伝説の歌番組・夜のヒットスタジオを語る

伝説の音楽番組「夜のヒットスタジオ」の22年間の足跡を通じて、日本の歌謡界が最も輝いていた時代を振り返ります。

夜のヒットスタジオ・歌手別出演履歴<18> 石野真子/榊原郁恵

2007-06-21 | 夜のヒットスタジオ/歌手別出演履歴
夜ヒット・出演履歴シリーズ、今回は榊原郁恵・石野真子の出演履歴を振り返ります。
  
◆榊原郁恵-初出演:1977年8月22日(第459回)/最終出演:1985年7月3日(第865回)、出演回数:15回
01 1977/08/22(459) わがまま土曜日
02 1978/02/06(483) いとしのロビンフットさま
03 1978/05/29(499) めざめのカーニバル
04 1978/07/31(508) 夏のお嬢さん
05 1978/09/04(513) 夏のお嬢さん
06 1978/10/09(518) Do It Bang!Bang!
07 1978/11/27(525) Do It Bang!Bang!
08 1979/01/29(534) 微笑日記
09 1979/02/26(538) 微笑日記
10 1979/04/02(543) 青春気流
11 1979/07/02(556) ラブ・ジャック・サマー
12 1979/07/23(559) ラブ・ジャック・サマー
13 1979/09/24(568) 秋風のロンド
14 1980/03/03(590) イエ!イエ!お嬢さん
15 1985/07/03(865) 女友達代表

◆石野真子-初出演:1978年3月27日(第490回)/最終出演:1985年10月30日(第882回)、出演回数:18回
01 1978/03/27(490) 狼なんか怖くない
02 1978/07/10(505) わたしの首領 
03 1978/10/16(519) 失恋記念日
04 1978/12/18(528) 失恋記念日 
05 1979/04/09(544) プリティー・プリティー
06 1979/05/07(548) プリティー・プリティー
07 1979/06/18(554) ワンダー・ブギ
08 1979/08/06(561) ワンダー・ブギ
09 1979/09/10(566) ジュリーがライバル
10 1979/10/22(572) ジュリーがライバル
11 1980/01/14(583) 春ラ! ラ! ラ!
12 1980/02/18(588) 春ラ! ラ! ラ!
13 1980/04/07(595) ハートで勝負
14 1980/08/04(612) めまい
15 1981/01/19(636) 思いっきりサンバ
16 1981/06/29(659) 恋のサマー・ダンス
17 1981/08/31(668) 私のしあわせパートⅡ
18 1985/10/30(882) めぐり逢い

特にデビュー1~2年目については、実際のところ、当時のラテ欄で「ほか」とされている部分に含まれていた可能性もあり、これが全てとはちょっと断言はできないのですが、一応現在わかる範囲ということでご容赦願います。

榊原郁恵・石野真子の何れも、当時ヒットスタジオと同じく月曜日に公開録画が行われていた「レッツゴーヤング」の司会を担当していた時期があり、その関係もあってか出演回数はそれほど多くはないようです。特に榊原郁恵については、その「レッツゴーヤング」の司会の後、1980年春から「紅白歌のベストテン」の司会に抜擢されて以降は、全くそちらのほうに係りっきりとなってしまい(また彼女の所属事務所であるホリプロには当時、山口百恵・森昌子・石川さゆり・和田アキ子などといった夜ヒットに従来より出演を続ける常連組、また話題の新人歌手(甲斐智枝美・堀ちえみなど)も多く所属しており、そのために出演枠をそういった歌手に譲らざるを得なかった、という微妙な位置付けでもあったようですが)、夜ヒットに出演することができなくなり、それと比例するように、歌手としての活動よりも司会者・タレント・女優としての活動に軸足を徐々に移すようになりました。
その後、夜ヒットが水曜に移動して3ヶ月がすぎた1985年7月(但、1985年3月25日の月曜放送最終回のときに企画の一環として「トップテン」で共に司会を務めていた堺正章と特別出演をしています)に「女友達(ゆうじん)代表」という歌で5年ぶりに夜ヒットに歌手として出演。
しかしそれ以降、特に1987年に俳優・渡辺徹と結婚して以降は、「ものまね王座決定戦」や「デリデリキッチン」「Eat9」など多数の番組での司会をこなすなど、タレントとしてのイメージが完全に定着し、夜ヒットや他の歌番組で歌を披露することは殆ど皆無となってしまいました。

