伝説の歌番組・夜のヒットスタジオを語る

伝説の音楽番組「夜のヒットスタジオ」の22年間の足跡を通じて、日本の歌謡界が最も輝いていた時代を振り返ります。

【改訂版】歌謡曲黄金時代と夜のヒットスタジオ-曲目リスト(37-2) 1974年11~12月②

2008-05-03 | 夜ヒット/曲目(改訂・増補版) 73~74年

<註>
 ・下記表記の「R」は当該曲目のレコード(CD)発売日「HC」は当該曲目のオリコンチャートでの最高位を表しています。
・また、曲目の部分の記載につき、オリコンチャート1位獲得曲については、同じく2~10位にランクインされた曲についてはの背景色にしてあります。
 ・各曲目につき、放送回順に記載していますが、必ずしもその放送回がその曲目が初めてヒットスタジオで歌われた(演奏された)回であるわけではないので、この点にご留意頂いた上でご覧下さい。
 ・また、1970年代前半までについては映像資料等が乏しいため、レコード発売日と各歌手の出演日との兼ね合い、何らかのタイアップ曲として発売されたものについては、スポンサーや他局番組との競合の有無、その他種々の点を考慮の上、その放送回に披露されたことがほぼ間違いないであろうと「推定」されるものについてのみ記載をしております。発売日等で間違いがございましたらご一報下さい。


<1974年12月2日(第317回)>
冬の色 山口百恵
 詞:千家和也 曲:都倉俊一 R:1974/12/10
 HC:1位(1974/12/23-1975/01/27)
 ◆年間チャート(75年)10位(52.9万枚)
 ◆第3回(1975年上期)FNS歌謡祭・音楽大賞 最優秀歌謡音楽賞受賞曲
 ※山口にとり初のオリコン週間チャート1位獲得曲。全シングル曲中では、78年の「いい日旅立ち」に次ぐセールスを記録している(累計売上52.9万枚)。
・酒場にて 江利チエミ
 詞:山上路夫 曲:鈴木邦彦 R:1974/09/25 HC:22位
 ※ 69年の紅白落選後、自宅の全焼、高倉健との離婚、実姉による横領事件など私生活で不幸の続いた江利チエミにとり久々の起死回生のヒットとなった。当時の江利の心情をリアルに描き出したような歌詞の内容と、それを引き立てる軽快ながらも哀愁漂うメロディーがヒットへとつながる要因となった。この曲のヒットにより同年末、NHKは紅白へのカムバック出場を打診したが、江利サイトは「紅白はもう卒業した」としてこの申入れを辞退したと伝えられている。
・美しき誤解 和田アキ子 
 詞:なかにし礼 曲:馬飼野康二 R:1974/09/25
 ◆第25回(1974年)NHK紅白歌合戦出場曲(5回)

<1974年12月9日(第318回)>
■この年制定された「FNS歌謡祭・音楽大賞」にちなんだ特別編成を同日及び翌12月16日の2週連続で企画。
・あなたの港 都はるみ
 詞:山口洋子 曲:平尾昌晃 R:1974/12/01
甘い生活 野口五郎
 詞:山上路夫 曲:筒美京平 R:1974/10/20
 HC:1位(1974/11/25-12/02)
 ◆年間チャート(75年)34位(29.5万枚)
 ◆第16回(1974年)日本レコード大賞作曲賞受賞曲
 ◆第25回(1974年)NHK紅白歌合戦出場曲(3回)
 ※野口にとり初のオリコン週間チャート1位獲得曲にして、これまでに発表した全シングル作品中最高のセールスを記録(累計売上49.4万枚)した作品。この曲の大ヒットで「若き実力派」の定評が確立。
おんなの操 殿さまキングス
 詞:千家和也 曲:彩木雅夫 R:1973/11/05
 HC:1位(1974/03/18-05/13)
 ◆年間チャート(74年)1位(193.6万枚
 ◆第16回(1974年)日本レコード大賞大衆賞受賞曲
 ◆第7回(1974年)日本有線大賞特別賞受賞曲
 ◆第7回(1974年)日本有線放送大賞銀賞受賞曲
 ◆第25回(1974年)NHK紅白歌合戦出場曲(初)
 ※「北の恋唄」「北の宿」に続く殿さまキングス3作目のシングル曲。発売から5ヵ月後を経た74年3月18日付オリコン週間チャートで1位を獲得して以来、9週連続で首位の座を堅持累計売上枚数197.3万枚(オリコン調べ)を記録する空前の大ヒットとなった。ちなみにこの記録は、1980年代までに発売された全シングルレコード・CDに限定すると、「およげ!たいやきくん」(75年)「おんなの操」(72年)「黒ネコのタンゴ」(69年)「恋の季節」(68年)に次ぐ記録となっている

<1974年12月16日(第319回)>
涙と友情 西城秀樹
 詞:たかたかし 曲:鈴木邦彦 R:1974/11/25 HC:4位
 ◆年間チャート(74年)39位(27.3万枚)
精霊流し グレープ
 詞・曲:さだまさし R:1974/04/25 HC:2位
 ◆年間チャート(74年)13位(52.3万枚)
 ◆第16回(1974年)日本レコード大賞作詩賞受賞曲
 ◆第2回(1974年下期)FNS歌謡祭・音楽大賞 特別賞受賞曲
 ◆第46回・第53回(1995年・2002年)NHK紅白歌合戦出場曲(さだまさし単独での出場、7回・14回)
 ※ 73年10月に「雪の朝」でデビューした、さだまさし、吉田政美によるフォークデュオ「グレープ」の2ndシングルにして最大のヒット作。さだの母方の従兄弟が水難事故で亡くなった年の初盆の際に行われた精霊流し(長崎県各地で毎年8月15日に行われる故人を弔う伝統行事)の様子を題材としている。
 ※発売当初は売上は低調であったが、数ヶ月後、東海ラジオの蟹江篤子アナウンサーがこの曲を気に入り、東海地方で当時高い支持を獲得していたラジオ深夜番組「ミッドナイト東海」の自身の担当曜日の放送で毎週のように同曲を流し続けたところ、まずは東海地区から人気に火が付き、その後全国にもその勢いが波及、大ヒットへと結びついた
 ※2001年にはこの曲をモチーフとしてさだ自身が小説「精霊流し」を執筆、その後2002年にはドラマ化、2003年には映画化され、この小説は話題を集め、同時に同楽曲にも再び注目が集まった。
みれん 五木ひろし
 詞:山口洋子 曲:猪俣公章 R:1974/10/10 HC:6位
 ◆第16回(1974年)日本レコード大賞最優秀歌唱賞受賞曲
 ◆1974年度FNS歌謡祭・音楽大賞 年間最優秀グランプリ受賞曲
 ※この年制定された「FNS歌謡祭・音楽大賞」の初代グランプリ受賞曲。因みにこの年と翌75年のFNS歌謡祭については、7月に上期の予選・本選、12月に下期の予選・本選を行い、それぞれに最優秀新人賞(この年は最優秀ホープ賞)・最優秀歌唱賞・最優秀歌謡音楽賞を決し、その上で、下期本選時に上期・下期通じての年間グランプリも決定するという形式が採られていた。

