望郷じょんがら
50 1985/11/27(0886) 望郷じょんがら
51 1986/04/16(0905) 湯けむり情話
52 1986/05/21(0910) 湯けむり情話
53 1986/08/27(0924) さだめ川
54 1986/10/01(0929) さだめ川
55 1986/12/10(0939) さだめ川
56 1987/01/07(0943) さだめ川
57 1987/03/18(0953) 夢暦
58 1987/04/15(0957) 夢暦 
59 1987/06/24(0967) 夢暦
60 1987/08/05(0973) 夢暦
61 1987/10/14(0983) 夢暦
62 1987/11/11(0987) 夢暦
63 1988/02/24(1002) 北緯五十度
64 1988/03/23(1006) 北緯五十度
65 1988/05/11(1013) 北緯五十度
66 1988/06/22(1019) 北緯五十度
67 1988/08/31(1029) 北緯五十度
68 1988/10/12(1035) 北緯五十度
69 1989/03/15(1056) 人生航路
70 1989/04/26(1062) 人生航路
71 1989/05/24(1066) 人生航路
72 1989/08/30(1080) 北国へ
73 1989/11/08(1088) 北国へ
74 1989/12/13(1093) 北国へ

1975年4月、「心のこり」で24歳という当時としては遅咲きのデビューを果たし、この曲のヒットでいきなりスターダムを駆け上がりました。
ヒットスタジオ初登場はデビュー1ヵ月後の1975年5月5日。彼も当時バーニングプロに所属していたことで初登場については他の新人よりも優遇されていた一人であったといえるでしょう。
ただ、「心のこり」のヒットの印象が強かったせいか、その後は次第にレコード売り上げが減少、1978年以降になると、夜ヒットの出演機会も年1、2回と激減。歌手生活最大のスランプに陥ってしまいました。

しかし、1982年、「北酒場」が萩本欽一のバラエディ「欽ちゃんのどこまでやるの?!」(テレビ朝日)で取り上げられるようになると、それまではあまりクローズアップされてこなかった彼の陽気なキャラクターも視聴者に広く支持され、この曲が起死回生のヒットとなり、終いには当時の歌謡界の最大の栄誉ともいえる「日本レコード大賞」を受賞。歌手としての人気をこの曲の大ヒットで完全に不動のものとしました。

この「北酒場」を契機に、あくまでも「演歌」というジャンルの範囲内ではありますが、正統派演歌である「矢切の渡し」「さだめ川」(※いずれもちあきなおみ作品のカバー)、民謡で鍛えられた抜群の歌唱力を活かした「望郷じょんがら」「北緯五十度」などといった幅の広い曲調に果敢に挑戦し、いずれも好セールスを記録。ヒットスタジオの出演頻度もこれ以降再び増え始め、1980年代半ばの演歌勢の中では準レギュラー格の一人として位置づけられるようになり、番組内では番組ラストに歌を披露することも少なくありませんでした。

彼の出演履歴を調べてみて、代表作として数えられる「望郷じょんがら」「浪花節だよ人生は」を夜ヒットで歌った回数がそれぞれ2回と、思っていたよりも少なかったのは少し意外でした。公式ディスコグラフィーを見てみますと、1984・1985年については一定の人気を確保したこともあり、多少の余裕もできたのか、年間3曲程度新曲をリリースしており、このことが代表作である上記2曲の歌唱回数の少なさに繋がっていると思われます。

専用メールアドレス開設、及びエピソード・思い出話募集のお知らせ

2007-07-20 | Weblog
先日、このブログ専用でもう一つ「goo」のアカウントを取得いたしました。
メールアドレスはyoruhit@mail.goo.ne.jpです。

アドレスを取得した記念という訳ではないのですが、皆さんから是非「夜のヒットスタジオ」にまつわる思い出・エピソードを広く募集したいと思います。
いずれかのときに、そのエピソードをこのブログでも随時紹介していく、そういったカテゴリーを作りたいとも考えております。

是非、ご協力宜しくお願いいたします。


夜のヒットスタジオ・歌手別出演履歴<20> クリスタルキング/もんた&ブラザーズ

2007-07-18 | 夜のヒットスタジオ/歌手別出演履歴
「夜ヒット・出演履歴」シリーズ、今回はクリスタルキング、もんた&ブラザーズの出演履歴を振り返ります。
この2組、一般的には「大都会」「ダンシング・オールナイト」があまりに大ヒットしてしまったためか「一発屋」として扱われている傾向が強く、夜ヒットへの出演はかなり少ないのでは?と思っている方も多いかもしれませんが、実際にはその後もクリキンの場合は「蜃気楼」、もんた&ブラザーズの場合は「DESIRE」「赤いアンブレラ」がスマッシュヒットしていたりと厳密な意味での「一発屋」という訳でもなく、夜ヒットにもそれぞれ18回出演と、想像していたよりも多く出演しています。

