伝説の歌番組・夜のヒットスタジオを語る

伝説の音楽番組「夜のヒットスタジオ」の22年間の足跡を通じて、日本の歌謡界が最も輝いていた時代を振り返ります。

【総括】夜のヒットスタジオ・年表Ⅹ(1988,2<第1001回>~1990,10<最終回>)

2006-07-27 | 夜のヒットスタジオ/番組史
◆昭和63(1988)年02月17日(第1001回)
1001回記念として、スタジオに観客を招き、全編総集編企画を放送。同回は芳村真理勇退後の新司会者が未定につき、古舘伊知郎のみで司会を担当。
◆昭和63(1988)年02月24日(第1002回)
・新司会者として柴俊夫が登場、古舘・柴の男性2人司会となる。
・菊池桃子、ロックバンド「RA-MU」ボーカルとして登場。「愛は心の仕事です」を披露。
◆昭和63(1988)年03月09日(第1004回)
マンスリー・薬師丸ひろ子が、「ティー・パーティー」と称して、別スタジオよりファンを集めてのパーティー形式のライブを実施。これまで夜ヒット未披露曲であった「Wの悲劇」や「DISTANCE」などを服部克久氏の編曲で披露。
◆昭和63(1988)年03月16日(第1005回)
「カーペンターズ」のリチャード・カーペンターが登場。小林明子とのジョイントで往年のカーペンターズのヒットナンバーを披露。
◆昭和63(1988)年03月30日(第1007回)
「盛春特大号」と題し、引退した歌手、またテレビ出演をしないアーティストが夜ヒットに出演した際の映像を中心に過去映像の総集編を放送。
◆昭和63(1988)年04月06日(第1008回)
マンスリー・松田聖子、デビュー曲の「裸足の季節」から歌手活動再開時のシングル「Strawberry Time」までのシングル盤A面の曲24曲をメドレーで披露。
◆昭和63(1988)年04月20日(第1010回)
・泉谷しげる、三上博史初出演(歌:泉谷=長い友との始まりに、三上=POISONER(脱出考))。
・マンスリー・松田聖子の応援ゲストとして、夫(当時)の神田正輝が出演。夫婦共演を果たす。
◆昭和63(1988)年05月25日(第1015回)
・マンスリー・河合奈保子がジャッキー・チェンとジョイント。「愛のセレナーデ」ほかを披露。
◆昭和63(1988)年06月01日(第1016回)
・1985年の「メロディ」以来活動休止中であったサザンオールスターズがマンスリーゲストとして登場。活動再開の契機となる。マンスリー第1週目は活動再開後最初のシングル曲である「みんなのうた」を熱演。
・斉藤由貴、主演映画「優駿」の主題歌「ORASION(祈り)」を来生たかおとのデュエットで披露。
◆昭和63(1988)年06月22日(第1019回)
・不祥事により謹慎中であった尾崎豊が復活、夜ヒットに待望の初出演。獄中の中で構想が練られたとされる「太陽の破片」を熱唱。
・渡辺貞夫、R&Bシンガー・メリサ・モーガンとジョイント。「DO ME BABY」を披露。
◆昭和63(1988)年07月06日(第1021回)
矢沢永吉、1985年11月の衛星中継での出演依頼、約3年ぶりに夜ヒットに登場。スタジオで「共犯者」を披露。
◆昭和63(1988)年07月06日・13日(第1021回・第1022回)
マンスリー・小泉今日子、10分を超える大作である「夏のタイムマシーン」を前後半に分けて2回にわたり披露。
夜ヒットにおいて1つの曲を2分割して披露したケースはこの「夏のタイムマシーン」のみ。
◆昭和63(1988)年07月20日(第1023回)
・ミュージカル女優としても活躍するデビー・ギブソンがプロモーションをかねて来日初出演。「FOOLISH BEAT」を披露。
・大江千里初出演(歌:GLORY DAYS)。
◆昭和63(1988)年07月27日(第1024回)
・小泉今日子、爆風スランプと「東の島にブタがいたVOL.3」をジョイント。
◆昭和63(1988)年08月03日(第1025回)~08月31日(第1029回)
マンスリーゲスト制を休止し、毎週異なるアーティストによる第4スタジオから公開ライブ企画(但しテレビに放映されるのはそのうちの2、3曲のみ)を実施(TUBE(3日)→とんねるず(10日)→サザンオールスターズ(17日)→THE ALFEE(24日)→田原俊彦(31日))。
◆昭和63(1988)年08月03日(第1025回)
TUBE、織田哲郎らによる期間限定ユニット「渚のオールスターズ」が登場。「BE MY VINUS」を披露。
◆昭和63(1988)年08月10日(第1026回)
永井真理子初出演(歌:ロンリィザウルス)。
◆昭和63(1988)年08月17日(第1027回)
「少年隊」の錦織一清、ソロで登場(歌:THIS IS THE LIFE)。
◆昭和63(1988)年08月24日(第1028回)
安全地帯が活動休止を発表。本放送には玉置浩二一人が出演し、活動休止についての説明・謝罪を行った後、「微笑みに乾杯」を披露。
◆昭和63(1988)年08月31日(第1029回)
・キャリア25年のベテランらしからぬ精力的活動を通じ、各国の後輩アーティストに様々な影響を与えた大物ロックシンガー、ロッド・スチュワートが初出演。「FOREVER YOUNG」を披露。
◆昭和63(1988)年09月07日(第1030回)
所ジョージ、歌手として初出演(歌:故郷)。
◆昭和63(1988)年09月14日(第1031回)
秋吉久美子、歌手として初出演(歌:リオリタ・・・いとしのリタ)。
◆昭和63(1988)年09月21日(第1032回)
マンスリー・近藤真彦が藤原歌劇団の演出・劇中歌作曲家である粟国安彦氏と共演。「教えてくれ」などを披露。
◆昭和63(1988)年09月28日(第1033回)
2年半ぶり登場の加山雄三、盟友・ワイルドワンズとのジョイントで往年の名曲「旅人よ」を披露。
◆昭和63(1988)年10月19日(第1036回)
当時の人気バラエティー「志村けんのだいじょうぶだぁ」で話題となった植木等の往年の作品「ウンジャラゲ」を引っさげて、志村はじめ番組出演者が総出演。
◆昭和63(1988)年10月26日(第1037回)
・5年半の活動に終止符を打つこととなったシブがき隊が最終出演。「君を忘れない」を披露(「サヨナラシブがき隊」)。
・THE ALFEE、変名バンド「BEAT BOYS」として出演。
◆昭和63(1988)年11月02日(第1038回)
・松山千春が待望の初出演。同時に同月のマンスリーを務める。マンスリー第1週の同回では「恋」「炎」「長い夜」の3曲を熱唱。
・萩本欽一の秘蔵っ子ともいえるアイドルグループ「CHA-CHA」が初出演(歌:いわゆるひとつの誤解デス)。
◆昭和63(1988)年11月09日(第1039回)
・津川雅彦・朝丘雪路夫妻が実娘を引き連れて歌手として登場。「汽車メドレー」を披露。
・真田広之、小泉今日子が「たとえばフォーエバー」をジョイント。
◆昭和63(1988)年11月23日(第1041回)
放送20周年を記念し、3週にわたり特別企画を放送。第1週目の同回は「今昔特別版」と題し、初代司会者の芳村真理、前田武彦を特別ゲストに迎え放送。小泉今日子と中森明菜による「SOS」南野陽子とチェッカーズのジョイントによる「恋の季節」や松山千春による「小樽のひとよ」など、往時のヒット曲を現在のヒット曲歌手が挑戦するコーナーや初期夜ヒットの看板コーナー「恋人選び」「歌謡ドラマ」をこれらのコーナーを体験した由紀さおり、西城秀樹などを中心に復活させるなど、初期夜ヒットの構成を組み合わせた放送を実施。
◆昭和63(1988)年11月30日(第1042回)
20周年記念第2弾として、ザルツブルクより衛星生中継を実施。海外からペット・ショップ・ボーイズ、エイス・ワンダーの2組が特別参加。マンスリー・松山千春は第6スタジオに居残り、「EDEL WEISS」を披露。
◆昭和63(1988)年12月07日(第1043回)
20周年記念第3弾として、全編総集編を観客を招待して放送。「夜ヒットを飾った女たち」「ハプニング集」「夜ヒット20年史」などのコーナーを設置し、テーマ毎に過去の名珍場面を放送。
◆昭和63(1988)年12月21日(第1045回)
鈴木雅之、鈴木聖美、バブルカムブラザーズなど、「Dance To Christmas」をジョイント。
◆昭和63(1988)年12月28日(第1046回)
・2回目となる「スーパーデラックス版」を放送。泉谷しげる・渡辺美里・大友公平による「恋い慕っていいじゃない」や田原俊彦・近藤等則による「愛しすぎて」など多数のジョイント企画を組む。また、エンディング時にはサプライズ企画として、THE ALFEE、HOUND DOGがそれぞれのヒット曲である「SWEAT ANS TEARS」と「ff(フォルティッシモ)」を組み合わせてのジョイントを実施。海外ゲストはボン・ジョヴィ。
◆平成01(1989)年02月01日(第1050回)
・解散を発表した一世風靡セピアが同月マンスリーとして出演。解散までの各メンバーの表情を追う。
・チェッカーズのサックス担当・藤井尚之がソロ初出演(歌:クローム・メタリック)。
◆平成01(1989)年02月22日(第1053回)
香西かおり初出演(歌:雨酒場)。
◆平成01(1989)年03月01日(第1054回)
伝説のバンド「サディスティック・ミカバンド」が新ボーカルに人気モデルの桐島かれんを迎えて再結成し、夜ヒットにも登場、「Boys&Girls」を披露する。
◆平成01(1989)年03月15日(第1056回)
前年「ココモ」で実に22年ぶりとなる全米チャート1位を獲得し、見事復活を遂げたビーチ・ボーイズが初出演。「California Girl」を披露。
