伝説の歌番組・夜のヒットスタジオを語る

伝説の音楽番組「夜のヒットスタジオ」の22年間の足跡を通じて、日本の歌謡界が最も輝いていた時代を振り返ります。

【改訂版】歌謡曲黄金時代と夜のヒットスタジオ-曲目リスト(57-2) 1978年3~4月②

2008-08-20 | 夜ヒット/曲目(改訂・増補版) 77~78年

<1978年3月27日(第490回)>
■石原裕次郎、約9年ぶりにヒットスタジオに歌手として出演。代表曲である「赤いハンカチ」「夜霧よ今夜もありがとう」を番組中盤に披露したほか、番組ラストには新曲「昭和たずねびと」も併せて披露。
・海の見える部屋 チェリッシュ
 詞:林 春生 曲:吉田 正 R:78/03/-
・狼なんか怖くない 石野真子
 詞:阿久 悠 曲:吉田拓郎 R:78/03/25 HC:17位
かもめはかもめ 研ナオコ
 詞・曲:中島みゆき R:78/03/25 HC:8位 BT:10位
◆年間チャート(78年)39位(33.0万枚)
◆第20回(78年)日本レコード大賞金賞受賞曲
◆第9回(78年)日本歌謡大賞放送音楽賞受賞曲
◆第7回(78年)FNS歌謡祭・音楽大賞 優秀歌謡音楽賞受賞曲
◆第4回(78年)全日本歌謡音楽祭 年間話題賞受賞曲
◆第11回(78年)日本有線大賞優秀音楽賞受賞曲
◆第11回(78年)全日本有線放送大賞優秀スター賞受賞曲
◆第29回(78年)NHK紅白歌合戦出場曲(2回)
※前年、77年のいわゆる「芸能人大麻汚染」疑惑の影響で芸能活動を半年間休業していた研ナオコの歌手業復帰第1作。同曲は約33万枚(オリコン調べ)を売り上げるヒットとなり、研はこの年、数多くの音楽賞を受賞、年末には前年出場を見合わせた紅白歌合戦にも堂々のカムバックするなど、比較的短期間で騒動により被った自身の芸能活動へのダメージからの脱却に成功。以後、従前以上に司会・女優業などマルチな活動を展開、広い支持層を獲得してゆく。
【メドレー】夜霧よ今夜もありがとう~赤いハンカチ 石原裕次郎
 ・夜霧よ今夜もありがとう 石原裕次郎
  詞・曲:浜口庫之助 R:67/02/- HC:77位(68年)
※日活映画「夜霧よ今夜もありがとう」主題歌。裕次郎の実兄、石原慎太郎が弟のオリジナル楽曲の中で最も気に入った作品がこの歌であると伝えられている。
 ・赤いハンカチ 石原裕次郎
  詞:荻原四郎 曲:上原賢六 R:62/11/-
※日活映画「赤いハンカチ」主題歌。曲の大ヒットを受けて、レコード発売から約1年を経た1964年1月に浅丘ルリ子を相手役に迎えて映画化された。
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※以上2曲は、この夜ヒット出演の直後にリリースされたLP「石原裕次郎・男のロマン 昭和たずねびと」にも共に収録されている。
・昭和たずねびと 石原裕次郎
 詞:杉 紀彦 曲:三木たかし R:78/03/25 HC:62位

<1978年4月3日(第491回)>
■解散コンサートを翌日に控えたキャンディーズが、コンサート会場として使用予定の後楽園球場(厳密には同球場に隣接された「JCBホール」にて解散コンサートが行われた)からの中継でヒットスタジオに最終出演。観客席に詰め掛けた大勢のファンのかけ声をバックに「微笑がえし」を熱唱(さよならキャンディーズ)
・コーラス・ガール 和田アキ子
 詞:竜真知子 曲:川口 真 R:78/03/05 
◆第29回(78年)NHK紅白歌合戦出場曲(9回)
・さよならは言わない アグネス・ラム
 詞:庄野真代 曲:小泉まさみ R:78/03/-
タイム・トラベル 原田真二
 詞:松本 隆 曲:原田真二 R:78/04/10 HC:4位 BT:4位
◆年間チャート(78年)50位(26.2万枚)
◆TBS系「ザ・ベストテン」年間ランキング(78年)27位
◆第29回(78年)NHK紅白歌合戦出場曲(初)
微笑がえし キャンディーズ
 詞:阿木燿子 曲:穂口雄右 R:78/02/25 
 HC:1位(78/03/13-03/27)
 BT:1位(78/03/23-04/13、04/27-05/11)
◆年間チャート(78年)5位(82.9万枚)
<楽曲について>
キャンディーズの、正規活動期間内にリリースされたシングルの中では最終作に当たる作品(尚、同年11月には、解散メモリアル盤の位置付けで、彼女達のラストコンサートでも最後に歌われた「つばさ」がリリースされているが、これはメンバーたちの意向に反してリリースされたものであると伝えられている)。75年2月リリースの「年下の男の子」以降、数々のヒットを放ったキャンディーズであったが、オリコンシングルチャートで1位を獲得したのは意外にもこの作品のみであった。
②作詞の阿木燿子は、この曲がキャンディーズの最終シングル作品であることを念頭に入れ、「春一番」「ハートのエースが出てこない」「アン・ドゥ・トロワ」「やさしい悪魔」など彼女達のこれまでに発表したヒット曲のタイトルを随時挿入し、全体として、6年に及ぶ彼女たちの活動を回顧する内容に仕立て上げた。また、作曲に穂口雄右を指名したのも阿木であると伝えられている。
③作曲の穂口は、あえてアイドルとしてではなく、「アーティストとして」この曲に関してはキャンディーズと向き合おうと決意。その方針から、レコーディング当日になって、初めて彼女達に同曲の楽譜を手渡し、リハーサルを省き、その場で収録本番に臨ませるという、いわゆる「初見」の手法でレコーディングを行ったという。レコーディング終了後、スタジオに居合わせたスタッフたちは総立ちで彼女たちに拍手喝采を送り、彼女たちもまたその光景を目の当たりにして人目を憚ることなく号泣した、というエピソードが残されている。