◆クリスタルキング-初出演:1979年12月10日(第579回)/最終出演:1982年9月27日(第724回)、出演回数:18回
01 1979/12/10(579) 大都会
02 1980/01/07(582) 大都会
03 1980/02/25(589) 大都会
04 1980/03/24(593) 蜃気楼
05 1980/04/21(597) 蜃気楼
06 1980/05/26(602) 蜃気楼
07 1980/06/23(606) 蜃気楼
08 1980/07/28(611) 処女航海
09 1980/08/25(615) 処女航海
10 1980/09/15(618) 処女航海
11 1980/11/03(625) 明日への旅立ち
12 1981/01/12(635) 明日への旅立ち
13 1981/04/27(650) PASSION LADY
14 1981/05/18(653) PASSION LADY
15 1981/06/08(656) PASSION LADY
16 1981/08/24(667) 海南風
17 1982/08/09(717) セシル
18 1982/09/27(724) セシル

クリスタルキングは、1979年の世界歌謡祭でグランプリを受賞したのを契機として、同年11月、グランプリ受賞曲「大都会」でバンド結成9年目で悲願のメジャーデビューを果たします。
パンチパーマにサングラスというワイルドな風貌で低音を聞かせるムッシュ吉崎、スマートな風貌に特徴的なカーリヘアー、圧倒的なハイトーンボイスを聞かせる田中昌之という個性的なツインボーカルの魅力によりこの曲は翌1980年にかけて150万枚以上を売り上げる大ヒットとなります。
夜ヒットには、世界歌謡祭がフジテレビ系列で中継・放送されていた関係から、出演枠も優遇的に与えられ、メジャーデビューからわずか3週間後の1979年12月10日に早くも初出演。以後、資生堂のキャンペーンソングとなった「蜃気楼」、そして「処女航海」、「PASSION LADY」と次々とシングルを発表し、1980~1981年にかけて準レギュラー格として番組にも多く顔を出していました。
ただ、徐々にシングル売り上げは減少し、また音楽活動に対するメンバー各人の変化なども影響してか、1981年秋から1年間は出演実績はゼロ、1982年7月発売の「セシル」での2回の出演が最後となりました。
因みにこの「セシル」という歌はそれまでのクリスタルキングの音楽スタイルとは一線を画す歌で、田中昌之はサブのコーラスに回り、代わってリードボーカルをギターの山下三智夫が務めており、CSの「スターデジオ」でこの曲を初めて聞いたときはこの曲がクリスタルキングの曲だとはちょっと想像できませんでした。この曲はある意味では同バンドの音楽性の幅の広さを物語っている稀有な作品であるといえると思います。

◆もんた&ブラザーズ-初出演:1980年5月26日(第602回)/最終出演:1983年12月12日(第786回)、出演回数:18回(もんたよしのり単独を含め計19回)
01 1980/05/26(602) ダンシング・オールナイト
02 1980/06/16(605) ダンシング・オールナイト
03 1980/07/21(610) ダンシング・オールナイト
04 1980/08/11(613) ダンシング・オールナイト
05 1980/09/29(620) 赤いアンブレラ
06 1980/10/20(623) 赤いアンブレラ
07 1980/12/01(629) 赤いアンブレラ
08 1981/03/09(643) ウィンド&レイニーデイ
09 1981/04/13(648) ウィンド&レイニーデイ
10 1981/07/27(663) Nobody Knows
11 1981/11/16(679) DESIRE
12 1982/01/18(688) DESIRE
13 1982/04/05(699) KOBE
14 1982/05/03(703) KOBE
15 1982/08/30(720) 声にならないLove Song
16 1982/11/22(732) Just You
17 1983/08/29(771) GONE-GONE
18 1983/12/12(786) デンジャー・ラブ
※ 1986/01/29(894) お前が好きやねん(※門田頼命(もんたよしのり)ソロ)

もんた&ブラザーズは、1980年4月に「ダンシング・オールナイト」でメジャーデビュー。この曲も上記のクリキンの「大都会」と同様に瞬く間に1980年を代表する大ヒット曲となりました。
夜ヒットには、レコードデビューから1ヶ月を経た1980年5月26日に初登場。その後は、1983年にかけてイレギュラーでの出演を続けました。
その後、1984年に同バンドは解散、後にもんたは再び(実は彼は1971年に1度ソロ歌手としてレコードデビューしており、厳密には「もんた&ブラザーズ」でのレコードデビューは彼にとっては「再」デビューであったそうです)ソロ歌手としての活動を開始。ソロ活動再開後初のシングルである「お前が好きやねん」も特に有線を中心に話題となり、1986年初頭にはソロ歌手として夜ヒットにも久々に顔を出しています。
尚、同じ「北島音楽事務所」所属の大橋純子とのデュエットで、1983年夏に「夏女ソニア」という歌を発売していますが、この曲についてはカネボウのCFソングであった関係で夜ヒットで披露することはできませんでした。
クリキンと同様、このバンドもボーカルの個性が光っており、もんたよしのりのハスキーボイスが人気を牽引していたという感があります。最初、誰とはわからずに「ダンシング・オールナイト」を聞いた人は、同じくハスキーボイスを武器とする森進一がこの歌を歌っている、と錯覚した人が多かったそうですが、実際のところは森進一以上にもんたよしのりのハスキーボイスは本格的で、歌声の全てを通じて擦れ気味の声(森進一の場合は声を伸ばして歌っている部分はあまり擦れていない状態で高いキーを歌っていたと思います)。このいわば「異質感のある声」が聞いてる人には「衝撃」となり、その衝撃が「ダンシング・オールナイト」の爆発的ともいえるヒットに繋がったといえると思います。