レンコンの部屋

日常の感じた事など

孫の世話by仙台

2017-08-29 17:53:39 | 日記

仙台の娘のところに行って、週末2日間孫の世話をしてきました。

仙台と言っても結構中心地なので、車で移動と言っても国道4号なんて当たり前で駅周辺とか大学病院への面会など

普通にナビを使って、近道を検索したり、退屈しないようにアウトレットに行って遊んだり

近くの交通公園にはあるいて15分かけて行って、30分遊んでまた帰って・・・

結構クタクタになりました

でも、そういう公園があるといいなーって交通ルールを学べるところ、今度行ったときもまた連れて行ってあげたいなって

たっぷりほとんど休みなく動き回ってきましたね・・・

 

埼玉の息子がサプライズで面会に来るということで日曜日の仙台駅に迎えに行き、

駐車場が満車ばかりでグルグル回っているうちに空いたところへさっと入り

駅で買い物したりご飯を食べてから、病院へ・・・

帰りも駅まで送って行き、その日の夜に岩手に帰るため夕飯を作り、洗濯をたたみ

しかし、おまけがあって、プールのバスタオルが見つからないということで、急きょ「しまむら」で可愛いバスタオルを購入し

昔子供が小学生の時に作ってあげたようにゴムを入れて縫ってあげて、とりあえず、セーフ(月曜日使ってプールに入ったかな?)

 

本当に忙しい2日間でした

でも、子供達も喜んで私の作ったご飯を食べてくれて、一緒におフロに入ったり、

パパが帰ってくるまでお布団でゴロゴロしたり

なんとなくそんな時間が幸せでした

娘もグズグズ言わないで入院していてくれてるし、娘の旦那も入院していてくれた方が安心と家のことを文句も言わずにしていて

当たり前かもしれないけど、でもきっと愚痴も言いたいだろうに、黙って、黙々と動いている姿に思わず手を合わせたい気持ちでした

一カ月に一回くらいしか、連休で手伝いにいけないけど、みんなが気にしていてくれて、疲れたら、休んでいいよっていうそんな気持ちがあれば

なんとかこの大変な時期も乗り越えることができるのかなーって

私も、入院したり大変な時、実家の母に手伝ってもらって、すごく助かった思いがあるから

今度は私が子供たちの手伝いが出来ればって・・・

空の上から、私が頑張っている姿を、母は見ていてくれてるかな~って思いました


今年の夏 パート3

2017-08-22 09:43:55 | 日記

おたふくの息子がとうとう入院しました

40度台の熱が2日間下がらず、体力も限界となり、ふらついて歩くのが一人では大変で

このままではひとり家に置いておくのは心配ということで、おとといの夜に近くの病院に入院したのです。

しかし、1日たっても熱の上がり方はおんなじで、解熱剤を点滴すると熱が下がるのですが、その繰り返しも辛いみたいで・・・

かなり参っていました

その上、睾丸炎を発症していて、片方がおにぎりくらいに腫れたとか‥それを泌尿器科の医師がぐりぐり触ってすごく痛かったと言っていました

病院に入院したせいで、いろいろな異常を発見すると必ず所見を書くために診察されるから、そっとしずかに・・・ってわけにいかないんですよね

とにかく、大変なようです。もう勘弁してくださいと何かに祈っているようです・・・気持ちはすごくわかります

 

私も若いころ、風疹を発症した日に、社員旅行で函館にいって、津軽海峡の風にあたり、その結果、重症化して帰ってから10日間休みましたからね

ウィルスに感染した時は、風にあたるような行動をしてはいけないんだとその時肝に銘じたのですが・・・

息子も、おたふく発症したばかりの時、熱も大して高くなく、腫れてもそんなにつらくなかったため2日間ほど仕事に行ったんですよね

人と接触しなければ大丈夫という甘い考えで・・・

ウィルスを甘く見てはいけないってことですね(もちろん私は警告したんですけどね。痛い思いをしないと学習しないということですね)

 

そういうわけで、今年の夏は入院2名、おたふく3名・・・今のところですが

これ以上の拡大感染にならないことを祈っています

 


今年の夏 パート2

2017-08-18 09:48:32 | 日記

前回途中で終わってしまい、どれだけ私の心が平静でなかったかが、わかりました(自分でも)

大変失礼しました

 