◆平成01(1989)年03月29日(第1058回)
パリからの衛星生中継を実施。特別ゲストとして、S・アダモが13年ぶりに登場し、自身の代表作である「ろくでなし」「雪が降る」などを披露。また、坂本龍一は琉球民謡のイメージを取り入れた異色作「OKINAWA SONG」などを大勢のパリ市民の前で演奏。
◆平成01(1989)年04月05日(第1059回)
・「春の特別版」と題し、ほぼ全編にわたり総集編企画を組む。
・マンスリーのさだまさし、12分以上に及ぶ超大作「親父の一番長い日」をノーカットで披露。
◆平成01(1989)年04月12日(第1060回)
マンスリー・さだまさしが番組内で「グレープ」を13年ぶりに再結成、「精霊流し」などグレープ時代の名曲を数曲披露。
◆平成01(1989)年04月19日(第1061回)
さだまさし、番組史上初の試みである生放送同時レコーディングを実施(この時に吹き込みが行われた歌は「建具屋カトーの決心」)。
◆平成01(1989)年05月03日(第1063回)
横浜アリーナからの中継放送を実施。出演は森進一、少年隊(マンスリー)、竜童組、プリンセスプリンセスほか。
◆平成01(1989)年05月31日(第1067回)
結婚披露宴を終えたばかりの五木ひろしが番組エンディングにスタジオに到着。新婦・和由布子や、友人のジェームス三木、松方弘樹の見守る中、「よこはま・たそがれ」などの自身の代表曲を披露。
◆平成01(1989)年06月07日(第1068回)
マンスリー・田原俊彦、自身が主演する「教師びんびん物語」で共演した子役たちや野村宏伸と共に「ごめんよ涙」「どうする?」を披露。
◆平成01(1989)年06月21日(第1070回)
マンスリー・田原俊彦、1985年までの自身の代表的なヒット曲13曲をメドレーで披露。
◆平成01(1989)年07月12日(第1073回)
・マンスリー・大江千里、渡辺美里、TMネットワークと共に「チェリオ`S BAR」「おねがい天国」をジョイント。
◆平成01(1989)年07月26日(第1075回)
ユニコーン初出演(歌:大迷惑)。
◆平成01(1989)年08月02日(第1076回)~08月30日(第1080回)
前年に引き続き、マンスリーゲスト制を休止し、毎週異なるアーティストによる4スタライブ企画を実施(プリンセス・プリンセス(2日)→TM NETWORK&THE ALFEE(9日)→Wink(16日)→爆風スランプ(23日)→男闘呼組(30日))。
◆平成01(1989)年08月02日(第1076回)
さだまさしが実妹の歌手・佐田玲子と「あなたと愛したいくつかの理由」をジョイント。
◆平成01(1989)年08月16日(第1078回)
ZIGGY初出演(歌:GLORIA)。
◆平成01(1989)年08月23日(第1079回)
・Dreams Come True初出演(歌:うれしはずかし朝帰り)。
・「ファンク」と称されるダンスミュージックの代表格的バンド、クール&ザ・ギャングが初登場。「RAINDROPS」を披露。
◆平成01(1989)年09月13日(第1082回)
・マンスリー・CHAGE&ASKA、「モーニングムーン」「万里の河」などの代表曲9曲をメドレーで披露。
・小柳ルミ子、夫(当時)のダンサー・大澄賢也と共に「ビギン・ザ・ビギン」など2曲を披露。
◆平成01(1989)年09月20日(第1083回)
宮沢りえ初出演(歌:DREAM RUSH)。
◆平成01(1989)年09月27日(第1084回)
4年半に渡って放送された「DELUXE」が終幕。同時に柴俊夫が司会を降板。DX最終回はDX版にリニューアルされて以降の4年半に限定しての総集編企画を、マンスリーのCHAGE&ASKAや田原俊彦、工藤静香らと振り返る内容。このDX版終了により番組は曲のジャンル毎に4分割され、姉妹番組としてロック系アーティストを中心とした布陣の「ヒットスタジオR&N」、DX版の柱である海外アーティストについては「ヒットスタジオInternational」、演歌・歌謡曲系に関しては「ヒットスタジオ演歌」に特化。そして、従来までのヒットスタジオ本流を継承する番組として「SUPER」版が立ち上げられる。
◆平成01(1989)年10月18日(第1085回)
「夜のヒットスタジオSUPER」スタート。放送時間が短縮され水曜22時からの1時間番組(但し90年4月までは月末週に限り放送時間を30分拡大)に戻る。新司会者に加賀まりこが登場。また、音楽担当も月曜時代が担当してきた広瀬健次郎から服部隆之に交代。
◆平成01(1989)年10月25日(第1086回)
小林幸子、木の実ナナが「メランコリック・ママ」をジョイント。
◆平成01(1989)年11月15日(第1089回)
菅原文太初出演(歌:男の港歌)。友人の作家・安部譲二が駆けつけ、緊張気味の菅原を励ます一幕も。
◆平成01(1989)年11月29日(第1091回)
・マンスリーの米米CLUBが変名バンド「都蝶次&スマイリー小野田とベルベットハーモニーズ」として登場。
・近藤真彦が新曲「アンダルシアに憧れて」を引っさげて出演。しかし体調不良を押しての出演であったためか、歌い出しでミスを連発。3回目の仕切り直しでようやく立ち直り、この曲を最後まで歌いきった。
◆平成01(1989)年12月20日(第1094回)
クリスマス特別版、松田聖子、小泉今日子、斉藤由貴、工藤静香、南野陽子という時のトップアイドル5組がそろい踏み。
◆平成01(1989)年12月27日(第1095回)
3回目の「スーパーデラックス版」放送。前年よりも大幅に時間短縮され1時間半、出演歌手もさだまさし、小泉今日子ほか6組に縮小され、各歌手がメドレーなどの形で数曲を披露。小泉今日子は初登場の東京スカパラダイスオーケストラとのジョイントで、美空ひばりの往時の大ヒット作「真赤な太陽」に挑戦。
◆平成02(1990)年01月10日(第1096回)
TM NETWORKの小室哲哉がソロアーティストとして登場(歌:I WANT YOU BACK)。
◆平成02(1990)年01月31日(第1099回)
・「CHAGE&ASKA」のCHAGEが新バンド「MULTI MAX」を結成して登場(歌:MULTI MAXのテーマ)。
・SUPER版スタート以来最初の総集編企画を放送。
◆平成02(1990)年02月14日(第1101回)
時任三郎、当時話題となった「リゲイン」CM内でのキャラクター・「牛若丸三郎太」として突然登場。「勇気のしるし」を披露する。
◆平成02(1990)年02月21日(第1102回)
ポール・マッカートニー、前年6月以来の出演。「SUPER」版で海外アーティストが出演したのはこの1回のみ。
◆平成02(1990)年04月18日(第1108回)
伝説のフォークシンガー・岡林信康初登場(歌:君に捧げるLove Song)。
◆平成02(1990)年04月25日(第1109回)
香港より衛星生中継を実施。出演はTHE ALFEE、CHAGE&ASKA、少年隊ほか。
◆平成02(1990)年05月02日(第1110回)
・元「BOOWY」の布袋寅泰とこれまでソロアーティストとしてヒット曲を生み出してきた吉川晃司による新ユニット「COMPLEX」が登場。「1990」「MAJESTIC BABY」を披露。
・西田ひかる初出演(歌:ブンブンブン)。
◆平成02(1990)年05月09日(第1111回)
史上最低視聴率、5.6%を記録。これを機に夜ヒット終了の噂が局内外で囁かれるようになる。
◆平成02(1990)年05月16日(第1112回)
郷ひろみ、1984年のヒット曲「2億4千万の瞳」をトップバッターという位置でフルコーラス披露。これ以降トップバッターとして大物アーティストが往年のヒット曲をフルコーラスで披露するケースが続く(5月23日:中村雅俊「ふれあい」「恋人も濡れる街角」、6月20日:南こうせつ「神田川」、7月25日:長渕剛「巡恋歌」、8月15日:松田聖子「ヒットメドレー(渚のバルコニーなど)」など)。
◆平成02(1990)年05月30日(第1114回)
物まねタレントの第一人者として人気急上昇中であったコロッケが歌手として登場。TM NETWORKの木根尚登とのジョイントで「Just A Lonely Man」を披露。
◆平成02(1990)年06月27日(第1118回)
吉田栄作初出演(歌:心の旅)。
◆平成02(1990)年07月04日(第1119回)
・Winkの鈴木早智子が急病で欠席、相田翔子一人で「夜にはぐれて」を披露。
・「イカ天」(TBS)出身の異色バンド「たま」初登場。「さよなら人類」ほか2曲を披露。
◆平成02(1990)年08月01日(第1123回)
当時夜ヒットの前の時間帯(水曜21時)で放送されていた人気バラエティー「やまだかつてないテレビ」内の企画として、同番組司会の山田邦子と、横山知枝の2人で結成された「やまだかつてないWink」が登場(歌:”T”intersection(あなたに戻れない))。
・自殺未遂騒動で1年弱の間、芸能活動を休業していた中森明菜が衛星中継で久々に夜ヒットに登場。復帰第1弾シングル「Dear Friend」などを披露。 
◆平成02(1990)年08月08日(第1124回)
全編総集編企画で放送。生歌ゲストは光GENJI一組のみ。
◆平成02(1990)年08月22日(第1126回)
ジャニーズの新グループ・忍者の初登場に際し、レコードデビュー前のSMAP・中居正広、木村拓哉が応援ゲストとして登場。
◆平成02(1990)年08月29日(第1127回)
B.Bクイーンズが初登場。同局の人気アニメ「ちびまる子ちゃん」のED曲であり、この年最大のヒット曲となった「おどるポンポコリン」ほか2曲を披露。ヒットスタジオ史上最後の初出演アーティストとなった。