【司会】 芳村真理・井上 順

(参考)この頃の主な出来事
・03/26 社会民主連合発足。代表は田英夫参議院議員。
・03/26 開港を4日後に控えた成田空港にて、第四セクターを中心とした新左翼勢力により、同空港の管制塔が占拠・破壊される事件が起きる(成田空港管制塔占拠事件)。同事件の影響で、3月30日に当初予定されていた開港日は約2ヵ月後の5月20日まで延期されることに。
・04/04 東京・後楽園球場跡地に建設された「JCBホール」にて、人気アイドルグループ「キャンディーズ」が解散コンサートを開催。これをもって、約6年に及ぶ活動に終止符を打ち、メンバー3人ともに一旦芸能活動の一切からも引退(後に伊藤蘭・田中好子は女優として完全復帰、藤村美樹も83年にソロ歌手として一時復帰)。
・04/04 プロ野球、大洋ホエールズ(現・横浜ベイスターズ)の、新たなフランチャイズ球場として「横浜スタジアム」が開場。


夜ヒット・歌手別出演履歴<39> 安倍律子/大信田礼子/黒木憲/矢吹健

2008-08-17 | 夜のヒットスタジオ/歌手別出演履歴

夜ヒット・出演履歴シリーズ、今回は番組初期、マエタケ・芳村真理時代にイレギュラーに若手・中堅クラスで複数回出演していた懐かしい顔ぶれ、矢吹健・安倍律子・黒木憲・大信田礼子、以上4人の出演履歴を振り返ります。

<安倍律子(里葎子)>

◆初出演:1971年1月11日(第115回)「愛でくるんだ言訳」 
◆最終出演:1983年10月24日(第779回)「今夜は離さない」(with橋幸夫)
◆出演回数:15回
01. 71/01/11(115) 愛でくるんだ言訳(詞:加茂亮二 曲:鈴木淳 R:71/01/01)
02. 71/10/11(154) お嫁に行くなら(詞:(不明) 曲:平尾昌晃 R:71/09/01)
03. 71/12/13(163) お嫁に行くなら
04. 72/02/21(173) お嫁に行くなら
05. 72/03/13(176) お嫁に行くなら
06. 72/04/03(179) 情熱の季節(詞:阿久悠 曲:(不明) R:72/04/10)
07. 72/04/24(182) 情熱の季節
08. 73/02/12(224) 孤独(ひとりぼっち)(R:73/01/-)
09. 73/03/26(230) 孤独(ひとりぼっち)
10. 73/08/06(249) 律子のタンゴ(詞:ちあき哲也 曲:鈴木淳 R:73/05/-)
11. 76/05/10(392) (詞・曲:森ミドリ R:76/04/-)
12. 76/05/24(394) 傷
12. 76/12/13(423) のんだくれ(R:76/11/-)
13. 79/05/21(550) くわえ煙草(詞:佐藤順英 曲:西島三重子R:79/05/-)
14. 83/10/24(779) 今夜は離さない<with橋幸夫>(詞:藤波研介 曲:幸耕平 R:83/07/21)

