伝説の歌番組・夜のヒットスタジオを語る

伝説の音楽番組「夜のヒットスタジオ」の22年間の足跡を通じて、日本の歌謡界が最も輝いていた時代を振り返ります。

【改訂版】歌謡曲黄金時代と夜のヒットスタジオ-曲目リスト(56-3) 1978年1~2月③

2008-08-10 | 夜ヒット/曲目(改訂・増補版) 77~78年

<1978年2月20日(第485回)>
・バイバイ・ララバイ 岡田奈々 
 詞:竜真知子 曲:佐藤 健 R:78/02/10
愛よ甦れ 野口五郎
 詞:藤公之介 曲:平尾昌晃 R:78/02/21 HC:9位 BT:5位
◆TBS系「ザ・ベストテン」年間ランキング(78年)38位
・春の予感 -I've been mellow- 南 沙織
 詞・曲:尾崎亜美 R:78/01/21 HC:25位
◆第7回(78年)東京音楽祭・国内大会 ゴールデン・カナリー賞受賞曲
78年資生堂春のキャンペーン「メロウカラー」CFソング
※詞・曲・編曲は前年の「マイ・ピュア・レディ」(因みにこの曲も小林麻美が出演した資生堂のCFソングとしてヒットした)で一躍新進気鋭のシンガーソングライターとして注目をあつめることになった尾崎亜美が担当。因みに南沙織の全シングル曲の中で、詞・曲・編の三役を一人の作家が務めたのはこの作品のみである。現在では「春」を代表するスタンタードナンバーとして広く知られるところとなったが、発売当初の売上は意外と伸びず、累計7.6万枚(オリコン調べ)というスマッシュヒットに終わっている。
冬が来る前に 紙ふうせん
 詞:後藤悦治郎 曲:藤浦 直 R:77/11/01 HC:4位 BT:8位
◆年間チャート(78年)27位(42.4万枚)
<紙ふうせん>
 74年、この年に解散した音楽グループ「赤い鳥」のメンバーである後藤悦治郎・平山泰代の夫婦により結成されたフォークデュオ。同年、シングル「いかつり唄」、アルバム「またふたりになったね」をレコードデビュー。77年、5枚目のシングルである「冬が来る前に」が40万枚以上のヒットを記録し、知名度が上昇。同じく「赤い鳥」からの派生グループであり、都会派路線を追求し続けた「ハイ・ファイ・セット」とは異なり、「赤い鳥」の音楽的な本流ともいえる叙情歌路線をそのまま継承、関西に拠点を置き、全国各地で伝承されるその地域特有の唱歌・民謡の研究・取材を基にした楽曲製作・コンサート活動を現在も展開している。

<1978年2月27日(第486回)>
・青春物語 狩人 
 詞:山上路夫 曲:都倉俊一 R:78/03/10 HC:23位
・潮どき 五木ひろし
 詞:岩谷時子 曲:中村泰士 R:78/02/25 HC:17位
※「待っている女」などに代表される初期五木演歌の一つのカラーでもある、「ポップス演歌」路線で久々に勝負に出た作品。曲の途中でツイスト風のステップが入ったり、髪を書き上げる仕草を連想させるポーズが挿入されるなど、これまでにない大胆な振付が発売当時、話題となった。
二十才前 -はたちまえ- 岩崎宏美
 詞:阿久 悠 曲:穂口雄右 R:78/02/25 HC:10位
この曲のレコーディング時に、岩崎は風邪をこじらせていたことから、初回プレスでは鼻づまり気味の声で収録されたバージョンがそのまま発売されたが、その後、再びレコーディングをし直し、第二版のプレス盤からはこの再録バージョンが使用されている。同シングル発売の約2ヵ月後にはこの曲を中心として、岩崎の成人を祝して製作されたアルバム「二十才前・・・」もリリースされ、同盤もオリコンアルバムチャートで最高10位、累計4.7万枚(オリコン調べ)を売り上げる好セールスを記録した(因みにアルバムではこの曲のタイトル表記は、アルバムのタイトルに合わせて「二十才前・・・」とされている)。
迷い道 渡辺真知子
 詞・曲:渡辺真知子 R:77/11/01 HC:3位 BT:6位
◆年間チャート(78年)11位(61.3万枚)
◆TBS系「ザ・ベストテン」年間ランキング(78年)26位
◆第29回(78年)NHK紅白歌合戦出場曲(初)
<渡辺真知子>
①神奈川県出身。高校2年の頃より創作活動を始め、その中の書き溜めた作品の一つである「オルゴールの恋唄」をひっさげて75年、若手フォーク歌手の登竜門「ヤマハポピュラーソングコンテスト(ポプコン)」に出場し審査委員特別賞を受賞。これを契機として、アマチュアミュージシャンでの活動を開始。2年後の77年秋に自ら詞・曲を手掛けたシングル「迷い道」でレコードデビューし、同曲が翌78年には入ってからヒットチャートを席巻、オリコン週間チャート最高3位、同年間チャートでも11位にランキングされるなど、同年の日本の音楽シーンを代表する作品となる。続く「カモメが翔んだ日」「ブルー」も次々とヒットし、同年の賞レースでは最優秀新人賞の座を総なめ、大橋純子や庄野真代らと並ぶ、女流ニューミュージック音楽の先導者としての地位を確立する。
②80年の「唇よ、熱く君を語れ」以降、ヒットから遠ざかり、人気が一時低迷。しかし、90年代以降、実力派の女性ボーカリストとして再評価されるようになると共に、本来の自身の明朗闊達なキャラクターが受け、再びテレビ・ラジオへの出演機会が増加。近年では日本テレビ系の音楽バラエティー「THE夜もヒッパレ」にも常連ゲストの一人として多数出演、磨きのかかった歌唱力で健在振りをアピールした。