<1974年12月23日(第320回)>
・流し唄 島倉千代子 
 詞・曲:竜はじめ R:1974/10/01
・あなたがいるから 森山良子
 詞・曲:麻田 浩 R:1974/09/25 HC:73位
・木枯らしの舗道 天地真理
 詞:山上路夫 曲:森田公一 R:1974/12/10 HC:14位
さらばハイセイコー 増沢末夫 
 詞:小坂 巌/山田孝雄<補作> 曲:猪俣公章 R:1975/01/01 HC:4位
 ◆年間チャート(75年)37位(27.7万枚)
 ※「怪物」との異名を取り、競馬人気を牽引した名馬、ハイセイコーの引退記念ソングとして製作。ハイセイコーの主戦騎手であった増沢末夫が歌い、この種の企画盤としては異例の25万枚を越える大ヒットとなった。

<1974年12月30日(第321回)>
旅愁 西崎みどり
 詞:片桐和子 曲:平尾昌晃 R:1974/08/01 HC:2位
 ◆年間チャート(75年)20位(40.0万枚)
 ※朝日放送=TBS系ドラマ「暗闇仕留人」(※「必殺」の文言はタイトルに入っていないが、実際上は「必殺」シリーズの第4弾として製作・放送された)主題歌。
 ※3歳のときに日本舞踊で初舞台を踏み、子役として活躍。14歳のときに作曲家・平尾昌晃に師事、同年末~翌75年前半にかけて同曲をヒットさせた。 
はじめての出来事 桜田淳子
 詞:阿久 悠 曲:森田公一 R:1974/12/05
 HC:1位(1975/02/03)
 ◆年間チャート(75年)11位(52.6万枚)
 ◆第26回(1975年)NHK紅白歌合戦出場曲(2回)
 ※桜田の初めてにして唯一のオリコン週間チャート1位獲得作品。また、全シングル曲中最大のヒットを記録した作品でもある(累計売上52.7万枚)。 
愛の迷い子 アグネス・チャン
 詞:安井かずみ 曲:平尾昌晃 R:1974/12/21 HC:2位
 ◆年間チャート(75年)20位(40.0万枚)
 ◆第26回(1975年)NHK紅白歌合戦出場曲(3回)
・裸足になろう 井上 順
 詞:永 六輔 曲:宮川 泰 R:1974/12/-

【司会】 芳村真理・三波伸介(・朝丘雪路<不定期出演>)


(参考)この頃の主な出来事
・12/01 自民党の椎名悦三郎副総裁、三木武夫を新総裁とする裁定案を提示(椎名裁定)。9日、三木は国会にて内閣総理大臣に指名され、三木武夫内閣が発足。
・12/03 日本生命など生命保険各社、個人用掛け捨て保険の発売を決定。
・12/12 南部鉄器など12品目が、初の伝統的工芸品産業に指定されることが審議会により答申される。
・12/15 「怪物」との別名を取り、一時代を築いた名馬・ハイセイコーが引退。
・12/31 第16回日本レコード大賞に森進一「襟裳岬」。最優秀歌唱賞は五木ひろし「みれん」、最優秀新人賞は麻生よう子「逃避行」。



【改訂版】歌謡曲黄金時代と夜のヒットスタジオ-曲目リスト(37‐1) 1974年11~12月①

2008-05-03 | 夜ヒット/曲目(改訂・増補版) 73~74年

<註>
 ・下記表記の「R」は当該曲目のレコード(CD)発売日「HC」は当該曲目のオリコンチャートでの最高位を表しています。
・また、曲目の部分の記載につき、オリコンチャート1位獲得曲については、同じく2~10位にランクインされた曲についてはの背景色にしてあります。
 ・各曲目につき、放送回順に記載していますが、必ずしもその放送回がその曲目が初めてヒットスタジオで歌われた(演奏された)回であるわけではないので、この点にご留意頂いた上でご覧下さい。
 ・また、1970年代前半までについては映像資料等が乏しいため、レコード発売日と各歌手の出演日との兼ね合い、何らかのタイアップ曲として発売されたものについては、スポンサーや他局番組との競合の有無、その他種々の点を考慮の上、その放送回に披露されたことがほぼ間違いないであろうと「推定」されるものについてのみ記載をしております。発売日等で間違いがございましたらご一報下さい。

<1974年11月4日(第313回)>
ふれあい 中村雅俊
 詞:山川啓介 曲:いずみたく R:1974/07/01 
 HC:1位(1974/08/19-10/21)
 ◆年間チャート(74年)4位(117.7万枚
 ※日本テレビ系ドラマ「われら青春!」劇中歌/松竹映画「ふれあい」主題歌
 ※73年に文学座に入団し、俳優生活をスタート。翌74年春、日本テレビ系の青春ドラマ「われら青春!」に主役の教師役に新人俳優ながら大抜擢され、一躍青春スターとして台頭し、続いて「俺たちの勲章」「俺たちの旅」「ゆうひが丘の総理大臣」といった青春ドラマでも相次いで主役の座を射止め、他方では大河ドラマ「花神」(77年)、映画「悪魔が来たりて笛を吹く」などではシリアスな役柄を好演。シリアス・コミカルいずれもこなせる実力派の主役級俳優として、その人気を確固たるものとした。
 ※「われら青春!」の劇中歌として企画・発売されたこの曲もドラマの好評振りに即応するかのように発売直後よりヒットチャートを急上昇。発売後7週目にはオリコン週間チャートで1位を獲得、以後10週連続で1位の座を維持し続け、最終的には累計で約126万枚(オリコン調べ)を売り上げるミリオンセラーを記録した。
・追伸 グレープ 
 詞・曲:さだまさし R:1974/10/25 HC:13位
・お別れですあなた ザ・ピーナッツ
 詞:千家和也 曲:すぎやまこういち R:1974/09/-
・夜霧の街 南 沙織 
 詞:有馬三恵子 曲:筒美京平 R:1974/10/01 HC:17位