<大信田礼子>
◆初出演:1971年5月3日(第131回)「女はそれをがまんできない」
◆最終出演:1973年11月26日(第265回)
◆出演回数:8回 
01. 71/05/03(131) 女はそれをがまんできない(詞:阿久悠 曲:親泊正昇 R:71/05/01)
02. 71/10/11(154) ノックは無用(詞:阿久悠 曲:鈴木邦彦 R:71/11/-)
03. 71/12/06(162) ノックは無用
04. 72/05/29(187) 何がどうしてこうなった(R:72/05/-)
05. 72/07/31(196) 何がどうしてこうなった
06. 72/12/18(216) 嵐を呼ぶ女(詞:山口あかり 曲:平尾昌晃 R:72/10/21) 
07. 73/06/25(243) 愛のくらし-同棲時代-(詞:上村一夫 曲:都倉俊一 R:73/07/01)
08. 73/11/26(265) (不詳)

<黒木 憲>
◆初出演:1968年11月4日(第1回)「花はまぼろし」
◆最終出演:1971年9月20日(第151回)「みれん雨」
◆出演回数:14回
01. 68/11/04(001) 花はまぼろし(詞:丹古晴己 曲:鈴木淳 R:68/10/- HC:30位)
02. 68/11/11(002) 花はまぼろし
03. 68/12/16(007) 花はまぼろし
04. 69/01/20(012) 花はまぼろし
05. 69/02/10(015) 夢はいずこに(R:69/03/01)
06. 69/02/17(016) 夢はいずこに
07. 69/04/21(025) 夢はいずこに
08. 69/07/14(037) 君に逢いたい(詞:有馬三恵子 曲:鈴木淳 R:69/07/-)
09. 69/08/18(042) 君に逢いたい
10. 69/09/29(048) 君に逢いたい
11. 70/01/19(064) 別れても(詞:有馬三恵子 曲:鈴木淳 R:70/02/-)
12. 70/12/14(111) かたおもい(R:70/12/-)
13. 71/03/29(126) かたおもい
14. 71/09/20(151) みれん雨(詞:悠木圭子 曲:鈴木淳 R:71/09/-)

<矢吹 健>
◆初出演:1969年2月17日(第16回)「私にだって」
◆最終出演:1977年10月24日(第468回)「ルララ・リララ」
◆出演回数:22回
01. 69/02/17(016) 私にだって(詞・曲:藤本卓也 R:69/02/05 HC:35位)
02. 69/06/09(032) うしろ姿(詞:山口洋子 曲:藤本卓也 R:69/06/01)
03. 69/07/07(036) うしろ姿
04. 69/08/11(041) うしろ姿
05. 69/10/13(050) 男の数え唄(詞:山上路夫 曲:いずみたく R:69/10/-)
06. 70/07/13(089) むらさきブルース(詞:山口洋子 曲:筒美京平 R:70/05/10)
07. 71/03/22(125) 許してあなた(詞:山口洋子 曲:筒美京平 R:71/02/01)
08. 71/10/18(155) オロロンの唄(詞:有馬三恵子 曲:すぎやまこういち R:71/11/01 HC:49位)
09. 71/11/08(158) オロロンの唄
10. 71/11/22(160) オロロンの唄
11. 71/12/13(163) オロロンの唄
12. 72/01/31(170) オロロンの唄
13. 72/02/28(174) オロロンの唄
14. 72/04/17(181) 南の国の物語(詞:有馬三恵子 曲:すぎやまこういち R:72/-/-)
15. 72/05/15(185) 南の国の物語
16. 72/06/05(188) 南の国の物語
17. 72/11/27(213) 悪い噂(詞:千家和也 曲:三木たかし R:72/11/-)
18. 73/03/19(229) 悪い噂
19. 74/04/29(286) 春雨物語(詞:岡崎英生 曲:穂口雄右 R:74/-/-) 
20. 75/02/17(328) 燃えてお別れ(R:74/-/-)
21. 76/09/27(412) 残り火(詞:東海林良 曲:徳久広司 R:76/07/25)
22. 77/10/24(468) ルララ・リララ(詞:森雪之丞 曲:丹羽応樹 R:77/10/-) 

上記5組のオリジナル曲でもっとも有名な作品というと、「愛のきずな」(安倍)、「霧にむせぶ夜」(黒木)、「同棲時代」(大信田)、「あなたのブルース」(矢吹)ということになろうか、と思いますが、何れも、これら代表作での夜のヒットスタジオへの出演実績が意外にもナシ、という点が共通した出演実績上の特徴として挙げられます(但し、黒木・矢吹のケースはヒットスタジオ放送開始前に上記の曲がヒットしており、既に初出演時には、それらの作品の人気が下火となり、次の新譜のプロモーションを展開していたために、上記作品を披露できなかったと考えられます)。

また、ヒット曲もそれほど多くはなかったにも関わらずイレギュラーに出演を続けていたというのも特徴的です。恐らく、関係者筋(所属事務所・レコード会社・楽曲の制作陣)の猛プッシュが彼らの出演枠確保に大きく影響していたのだろうと思います。