◆平成02(1990)年09月05日~19日(第1128回~第1130回)
夜ヒットの完全打ち切りが正式に決定。レギュラー放送最後となる同月を「22年・ありがとう月間」と題し放送。マンスリーには松山千春が再び登場し、「大空と台地の中で」「男達の唄」「人生の空から」などを披露。また、出演歌手から過去の名シーンのリクエストを聞き、その場面を再度放送する特別企画を用意。22年間に及ぶレギュラー放送最後の曲は、若手歌手では最多、160回以上の出演記録を持つ田原俊彦が「Jungle ジャングル」を披露。
◆平成02(1990)年10月03日(第1131回)
「ありがとう&さよなら夜のヒットスタジオ」と題し、3時間に特別番組を放送。歴代司会者の芳村真理、前田武彦、井上順、柴俊夫が特別出演、ほか加山雄三、堺正章、松田聖子、田原俊彦、細川たかし、宇崎竜童、中森明菜、小泉今日子、チェッカーズ、アン・ルイス、久保田利伸ほか歴代出演歌手がかけつけ、各司会者ごとにコーナーを設け電話による視聴者からのリクエストなどに往時過去の名場面の数々を放送。この放送を以て、22年間に及ぶ夜のヒットスタジオは完全終幕を迎える。

【総括】夜のヒットスタジオ・年表Ⅸ(1986,4~1988,2<第1000回・芳村勇退まで>)

2006-07-18 | 夜のヒットスタジオ/番組史
◆昭和61(1986)年04月02日(第903回)
・「バナナ・ボートソング」のヒットで知られるハリー・べラフォンデが出演。前年、エチオピア飢饉救済の目的で彼が中心となって製作された世界的なヒット曲「WE ARE THE WORLD」をスタジオ出演者全員と共に特別に合唱。また、ハリーとの親交が深い宮城まり子が応援ゲストとして駆けつける。
◆昭和61(1986)年04月09日(第904回)
「スケバン刑事」2代目”天宮サキ”役で人気急上昇の南野陽子が初出演(歌:悲しみモニュメント)。
◆昭和61(1986)年04月16日(第905回)
・チューリップが12年ぶりに夜ヒットに出演、「愛の嵐」を披露。
・西村知美初出演(歌:夢色のメッセージ)。
◆昭和61(1986)年05月07日(第908回)
聖飢魔Ⅱ初出演(歌:蝋人形の館)。
◆昭和61(1986)年05月14日(第909回)
前年、妻でキーボート担当である原由子の妊娠・一時休業に伴いサザンオールスターズの活動を一時休止した桑田佳祐が一年間の期間限定のバンド「KUWATA BAND」を結成して登場。大ヒットの「BAN BAN BAN」を披露。
◆昭和61(1986)年05月21日(第910回)
・この年、20年余りに及んだマルコス政権を失脚させ、フィリピン大統領となったコラソン・アキノ女史の令嬢、エレナ・アキノが歌手として出演。
・生後まもなくの失明、1973年の交通事故による深刻な後遺症に苦しみながら、非凡な音楽センスで世界的な人気を獲得するミュージシャンの座をつかんだ、スティーヴィー・ワンダーが出演。ブレッド&バターと共に「Remomber my love」をジョイント。
◆昭和61(1986)年05月28日(第911回)
・マンスリーゲストの松坂慶子、高橋真梨子の代表作「桃色吐息」を全身銀粉で塗られた男性ダンサーを従え妖艶に歌唱。
・甲斐バンドが初出演。しかし同時にこの出演が解散記念の出演となる(歌:漂泊者(アウトロー)、ブルー・レター)。
・中森明菜が「ジプシー・クイーン」を披露中、この1月ほど前にわずか18年の命を自ら経ったアイドル・岡田有希子の霊が後のひな壇の中に紛れていたのではとする視聴者の声が番組放送中から殺到。各局ワイドショーが「亡霊騒ぎ」としてこの件を検証する特集を組むなど過熱ぎみの報道が連日なされる。
◆昭和61(1986)年06月04日(第912回)
とんねるずの石橋貴明、「やぶさかでない」の曲の最後で、バックダンサー・Dee-Deeのメンバーたちにズボンを脱がされ、下着がテレビ画面に映し出されるハプニング起きる。
◆昭和61(1986)年06月11日(第913回)
・マンスリーゲスト・沢田研二、この回に披露した「ヴィラード」の最後で、トップモデル・山口小夜子と接吻。夜ヒット史上に残る衝撃的なシーンの一つに数えられる。
・マドンナらと並ぶ80~90年代のポップス・クイーン、シンディ・ローパーが初出演。
◆昭和61(1986)年07月09日(第917回)
和田アキ子が約2年ぶりに新曲「もう一度ふたりで歌いたい」を引っさげて出演。久々の同番組出演で緊張の極限にあった和田をサポートすべく、アン・ルイス、ラッツ&スターがコーラスとして特別出演。また、親交のあるプロゴルファー・青木功からは激励の電話を受ける。
◆昭和61(1986)年07月16日(第918回)
前年のデビュー以来、全英チャートを席巻する快進撃を続けていたペット・ショップ・ボーイズが初登場。
◆昭和61(1986)年07月23日(第919回)
横綱・千代の富士関が特別ゲストとして2度目の出演。
◆昭和61(1986)年07月30日(第920回)
哀川翔、ソロで初登場(歌:青の情景)。
◆昭和61(1986)年08月06日(第921回)
スターダスト・レビュー初出演(歌:今夜だけきっと)。
◆昭和61(1986)年08月13日(第922回)
オメガドライブ、ヴォーカルが杉山清貴から日系人のカルロス・トシキに交代して「1986オメガトライブ」として最初の夜ヒット出演(歌:Super Chance)。2度目の出演となる9月10日放送(第926回)ではブラジルからカルロスの両親が来日、4年ぶりの涙の再会を果たす。
◆昭和61(1986)年08月20日(第923回)
マンスリーゲストの西城秀樹が人気フュージョンバンド・カシオペアと共演。「約束の旅」「SUN」を演奏。
◆昭和61(1986)年08月27日(第924回)
森進一との結婚・歌手業引退を控えた森昌子が番組最後の出演(「サヨナラ森昌子」)。関係者が見守る中、デビュー曲「せんせい」を初めとするヒットメドレー、そして引退前最後のシングル曲「雛ものがたり」を涙の熱唱。西川きよし、玉置宏ら交友のあったタレントが応援にかけつける(※その後、2005年に森進一、森昌子は離婚)。
◆昭和61(1986)年09月10日(第926回)
マンスリーの河合奈保子が自作曲「スウィート・ロンリネス」を男性5人組コーラスグループ・タイムファイブとともに披露。
◆昭和61(1986)年09月17日(第927回)
・モナコ公国のステファニー王女が歌手として出演。
・陣内孝則初出演(歌:現在人<imagine>)。
◆昭和61(1986)年09月24日(第928回)
ジャネット・ジャクソン初出演。「あなたを想うとき(原題:When I Think of You)」を披露。
◆昭和61(1986)年10月08日(第930回)
桜田淳子、5年ぶりに夜ヒット登場。舞台で共演中の寺泉憲とのジョイントで「ショウ・ビジネス」など数曲をメドレーで披露。
◆昭和61(1986)年10月15日(第931回)
マンスリーゲスト・五木ひろしが、覆面バンド「ブービーズ」として出演。「当日・消印・有効」など2曲を披露。
◆昭和61(1986)年10月22日(第932回)
プロ野球・ロッテオリオンズから中日ドラゴンズへの移籍を発表したばかりの落合博満選手が特別ゲストとして出演。その後、翌87年1月7日放送(第943回)では歌手としても出演、「サムライ街道」を披露。
◆昭和61(1986)年10月29日(第933回)
この年の日本シリーズを制覇し、日本一に見事輝く西武ライオンズナイン(石毛宏典、辻発彦、清原和博、工藤公康ほか)が特別ゲストとして出演。当日ゲストのばんばふろふみとチャゲ&飛鳥が、歓迎の意を込めて「Vのシナリオ」を特別に披露。
◆昭和61(1986)年11月05日(第934回)
片岡鶴太郎、歌手として初出演(歌:IEKI吐くまで)。
◆昭和61(1986)年11月12日(第935回)
石橋凌率いるバンド・ARB初出演。彼がファンであるという北島三郎と感激の対面(歌:Private Girl)。
◆昭和61(1986)年11月19日(第936回)
・この年、TBSドラマ「男女7人夏物語」主題歌として新人・石井明美の歌で日本でも話題となった「CHA-CHA-CHA」のオリジナルアーティスト、フィンツィ・コンティーニが出演。
・奥田瑛二、谷村新司とのデュエット曲「クラシック」で歌手として初出演。
◆昭和61(1986)年11月26日(第937回)
・この年限りで現役を引退した元・広島東洋カープ選手の山本浩二が特別ゲストとして出演。
・マンスリーゲスト・岩崎宏美、布施明とのジョイントでホイットニー・ヒューストンの前年の大ヒットナンバー「すべてをあなたに」を原語のまま披露。
◆昭和61(1986)年12月24日(第941回)
・当時歌手としての活動が半ば休業状態になっていた野口五郎がスタッフの懇願により2年半ぶりに登場。新曲「涙のチケット」を披露。この出演が翌年1月期のマンスリー抜擢につながる。
・多岐川裕美、作曲家・中村泰士とのデュエット曲「あぶない2人」を披露。
◆昭和61(1986)年12月31日(第942回)
前年大晦日に「火曜ワイドスペシャル」の歳末特別企画として放送された「世界紅白歌合戦」を、同年はヒットスタジオの「特別企画」として放送。新高輪プリンスホテル・飛天の間をメイン会場として、ロンドン・ニューヨークなど世界各地のライブ会場を衛星生中継でつなぐ。司会は芳村真理・古舘伊知郎のほか、谷村新司が特別司会者名義で参加(このほか、ゲスト解説者として音楽評論家の福田一郎、ゲスト指揮者として都倉俊一が特別出演)。日本のアーティストでは谷村のほか、西城秀樹、アン・ルイス、本田美奈子、チャゲ&飛鳥、おニャン子クラブらが、海外からはロット・スチュワード、ペット・ショップ・ボーイズ、ビリー・オーシャンらが登場。本田美奈子はアルバム製作のために滞在していたロンドンより衛星生中継で「1986年のマリリン」を披露した(ちなみに大晦日の夜ヒット放送はこの1回のみ)。