<1974年11月11日(第314回)>
・伊豆の踊子 山口百恵
 詞:千家和也 曲:馬飼野康二 R:1974/12/10
 ※「冬の色」B面
 ※東宝映画「伊豆の踊子」主題歌。川端康成の名作「伊豆の踊子」の6度目の映画化となる同映画は山口の初主演映画であると同時に、後に夫となる三浦友和とはじめてコンビを組んだ作品でもあり、山口の約7年半の芸能活動の中で一つのエポックメイキングとなった映画であった。
 ※この回のヒットスタジオでは、山口は映画で演じた主人公の踊子「かおる」に扮し、傍らで共演者の三浦友和が見守る中でこの曲を披露している。
・愛の詩を今あなたに 布施 明
 詞:なかにし礼 曲:川口 真 R:1974/09/10 HC:24位
・雨だれ 太田裕美
 詞:松本 隆 曲:筒美京平 R:1974/11/01 HC:14位
 ◆第17回(1975年)日本レコード大賞新人賞受賞
 ◆第8回(1975年)日本有線大賞優秀新人賞受賞
 ※スクールメイツ、ヤング101(NHK「ステージ101」内の番組限定グループ)を経てこの曲でソロ歌手として正式デビュー。他の女性アイドル歌手とは一線を画す、ピアノ弾き語りのスタイルでこの曲を当時のテレビ音楽番組やイベント・コンサートでは披露、フォーク歌手とアイドル歌手の中間的存在として主に学生の間でファン層を徐々に獲得してゆく。
 ※因みに、スクールメイツからヤング101への移行期に、一旦「キャンディーズ」の一員としてデビューすることが決まっていたが、デビュー直前になって田中好子と交替したとのエピソードが残されている。
・愛の逃亡者 -THE FUGITIVE- 沢田研二
 詞・曲:Tony Weddington/Wayne Bickerton R:1974/11/21 HC:12位
 ※欧州全域での市場獲得を企図して、イギリス・ロンドンのレコーディング・スタジオで現地のスタッフをプロデューサー・演奏に迎え製作されたLP「THE FUGITIVE 愛の逃亡者」(74年12月発売)先駆けて発表された沢田のソロ11作目に当たるシングル曲。 当時日本の歌謡曲ではまだ珍しかった全編英語詞による意欲作(因みに上記LPの収録曲も全て英語詞で製作されている)であったが、オリコン週間チャートは最高12位に留まり、 72年のソロ2作目「許されない愛」より9作続いたベスト10入りはこの作品で一旦途切れている
 ※因みに同曲の作詩・作曲(及び上記LP全収録曲の作詩・作曲及びプロデュース)を担当したウェイン・ビッカートンは、英国ポリドール・レコードの敏腕プロデューサーとして知られ、これより前にはザ・ルーベッツの「SUGAR BABY LOVE(シュガー・ベイビー・ラブ)」を世界的ヒットに押し上げた実績を残している。

<1974年11月18日(第315回)>
・挽歌 由紀さおり
 詞:千家和也 曲:浜 圭介 R:1974/09/05 HC:15位
 ◆第25回(1974年)NHK紅白歌合戦出場曲(6回)
 ※由紀のシングル作品では「生きがい」(70年11月リリース)以来のオリコン週間チャートベスト20入り曲
冬の駅 小柳ルミ子
 詞:なかにし礼 曲:加瀬邦彦 R:1974/10/10
 HC:1位(1974/11/18・12/09)
 ◆年間チャート(75年)27位(34.1万枚)
 ◆第25回(1974年)NHK紅白歌合戦出場曲(4回)
 ※小柳にとり、5作目のシングル「京のにわか雨」(72年8月リリース)以来のオリコン週間チャート1位獲得曲
・はしゃぎすぎたのね 美川憲一
 詞・曲:中川博之 R:1974/10/25
 ◆第25回(1974年)NHK紅白歌合戦出場曲(7回)

<1974年11月25日(第316回)>
・冬化粧 黛ジュン 
 詞:阿久 悠 曲:猪俣公章 R:1974/10/10 HC:58位
・南十字星 欧陽菲菲
 詞:千家和也 曲:猪俣公章 R:1974/11/-
 ※西城秀樹の「南十字星」とは同名異曲。
・雪の中の二人 麻丘めぐみ
 詞:千家和也 曲:馬飼野康二 R:1974/12/01 HC:16位

【司会】 芳村真理・三波伸介(・朝丘雪路<不定期出演>)


(参考)この頃の主な出来事
・11/01 気象庁のアメダスが運用開始。
・11/05 ローマにて世界食糧会議開催。
・11/09 浦賀水道でLPGタンカー「第10雄洋丸」とリベリア船籍の貨物船が衝突し、タンカーが爆発炎上。両船舶の乗員33人が死亡。タンカーはそのまま暫く炎上したまま太平洋上を漂流していたが、同28日、海上自衛隊が空爆・魚雷などの方法により撃沈。
・11/18 フォード・アメリカ大統領が来日。
・11/21 巨人軍の指揮を14シーズンに渡り採ってきた川上哲治が監督を勇退。後任にはこの年引退したばかりの長島茂雄が就任(72年よりヘッドコーチ兼選手としてプレーを続行しており事実上は昇格)。
・11/23 フォード・アメリカ大統領がソ連を訪問し、ブレジネフ書記長と階段。翌24日には第2次戦略兵器制限交渉(SALTⅡ)が大筋合意に至る。
・11/26 国語辞典「大辞林」や英和辞典「コンサイス」で知られる三省堂が東京地裁に会社更生手続開始を申立て。
・11/26 金脈問題が追及され窮地に立たされていた田中角栄首相が辞意を表明。
・11/26 第5回日本歌謡大賞に森進一「襟裳岬」。  





【改訂版】歌謡曲黄金時代と夜のヒットスタジオ-曲目リスト(36) 1974年9~10月

2008-05-02 | 夜ヒット/曲目(改訂・増補版) 73~74年

<1974年9月2日(第304回)>
あなたにあげる 西川峰子
 詞:千家和也 曲:三木たかし R:1974/07/25 
 HC:1位(1974/12/16)
 ◆年間チャート(75年)17位(41.8万枚)
 ◆第16回(1974年)日本レコード大賞新人賞受賞
 ◆第5回(1974年)日本歌謡大賞放送音楽新人賞受賞
 ◆第2回(1974年下期)FNS歌謡祭・音楽大賞 最優秀ホープ賞(新人賞)受賞  
 ◆第26回(1975年)NHK紅白歌合戦出場曲(初)
北航路 森 進一
 詞:阿久 悠 曲:猪俣公章 R:1974/09/15 HC:10位
 ◆第2回(1974年下期)FNS歌謡祭・音楽大賞 最優秀歌唱賞受賞曲
・女の純情 野村真樹 R:1974/07/-
 ※殿さまキングスの「女の純情」とは同名異曲。
・1990年 吉屋 潤
 詞:吉屋 潤/岡田冨美子 曲:吉屋 潤 R:1974/08/-
 ※韓国読みは「キル・オギュン」。終戦後、米国キャンプにサキソフォン奏者として参加したのを機に音楽活動を開始。1950年に日本に渡り、東京のジャズバンドを転々と渡り歩いた後、1953年に自前のバンド「クールキャッツ」を結成。このバンドのリーダーとして創世記の日本のテレビジャズ番組にも数多く出演し、韓国よりも先に日本で、まずはジャズ演奏家として人気を集めた。その後、1962年に韓国に帰国し、「私の恋人」で作曲家生活をスタート。1966年に結婚(73年離婚)したパティ・キムとのコンビによる「4月が行けば」「愛するマリア」「別離(イピョル)」、自ら発掘した新人歌手、へウニとのコンビによる「あなたは分からないでしょう」「カムスグアン」など数多くのヒット曲を作曲、1988年のソウル五輪では開会式の音楽を担当するなど、韓国を代表するポピュラー音楽家として親しまれたが、1995年3月、68歳で死去。没後、生前の作曲家・演奏家としての業績に対し韓国政府より文化勲章が追贈されている。
※同曲は元々はパティ・キムとの夫妻コンビで韓国で発表された作品である。韓国での売上は今ひとつであったが、その後日本にこの曲の企画が輸入され、吉屋自身の歌唱による日本語バージョンのシングルが74年にリリースされたところ、幼い娘への親としての愛情溢れる歌詞が共感を集め、以後、伊東ゆかり、鹿内孝、菅原洋一、アローナイツ、千葉紘子ら多くの日本人歌手がアルバム・シングルで同曲をカバー、海を渡った隣国・日本で長く愛唱される楽曲となった。