【改訂版】歌謡曲黄金時代と夜のヒットスタジオ-曲目リスト(57-1) 1978年3~4月①

2008-08-12 | 夜ヒット/曲目(改訂・増補版) 77~78年

<1978年3月6日(第487回)>
・今夜は気取って 布施 明
 詞:布施 明 曲:Robert Hughes R:78/03/10 HC:33位
・世界は今日もまわっている トランザム
 詞:クニ河内 曲:チト河内 R:77/12/-
・青春にバラはいらない ビューティ・ペア
 詞:石原信一 曲:あかのたちお R:78/02/05
・バラの渚 あおい輝彦 
 詞:中里 綴 曲:長戸大幸 R:78/02/05 HC:53位
追いかけてヨコハマ 桜田淳子
 詞・曲:中島みゆき R:78/02/25 HC:11位 BT:10位
※「しあわせ芝居」に続く中島みゆき提供作品。中島はこの曲がリリースされた後、ブレスをする部分を挿入し忘れたことに気づき、桜田に(息づきの難しい作品を与えたことに対して)申し訳ないことをしたと、後年、この曲に関連するエピソードとして述懐している。

<1978年3月13日(第488回)>
・赤頭巾ちゃん御用心 レイジー
 詞:杉山政美 曲:都倉俊一 R:78/02/05 HC:32位
<レイジー>
①景山浩宣(現:影山ヒロノブ、ボーカル)、高崎晃(ギター)、田中宏幸(ベース)、樋口宗孝(ドラムス)、井上俊次(キーボート)の5人によるロックバンド。当初は景山・高崎・田中の3人でアマチュアバンドとして活動をしていたが、73年に樋口と井上が加入、これを機に音楽的影響を受けたディープ・パープルの作品名からバンド名を取り、「レイジー」としての活動を開始。77年初冬にテレビ番組「ハロー・ヤング」(朝日放送テレビ)に出演、ディープ・パープルのナンバーを演奏したところ、これを見ていたかまやつひろしが彼らの演奏技術を高く評価。かまやつの誘いを受けて、関西から上京、同年7月、シングル「Hey!I Love You」でレコードデビューを果たした
当初は本格派のハードロック路線での活動を希望していたが、プロデューサーである藤田浩一(のちにオメガトライブや角松敏生らのプロデュースを担当したことでも知られる)を中心とした製作サイドの意向(「和製ベイ・シティ・ローラーズ」のイメージを彼らに要求したとされる)に従い、メンバー全員に統一コスチュームと横文字のニックネームが与えられ、楽曲も歌謡ポップス色の強い作品を発表、アイドルバンドとして売り出されることとなり、78年、「赤頭巾ちゃん御用心」「地獄の天使」のスマッシュヒットにより、数多くの同年代の女性ファンを獲得するに至った。
③しかし、人気が急上昇する一方で、当初の目指していた音楽性と、実際の「アイドル」としての人気との間で疑念が生じ始め、徐々に洋楽のロックナンバーを中心としたライブツアーを敢行するなど、本来目指していたハードロック路線に傾斜した活動方針へと移行。そして、1980年夏のコンサートツアーでファンの前で「へヴィー・メタル宣言」を出し、これを機に、それまでのアイドルバンドとしての活動から決別。その直後に発売したアルバム「宇宙船地球号」は彼らの事実上の、「ヘビメタバンド」としての再デビューを物語るものとして、玄人筋の音楽ファンからもその演奏テクニックや楽曲クオリティーを高く評価された。しかし、この「ヘビメタ宣言」以降、これまでのアイドルポップ路線と本来やりたかった音楽であるはずのハードロック路線の何れを重視するかでメンバー間での音楽性の違いが生じ始め、「ヘビメタ宣言」から約半年後の81年2月に解散を宣言。同年5月末を以てアマチュア時代から数えて約8年に及ぶ活動に終止符が打たれた。解散後、ボーカルを担当していた景山は「影山ヒロノブ」に芸名に改称、主に特撮・アニメ番組の主題歌を中心にボーカリストとしての活動を展開。アニソンの第一人者として、アニメファンの間で熱烈な支持を獲得する。
④97年、「ウルトラマンダイナ」(TBS系)のEDソングを影山が歌うことになった際に、「レイジー」として楽曲製作がレコード会社内で計画され、この計画に影山を初め旧メンバーが賛同。翌98年、同番組のEDソング「ULTRA HIGH」をリリース、17年ぶりに活動を再開。その後は、個々の活動に重点を置きつつ、数年に1度のペースでレイジーとしての活動を継続して展開している。
・きっと今日からは 清水健太郎
 詞・曲:つのだ・ひろ R:78/03/21 HC:30位
・黄昏のあらし シグナル
 詞:小泉長一郎 曲:住出勝則 R:78/02/21 
・甘ったれ 森 進一
 詞:阿久 悠 曲:Salvatore Adamo R:78/02/05 HC:27位
※「雪は降る」などのヒットで知られる世界的歌手・アダモ作曲による森進一のオリジナル作品。前年、フジテレビ系「ミュージックフェア」で共演したことを機に2人は意気投合。その流れで同曲が製作されることとなった。