◆昭和62(1987)年01月28日(第946回)
当時おニャン子クラブの一員の渡辺満里奈が初出演(歌:ホワイトラビットからのメッセージ)。
◆昭和62(1987)年02月04日(第947回)
・今井美樹初出演(歌:頬に風)。
・4年ぶり出演の寺尾聰の応援として、当時出演していたドラマ「太陽にほえろ!Part2」(日本テレビ系)のレギュラー陣(奈良岡朋子、下川辰平、神田正輝ほか)が駆けつける。
◆昭和62(1987)年02月25日(第950回)
TM NETWORK初出演(歌:Self Control)。
◆昭和62(1987)年03月04日(第951回)
・マンスリー・宇崎竜童、内田裕也、ジョー山中、桑名正博、白竜らロック仲間と共に1980年に山口百恵に提供した「Rock’n Roll Widow(ロックンロール・ウィドウ)」を熱演。
・約1年ぶりに登場の長渕剛、渾身の作品「STAY DREAM」を熱唱。
◆昭和62(1987)年03月11日(第952回)
堀ちえみ、歌手活動引退を番組内で公表(のち、1989年にタレントとして関西に拠点を移して芸能活動を再開)。
◆昭和62(1987)年03月18日(第953回)
EPO・鈴木雅之、「Down Town ラプソディー」をジョイント。
◆昭和62(1987)年03月25日(第954回)
横綱・北勝海(現・八角親方)が特別出演。
◆昭和62(1987)年04月15日(第957回)
・20年以上のキャリアながら、前年にはアルバム「グレイス・ランド」が世界的に大ヒットするなど意欲的な創作活動を展開し続けていたポール・サイモンが待望の初出演、「Call Me Al」を披露。
・司会の古舘伊知郎が冒頭にて婚約を発表。新婦によるビデオメッセージが放送される。
◆昭和62(1987)年05月06日~6月10日(第960回~第965回)
女優(当時)・二谷友里恵との結婚を間近に控えた郷ひろみが1月半にわたりマンスリーゲストとして登場。最終週の6月10日放送では「花とみつばち」ほか初期代表作を中心に9曲の過去の夜ヒット出演映像を織り込んだヒットメドレーの後、婚約者の二谷が傍らで見守る中「You Are Everything」などを披露。また、新御三家として長年共に切磋琢磨してきた西城秀樹と野口五郎も応援にかけつけ、久々の新御三家揃い踏みが実現。
◆昭和62(1987)年05月06日(第960回)
菅原洋一・斉藤由貴、菅原の出世作ともいえる「知りたくないの」をジョイント。
◆昭和62(1987)年05月13日(第961回)
織田哲郎初出演(歌:WILD LIFE)。
◆昭和62(1987)年05月20日(第962回)
高橋幸宏、鈴木慶一がユニット「ザ・ビート二クス」として登場。「ちょっとツラインダ」を披露。
◆昭和62(1987)年05月27日(第963回)
大関・小錦八十吉関(現・タレント)が特別ゲストとして登場。
◆昭和62(1987)年06月17日(第966回)
・この年7月封切の「新宿純愛物語」に主演の仲村トオルが、共演者と一条寺美奈とのデュエットで同映画の同名主題歌を披露。
・BaBe初出演(歌:I Don't Know!)。当日、スタジオ生出演の海外ゲスト、マイケル・フォーチュナティが彼女たちのデビュー曲にして初ヒット曲となった「Give Me Up」のオリジナル版を演奏した際には飛び入りでバックダンサーを務める。
◆昭和62(1987)年06月24日(第967回)
ザ・ビートニクスの高橋幸宏、司会の古舘伊知郎が、高校時代に共に世話になったという恩師と久々の「ご対面」。恩師が登場したときには、古舘が極度に動揺してしまい、スタジオの端に逃げようとする一幕も。
◆昭和62(1987)年07月08日(第969回)
森高千里初出演(歌:NEW SEASON)。
◆昭和62(1987)年07月15日(第970回)
前年春に発売された「命くれない」が有線放送を中心としてロングヒット中の瀬川瑛子が17年ぶりに番組に出演。「上州鴉」などのヒットで初期の「NHK紅白歌合戦」にも通算2度の出場実績を持つ元歌手にして実父・瀬川伸と涙の親子共演。
◆昭和62(1987)年07月29日(第972回)
期待の大型新人2組、坂本冬美と光GENJIが初出演(歌:坂本―あばれ太鼓、光GENJI-STAR LIGHT)。
◆昭和62(1987)年08月05日(第973回)
五木ひろしが芳村真理の代理司会を担当。
◆昭和62(1987)年08月12日(第974回)
フィメール・ロッカーの代表格、クリッシー・ハインド率いる人気バンド・ブリテンターズが初出演。
◆昭和62(1987)年08月26日(第976回)
・解散を控えたおニャン子クラブの新旧メンバーが勢ぞろい。おニャン子クラブ全体、及びメンバーそれぞれのソロでのヒット曲を織り交ぜた大メドレーを披露。
・久保田利伸が初出演(歌:TIMEシャワーに射たれて)。
◆昭和62(1987)年09月02日(弟977回)
コメディアン、俳優、司会者とマルチな活動を見せる小堺一機が歌手として登場。「ムーンライト・シィンキング」を披露。
◆昭和62(1987)年09月09日(弟978回)
倍賞千恵子が17年ぶりに夜ヒットに登場。「さよならはダンスの後に」など懐かしのナンバー4曲を披露。
◆昭和62(1987)年09月30日(弟981回)
「秋の特別版」と題し、出演歌手たちの過去の夜ヒットでの名シーンを紹介。小泉今日子(当日は歌の披露はなく”特別ゲスト”扱いで出演)、中森明菜は、過去出演回全てのダイジェスト版が放送された。
◆昭和62(1987)年10月07日(第982回)
・マンスリーに、夜ヒット出演はまだ2回目、歌手としてのキャリアも浅い久保田利伸が、将来性を見込まれての大抜擢。しかし、1985・86年と2年連続で同月期のマンスリーを務めていた五木ひろしから、オープニングのトークの最中に背後から「蹴り」を入れられ、両者間が険悪なムードに。同じく同日ゲストだったとんねるずや司会の芳村真理などがCMなどの時間で両者の仲裁に入る一幕も。
・バービーボーイズ初出演(歌:泣いたままでListen To Me)。
◆昭和62(1987)年10月14日(第983回)
カールスモーキー石井(石井竜也)率いる個性派バンド・米米CLUBが初登場(歌:sure dance)。
◆昭和62(1987)年11月04日(弟986回)
松田聖子、2年10ヶ月ぶりに夜ヒットに登場。1980年4月の初登場「裸足の季節」から神田正輝との結婚前(後に両者は離婚)最後の出演となった1985年1月の「天使のウィンク」まで全出演回のダイジェストを放送。
◆昭和62(1987)年11月11日(第987回)
マンスリーのチェッカーズ、変名バンド「CUTE BEAT CLUB BAND」として登場。「7つの海の地球儀」などを披露。
◆昭和62(1987)年11月18日(第988回)
伝説のブリティッシュバンド「ビートルズ」の時代より50曲以上もの全米ベスト10圏内のヒット曲を生み出すなど数々の偉業を成し遂げ「ポピュラー音楽史上最も成功した作曲家」のとしてギネスブックにも認定を受けるなど、名実ともにポピュラー音楽を代表するアーティストであるポール・マッカートニーが衛星中継で夜ヒットに登場し、「ONCE UPON A LONG AGO」を披露。曲前のインタビュー中に、当日のスタジオゲストの一組である少年隊の東山紀之からの要望に応じて、彼あてに色紙にサインを即興で書き、後日その色紙が番組放送中に東山の元に手渡された(12月9日放送)。
◆昭和62(1987)年11月25日(弟989回)
「ダウンタウン・ブギウギバンド」が再結成し、同バンド名義で約8年ぶりに夜ヒットに登場。「Once Upon A Time in YOKOHAMA」を披露。
・BOOWYなどと並ぶ80年代の邦楽ロックバンドの代表格、レッド・ウォーリアーズが初登場。「Casino Drive」を披露。
◆昭和62(1987)年12月02日(第990回)
この年、NHK大河ドラマ「独眼流正宗」で主演・伊達政宗役を演じ、一躍人気俳優として不動の地位を築いた渡辺謙が歌手として初出演。また同時に同月期のマンスリーを務める。
◆昭和62(1987)年12月16日(第992回)
エルトン・ジョン初登場。「僕の歌は君の歌」など2曲を披露。
◆昭和62(1987)年12月30日(第994回)
・年末スペシャル・「スーパーデラックス」として2時間半に時間枠を拡大して放送。オーケストラは排除され、通常版よりもロック・ポップス色を強めた構成が採られる。吉田拓郎、井上陽水のフォーク界の二大巨頭の競演が話題に。また、田原俊彦・久保田利伸・AMAZONSの「It’s BAD」や、中森明菜・井上・玉置浩二による「飾りじゃないのよ涙は」など豪華なセッションが実現。
・インディーズの世界から「リンダリンダ」などのヒットで一躍時代の寵児へと駆け上ったザ・ブルーハーツが初登場。ヴォーカル・甲本ヒロトが「売切れといったけど、実はまだ売れ残っている」「(メンバーの紹介のときに自身のことを)(藤井)フミヤです」、と古舘伊知郎も予測不能な奇妙な発言を連発。この光景を見て芳村真理は「ちゃんと歌は歌えるんですか?」とキツイ一言。
◆昭和63(1988)年01月06日(第995回)
・中森明菜、当時交際中の近藤真彦、作者の加藤登紀子の見守る中、「難破船」を涙の絶唱。