<1974年9月9日(第305回)>
・両手いっぱいの明日 森田健作
 詞:石原信一 曲:中村泰士 R:1974/09/15
 ※グリコ「アーモンドチョコレート」CMソング(このため、ヒットスタジオではB面の「青春を迎えに行こう」を披露した可能性あり。情報求む)。
・ふたり旅 北島三郎 R:1974/08/-
・水色の街 三輪車 
 詞・曲:山崎 稔 R:1974/07/20 HC:21位
 ※関西テレビ「レッツゴー・ヤング」(NHKの「レッツゴーヤング」とは別番組)エンディングテーマ。
 ※関西学院大学・近畿大学の現役学生3人によるフォークグループ。同曲の他シングル「黒のスーツ」「夏の日の思い出」、アルバム「午後のファンタジア」「夏の日の思い出」を発表したが、大学卒業とほぼ同時に解散した。
愛ふたたび 野口五郎
 詞:山上路夫 曲:佐藤 寛 R:1974/07/21 HC:5位
 ◆年間チャート(74年)45位(26.3万枚)

<1974年9月16日(第306回)>
・夢見る頃 伊藤咲子
 詞:阿久 悠 曲:Shuki Levy R:1974/08/05
 ※73年、日本テレビ系オーディション番組「スター誕生!」決戦大会に合格し、74年「ひまわり娘」で歌手デビューした伊藤咲子の2作目のシングル曲。
前作同様、イスラエル出身の音楽家、シュキ・レヴィが作曲を担当。
 ※この曲の後も「乙女のワルツ」「きみ可愛いね」などをヒットさせたが、ヒットスタジオの出演は記録上ではこの放送回の1度のみとなっている(他の放送回の出演の有無につき追加情報求む)。
・面影のワルツ 園 まり
 詞:千家和也 曲:都倉俊一 R:1974/06/-
・美しい別れ いしだあゆみ
 詞:なかにし礼 曲:加瀬邦彦 R:1974/08/01 HC:74位
 ◆第25回(1974年)NHK紅白歌合戦出場曲(6回)
・ピクニック ガロ
 詞:山上路夫 曲:堀内 護 R:1974/07/01 HC:53位
 ※スパイダース解散後ソロ活動を開始したかまやつひろしの専属バンドを経て、71年にシングル「たんぽぽ」、アルバム「GARO」でデビュー。72年、元々は3枚目のシングル「美しすぎて」(72年6月発売)のB面であった「学生街の喫茶店」をA・B面を入替えた上で再発売したところ、72年末~73年春ころにかけて累計70万枚以上を売り上げる大ヒットを記録、その後発売された「君の誕生日」「ロマンス」「一枚の楽譜」も立て続けにオリコン週間チャートのベスト10入りを果たし、人気バンドとして一時代を築いた。約5年の活動を経て、76年2月、12枚目のシングル「最後の手紙」を残し解散。メンバーの日高富明(愛称Tommy)と堀内護(愛称Mark)はその後、ソロアーティストとして、リードボーカルの大野真澄(愛称Vocal)は作曲家・音楽プロデューサーとしてそれぞれの道を歩みだすが、86年、日高が自ら命を絶ち、ファンが待望し続けていた再結成は適わぬ夢となってしまった。

<1974年9月23日(第307回)>
・初めてのお酒 千葉紘子
 詞:千家和也 曲:浜 圭介 R:1974/07/25
・波止場ワルツ 芦川まこと R:1974/09/20
・悲しみにつばをかけろ 本郷直樹
 詞:なかにし礼 曲:菊池俊輔 R:1974/06/-
 ※日本テレビ系ドラマ「白い牙」主題歌
・秋日和 あべ静江
 詞:阿久 悠 曲:三木たかし R:1974/08/25
・花の散りぎわ 水前寺清子
 詞:なかにし礼 曲:浜 圭介 R:1974/10/-
傷だらけのローラ 西城秀樹
 詞:さいとう大三 曲:馬飼野康二 R:1974/08/25 HC:2位
 ◆年間チャート(74年)34位(29.5万枚)
 ◆第16回(1974年)日本レコード大賞歌唱賞受賞曲
 ◆第5回(1974年)日本歌謡大賞放送音楽賞受賞
 ◆第7回(1974年)日本有線大賞大衆賞受賞曲
 ◆第25回・第49回(1974年・1998年)NHK紅白歌合戦出場曲(初・15回)
 ※西城秀樹の初の海外進出作品であり、カナダでも現地のヒットチャートで最高2位を記録するヒットを収めている。また、翌75年にはフランス語のバージョンも企画・製作された。

<1974年9月30日(第308回)>
・ハネムーン・イン・ハワイ アン・ルイス
 詞:なかにし礼 曲:平尾昌晃 R:1974/08/25 
・あなたが欲しい ぴんから兄弟
 詞:悠木圭子 曲:鈴木 淳 R:1974/09/01 HC:32位
 ◆第7回(1974年)日本有線大賞優秀賞受賞曲
・くちづけの秋 牧美智子 R:1974/08/-
・海鳴り 内山田洋とクールファイブ
 詞:千家和也 曲:劉 家昌 R:1974/09/15 HC:45位
 ◆第25回(1974年)NHK紅白歌合戦出場曲(3回) 
 ※台湾のシンガーソングライターである劉家昌(ラウ・カーチョン)の作曲作品。この曲で71年のボーカル・前川清の急病による出場辞退以来、疎遠となっていた年末の紅白にも4年ぶりのカムバックを果たした。

<1974年10月7日(第309回)>
・何かありそな西銀座 奥村チヨ
 詞:千家和也 曲:浜 圭介 R:1974/06/-
・ああ北海道に雪がふる 鶴岡雅義と東京ロマンチカ
 詞:山口洋子 曲:鶴岡雅義 R:1974/09/01
 ※それまでメインボーカルであった三条正人が脱退。同曲からは代わって浜名弘(ヒロシ)がメインボーカルを担当。ヒットスタジオへのレギュラー出演期間で最後に披露したシングル曲がこの作品であった(74年秋を以て降板)。
・銀座ブルー・ナイト 青江三奈
 詞:橋本 淳 曲:吉田 正 R:1974/09/15 HC:87位
 ◆第25回(1974年)NHK紅白歌合戦出場曲(8回)
・理由(わけ) 中条きよし
 詞:山口洋子 曲:平尾昌晃 R:1974/10/01 HC:17位

<1974年10月14日(第310回)>
・雪化粧 テレサ・テン
 詞:山上路夫 曲:猪俣公章 R:1974/10/21 HC:41位
・おかあさん 森 昌子
 詞:神坂 薫 曲:遠藤 実 R:1974/09/01 HC:21位
想い出のセレナーデ 天地真理
 詞:山上路夫 曲:森田公一 R:1974/09/01 HC:4位
 ◆年間チャート(74年)40位(28.7万枚)
 ◆第25回(1974年)NHK紅白歌合戦出場曲(3回)
 ※天地の新境地を切り開くスローナンバーとして話題となり、累計売上枚数も久々に30万枚台を突破したものの、その後は新譜発売の度に売上枚数が減少。オリコン週間チャートベスト10入りはこの曲が最後となってしまった。
愛の執念 八代亜紀
 詞:川内康範 曲:北原じゅん R:1974/09/25 HC:9位
 ◆第16回(1974年)日本レコード大賞歌唱賞受賞曲
 