<1978年3月20日(第489回)>
・失恋魔術師 太田裕美
 詞:松本 隆 曲:吉田拓郎 R:78/03/21 HC:22位
・天使の爪 西村まゆ子
 詞:喜多条忠 曲:三木たかし R:78/01/21
・父娘草 森 昌子
 詞:山口あかり 曲:八角朋子 R:78/03/01 HC:42位
涙の誓い アリス
 詞・曲:谷村新司 R:78/03/05 HC:4位 BT:5位
◆年間チャート(78年)29位(40.4万枚)
◆TBS系「ザ・ベストテン」年間ランキング(78年)21位
乙女座宮 山口百恵
 詞:阿木燿子 曲:宇崎竜童 R:78/02/01 HC:4位 BT:5位
◆年間チャート(78年)41位(31.3万枚)
◆TBS系「ザ・ベストテン」年間ランキング(78年)24位
※シングル曲としては、「イミテイション・ゴールド」以来3作ぶりの宇崎・阿木夫妻コンビによる提供作品。乙女座の女性の恋の行方を銀河系横断の旅に例えて表現し、星占いで登場する星座が数多く歌詞に登場するところから話題となった(ちなみに本作の中で登場するのは、乙女座・ペガサス座・牡牛座・蟹座・山羊座・さそり座・魚座・獅子座の計8星座である)。

【司会】 芳村真理・井上 順

(参考)この頃の主な出来事
・03/01 日本社会党の委員長選で、現役の横浜市長である飛鳥田一雄が選出される(即日、飛鳥田は横浜市長の職を辞任)。
・03/01 東京・池袋に高層ビル「サンシャイン60」が完成(4/6に開業)。高さ・地上239.7mは、完成当時、東洋一の規模を誇った。
・03/10 新潟の雑居ビルで未明に漏電事故による火災発生、10人死亡の惨事にに。
・03/18 東京・原宿にブティック「竹の子」開店。 


【改訂版】歌謡曲黄金時代と夜のヒットスタジオ-曲目リスト(56-3) 1978年1~2月③

2008-08-10 | 夜ヒット/曲目(改訂・増補版) 77~78年

<1978年2月20日(第485回)>
・バイバイ・ララバイ 岡田奈々 
 詞:竜真知子 曲:佐藤 健 R:78/02/10
愛よ甦れ 野口五郎
 詞:藤公之介 曲:平尾昌晃 R:78/02/21 HC:9位 BT:5位
◆TBS系「ザ・ベストテン」年間ランキング(78年)38位
・春の予感 -I've been mellow- 南 沙織
 詞・曲:尾崎亜美 R:78/01/21 HC:25位
◆第7回(78年)東京音楽祭・国内大会 ゴールデン・カナリー賞受賞曲
78年資生堂春のキャンペーン「メロウカラー」CFソング
※詞・曲・編曲は前年の「マイ・ピュア・レディ」(因みにこの曲も小林麻美が出演した資生堂のCFソングとしてヒットした)で一躍新進気鋭のシンガーソングライターとして注目をあつめることになった尾崎亜美が担当。因みに南沙織の全シングル曲の中で、詞・曲・編の三役を一人の作家が務めたのはこの作品のみである。現在では「春」を代表するスタンタードナンバーとして広く知られるところとなったが、発売当初の売上は意外と伸びず、累計7.6万枚(オリコン調べ)というスマッシュヒットに終わっている。
冬が来る前に 紙ふうせん
 詞:後藤悦治郎 曲:藤浦 直 R:77/11/01 HC:4位 BT:8位
◆年間チャート(78年)27位(42.4万枚)
<紙ふうせん>
 74年、この年に解散した音楽グループ「赤い鳥」のメンバーである後藤悦治郎・平山泰代の夫婦により結成されたフォークデュオ。同年、シングル「いかつり唄」、アルバム「またふたりになったね」をレコードデビュー。77年、5枚目のシングルである「冬が来る前に」が40万枚以上のヒットを記録し、知名度が上昇。同じく「赤い鳥」からの派生グループであり、都会派路線を追求し続けた「ハイ・ファイ・セット」とは異なり、「赤い鳥」の音楽的な本流ともいえる叙情歌路線をそのまま継承、関西に拠点を置き、全国各地で伝承されるその地域特有の唱歌・民謡の研究・取材を基にした楽曲製作・コンサート活動を現在も展開している。