そして、9日の日に連れて行きました

もちろん平静ではなかったです。泣かないように、泣かないようにと思いながら目にはいつも涙がウルウルしていました

向こうの実家に行き、すぐに帰ろうと思ったのですが、そういうわけにもいかず

向こうのお母さんと話している間も、ずっと孫が私から離れず、そしていよいよ帰らなければならなくなったときに

離れまいとするしがみつく孫を自分から向こうのお母さんに渡して抱っこしてもらい

振り返る孫の顔が泣きそうな顔になっているのを見て、ここでいいですからと車まで来なくていいと

玄関からまるで逃げるように車を走らせました

もう、泣きじゃくっているから、近くのコンビニの駐車場で大泣きし、それでもおさまらず

どこをどう走ったか覚えていないくらいで、今度はかかりつけの病院に行き、薬をもらい

それも泣きはらしているから、マスクをしてもともと眼鏡をしているのでこういう時便利ですよね

そして、向こうのおかあs何からメールが入ったので、孫の様子を聞いたら、私が出て行ったあと、シャボン玉を見せるからと追いかけたけど、もういなかったって

いやいや、そんな~って思いましたが、大丈夫ですっていわれ、少しはホッとしながらも

どうすることもできない歯がゆさで、体重も落ちるくらいでした

 

しかし、あれからもう1週間

いまは仙台にもどって自分の家で過ごしてます

お父さんがこれから大変だけど、自分たちの居場所に戻れたことが私は心からホッとしています

そして、我が家は第3段目のおたふくが~~

息子が感染して、今顔が四角になっています(結構小顔の子なんですけどね)

熱は対して上がらず、マスクをしながら、人と接触しないようにしています

これで収束してくれればいいんですが・・・ちょうどうちの下の孫がおたふくの時にみんな孫たちが集まったので

これから、拡散する可能性はあるのですが、こういうのは予防注射よりもかかった方がしっかり抗体ができると思うので・・・

どうなることやらですかね

 

ということで、少し元気になりました

中殺界の今年はまだ数か月残っています

まだまだ苦しいことが起きるのでしょうか

鬱にならないように頑張らなくちゃ・・・来週末は仙台に行って、かわいい孫の世話をしてきます

(また、泣きながら帰ってくるとしても、行かないよりは行った方がいいから)


今年の夏・・・

2017-08-11 12:29:22 | 日記

7月の末に突然娘が入院し、一気に私の生活が変わってしまいました

生活というよりか、気持ちかな・・・

 

切迫流産ということで入院になり、もうすぐ5カ月という週数なのでとっても心配だったけど、

それ以上に残された子供達(孫)が心配でした

入院した日は娘の旦那の実家に連れて行き、3泊して私が迎えに良き仙台へ、

私はたまたま盛岡さんさに参加する予定をキャンセルして子供たちの世話

2泊して最後の日はプール当番と地区防犯の当番

慣れないことでしたが何とかクリア

しかし、最後の日は下の子が手足口病ではと言われ、娘の面会もそそくさとして、夜お父さんが帰ってくるのを待って岩手に帰宅

 

そして、5日には岩手に連れてきてもらい、9日まで・・・

夏休みの宿題の工作を作ったり、ほかの孫たちとも合流し楽しいにぎやかな数日を過ごしました

最期の夜は孫たちがみんなお風呂に入ったのを下の子供が私と一緒に入ると言って、みんなとは入らず・・・

翌日昼過ぎに娘の旦那の実家に連れて行き、向こうのお母さんにお願いするときは,私にしがみついて離れず

それを向こうのお母さんに自分で引き離してお願いした時に振り返って泣いた顔が今でも目に焼き付いて

その時も号泣しながら帰ってきましたしたが、今でも思い出すと涙が出てきます

 

娘は個人病院から、大きな病院に転院し、まずは落ち着くまでしっかりと入院生活を送らなければならず

あせっても、子供たちがかわいそうと思ってもどうすることもできない・・・

私もこういうこと何回かあったなーと思いながら、

どうして人生って、こう辛いことばかりあるんでしょうね

でも赤ちゃんは元気に育っているから、まずはOKということで・・・って思えればいいんでしょうけど

私はそんなにポジティブ思考ではないし、娘にはポジティブに言うけど、本来はかなりネガティブな性格なんですよね

すぐ泣くし・・・

 

とりあえず、心を静めて、今日はおとなしく、休日を過ごそうと思っています

平静を装うって大変ですね

こういう時は時が過ぎるのが、本当に遅く感じます

 

9日、また娘の旦那の実家に連れて行き、