【司会】 芳村真理・井上 順

(参考)この頃の主な出来事
・02/18 アメリカ・ハワイ州にて、世界初のトライアスロン大会が開催される。
・02/20 合板・プレハブ住宅の大手、永大産業が会社更生法を申請し事実上倒産。負債総額は1800億円以上に上り、「戦後最大の倒産」と形容される。
・02/22 イギリス下院議会にて、スコットランド分離法案が可決される。これによりスコットランドに大幅な自治権が付与されることに。


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2 コメント

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竹田の子守唄 (達)
2008-08-12 08:54:34
「紙ふうせん」は
何年か前「放送禁止歌」という本(「網走番外地」
岡林信康さんの「手紙」などが取り上げられている)
の付録で、オリジナルの「竹田の子守唄」を
レコーディングしたことがあります。
竹田の子守唄に隠された暗い過去。 (resistance-k)
2008-08-12 21:26:14
今コメントを頂いていて色々検索をしてみたところ、この曲、元々は戦前、職業上で差別を受け(工場に就職試験を受けに行っても、女工として採用すらしてもらえないというケースが当時多発していたそうです)、そして、結婚その他生活のあらゆる側面でも、言われなき差別を受け続けた被差別出身の若い女性たちの間で生まれた労働歌として生まれた作品だそうです。
ところが当時のテレビ・ラジオが、被差別を出拠とする歌を流すことに抵抗感を抱き、曲が知られるにつれて、逆にテレビ等で歌う機会は減っていく一方。

赤い鳥のメンバーはみな、当時この曲をレコーディングした際には、どこの伝承歌なのかすらも分からない状況(どうも、関西にも竹田という名の地区が点在していたので、どこから誕生した歌なのかという部分にとりわけ特別な意識を抱かなかったということらしいです)。当然に、なぜヒットしていく一方でテレビで歌う機会が著しく制約されるのか、放送局の対応の不可解さに不信を抱いたといいます。

この赤い鳥のリーダーは「紙ふうせん」の男声パートを勤めている後藤さんなわけですが、彼が全国各地の伝承歌を取材するようになったのも、恐らくこの「竹田の子守唄」での苦い経験と、それぞれの歌の精神として脈々と流れている重く悲しい歴史を包み隠さず、歌うことで後世に伝えてゆきたい、という気持ちがあったからではないか、とこのエピソードを知ったときに思った次第です。ワタシもこういう暗い背景の中でこの歌が誕生したとはまったく調べるまで知らなかったので意外でした。

放送禁止歌は一言にいっても、色々な種類のものがありますが、竹田―にしても美輪明宏さんの「ヨイトマゲの唄」にしても、これらの唄には、経済成長を遂げ、世界の大国と形式的にせよ対等に渡り合えるまでの近代国家に発展した日本が、その成長の裏で遺しつづけた「負の遺産」の歴史を知る上で非常に重要な作品であるはず。これに制約をかけて歌わせないように、流さないようにするというのは、当時の放送局がいかに、当時の日本の表の側面である「成長」の気流ばかりをみ続けていたかというの点を露呈しているといわざるを得ないでしょうね。

これらの唄、近年になって、美輪さんや、やはり同じく「赤い鳥」の一員だった「ハイ・ファイ・セット」の山本潤子さん、アルフィーの坂崎さんらが頻繁にテレビで歌うようになり、世の人の多くも「名曲」としてこれらの曲からの強い感銘を受けるまでになりましたが、そこまでの、いわば「市民権」を獲得するまでの道程の長さにも、この曲の誕生した背景にあった、辛い史実と同様の悲しさが漂っているように感じますね。

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