<1978年2月27日(第486回)>
・青春物語 狩人 
 詞:山上路夫 曲:都倉俊一 R:78/03/10 HC:23位
・潮どき 五木ひろし
 詞:岩谷時子 曲:中村泰士 R:78/02/25 HC:17位
※「待っている女」などに代表される初期五木演歌の一つのカラーでもある、「ポップス演歌」路線で久々に勝負に出た作品。曲の途中でツイスト風のステップが入ったり、髪を書き上げる仕草を連想させるポーズが挿入されるなど、これまでにない大胆な振付が発売当時、話題となった。
二十才前 -はたちまえ- 岩崎宏美
 詞:阿久 悠 曲:穂口雄右 R:78/02/25 HC:10位
この曲のレコーディング時に、岩崎は風邪をこじらせていたことから、初回プレスでは鼻づまり気味の声で収録されたバージョンがそのまま発売されたが、その後、再びレコーディングをし直し、第二版のプレス盤からはこの再録バージョンが使用されている。同シングル発売の約2ヵ月後にはこの曲を中心として、岩崎の成人を祝して製作されたアルバム「二十才前・・・」もリリースされ、同盤もオリコンアルバムチャートで最高10位、累計4.7万枚(オリコン調べ)を売り上げる好セールスを記録した(因みにアルバムではこの曲のタイトル表記は、アルバムのタイトルに合わせて「二十才前・・・」とされている)。
迷い道 渡辺真知子
 詞・曲:渡辺真知子 R:77/11/01 HC:3位 BT:6位
◆年間チャート(78年)11位(61.3万枚)
◆TBS系「ザ・ベストテン」年間ランキング(78年)26位
◆第29回(78年)NHK紅白歌合戦出場曲(初)
<渡辺真知子>
①神奈川県出身。高校2年の頃より創作活動を始め、その中の書き溜めた作品の一つである「オルゴールの恋唄」をひっさげて75年、若手フォーク歌手の登竜門「ヤマハポピュラーソングコンテスト(ポプコン)」に出場し審査委員特別賞を受賞。これを契機として、アマチュアミュージシャンでの活動を開始。2年後の77年秋に自ら詞・曲を手掛けたシングル「迷い道」でレコードデビューし、同曲が翌78年には入ってからヒットチャートを席巻、オリコン週間チャート最高3位、同年間チャートでも11位にランキングされるなど、同年の日本の音楽シーンを代表する作品となる。続く「カモメが翔んだ日」「ブルー」も次々とヒットし、同年の賞レースでは最優秀新人賞の座を総なめ、大橋純子や庄野真代らと並ぶ、女流ニューミュージック音楽の先導者としての地位を確立する。
②80年の「唇よ、熱く君を語れ」以降、ヒットから遠ざかり、人気が一時低迷。しかし、90年代以降、実力派の女性ボーカリストとして再評価されるようになると共に、本来の自身の明朗闊達なキャラクターが受け、再びテレビ・ラジオへの出演機会が増加。近年では日本テレビ系の音楽バラエティー「THE夜もヒッパレ」にも常連ゲストの一人として多数出演、磨きのかかった歌唱力で健在振りをアピールした。

【司会】 芳村真理・井上 順

(参考)この頃の主な出来事
・02/18 アメリカ・ハワイ州にて、世界初のトライアスロン大会が開催される。
・02/20 合板・プレハブ住宅の大手、永大産業が会社更生法を申請し事実上倒産。負債総額は1800億円以上に上り、「戦後最大の倒産」と形容される。
・02/22 イギリス下院議会にて、スコットランド分離法案が可決される。これによりスコットランドに大幅な自治権が付与されることに。