・谷村新司、堀内孝雄ら「アリス」が期間限定で再結成。アリス名義での両者の出演は1981年11月のサヨナラ企画のとき以来約7年ぶりのこと。
◆昭和63(1988)年01月20日(第997回)
・”おニャン子最後の大物”工藤静香がソロ初出演(歌:Again)。
◆昭和63(1988)年01月27日(第998回)
・長渕剛、自身のファンである大御所・島倉千代子にの要望で、300万円以上もする高価な着物に自身のサインを書き、島倉は感激の余り暫く言葉が出ず。
◆昭和63(1988)年02月03日(第999回)
放送999回記念としてロンドン郊外にある古城・ブロケット・ホールより、番組初の全編海外衛星生中継を実施。出演は八代亜紀、中森明菜、THE ALFEEほか、海外からはデッド・オア・アライブなど3組が登場。また、特別ゲストとして郷ひろみ夫妻が出演し「千年の孤独」を披露。天候不順により衛星回線が故障し、本番直前まで回線の復旧に右往左往する状態となり殆どリハーサルなしで生中継を実施した。
◆昭和63(1988)年02月10日(第1000回)
・放送1000回の金字塔樹立。そして、同時に第1回放送より司会を務めてきた夜ヒットの看板・芳村真理がこの回を以て司会を勇退。「1000回記念・芳村真理サヨナラ特番」と題して、東京プリンスホテルより歴代の男性司会者(前田武彦・井上順・古舘伊知郎。尚、既にこの時点で故人となっていた三波伸介(1982年12月急逝)の代役には、かつて三波と「てんぷくトリオ」で共に活動をしていた伊東四朗が特別ゲストとして出演)、出演歌手、スタッフなど総勢300名以上を集めて、3時間のパーティー形式の中継放送を実施。エンディングはこの回を以て番組を去る芳村に、特別出演した高田みづえ夫妻、そして加山雄三・島倉千代子らを初めとする歴代出演者らがバラを一厘ずつ渡しながら、彼女の長年の同番組における多大な功績を讃えた。因みに芳村がこの1000回もの間に番組内で接した歌手の人数は約9000人、身につけた衣装は約1200着にも上る。
※(当日中継会場に出席した主な歌手の顔ぶれ・・・鶴岡雅義(東京ロマンチカ)、島倉千代子、加山雄三、橋幸夫、菅原洋一、水前寺清子、由紀さおり、ピンキーとキラーズ、中村晃子、布施明、堺正章、ザ・ワイルドワンズ、ヒデとロザンナ、和田アキ子、前川清、奥村チヨ、北公次、江木俊夫(共に元フォーリーブス)、加藤登紀子、五木ひろし、平山みき、欧陽菲菲、小柳ルミ子、天地真理、アグネス・チャン、野口五郎、西城秀樹、八代亜紀、細川たかし、二葉百合子、武田鉄矢、五輪真弓、桑名正博、内藤やす子、松崎しげる、五輪真弓、榊原郁恵、松坂慶子、桑田佳祐(サザンオールスターズ)、狩人、石野真子、ミッキー吉野(元ゴダイゴ)、大川栄策、田原俊彦、大地真央、河合奈保子、近藤真彦、松本伊代、薬師丸ひろ子、中森明菜、小泉今日子、ラッツ&スター、近藤真彦、三原じゅん子、チャゲ&飛鳥、山川豊、シブがき隊、THE ALFEE、THE GOOD-BYE、松本伊代、沢口靖子、一世風靡セピア、チェッカーズ、とんねるず、C-C-B、少年隊、本田美奈子、聖飢魔Ⅱ、荻野目洋子、鈴木聖美、中井貴一、陣内孝則、SHOW-YA、富田靖子、秋野暢子、京本政樹、米米CLUB、織田哲郎、TOPS、光GENJI、国生さゆり、渡辺満里奈、高井麻巳子、酒井法子、石野陽子、池田政典ほか)

【総括】夜のヒットスタジオ・年表Ⅷ(1984,4~1986,3)

2006-07-10 | 夜のヒットスタジオ/番組史
◆昭和59(1984)年04月16日(第803回)
ロンドンからの衛星生中継でTHE MODSが初出演(歌:バラッドをお前に)。日本人アーティストの海外中継での出演はこれが最初であった。
◆昭和59(1984)年04月23日(第804回)
・荻野目洋子初出演(歌:未来航海)。
・井上順不在につき、芳村真理が単独で司会を担当。
◆昭和59(1984)年04月30日(第805回)
この年「52歳の大型新人」として歌謡界を席巻した、上方喜劇を代表する俳優・芦屋雁之助が初出演(歌:娘よ)。
◆昭和59(1984)年05月21日(第808回)
「秋のささやき」、「愛しのクリスティーヌ」などの曲で知られるフランスのピアニスト、リチャード・クレイダーマンが来日初出演。1976年に発表された自身の出世作である「渚のアデリーヌ」を演奏。
◆昭和59(1984)年06月25日(第813回)
・バイオリニスト・辻久子が初出演。「セレナーデ~ドリコ~」を演奏。
・高橋真梨子初出演。同年、カメリアダイアモンドのCMソングとして話題となった「桃色吐息」を披露。
◆昭和59(1984)年07月09日(第815回)
ガジャ・グー・グーが来日・初出演。別スタジオから「Back On Me」を披露。
◆昭和59(1984)年07月23日(第817回)
前年の「FNS歌謡祭」部門賞のノミネートを辞退したことを起因として、以降約8ヶ月間夜ヒットの出演に制約が課されていたとされる中森明菜が、新曲「十戒」を引っさげ、久々に夜ヒットに登場。
◆昭和59(1984)年07月30日(第818回)
・一世風靡セピア初出演(歌:前略、道の上より)。初出演は通常のメドレーからの登場ではなく、「海外アーティストと同じ扱いで」との意向から、メドレー終了後、階段セットから降りてくるいう「生意気集団」らしい登場の仕方であったが、メンバーの一人が意図的に(?)ずっこけるハプニング起きる。このシーンは後年、番組史上に残る「珍場面」として幾度となく紹介された。
◆昭和59(1984)年08月13日(第820回)
小林幸子が芳村真理の代理司会を担当。
◆昭和59(1984)年09月03日(第823回)
舘ひろし初出演(歌:泣かないで)。
◆昭和59(1984)年09月17日(第825回)
世界に視野を置いた活躍を見せるバイオリニスト・前橋汀子初出演。「亜麻色の髪の乙女」「美しきロスマリン」の2曲を演奏。
◆昭和59(1984)年09月24日(第826回)
松坂慶子・志穂美悦子、映画「上海バンスキング」の劇中挿入歌「ウェルカム上海」をデュエット。スリットの入った妖艶なチャイナドレス姿で魅了。
◆昭和59(1984)年10月01日(第827回)
・16年間の野球生活に終止符を打った、元阪神・西武の田淵幸一選手が特別出演
・五木ひろしが東宝映画「おはん」の同名主題歌を初披露。応援ゲストとして同映画の原作者・宇野千代、主演の吉永小百合が駆けつける。
◆昭和59(1984)年10月08日(第828回)
2時間スペシャル版。オリジナルの曲ではなく、他のアーティストの曲をアレンジして披露するという一風変わった趣向を取り、松田聖子は小坂明子の1974年の大ヒット曲「あなた」、中森明菜は自身が信奉する山口百恵の「イミテーション・ゴールド」、田原俊彦はマイケル・ジャクソンのヒット曲「BEAT IT」、そして、美空ひばりは欧陽菲菲のロングセラーヒットである「ラブ・イズ・オーヴァー」を堂々の熱唱。また、特別ゲストとして、萩本欽一率いる「欽ちゃんファミリー」が局の垣根を越えて総出演。この放送の好評ぶりが翌年春の「DX」版への大リニューアルの布石となった。
◆昭和59(1984)年10月15日(第829回)
ビートたけしがたけし軍団を伴って歌手として初登場。スマッシュヒットした「抱いた腰がチャッチャッチャッ」を披露。
◆昭和59(1984)年11月12日(第833回)
映画「ゴースト・バスターズ」の同名主題歌が全米チャート第1位の大ヒットとなったレイ・パーカーJr.が初登場。
◆昭和59(1984)年11月19日(第834回)
西城秀樹、郷ひろみ、ワム!のヒット曲「ケアレス・ウィスパー」で競演。
◆昭和59(1984)年11月26日(第835回)
ピアニスト・中村紘子初出演。「幻想即興曲」を演奏。
◆昭和59(1984)年12月17日(第838回)
20年の歌手生活に幕を下ろすこととなった都はるみの「サヨナラ」企画を放送。盟友・水前寺清子ら関係者が駆けつけるなか最大のヒット曲「北の宿から」を熱唱(後、1990年に歌手活動を再開するも夜ヒット出演はなく、これが彼女にとり最後の夜ヒット出演回となった)。
◆昭和60(1985)年01月14日(第841回)
松田聖子、結婚休業前最後の夜ヒット出演。
◆昭和60(1985)年01月21日(第842回)
プロモーションビデオ・コンサートでの過激なファッション・パフォーマンスが様々な波紋をなけかけていた、アメリカを代表するポップスクイーン、マドンナが来日初登場。全米1位の大ヒットとなる「Like A Virgin」を披露。この後、日本でも同曲はヒットチャート上位にランクインされるヒットとなり、日本でも熱狂的なファン層を獲得する。
◆昭和60(1985)年01月28日(第843回)
吉幾三初出演(歌:俺ら東京さ行くだ)。後見人的存在である千昌夫が応援で駆けつける。
◆昭和60(1985)年02月04日(第844回)
・元高見山の東関親方(当時)が特別出演。
・郷ひろみ、大勢のファンがかけつける異常な熱気の中、新曲「どこまでアバンチュール」を熱唱。
◆昭和60(1985)年02月18日(第846回)
・プロレスラー・アントニオ猪木が特別出演。
・木の実ナナ・細川俊之、10年以上のロングセラーとなったミュージカル「ショーガール」の一場面を再現。
・菊池桃子初出演(歌:卒業)。
◆昭和60(1985)年02月25日(第847回)
「ガジャグーグー」の元ボーカル、リマールが、日本でも話題となった映画「ネバーエンディング・ストーリー」の同名主題歌を引っさげて来日初出演。
◆昭和60(1985)年03月11日(第849回)
同日初出演の東京JAPのボーカル・立川利明が「摩天楼ブルース」を演奏中、突如ショルダーベルトが外れるトラブル発生。
◆昭和60(1985)年03月25日(第851回)