<1974年10月21日(第311回)>
・疑惑のブレスレット 小川知子
 詞:千家和也 曲:馬飼野康二 R:1974/11/05
・旅路 舟木一夫
 詞:丘灯至夫 曲:遠藤 実 R:1974/09/10
 ※73年10月に起こした自殺未遂騒動以後、歌手活動を休業していた舟木の1年ぶりとなる新曲。デビュー曲にして最大の代表作「高校三年生」(1963年)の丘・遠藤の作詞・作曲コンビが再集結し、失意の底から心機一転、再起を誓う舟木を盛り立てた。
ちっぽけな感傷 山口百恵 
 詞:千家和也 曲:馬飼野康二 R:1974/09/01 HC:3位
 ※雑誌「明星」の企画で原案を募集し、それをもとに作詞・作曲が行われた。

<1974年10月28日(第312回)>
美しい朝がきます アグネス・チャン
 詞:安井かずみ 曲:井上忠夫 R:1974/09/10 HC:8位
 ※NET(現・テレビ朝日)系ドラマ「おじさま!愛です」主題歌。
・小さな青春 井上 順
 詞:なかにし礼 曲:都倉俊一 R:1974/02/-
 ※「愛情物語」B面。
・悲しい妖精 小林美樹
 詞:阿久 悠 曲:都倉俊一 R:1974/10/-
 ※73年、「スター誕生!」(日本テレビ系)に合格したことを機に、翌74年7月に「人魚の夏」で歌手デビュー。しかしヒットに恵まれず2年ほどで歌手業に見切りをつけ、大学受験に専念。明治大学卒業後、テレビ新潟(日本テレビ系列)に入社し、アナウンサーとして活躍した
・かなしみ模様 ちあきなおみ
 詞:阿久 悠 曲:川口 真 R:1974/09/01 HC:69位
 ◆第25回(1974年)NHK紅白歌合戦出場曲(5回)
 ※同年5月に病気で倒れ、一時芸能活動をセーブしていたちあきなおみの、前作「円舞曲(わるつ)」の発売から数えて実に半年振りの新曲。この曲を主軸として、収録曲全てを阿久が作詞・構成を担当、川口のほか小林亜星ら5人の作曲家がその阿久の詞に2作ずつ曲を付けたオリジナルアルバム「かなしみ模様 新しい出会い そして新しい出発(たびだち)」も同年11月にリリースされている。

【司会】 芳村真理・三波伸介(・朝丘雪路<不定期出演>)


(参考)この頃の主な出来事
・09/01 台風16号に伴う集中豪雨で多摩川が増水、東京・狛江市付近の河川中央に設置されていた農業用取水堰が流水と衝突し発生した迂回流が狛江市側の堤防を決壊させ、3日までの間に家屋19棟が流出。
・09/01 原子力船「むつ」、太平洋上での出力上昇試験中に放射線漏れが発生。
・09/13 日本赤軍メンバー3名が、オランダ・ハーグのフランス大使館を占拠。大使館員11名を人質に取り、身代金とフランス当局に収監されている他の日本赤軍メンバーの釈放を要求(ハーグ事件)。オランダ政府から右の要求通りの対応を引き出すが、19日、シリアで投降。
・10/08 佐藤栄作前首相にノーベル平和賞が贈られることが決定。
・10/12 プロ野球、セントラル・リーグ、中日ドラゴンズが巨人のV10を阻止し、1954年以来20年ぶりのリーグ制覇を達成。
・10/14 巨人軍のスター選手、長島茂雄が後楽園球場で現役最後の試合に出場。試合終了後の挨拶で「わが巨人軍は永久に不滅です」との名フレーズを残し、17年にわたる選手生活に別れを告げる(翌75年シーズンより川上哲治に代わり巨人軍の監督に就任)。
・10/14 三井物産本社で爆破事件発生。
・10/22 「月刊文藝春秋」内の立花隆によるルポタージュ記事「田中角栄研究-その金脈と人脈」によりかねてより噂のあった田中の金脈政治の全貌が暴露される。臨時国会ではこの点が一大争点となり、政局は混迷の度を深める。
・10/23 プロ野球、日本シリーズ、パシフィックリーグ覇者のロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)がセ・リーグ覇者の中日を4勝2敗で下し、1950年以来24年ぶりの日本一に輝く。


【改訂版】歌謡曲黄金時代と夜のヒットスタジオ-曲目リスト(35) 1974年7~8月

2008-04-29 | 夜ヒット/曲目(改訂・増補版) 73~74年

<1974年7月1日(第295回)>
君は特別 郷ひろみ
 詞:岩谷時子 曲:筒美京平 R:1974/06/21 HC:6位
 ※デビュー曲「男の子女の子」より8作連続で岩谷・筒美が作詞・作曲を担当(このコンビでの郷のシングル作品は同曲が最後)。
・小さな寝顔 橋幸夫
 詞:愛 なみ 曲:風間史郎 R:1974/05/25
・愛がはじまる時 風吹ジュン
 詞:有馬三恵子 曲:平尾昌晃 R:1974/05/01 HC:21位
 ※70年に上京し、モデルハウスのマネージャーなどをしながら、73年、イギリスの写真家、デビッド・ハミルトンに日本人としては最初のモデルに抜擢され、ユニチカのマスコットガールに。これを契機として74年5月に同曲で歌手デビュー。しかし、わずか4ヵ月後の同年9月に、事務所独立に関するトラブルを原因として、フジテレビでの特番収録中に当時の所属事務所が雇った暴力団関係者により彼女と担当のマネージャーが突如連れ去られるという事件が発生し、一時芸能活動が自粛。復帰後は「寺内貫太郎一家2」「岸辺のアルバム」(ともにTBS系)など女優としての活動へと移行。79年公開の東映映画「蘇える金狼」では娼婦役を演じ、その体当たりの演技が評価され、実力派女優としての地位を確立した。
・花嫁は泣いていた 江川ひろし R:1974/04/01

<1974年7月8日(第296回)>
・幸せ振り 宗田まこと R:1974/05/-
・熟れた果実 平山三紀(みき)
 詞:橋本 淳 曲:筒美京平 R:1974/06/01
黄色いリボン 桜田淳子
 詞:阿久 悠 曲:森田公一 R:1974/05/25 HC:10位
 ◆第25回(1974年)NHK紅白歌合戦出場曲(初)
浜昼顔 五木ひろし
 詞:寺山修司 曲:古賀政男 R:1974/06/20 HC:5位
 ◆年間チャート(74年)21位(36.9万枚)
 ◆第5回(1974年)日本歌謡大賞放送音楽賞受賞曲
 ◆第25回(1974年)NHK紅白歌合戦出場曲(4回)
 ※1936年に日活映画「慈悲心鳥」の主題歌として発表された「さらば青春」(詞:佐藤惣之助、歌:藤山一郎)のリメイク版として発表。74年、古賀メロディーの代表的作品を集めたオリジナルアルバム(LP「影を慕いて」、同年7月発売)を制作した際に、五木の後見人でもあった作詞家の山口洋子初め関係者が古賀にオリジナルのシングル曲の作曲を打診。しかし、当時レコード業界に存在していた「専属作家制度」により、コロムビア専属の作曲家であった古賀が徳間音工所属の五木に正規の新譜の作曲を行うことは認められなかったため、その代替措置として、コロムビアの管理外にあった「さらば青春」のメロディーに新たな歌詞を付けるという形で同曲が製作されることとなった。その新たな歌詞は当時アングラ劇団「天井桟敷」を拠点に幅広く創作活動を展開していた人気劇作家の寺山修司が担当。強力な作家陣を擁したという話題性もあり、この曲は発売直後より好セールスを記録。最終的には同年のオリコン年間チャート21位を記録するヒットとなった。
・海がみたいの 小川知子
 詞:なかにし礼 曲:筒美京平 R:1974/06/05