石野真子については、あまり出演回数は多くないにも係わらず、歌手・長渕剛との結婚のため歌手業を一時引退する際に、「サヨナラ」企画が設けられた、というのは特筆すべきどころかもしれません。森光子ら親交のあった関係者・タレントがつめかけ、同じ回に出演していた海援隊が特別に餞の歌として「贈る言葉」を彼女の為に歌い、家庭に入る石野真子を送り出しました。
しかし、わずか約2年後の1983年に長渕・石野は離婚。石野はその後再びタレント活動を開始し、1985年秋に夜ヒットにも約4年半ぶりに歌手として出演しました。この際、久しぶりの出演ということもあり、過去の出演シーンを紹介するコーナーを設けたのですが、特に引退企画の際の映像を見るときやはり色々なことが胸中をよぎったのか、非常に慎重な面持ちでその映像を見ていたのが印象的でした。
しかし、復帰後、数枚シングルを発売したようですが、どれもそれほどヒットはせず、彼女もいつしか女優業を中心に、歌手業とは違うフィールドで活躍をするようになり、夜ヒットへの出演も、芸能活動再開後はこの復帰後初出演であった1985年秋の「めぐり逢い」、1度のみの出演に留まりました。

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4 コメント

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この二人は (goo)
2007-06-25 23:43:13
この二人は、日本テレビの月曜日の生番組「紅白歌のベストテン」で大場久美子とともに新三人娘という事で力を入れてもらっていたのでその頃からも夜ヒットの出演が少ないと思いました。

榊原郁恵がホリプロの絡みで石野真子はバーニングの絡みで郷ひろみ、高田みづえ、細川たかしに出演枠を譲っていたのでしょうね!
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Unknown (resistance-k)
2007-06-26 22:31:25
確かに榊原郁恵も1980-1986年まで、石野真子も復帰後、1986年からの1年間、「トップテン」司会を担当してましたから、どうも夜ヒットよりもトップテン、しかも司会者というイメージが私の世代ぐらいになると強いんですよね…。自分より下の世代となると、歌手であったことを知ってる人のほうがむしろ少ないかもしれないですね。

ただ、二人ともトップテンとの繋がりが強かったにも係わらず、「夜ヒット」は特別な歌番組という思いが強かったらしいです。雰囲気といい、製作現場の緊張感や司会者のオーラなども全て含めて「他の歌番とは違う」と毎回出演するたびに緊張していたそうです。
彼女たちに限らず時のアイドル歌手たちはみなその大小の差はあるにせよ、夜ヒットに出る時は相当の緊張感を以て本番に臨んでいたんじゃないでしょうかねえ…。




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ジュリーがライバル (ひであき)
2007-08-24 22:48:46
真子ちゃんの曲で「ジュリーがライバル」2回出演して歌ってますね。歌った出演日すべてジュリーも出演してるんですよ。これは単なる偶然なんでしょうか?
この曲で思い出すのは真子ちゃんの黒い帽子はジュリーをイメージしたものと思われます。
ジュリーを意識した感じのアクションが印象的で右手を上げて、足をポンと上げるところはジュリーが以前歌った「危険な二人」のアクションに似てるなあと感じました。
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確か紅白初出場の曲でもありましたね (resistance-k)
2007-08-24 23:12:55
確か「ジュリーがライバル」は79年のNHK紅白に彼女が初出場したときの曲目でもありましたね。
歌のテーマにまで取り上げられるぐらいなんだからジュリーの人気がいかに凄かったかもわかりますが、あの紅白でこういう歌が歌われた、というのもなんか凄い話ですよね(汗)。
必ず、ジュリーがいるときにこの曲を彼女が歌うときにはジュリーの顔アップシーンが挿入されるという「お約束」がありましたよね。紅白でもそのカメラワークは健在でしたよね、確か。
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