約17年近く続いた月曜日22時台での放送終了。「さよなら月曜日」と題して、これまで番組を彩った歌手の面々をスタジオに招き、翌週からスタートする「DELUXE」版の導入と過去の名・珍場面を紹介する内容で月曜での放送を締めくくった。また、このリニューアルを機に、1969年春のカラー放送移行時より16年間「ニューブリード」のバンドマスターを担当してきたダン池田が「タレント活動を充実させるために毎週の番組出演が困難になった」という理由で降板(但し、これは表向きの降板理由であり、実際は番組制作陣に対する(特に金銭・待遇面での)不信をきっかけとした降板であり、このことが同年11月のダンによる暴露本発売の遠因となった)。
◆昭和60(1985)年04月03日(第852回)
・放送時間・曜日を水曜21~23時までの2時間に拡大・移動し、「夜のヒットスタジオDELUXE」としてリニューアルスタート。司会は引き続き芳村真理・井上順が担当。このリニューアルを機に月曜時代にイレギュラーで行われていた芳村真理企画のファッションショーをコーナーが番組前半・後半の間のハーフタイムコーナーとして完全レギュラー化されたほか、海外アーティストのゲストも毎週1~2組出演させるなど、ワールドワイドな音楽情報番組へと番組コンセプトを移行。また、歌手の多面的な魅力を引き出すことをコンセプトとする「マンスリーゲスト」制を導入(最初のマンスリーは小柳ルミ子)。このほか、出演歌手の現在と過去の姿を対比する「タイムトンネル」や、「ビデオレター」などの新コーナーを設置。
・ダン池田に代わり、元ブルーコメッツの三原綱木が「ニューブリード」の新バンドマスターとして参加(これより以前、三原は長らく郷ひろみのバック演奏を務めており、バンマスへの就任の話も疋田拓プロデューサーの委嘱を受けた郷から直々に三原サイドに持ち込まれたものだったとされる)。これを機に「ザ・ニューブリードスペシャル」とバンド名を変更(但し、同バンド名および、三原を中心とするバンド編成は元々ヒットスタジオ限定の形態であり、「NHK歌謡ホール」「オールスター家族対抗歌合戦」など他の番組では、三原がかつて在籍していた「ブルーコメッツ」の元”同僚”である小田啓義が「ニューブリード」の指揮を務めていた。三原が正式に小田から「ニューブリード」のバンマスを継承し、「三原綱木とザ・ニューブリード」のバンド名での演奏活動を開始するのは、同番組との出演契約が切れた1986年春からの事である)。
・ラッツ&スターが同日に行われたメンバー全員の合同結婚式終了後、同番組に新婦・親族一同を伴って出演。「俺だけのマドンナ」を披露。
◆昭和60(1985)年04月10日(第853回)
・前年、アルバム「夜明けのランナウェイ」でデビュー、日本でも高い人気を獲得しつつあったボン・ジョヴィが初登場。
・吉幾三が、地元である青森県金木町の人々と「ご対面」。感慨もひとしおの中「俺ら東京さ行くだ」を披露(一説では、同町住民のほぼ全員が駆けつけたとの話もある)。
◆昭和60(1985)年04月17日(第854回)
・アメリカショービジネス界を代表する大スター・フランク・シナトラが来日出演。東京・河田町の旧フジテレビ局舎玄関前から赤絨毯が引かれ、マンスリーの小柳ルミ子がエスコートしてスタジオ入り。局舎にはシナトラ来日を歓迎する旨のメッセージが書かれた大型ボートが設置されるなど、超VIP待遇ともいえる登場であった。
・ティナ・ターナー、ロンドン衛星生中継で初出演。
・とんねるず初登場(歌:一気!)。
◆昭和60(1985)年04月24日(第855回)
・髪型・衣装の奇抜さが話題を呼んだC-C-Bが初登場(歌:スクール・ガール)。
・ビューティー・ペア時代以来ともいえる同年の女子プロレスブームの立役者・クラッシュギャルズ(ライオネス飛鳥・長与千種)が歌手として初登場。途中、当時彼女たちの敵役として共に人気を集めていた「極悪同盟」のタンプ松本らが乱入する一幕も。
◆昭和60(1985)年05月01日(第856回)
斉藤由貴初出演(歌:卒業)。
◆昭和60(1985)年05月15日(第858回)
・出演2回目のとんねるずがスタジオ狭しと集まった大勢のファンに囲まれながら新曲「青年の主張」を初披露。また、マンスリーゲスト・田原俊彦が「タイムトンネル」コーナーで「哀愁でいと」を披露した際には飛び入りでバックダンサーを務めるなど大車輪の活躍ぶりを見せる。
・岩城滉一初出演(歌:笑い話)。
◆昭和60(1985)年05月22日(第859回)
「哀しみのマンディ」などで知られるアメリカを代表するバラードシンガー・バリー・マニロウが初出演。同年6月12日放送ではスタジオに来日出演。同日放送の際の司会者とのやり取りの中で彼が語った要望通り、100人の現役芸者がスタジオに集結、華々しく彼を出迎える。
◆昭和60(1985)年05月29日(第860回)
岡田有希子初出演(歌:Summer Beach)。
◆昭和60(1985)年06月05日(第861回)
大関・若島津関(現・松ヶ根親方)との結婚のため歌手活動を引退することとなった高田みづえの「サヨナラ」企画を放送。新郎である若島津関をはじめ、堺正章、玉置宏、西川きよしら関係者が駆けつける中、「私はピアノ」ほか代表曲のヒットメドレー、そしてラストナンバーとなる「カーテンコール」を熱唱。
◆昭和60(1985)年06月12日(第862回)
爆風スランプ初登場。この際に披露した「無理だ!決定版」では、1978年のサザンオールスターズ初登場時と同じく、歌詞が聞き取りづらいとの理由から、夜ヒットでは異例の歌詞テロップが表示された。
◆昭和60(1985)年06月19日(第863回)
「ナベサダ」の愛称で親しまれる日本を代表するサックス奏者・渡辺貞夫が初出演。
◆昭和60(1985)年07月03日(第865回)
「東京ディズニーランド」の名物キャラクター、ミッキーマウス、ドナルドダッグらが登場。斉藤由貴らの歌でバッグダンサーを務める。
◆昭和60(1985)年07月10日(第866回)
・デビュー20周年を迎えた加藤登紀子が久々の登場。デビューシングル「赤い風船」の作曲者・小林亜星を初め、長谷川きよし、岡田真澄、加東康一、妹尾河童ら彼女の「シンパ」を標榜する著名人が多数応援ゲストとして登場。
・アデランスの全面協力により、西城秀樹が老人風の特殊メイクを施して番組ラストに「リアル・タイム」を披露。
◆昭和60(1985)年07月17日(第867回)
・日本を代表するロック・ギタリスト、高中正義初出演。CMから話題となった「渚・モデラート」を演奏。
・TUBE初出演(歌:「ベストセラー・サマー」)。元々は当日「イン・ザ・ワールド」コーナーのゲストとしてキャスティングされていたU2が諸事情により本番直前になって急遽出演見合わせとなったことに伴う”代打”としての出演であったが、この出演をきっかけに一躍知名度が上昇、翌年の「シーズン・イン・ザ・サン」でのブレイクに繋がる布石となった。尚、番組プロデューサーの疋田拓が彼らの代打出演を最終決定したのは本番当日の夕刻の事であり、ほとんど打ち合わせや音合わせもする時間もないままにオフを過ごしていた湘南から東京・新宿河田町のフジテレビに駆け込み、そのまま本番に臨むという慌ただしさだった事もあってか、直前まで彼らの存在を全く知らなかった司会の井上順が、曲の紹介時にバンド名を「ウェーブ」と誤って紹介してしまうというハプニングも起きている。
◆昭和60(1985)年07月24日(第868回)
・中山美穂、おニャン子クラブ初出演(歌:中山―「C」、おニャン子クラブー「セーラー服を脱がさないで」)。
・「新人類」という言葉を流行らせた大関・北尾関が特別出演。
◆昭和60(1985)年08月07日(第869回)
・マンスリーゲスト・谷村新司と佐藤隆が「12番街のキャロル」で競演。
・元ポリスのスティングがソロアーティストとして夜ヒット初登場。
◆昭和60(1985)年08月21日(第871回)
・森進一、日航機墜落事故で夭折した先輩歌手・坂本九への追悼の意を込め「見上げてごらん夜の星を」を涙の絶唱。
・当時の角川映画のエース級俳優、原田知世・野村宏伸・渡辺典子・原田貴和子が特別ユニット「BIRDS」として登場。 
◆昭和60(1985)年09月18日(第876回)
おニャン子クラブからのソロデビュー組第1号、河合その子がソロ初登場(歌:涙の茉莉花LOVE)。おニャン子クラブの面々が応援。
◆昭和60(1985)年09月25日(第877回)
・井上順が司会を降板。エンディングでは田原俊彦、研ナオコ、堺正章、河合奈保子らが駆けつける中、自身の代表曲「お世話になりました」を歌唱。長年コンビを組み、井上に全幅の信頼を置いてきた芳村真理は別れを惜しみ号泣。
・10年以上の苦境期の末、この年、「涙のフィーリング」で全米チャート1位に上り詰めたREOスピードワゴンが初出演。
◆昭和60(1985)年10月02日(第878回)
・4代目の芳村真理のパートナー司会者として古舘伊知郎が抜擢される。地元・滝野川の母校の校歌に乗って副調整室の階段から登場。
・横綱・千代の富士関(現・九重親方)、アントニオ猪木がそれぞれ芳村・古舘の友人として特別出演。
・アン・ルイス、吉川晃司が「六本木心中」を放送コードの限界ともいえる過激なパフォーマンスでジョイント、波紋を呼ぶ。
・「千恵っ子よされ」で2度目の出演の岸千恵子の応援として、彼女の地元後援会の面々が大挙スタジオに押しかける。
・山口百恵の引退から5年、「タイムトンネル」特別企画・「山口百恵Again」を5週連続放送、往時の歌手・山口百恵の魅力を過去の夜ヒット出演シーンから紹介。
・同年、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の主題歌「Power of Love」が全米1位となり、人気絶頂期を迎えたヒューイ・ルイス&ザ・ニュースが初登場。