<1974年7月15日(第297回)>
・愛のいさかい 三善英史
 詞:阿久 悠 曲:三木たかし R:1974/07/15
・私の場合 今 陽子
 詞:荒木とよひさ 曲:加瀬邦彦 R:1974/07/10
ひと夏の経験 山口百恵
 詞:千家和也 曲:都倉俊一 R:1974/06/01 HC:3位
 ◆年間チャート(74年)15位(44.6万枚)
 ◆第16回(1974年)日本レコード大賞大衆賞受賞曲
 ◆第5回(1974年)日本歌謡大賞放送音楽賞受賞曲
 ◆第2回(1974年下期)FNS歌謡祭・音楽大賞 最優秀歌謡音楽賞受賞曲
 ◆第7回(1974年)日本有線大賞大衆賞受賞曲
 ◆第25回(1974年)NHK紅白歌合戦出場曲(初)
 ※衝撃的ともいえる歌詞の内容が話題となり、「青い果実」以降3作連続で10万枚台の売上セールスで推移していたものが、この曲で初めて40万枚台のセールスを記録。この作品のヒットによって山口は女性アイドルの筆頭格へと大躍進を遂げた。
 
<1974年7月22日(第298回)>
・てっぺんまごころ 水前寺清子
 詞:星野哲郎 曲:安藤実親 R:1974/08/-
 ◆第25回(1974年)NHK紅白歌合戦出場曲(10回)
夏の感情 南 沙織
 詞:有馬三恵子 曲:筒美京平 R:1974/06/20 HC:5位
 ◆第25回(1974年)NHK紅白歌合戦出場曲(4回)
ポケットいっぱいの秘密 アグネス・チャン
 詞:松本 隆 曲:穂口雄右 R:1974/06/10 HC:6位
 ◆第25回(1974年)NHK紅白歌合戦出場曲(2回)
・君におくる愛のメロディー あいざき進也
 詞:安井かずみ 曲:穂口雄右 R:1974/07/25

<1974年7月29日(第299回)>
・涙の河 マギー・ミネンコ
 詞:橋本 淳 曲:中村泰士 R:1974/07/10 HC:23位
 ※ロシア出身の女性歌手・タレント。日本テレビ系「金曜10時!うわさのチャンネル」に片言の奇妙な日本語を話す「変な外人」として出演し人気を集めた。
・涙に微笑みを 風吹ジュン
 詞:有馬三恵子 曲:平尾昌晃 R:1974/08/01 
・ひとり囃子 小柳ルミ子
 詞:喜多条忠 曲:平尾昌晃 R:1974/06/10 HC:21位
・急げ!若者 フォーリーブス
 詞:千家和也 曲:都倉俊一 R:1974/07/21 HC:28位
 ◆第25回(1974年)NHK紅白歌合戦出場曲(5回)
 ※東宝映画「急げ!若者」主題歌。 

<1974年8月5日(第300回)>
■放送300回を記念して、大磯ロングビーチより公開放送を実施。
・銀座の恋 鶴岡雅義と東京ロマンチカ
 詞:なかにし礼 曲:平尾昌晃 R:1974/04/01
 ※「別れてきました」B面。
・花のフェスティバル 佐良直美
 詞:さがゆうこ 曲:佐良直美 R:1972/09/25
 ◆第25回(1974年)NHK紅白歌合戦出場曲(8回)
 ※「別れ話は背中にしてね」B面。7月に発売された新譜がTBS系ドラマ「ありがとう」(第4シリーズ、同シリーズでは京塚昌子と佐良のコンビが主人公の母娘を演じた)の主題歌として発売された関係からこの曲をヒットスタジオでは披露した。
うすなさけ 中条きよし
 詞:なかにし礼 曲:平尾昌晃 R:1974/07/10 HC:5位
 ◆年間チャート(74年)33位(29.5万枚)
・奇蹟の歌 山本リンダ
 詞:阿久 悠 曲:都倉俊一 R:1974/07/10

<1974年8月12日(第301回)>
・マリアの鐘 欧陽菲菲 
 詞:千家和也 曲:猪俣公章 R:1974/08/-
・花の唄 にしきのあきら
 詞:千家和也 曲:井上忠夫 R:1974/07/01 HC:98位
・ごめんなさい 朝丘雪路
 詞:なかにし礼 曲:筒美京平 R:1974/05/21
・恋愛志願 ミミ(荻原ミミ)
 詞:有馬三恵子 曲:井上忠夫 R:1974/06/-
あなた 小坂明子
 詞・曲:小坂明子 R:1973/12/21 HC:1位(1974/01/28-03/11)
 ◆年間チャート(74年)2位(164.9万枚
 ◆第4回(1973年)世界歌謡祭グランプリ受賞曲
 ◆第6回(1973年)ヤマハポピュラーソングコンテスト グランプリ受賞曲
 ◆第25回(1974年)NHK紅白歌合戦出場曲(初)
 ※16歳の時に、アマチュア演奏家のプロへの登竜門として位置づけられていた「ポプコン」に出場、グランプリに輝き、続く世界歌謡祭でもグランプリを受賞。高校在学中のときに作り上げたという小坂の音楽的才能、そして同曲の完成度の高さが評判となり、発売早々よりヒットチャートを急上昇、発売後1ヶ月でオリコン週間チャート1位に上り詰め、以後7週連続で1位の座を保守。最終的には160万枚以上の累計売上(オリコン調べ。尚、発売元のワーナー・パイオニア調べでは200万枚以上とされている)を記録し、この年の歌謡界を代表する大ヒットとなった。
 ※同年の紅白のステージではこの曲のみの指揮担当として実父でオーケストラ指揮者・ジャズミュージシャンの小坂務が特別出演、ステージ上での親子共演が実現した。

<1974年8月19日(第302回)>
・昼下がりの夢 林 寛子
 詞:千家和也 曲:鈴木邦彦 R:1974/06/25
・恋愛狂時代 ヒデとロザンナ
 詞:なかにし礼 曲:都倉俊一 R:1974/09/01
・太陽は傷だらけ 江川ひろし R:1974/09/-
・じゃあまたね 浅田美代子
 詞:安井かずみ 曲:吉田拓郎 R:1974/08/21 HC:17位
 ※浅田と同曲の作曲を手掛けた吉田はこの後、約2年の交際を経て77年に結婚(83年に離婚)。