【改訂版】歌謡曲黄金時代と夜のヒットスタジオ-曲目リスト(56-2) 1978年1~2月②

2008-08-01 | 夜ヒット/曲目(改訂・増補版) 77~78年

<1978年1月30日(第482回)>
■沢田研二による番組史上に残る名シーン、「『サムライ』・畳バージョン」放送。
キャンディ 原田真二
 詞:松本 隆 曲:原田真二 R:77/11/25 HC:10位 BT:5位
◆年間チャート(78年)48位(26.4万枚)
◆TBS系「ザ・ベストテン」年間ランキング(78年)48位
・沈丁花 石川さゆり
 詞:東海林良 曲:大野克夫 R:78/01/01 HC:19位
サムライ 沢田研二
 詞:阿久 悠 曲:大野克夫 R:78/01/21 
 HC:2位 BT:1位(78/02/23-03/16)
◆年間チャート(78年)13位(52.2万枚)
◆TBS系「ザ・ベストテン」年間ランキング(78年)4位
<楽曲について>
10thアルバム「思い切り気障な人生」(77年11月リリース)からのシングルカット。尚、同アルバムに収録された楽曲はすべて阿久・大野・船山基紀のトリオが詞・曲・編曲を担当している。
②シングル発売当初は、ハーケンクロイツ(右卍マーク、戦前・戦中にかけてナチスドイツの紋章として使用されており、現在でもドイツ国内では戦争犯罪の反省の観点から公の場での使用を禁止している)の腕章を皮のジャケットの上に身につけて(衣装自体もナチス親衛隊員が着用していた戦闘服をモチーフとしたものといわれている)テレビの歌番組では同曲を披露していたが、その後、このマークの使用を巡り物議を醸したことから、途中から腕章のマークは×印に変更された。
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(■この回のヒットスタジオでの同曲の歌唱シーンについては、「夜ヒット・名シーン/沢田研二『サムライ』」(07年1月6日更新分)を参照の事。)
酒と泪と男と女 河島英五
 詞・曲:河島英五 R:76/06/25 HC:9位
<楽曲について>
76年、河島が当時活動拠点としていた京都の大手酒造メーカー「黄桜酒造」のCMソングに採用されたのをきっかけにヒット。翌77年には、萩原健一もシングル「前略おふくろ」のB面曲としてこの曲のカバーバージョンを吹き込んだほか、ちあきなおみ、八代亜紀らも自身のアルバムで同曲をカバーしている。
②河島が逝去した2001年のNHK紅白歌合戦では、長年の親友でもあった堀内孝雄が、生前の河島本人の歌唱映像との「デュエット」でこの曲を涙ながらに熱唱、このシーンは「天国との共演」とも称され、近年の紅白の中でも屈指の名シーンとして高い評価を得ている。
<河島英五>
①1952年、大阪府出身。高校時代より、当時所属していたバスケット部の仲間たちと共に4人組のフォークグループ「河島英五とホモ・サピエンス」を結成し、アマチュアミュージシャンとして音楽活動を開始。1975年、シングル「何かいいことないかな」、アルバム「人類」で同グループはレコードデビューしたものの、76年、セカンドアルバム「運命」を発売した直後にて解散。その後ソロミュージシャンとして京都を拠点として活動を開始し、同年、酒造メーカーのCFソングとして採用された「酒と泪と男と女」が息の長いヒットとなり、河島の名を全国区に押し上げた
②その後も、全国各地のライブハウス・コンサートホールでのライブを中心に精力的な活動を展開。また、インド・ペルー・ネパールなどへ単身で長期の放浪の旅に出かけ、各地で受けた音楽的影響の集大成として、80年には10~12月にかけてアルバム「文明」3部作を立て続けに発表85年には「野風増」(橋幸夫がこの年にカバー版をシングルとして発表している)、翌86年には「時代おくれ」を発表、歌詞内容から主に中高年世代の愛唱歌として親しまれ、「酒と泪と―」と並ぶ河島の代名詞的作品となった。また、国内のコンサートでは、都市部よりも地方部・山間部を重視したツアーを敢行。四国お遍路参りの旅を兼ねたツアーや、オードバイによるツーリング旅行を兼ねたツアーなど、意表を付いたライブツアーを展開、この地域密着型のライブ形態は彼の根強い人気の下地を築く礎となった。
③その後も、95年からは阪神大震災復興チャリティーコンサート「復興の詩」の総合プロデュースを担当したり、朝の連続テレビ小説「ふたりっ子」「ぴあの」(ともにNHK総合)などで俳優としても活躍、在阪ラジオ局でもパーソナリティーを務めるなど、マルチな活動を展開していたが、長年患っていた肝臓病が悪化、2001年、愛娘の結婚を見届けて、48歳の若さで逝去した。

<1978年2月6日(第483回)>
・帰って来たよ 新沼謙治
 詞:山口あかり 曲:平尾昌晃 R:78/02/10
・港の忘れ草 内山田洋とクールファイブ 
 詞:山田孝雄 曲:浜 圭介 R:77/12/05 HC:76位
・面影平野 藤 圭子
 詞:阿木燿子 曲:宇崎竜童 R:77/11/05 HC:78位
・いとしのロビン・フッドさま 榊原郁恵
 詞:藤公之介 曲:馬飼野康二 R:78/01/01 HC:18位
・い・に・し・え 日暮し
 詞・曲:武田清一 R:77/11/25 HC:14位
日本テレビ系ドラマ「恋歌」主題歌
<日暮し>
 73年、山田パンダの仲介により、RCサクセションの前身バンドである「THE REMAINDERS OF RHE CLOVERS」の一員であった武田清一を中心に結成された、男性2人、女性1人編成のフォークグループ。79年に解散した後、ボーカルであった榊原尚美は「杉村尚美」と改名して、81年春にソロ歌手として「サンセット・メモリー」をヒットさせている。