◆昭和60(1985)年10月09日(第879回)
・坂本龍一、矢野顕子の夫婦共演が実現。第6スタジオより「Steppin' Into Asia」を披露。
・中森明菜、「百恵Again」内の特別企画として「夢先案内人」に挑戦。
・HOUND DOG、100人を越えるファンを従えて「ff(フォルティッシモ)」で堂々の初出演。
◆昭和60(1985)年10月16日(第880回)
・阪神の21年ぶりとなるセントラル・リーグ優勝がかかった試合「阪神×ヤクルト戦」を神宮球場から同番組の名義の下で臨時中継。阪神優勝決定の瞬間まで中継を継続。この回の大半の歌手は曲を披露できず、他の回に代替出演させる措置が採られる。また、通常はオープニング時に行われる「他人の歌メドレー」やハーフタイムショーの「ファッションショー」コーナーもエンディング時に簡略化した形で行われた。
・三田佳子、15年ぶりに夜ヒットに出演(歌:お人好し)。
◆昭和60(1985)年10月30日(第882回)
・同年、「Take On Me」が全米1位、全英2位という大ヒットとなり一躍人気バンドとなったA-haが初登場。
・シンガーソングライター・長渕剛との離婚後、芸能活動を本格的に再開した石野真子が4年ぶりに夜ヒットに出演、「めぐり逢い」を披露。
◆昭和60(1985)年11月06日(第883回)
・宝塚歌劇団を退団して間もない大地真央が11月のマンスリーとして出演。歌手としてのゲスト出演である薬師丸ひろ子、布施明の応援ゲストとして登場の浅野温子、紺野美沙子、沢口靖子(布施が当日披露した楽曲が彼女たちの出演する映画「姉妹坂」の同名主題歌であった縁から出演)、という当代の人気女優が豪華そろい踏み。
・前月の「百恵Again」に続く「タイムトンネル・特別企画」第2弾として、前年末に引退した都はるみにスポットを当てた「はるみAgain」を放送(~同月27日まで)。現存する番組VTRからスタッフ・関係者が選んだ彼女のベストパフォーマンスを計4週にわたりフルコーラスで放映。
◆昭和60(1985)年11月13日(第884回)
ホイットニー・ヒューストンが衛星生中継で初登場。
◆昭和60(1985)年11月20日(第885回)
・矢沢永吉が衛星生中継で夜ヒット初登場、「ヨコハマ・20歳まえ」「TAKE IT TIME」を披露。この出演が彼にとり、テレビ生番組最初の出演であった。
・岩崎良美が当時フジテレビ系で放映されていた人気アニメ「タッチ」の2代目OPテーマ「愛がひとりぼっち」で登場。曲中には同アニメの主人公「上杉達也」と「浅倉南」が合成で登場(アニメーションキャラクターとスタジオ映像の合成は81年12月の「川崎黄金猫舎」に続きこれが2例目)。
◆昭和60(1985)年12月04日(第887回)
・マンスリーの西城秀樹、作者であるバリー・マニロウと共に「腕の中へ」をジョイント。
・SHOW-YA初登場(歌:Masquerade)。
◆昭和60(1985)年12月18日(第889回)
逸見政孝アナウンサー(当時)が古舘伊知郎の代理司会を担当。
◆昭和60(1985)年12月25日(第890回)
・THE ALFEEが「夢よ急げ」を演奏中、アンプ機器が故障するハプニング発生。本来、彼らの演奏後に行う予定となっていた1985年の年間総集編企画を先に実施の上、別のアンプを用意して再度一から演奏をし直す措置が採られる。
◆昭和61(1986)年01月15日(第892回)
・マンスリーゲスト・梓みちよ、「ナタラージュ」をワインで純白のドレスを汚しながらの熱演。
・中森明菜、シブがき隊の成人式記念「ご対面」企画。中森は家族・「明菜番」の雑誌編集者と、シブがき隊は大勢のファンと「ご対面」。
◆昭和61(1986)年02月05日(第895回)
・露木茂アナウンサー(当時)が古舘伊知郎の代理司会を担当。
・1985年度グラミー賞12部門ノミネートという快挙を成し遂げた、大物ヴォーカルグループ・マンハッタン・トランスファーが初登場。
◆昭和61(1986)年03月12日(第900回)
爆風スランプ、「青春の役立たず」の演奏中、他の歌手のために用意されてていたセットを破壊する暴挙に出る。
◆昭和61(1986)年03月19日(第901回)
鈴木雅之がソロ歌手として初登場(歌:ガラス越しに消えた夏)。
◆昭和61(1986)年03月26日(第902回)
放送900回突破を記念し、春の特別版として総集編企画や河合その子・中島美春のおニャン子クラブ卒業特別企画などを放送(実際には1986年3月12日に放送900回達成)。

【総括】夜のヒットスタジオ・年表Ⅶ(1982,4~1984,3)

2006-07-07 | 夜のヒットスタジオ/番組史
ご無沙汰しております。管理人のresistance-k(BLUE)です。
1ヶ月間お休みを頂きましたこと、改めてお詫びいたします。前回のブログ更新中断のお知らせでお約束致しました通り、今日より、ブログ更新を再開させていただきます。今後ともご贔屓いただきますよう宜しくお願い致します。

早速、前回更新した「年表」の続き、1982年4月~1984年3月までの主な番組内での出来事等をアップさせていただきます。

◆昭和57(1982)年04月05日~26日(第699~702回)
「700回記念月間」として放送。
◆昭和57(1982)年04月05日(第699回)
堀ちえみが初出演(歌:潮風の少女)。
◆昭和57(1982)年04月12日(第700回)
内田裕也がロック仲間を引き連れての堂々の初出演。「さらば愛しき女よ」を披露。
◆昭和57(1982)年04月26日(第702回)
放送700回突破を記念して、新高輪プリンスホテルより新婚夫婦300組を招待してのディナーショー形式での放送を実施。出演は五輪真弓、松田聖子、五木ひろし、田原俊彦ほか。
◆昭和57(1982)年05月03日(第703回)
・シブがき隊、レコードデビュー2日前の初登場(歌:NAI NAI16)。
・同じく初登場の三田寛子、マイクトラブルのため再度歌いなおしの措置がとられる(曲:駈けてきた乙女)。
◆昭和57(1982)年05月10日(第704回)
石川秀美初出演(歌:妖精時代)。
◆昭和57(1982)年05月17日(第705回)
早見優初出演(歌:急いで!初恋)。
◆昭和57(1982)年05月31日(第707回)
三浦友和が自身のバンド「アカペ・ハウス」の一員として初出演。
◆昭和57(1982)年06月14日(第709回)
RCサクセションが1年4ヶ月ぶりの登場。ボーカルの忌野清志郎は冒頭からガムをかみ続け、新曲「SUMMER TOUR」を披露中にテレビカメラの前でそのガムを吐き捨てる「失態」とも受け取れる行動を起こす。曲終了直後に司会の芳村真理が視聴者に対してこの模様を放送したことにつき謝罪したが、その後のひな壇に座っていた忌野はピースサインをするなど反省の色なし。放送終了後に300件を超える抗議の電話が殺到、この一件が引き金となり、RCサクセションは約3年もの間夜ヒットから締め出されることとなる。
◆昭和57(1982)06月28日(第711回)
・当時近藤真彦のバックダンサーを勤めていた少年隊がレコードデビュー前に、異例の単独アーティストとしての初出演。ジャニーズの先輩である「フォーリーブス」の1977年のヒット曲「ブルドック」をトップバッターで披露。以後、1985年秋の正式デビューまで「日本よいとこ摩訶不思議」、「サクセス・ストリート」など10回程度単独アーティストとして夜ヒットの出演を続け、視聴者にその存在を浸透させる礎を築く。
・当日、ソロ歌手として初出演の予定となっていた谷村新司が急病にかかり急遽出演を辞退(改めて7月12日放送でソロ初出演、新曲の「スーパースター」を披露)。代役として堀内孝雄がオープニングメドレーのラストで「冬の稲妻」を、本編では岸田智史(現・敏志)が当時の自身の新曲である「潮風のセレナード」をそれぞれ披露。
◆昭和57(1982)年07月12日(第713回)
・美空ひばりが作者・谷村新司の見守る中で「昴」を熱唱。
◆昭和57(1982)年08月02日(第716回)
ドラマ「想い出づくり」(TBS)で一躍人気女優への道を歩みだした古手川祐子が歌手として初出演(歌:煙草)。
◆昭和57(1982)年08月16日(第718回)
・1982年を代表するヒット曲となった「待つわ」を引っさげ現役女子大生デュオ・あみんが初登場。
・「欽ドン!」から「イモ欽トリオ」に続いて結成された「よせなべトリオ」(松居直美・生田悦子・小柳みゆき)が登場。「大きな恋の物語」を披露。
◆昭和57(1982)年08月30日(第720回)
「もんた&ブラザーズ」ボーカルのもんたよしのりの結婚祝福企画を組む。もんたと親交のある俳優の西村晃、市村正親やアーティスト仲間であるミッキー吉野ほか関係者が一列に並ぶ中、新婦とともにもんたが登場。新婦が隣で見守る中で「声にならないLove Song」を熱唱。
◆昭和57(1982)年09月20日(第723回)
松田聖子と並ぶ、80年代の女性アイドルの代表格・中森明菜が初出演(歌:「少女A」)。
◆昭和57(1982)年10月04日(第725回)
放送15周年突入を記念して2時間の特別番組を放送。スタジオに歴代出演歌手や関係者が多数集まり、15年の歩みを様々な思い出話や過去の映像で回顧。特別ゲストとして海外からジョーン・バエスを招く。
◆昭和57(1982)年10月11日(第726回)
当時テレビ出演に消極的であったシンガーソングライター・村下孝蔵が登場。翌年の大ヒット曲「初恋」「踊り子」につながる話題曲「ゆうこ」を披露。