<1974年8月26日(第303回)>
・闇夜にドッキリ 山本リンダ
 詞:阿久 悠 曲:都倉俊一 R:1974/08/25
 ◆第25回(1974年)NHK紅白歌合戦出場曲(4回)
・胸さわぎ 優雅(ゆうや)
 詞:有馬三恵子 曲:筒美京平 R:1974/07/01
・この道は遠けれど 尾崎紀世彦
 詞:なかにし礼 曲:筒美京平 R:1974/03/25
 ※「許しておくれ」B面。
・ここに愛がある ~ラブ・サインのテーマ~ トワ・エ・モアファミリー
 詞・曲:芥川澄夫 R:1974/07/-
 ※73年に解散したフォークデュオ「トワ・エ・モア」の芥川澄夫がリーダーとなり、同デュオのコンサートのバッグバンドを務めていた男性メンバー3人と、新たに女性ボーカル2人を加えた6人編成で結成されたフォークグループ。シングル2枚、アルバム1枚を発表したが、わずか1年弱で活動を停止している。
※芥川はこの後、東芝EMIのレコーディングディレクターへと転身。84年には東芝EMIの製作部門の1セクションが独立して発足した新会社「FAN HOUSE」に移籍し、岡村孝子らのプロデュースを担当。98年からは白鳥英美子とトワ・エ・モアを再結成、再び表舞台での活動を再開している。 

【司会】 芳村真理・三波伸介(・朝丘雪路<不定期出演>)


(参考)この頃の主な出来事
・07/04 第53代横綱・琴櫻引退。年寄「白玉」襲名(→14日、先代佐渡ヶ嶽親方急逝により、佐渡ヶ嶽を襲名)。
・07/07 第10回参議院議員選挙施行。元・NHKアナウンサーで自民党公認候補として出馬した宮田輝が全国区でトップ当選。このほか、女優の山口淑子・山東昭子、漫才師のコロムビア・トップらも当選。選挙結果は田中内閣の「日本列島改造」路線と、石油危機後の経済政策の乏しさから自民が敗北。これにより保守系(自民など)と革新系(社会など)の差はわずか7議席まで伯仲。
・07/07 台風8号と梅雨前線の活発化に伴い日本各地で集中豪雨発生(七夕豪雨)。
・07/08 第52代横綱・北の富士引退。年寄「井筒」襲名(→77年に、先代九重親方急逝により、九重を襲名)。
・07/12 三木副総理兼環境庁長官、田中首相の政治姿勢を批判し辞任。続く16日には、福田赳夫大蔵大臣、保利茂行政管理庁長官も辞任し、田中首相の求心力低下が顕著に。
・07/24 大関・北の湖が史上最年少の21歳2ヶ月で第55代横綱に昇進。輪島と共に大相撲は「輪湖時代」へと突入。
・07/25 漫才コンビ「エンタツ・アチャコ」として一時代を築き、今日の漫才の原型を築きあげた漫才師・喜劇俳優の花菱アチャコが死去。77歳。
・07/25 日本人バレリーナ、森下洋子が、ブルガリアの第7回バレエコンクールで女性部門第1位に輝く。
・08/08 ウォーターゲート事件の責任を取る形でニクソン・米大統領が辞任表明(アメリカ大統領の任期途中での辞任はこれが現時点では唯一のケース)。翌9日、フォード副大統領が第38代大統領に就任。
・08/15 韓国・ソウル市内で行われた独立記念式典の演説中に朴正煕大統領が大阪在住の韓国人・文世光に狙撃される事件(文世光事件)起きる。この事件により朴大統領の夫人である陸英修が流れ弾に遭い死亡。文は事件発生から4ヵ月後の同年12月20日に絞首刑により処刑された。
・08/15 俳優・津川雅彦、朝丘雪路夫妻の長女(生後5ヶ月)が誘拐される事件起きる。翌16日夜に犯人は逮捕され、長女は無事救出された。
・08/27 神奈川・平塚市でピアノ騒音に激昂した男が母子3人を殺害する事件発生。
・08/29 宝塚歌劇団、「ベルサイユのばら」初上演。
・08/30 東京・丸の内の三菱重工本社ビルで時限爆弾が爆発、8人死亡。


【改訂版】歌謡曲黄金時代と夜のヒットスタジオ-曲目リスト(34) 1974年5~6月

2008-04-27 | 夜ヒット/曲目(改訂・増補版) 73~74年

<註>
 ・下記表記の「R」は当該曲目のレコード(CD)発売日「HC」は当該曲目のオリコンチャートでの最高位を表しています。
・また、曲目の部分の記載につき、オリコンチャート1位獲得曲については、同じく2~10位にランクインされた曲についてはの背景色にしてあります。
 ・各曲目につき、放送回順に記載していますが、必ずしもその放送回がその曲目が初めてヒットスタジオで歌われた(演奏された)回であるわけではないので、この点にご留意頂いた上でご覧下さい。
 ・また、1970年代前半までについては映像資料等が乏しいため、レコード発売日と各歌手の出演日との兼ね合い、何らかのタイアップ曲として発売されたものについては、スポンサーや他局番組との競合の有無、その他種々の点を考慮の上、その放送回に披露されたことがほぼ間違いないであろうと「推定」されるものについてのみ記載をしております。発売日等で間違いがございましたらご一報下さい。

<1974年5月6日(第287回)>
・人生ブルース 水前寺清子 R:1974/05/-
・ある日の午後 森山良子
 詞:安井かずみ 曲:岩沢幸矢 R:1974/04/25 HC:26位
 ◆第25回(1974年)NHK紅白歌合戦出場曲(4回)
・あの娘がつくった塩むすび 藤 正樹
 詞:西沢 爽 曲:遠藤 実 R:1974/03/25
さらば友よ 森 進一
 詞:阿久 悠 曲:猪俣公章 R:1974/04/15 HC:5位
 ◆年間チャート(74年)36位(29.1万枚)
 ◆第44回(1993年)NHK紅白歌合戦出場曲(26回)

<1974年5月13日(第288回)>
・みち潮 由紀さおり
 詞:保富康午 曲:坂田晃一 R:1974/04/-
・許しておくれ 尾崎紀世彦
 詞:なかにし礼 曲:筒美京平 R:1974/03/25 HC:69位
・グッド・バイ・マイ・ラブ アン・ルイス
 詞:なかにし礼 曲:平尾昌晃 R:1974/04/05 HC:14位
 ◆年間チャート(74年)50位(23.8万枚)
 ※デビュー4年目にして初の大ヒットとなった、アン・ルイスの出世作。1990年代には松崎しげるがノエビア化粧品のCMソングとしてこの曲をカバーし再注目された。

<1974年5月20日(第289回)>
・寒流 北島三郎
 詞:星野哲郎 曲:福田マチ R:1974/05/- 
 ◆第25回(1974年)NHK紅白歌合戦出場曲(12回)
・私のスター 青江三奈
 詞:橋本 淳 曲:都倉俊一 R:1974/02/-
・危ない土曜日 キャンディーズ
 詞:安井かずみ 曲:森田公一 R:1974/04/21 HC:46位
うそ 中条きよし 
 詞:山口洋子 曲:平尾昌晃 R:1974/01/25 
 HC:1位(1974/05/20-07/08)
 ◆年間チャート(74年)3位(150.0万枚
 ◆第16回(1974年)日本レコード大賞大衆賞受賞曲
 ◆第5回(1974年)日本歌謡大賞放送音楽新人賞受賞
 ◆第1回(1974年上期)FNS歌謡祭・音楽大賞 最優秀ホープ賞(新人賞)受賞
 ◆第7回(1974年)日本有線大賞新人賞受賞
 ◆第25回(1974年)NHK紅白歌合戦出場曲(初)