<1978年2月13日(第484回)>
・のれん 都はるみ
 詞:遠藤幸三 曲:四方章人 R:78/02/01
花しぐれ 高田みづえ
 詞:松本 隆 曲:都倉俊一 R:78/03/05 HC:10位 BT:8位
◆TBS系「ザ・ベストテン」年間ランキング(78年)47位
◆第29回(78年)NHK紅白歌合戦出場曲(2回)
あんたのバラード 世良公則&ツイスト
 詞・曲:世良公則 R:77/11/25 HC:6位 BT:6位
◆年間チャート(78年)25位(43.5万枚)
◆TBS系「ザ・ベストテン」年間ランキング(78年)37位
◆第6回(77年)世界歌謡祭グランプリ受賞曲
◆第14回(77年下期)ヤマハポピュラーソングコンテスト グランプリ受賞曲
◆第29回NHK紅白歌合戦出場曲(初)
<世良公則&ツイスト(ツイスト)>
①ボーカルの世良公則と、ドラムスのふとがね金太を中心として77年に結成。同年、世良が詞・曲を手掛けた「あんたのバラード」がヤマハ・ポプコン、そして世界歌謡祭でグランプリを受賞し、同曲でレコードデビュー。洋楽の影響を強く受けたフォーク音楽が人気を博していたこの当時の時代にあって、世良の迫力のあるドスの利いたボーカルが人々に衝撃を与え、同曲はデビューシングルながら、オリコン週間チャート最高6位、年間チャートでは総合25位にランクインする大ヒットを記録し、一躍人気バンドの仲間入りを果たす。その後も、「銃爪(ひきがね)」「燃えろいい女」などが立て続けに大ヒット、同時期にデビューしたChar、原田真二と共に「ニューミュージック御三家」の一角を成し、それまで日本の歌謡界では「不良の音楽」として敬遠されがちであったロックミュージックの大衆化に強い影響力を発揮した(この点から、同バンドを「日本のロックをメジャーにした先駆者」と評する向きもある)。
②80年、独立事務所を設立して以降はメンバー間の音楽性の相違などが表面化、人気にも翳りが生じるようになり、翌81年末、ラストシングル「SET ME FREE」をリリースして、約4年に及ぶ活動に終止符を打った。その後、ボーカルであった世良は、ソロのミュージシャンとしての活動の傍ら、後に人気刑事ドラマ「太陽にほえろ!」での熱演ぶりを契機に俳優業にも進出、映画「極道の妻たち」(東映)、「Wの悲劇」(角川春樹事務所)、NHK朝の連続テレビ小説「チョッちゃん」などの話題作にも数多く出演し、役者としても一定の評価を確立してゆく。
・哀しみ通せんぼ 大塚博堂
 詞:るい 曲:大塚博堂 R:78/02/05
<大塚博堂>
①1944年、大分県出身。東洋音楽大学中退後、地元に戻り、音楽喫茶やナイトクラブでジャズシンガーとして活動していたところを、渡辺プロがスカウトし、72年に「大塚たけし」の芸名で、シングル「自由に生きてほしい」でデビュー。この旧芸名時代にはこの「自由に―」を含め、シングル2枚をリリースするも何れも不発。仕事もほとんどゼロに近い状態となり、再びナイトクラブ等での弾き語りの仕事を中心に生計を立てる不遇の日々を過ごす。
②しかし、地道な下積みが功を奏し、76年、32歳のときにシングル「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」で再レコードデビューを果たす。その後はライブ活動を中心に展開(この当時、大塚は年間100本以上ものコンサート日程を毎年消化していたという)、抜群の歌唱力、広範な音域で悲恋をテーマとした作品を歌い上げるその姿は「愛を歌う吟遊詩人」との異名を取り、彼のコンサートには毎回、彼の音楽センスに魅了された女性ファンが数多く詰め掛けた。
③他方、「めぐり逢い紡いで」「哀しみ通せんぼ」などといった自身のオリジナル作を藤公之介、るい(※当時、大塚のマネージャーを務めていた小坂洋二が作詞時に使用していたペンネーム)らとのコンビで製作する傍ら、彼の高い実力が業界内でも評判を集め、布施明・ペギー葉山・小野寺昭・桃井かおりら他の歌手にも作品を提供する機会に恵まれるなど、意欲的な創作活動を展開。更なる活躍を期待されていた矢先の81年5月、脳内出血のため37歳の若さで急死した。彼の没後、往時のファンや関係者が中心となって、故郷・大分を初め、名古屋・東京・札幌など全国各地で追悼イベントが催され、その早すぎる死を悼んだ。

【司会】 芳村真理・井上 順

(参考)この頃の主な出来事
・02/04 東京大学宇宙航空研究所、オーロラ観測衛星「きよつごう」の打ち上げに成功。
・02/11 「建国記念の日」を記念して、総理府(現・内閣府)後援により初めての「奉祝式典」が催される。社会党・共産党ら反対派は全国各地でこの式典に対する抗議集会を開催。