◆昭和57(1982)年11月01日(第729回)
松坂慶子、同年の大ヒット映画「鎌田行進曲」の同名主題歌を披露。応援ゲストとして、共演者の風間杜夫・平田満・萩原流行・石丸謙二郎の当時のつかこうへい劇団の代表的俳優が勢ぞろい、松坂の歌にコーラスとして特別参加する。
◆昭和57(1982)年11月08日(第730回)
西城秀樹、当日放送のトリで「漂流者たち」を涙の熱唱。
◆昭和57(1982)年11月22日(第732回)
西郷輝彦、10年半ぶりに夜ヒットに歌手として出演。ニューミュージック調の自作の曲「風は南から」を披露。
◆昭和57(1982)年11月29日(第733回)
世良公則が「ツイスト」解散後初めてソロアーティストとして夜ヒットに登場。
◆昭和57(1982)年12月06日(第734回)
草刈正雄、火野正平が歌手として初登場。
◆昭和57(1982)年12月13日(第735回)
イタリアを代表する歌手であり、「世界の恋人」という愛称で知られるフリオ・イグレシアスが海外衛星生中継で初登場。続く翌83年4月18日放送では、来日・スタジオ初出演が実現する。
◆昭和57(1982)年12月20日(第736回)
・「サヨナラ海援隊」放送。
・約10年もの苦境期を乗り越えて、ブレイク寸前の存在となっていたアルフィー(THE ALFEE)が初登場。「別れの律動(リズム)」を披露。
◆昭和58(1983)年01月10日(第738回)
歌舞伎俳優・先代中村勘三郎が特別出演。
◆昭和58(1983)年01月24日(第740回)
・日本でもオリコンチャート総合1位にランクインするヒットとなった「汚れた英雄」をひっさげ、ローズマリー・バトラーが初出演。
・渡辺徹、歌手として初登場(歌:愛の中へ)。
◆昭和58(1983)年01月31日(第741回)
80年代のAORを代表するアーティスト、クリストファー・クロスが初出演
◆昭和58(1983)年02月21日(第744回)
鮎川いずみが歌手として登場。当時レギュラー出演していた人気時代劇「必殺仕事人」(朝日放送)の中での役柄「何でも屋の加代」の姿で同ドラマの当時のエンディングテーマであった「冬の花」を披露。曲前には共演者の藤田まことが電話出演し、鮎川を激励。
◆昭和58(1983)年02月28日(第745回)
・佳山明宏、日野美歌が「氷雨」を競演。
・同年の資生堂春のイメージソング「う、ふ、ふ、ふ」を引っさげEPOが初登場。
・田原俊彦が井上順の代理司会を担当(但し、事実上は芳村真理が単独で番組を進行)。この日が田原の誕生日に重なり、誕生日を祝福するために大勢のファンが駆けつける中、田原は「ピエロ」を披露。
◆昭和58(1983)年03月21日(第748回)
映画「ブッシュマン」で一躍の時の人となった”ニカウさん”が出演。夜ヒット以外にも当時のフジテレビの生放送番組にもゲスト出演。
◆昭和58(1983)年03月28日(第749回)
80年代を代表するポップスター、ライオネル・リッチーが初登場。「ジャクソンファイブ」のバックバンドを務めたことでしられる「コドモアーズ」を脱退し、本格的なソロ活動を開始して間もなくでの登場であった。
◆昭和58(1983)年04月
オープニングのアニメーションが変更される(最初に格子柄が表示され、徐々に筋状の光のような形状に変形して、最後にドッド抜きでタイトルロゴが表示されるバージョンに変更。以後、月曜日放送の終了時まで同バージョンを使用)。
◆昭和58(1983)年04月04日(第750回)
・ピーター・フォンタが特別出演。当時公開中の自身の主演映画「だいじょうぶマイ・フレンド」の同名主題歌を共演者の渡辺裕之・広田玲央奈・乃生佳之、劇中音楽担当の加藤和彦とともに歌唱。
・シルヴィ・バルタン初登場。中島みゆきのヒット曲「悪女」のカバー版を披露したほか、オープニングメドレーにも特別参加。
◆昭和58(1983)年04月18日(第752回)
宇崎竜童、ソロアーティストとして初登場。
◆昭和58(1983)年05月02日(第754回)
・人気番組「欽どこ」から登場した「わらべ」(高部知子・高橋真美・倉沢淳美)が大ヒット曲「めだかの兄妹」で初登場。
・角川映画「時をかける少女」で一躍人気女優となった原田知世が同名主題歌で初登場。当時ニッポン放送でゲストパートナーを務めていた生放送のラジオ番組を終えてフジテレビのある河田町まで直行、上記映画の同名主題歌「時をかける少女」を披露した。
・長渕剛が初登場(歌:恋人時代)。
◆昭和58(1983)年05月16日(第756回)
野村義男&THE GOOD-BYE初登場。野村がソロ名義で発表したアルバムから「待たせてSorry」を披露。
◆昭和58(1983)年06月06日(第759回)
「故郷へ帰りたい」、「ロッキー・マウンテン・」などのヒットで知られる、70年代のカントリー音楽を代表するアーティスト、ジョン・デンバーが来日初出演。
◆昭和58(1983)年06月13日(第760回)
・ボーイ・ジョージの奇抜なファッションが日本でも話題となっていたイギリスの4人組バンド、カルチャークラブが初登場。
・風見慎吾初出演(歌:僕 笑っちゃいます)
◆昭和58(1983)年06月20日(第761回)
映画「007」シリーズ・2代目「ジェームス・ボンド」役で知られる俳優・ロジャー・ムーアが特別出演。
◆昭和58(1983)年06月27日(第762回)
・第10スタジオから生放送。
・「夏模様」を引っさげ出演の柏原芳恵の応援ゲストとして、同曲の作詞者・「微笑杏里」こと女優の藤真利子が登場。
◆昭和58(1983)年07月04日(第763回)
・細川たかしが井上順の代理司会を担当。
・美空ひばりが作曲者・来生たかおとの共演で異色の新作「笑ってよムーンライト」を披露。
◆昭和58(1983)年07月18日(第765回)
「下町の玉三郎」梅沢富美男初出演。事前に収録した花魁姿と、歌を披露している普段の姿を対比させる映像効果の下「夢芝居」を披露。
◆昭和58(1983)年08月08日(第768回)
岸本加世子が歌手として登場(歌:心が・・・)。応援ゲストとして宇津井健が駆けつける。
◆昭和58(1983)年08月22日(第770回)
前年の「蒲田行進曲」、同年の「スチュワーデス物語」(TBS)で人気上昇中のつか劇団の看板役者・風間杜夫が歌手として初出演(歌:夏も泣いている)。
◆昭和58(1983)年09月12日(第773回)
サザンオールスターズの原由子がソロ歌手として初登場(歌:恋に、ご多忙申し上げます)。
◆昭和58(1983)年10月03日(第776回)
代々木第一体育館からの中継放送を実施。出演は西城秀樹、シブがき隊、小柳ルミ子ほか。海外ゲストとしてリック・スプリングフィールドがフジテレビのスタジオから特別出演し「Living in OZ」を披露。
◆昭和58(1983)年10月31日(第780回)
伊武雅刀、衝撃作「子供達を責めないで」を披露。
◆昭和58(1983)年11月07日(第781回)
・内藤やす子、生沢佑一と「ラヴ・イズ・オーヴァー」をジョイント。
・サザンオールスターズが4年ぶりに番組に登場。新曲「東京シャッフル」を披露。
◆昭和58(1983)年11月14日(第782回)
・韓国の人気歌手・チョー・ヨンピルが初登場。「釜山港へ帰れ」を、渥美二郎、内田あかり、殿さまキングスら競作として発表した歌手と共に披露。
・原田芳雄が初出演(歌:ニューヨーク漂流)。
◆昭和58(1983)年11月21日(第783回)
・香港の人気映画スター・ジャッキー・チェンが来日初登場。「マリアンヌ」を披露。
・政治的信条をおりこんだ強いメッセージ性のある作風で世界中に熱狂的ファンを持つアイルランド出身のロックバンド、U2が初登場。「New Year's Day」演奏中に突然アンプが故障するアクシデントに見舞われる。
◆昭和58(1983)年12月05日(第785回)
小椋佳が初登場。研ナオコとのジョイントで「泣かせて」を披露。
◆昭和58(1983)年12月19日(第787回)
「マイ・ウェイ」、「ダイアナ」などの作詞でも知られるアメリカ音楽界の大スター・ポール・アンカが初登場。
◆昭和59(1984)年01月16日(第791回)
1981年のデビュー以来、アメリカ・イギリスのヒットチャートを席巻した人気バンド、デュランデュランが来日初登場。
◆昭和59(1984)年01月30日(第792回)
・森昌子、作曲者の円広志(篠原義彦)とのジョイントで「越冬つばめ」を熱唱。
・郷ひろみ、当時放映中であった自身主演の同局系時代劇「流れ星佐吉」の主題歌「暗闇のディーン」を披露。
◆昭和59(1984)年02月06日(第793回)
・CMで見せた特異なキャラクターから人気急上昇中だった戸川純が登場。「玉姫様」を独自の世界観で熱演。
・長らく井上陽水のバックバンドを担当してきた実力派バンド・安全地帯が初登場。CMから人気に火がついた「ワインレッドの心」を披露。
◆昭和59(1984)年02月13日(第794回)
・渡辺プロ久々の大型新人としてデビューしてまもなくの吉川晃司が初出演(歌:モニカ)。応援に高校時代の水球部の仲間が駆けつける。
・松田聖子、1983年末発売のアルバムの中から「Canary」を披露。この頃から、常連組の歌手によるアルバム収録曲の披露の機会が増える。
◆昭和59(1984)年02月20日(第795回)
後にアイドルから一流のロックバンドへの成長を見せたチェッカーズが初登場(歌:涙のリクエスト)。
◆昭和59(1984)年03月12日(第798回)
谷村新司・小川知子、「忘れていいの」をデュエット。谷村が歌中に小川のドレスの中に手を入れる衝撃的な仕草が話題となる。
◆昭和59(1984)年03月26日(第800回)
放送800回達成。