 ※2度の歌手デビューが不発に終わり、一時芸能活動を停止、サラリーマンやスナック・飲食店経営をしながら生計を立てていたが、そのスナックの常連客であったマスコミ関係者らの後押しにより、73年、よみうりテレビ=日本テレビ系のオーディション番組「全日本歌謡選手権」に出場。10週連続で勝ち抜き、グランドチャンピオンとなり、翌74年、五木ひろしの再デビュー作「よこはま・たそがれ」を大ヒットさせ、五木をスターダムに伸し上げた実績を持つ山口洋子・平尾昌晃の作詞・作曲コンビが仕掛人となり、同曲で3度目の歌手デビュー(「中条きよし」という芸名は山口が名づけたものである)。当初は売上は低調であったが、有線などで徐々に話題となり、発売後4ヶ月目でオリコン週間チャート1位の座を獲得し、以後8週連続で1位を保守。最終的には150万枚という驚異的セールスを記録する大ヒットとなった。

<1974年5月27日(第290回)>
恋と海とTシャツと 天地真理
 詞:安井かずみ 曲:森田公一 R:1974/06/01 HC:8位
・真赤な鞄 山本リンダ
 詞:阿久 悠 曲:都倉俊一 R:1974/04/10
愛ひとすじ 八代亜紀
 詞:川内康範 曲:北原じゅん R:1974/05/25 HC:10位
 ◆年間チャート(74年)25位(34.4万枚)
 ◆第5回(1974年)日本歌謡大賞放送音楽賞受賞曲
 ◆第7回(1974年)日本有線大賞受賞曲
 ◆第25回(1974年)NHK紅白歌合戦出場曲(2回)

<1974年6月3日(第291回)>
・めおと雲 村田英雄 
 詞:荒金ひろし 曲:遠藤 実 R:1974/01/-
 ※1973年に糖尿病の悪化のため入院、約1年間の療養生活を強いられた村田英雄の復帰第1作目に当たる作品。
・シンデレラは6月生まれ あいざき進也
 詞:安井かずみ 曲:穂口雄右 R:1974/05/10
・夕顔の町 英 亜里 R:1974/-/-(詳細求む)
・愛のゆくえ ザ・ピーナッツ
 詞:荒木とよひさ 曲:加瀬邦彦 R:1974/04/-
 ◆第3回(1974年)東京音楽祭・国内大会 ゴールデン・カナリー賞受賞曲、同・世界大会 銀賞受賞曲
激しい恋 西城秀樹
 詞:安井かずみ 曲:馬飼野康二 R:1974/05/25 HC:2位
 ◆年間チャート(74年)8位(58.3万枚)
 ◆第7回(1974年)日本有線大賞大衆賞受賞曲
 
<1974年6月10日(第292回)>
夫婦鏡 殿さまキングス
 詞:千家和也 曲:彩木雅夫 R:1974/05/25
 HC:1位(1974/07/15-08/05)
 ◆年間チャート(74年)6位(79.4万枚)
 ※前作「なみだの操」の記録的大ヒットの勢いに乗り、この曲も70万枚を超えるヒットとなり、2作連続でオリコン週間チャートで首位を獲得。
・虹の架け橋 浅田美代子
 詞:安井かずみ 曲:筒美京平 R:1974/06/10 HC:12位
・別れないでおくれ 八田英士
 詞:なかにし礼 曲:鈴木邦彦 R:1974/04/21
・何かありそうな西銀座 奥村チヨ
 詞:千家和也 曲:浜 圭介 R:1974/06/-

<1974年6月17日(第293回)>
・ヘイベイビー フォーリーブス 
 詞:宮下康仁 曲:都倉俊一 R:1974/04/21 HC:21位
・にごりえの町 都はるみ
 詞:横井 弘 曲:平尾昌晃 R:1974/07/01
 ◆第25回(1974年)NHK紅白歌合戦出場曲(10回)
・晴れのち曇り 和田アキ子
 詞:なかにし礼 曲:馬飼野康二 R:1974/07/05 HC:96位
・今日も笑顔でこんにちは 森 昌子
 詞:藤田まさと 曲:荒井利昌 R:1974/07/01 HC:12位
・空港 テレサ・テン
 詞:山上路夫 曲:猪俣公章 R:1974/07/01 HC:29位
 ◆第16回(1974年)日本レコード大賞新人賞受賞
 ※アイドル路線で売り出した日本でのデビュー作「今夜かしら明日かしら」のセールスが芳しくなかったことから、2作目として前作と180度路線を転換したこの作品を発表。この転向が功を奏し、10万枚を超えるヒットを記録、以後日本では主に演歌のカテゴリーで活動を続けることとなる。

<1974年6月24日(第294回)>
・幸せ正面だーれ 水前寺清子 R:1974/07/-
・夢を抱く女 ぴんから兄弟
 詞:枯野迅一郎 曲:遠藤 実 R:1974/05/01 HC:26位
・夏のせいかしら 夏木マリ
 詞:安井かずみ 曲:馬飼野康二 R:1974/06/25
追憶 沢田研二 
 詞:安井かずみ 曲:加瀬邦彦 R:1974/07/10 
 HC:1位(1974/08/12)
 ◆年間チャート(74年)11位(53.2万枚)
 ◆第16回(1974年)日本レコード大賞歌唱賞受賞曲
 ◆第25回(1974年)NHK紅白歌合戦出場曲(3回)

【司会】 芳村真理・三波伸介・朝丘雪路


(参考)この頃の主な出来事
・05/04 堀江謙一、275日13時間10分の世界早周り新記録でヨットによる単身無帰港世界一周に成功。
・05/09 静岡・伊豆半島を震源地としてM6.9の地震発生(伊豆半島沖地震)。死者30人、重軽傷者102人を出す。
・05/12 セブン・イレブン、東京・江東区に第1号店をオープン。日本におけるコンビニエンスストアの第1号。
・05/25 自民党、衆院で靖国神社法案を単独可決(但しで参院で否決され廃案)。
・05/29 法制審議会、刑法全面改正を答申。
・06/12 1970年に愛知・豊橋市で発生した放火殺人事件で逮捕された被告に対し、名古屋地裁は無罪判決を下す。公判中で同事件を取材した新聞記者や現職警察官らが、同事件を捜査本部により作られた「冤罪」であると主張。その一部始終を詳細に裁判内で証明したことが決定打となった。
・06/25 国土利用計画法公布に伴い、総理府(現・内閣府)の外局として国土庁が発足(2001年の中央省庁再編により、国土交通省(防災行政のみ内閣府に移管)に組み込まれた)。
・06/30 東京・上野動物園の名物であった「おサルの電車」が、動物虐待との関係団体からの抗議を受けて廃止される。
・06/30 足尾鉱山鉱毒問題が15億5,000万円の保証金で解決。