レンコンの部屋

日常の感じた事など

最後の追い込み

2013-07-25 10:46:12 | 日記
いよいよ、放送大学最後の単位認定試験がせまってきました。

来週の30日と8月3日の2日間で、5教科の試験を受けます。


娘のお産、看護研究、そして、北海道での面接授業。

いろいろ忙しい4か月間でしたが、泣いても笑ってもこれで最後にしようと考えています。

もちろん、1つでも単位を落としたら、卒業するつもりはないので、来学期も学生を続けますが

次の目標があるので、余り伸ばしたくはないんですよね。


ちなみに次の目標は、漢字検定準1級と1級を60歳までにとる。

できるかどうかわからないけど、日本人に生まれたからには、ちょっと、頑張ってみようかなって思っています。

あとは、最近親孝行できていなかったので、少しは母親の顔をみにいって、刺激を与えないと

全く反応のない人になってしまいかねないのでね。


といっても、三交代の仕事はあるし、週末は孫の夏祭りでまた仙台に行く予定だし

結構ギリギリの感じでいるのですが、そこは集中して、教科書とにらめっこですかね。

そんなこといっても、今日は深夜明けで、今梅干しのまず塩漬けをしたことろです。

われながら、忙しい中でも、やることはやるというこの段取りの良さ。

だから、やめられないんだと思います、こういう、忙しい感じの生活。


貧乏暇なしという言葉が、私にはきっと合っているんだと思います。


悔いのないように、残り10日間。頑張りまーす。

初めての飛行機

2013-07-18 13:49:11 | 日記
行ってきました、北海道。

先週の12日から15日まで、3泊4日で。

北海道といっても、函館と札幌では全く違うということを

北海道の広さに圧倒されてきました。


花巻空港はとてもコンパクトにできているので、

入口に入れば、手招きをしてこちらへどうぞと親切に教えてくれました。

搭乗アナウンスはユーミンの緑の街へが流れて、いまだに頭から離れません。

飛行機は100人乗りくらいのこれまたコンパクトな感じで

座席も真ん中通路の横2,3だったかな。

とにかく狭くて、閉所恐怖症の私としては目の前にいる、キャビンアテンダントのかわいい女の子が

唯一の救いでした。万が一飛行機が落ちても、こんなかわいい子と一緒に死ねるなら、怖くないと正直思ったくらいです。


行きは天候がよくなかったので、雲の中を飛行機が飛んでいる感じでしたが(まるで天空の城ラピュタみたい)

多少のゆれがあったものの、まずは無事に千歳空港に到着し

大きな人の流れに合わせて、札幌駅まで到着し、

ホテルはたしか駅近くのはずが、ちょっとした曲がり角がわからず

結局はホテルの人に迎えに来てもらい(迎えに来てくれたのです、たのまなくても)

3泊するホテルに到着。

ホテルの従業員の方は、とても親切で、その後もパンフレットを渡してくれて

お食事処を説明してくれました。


翌日からは北海道大学のキャンパス内にある放送大学のセンターでの面接授業。

北海道大学は、とにかく広くて、直線で歩いても30分以上はかかるほどのまっすぐ伸びた道路の両脇に

いろいろな学部の建物が立っていました。

とても目立ったのが、そのまっすぐの道路をランニングする人、人、人。

緑豊かな校内を散歩する人、人、人。


とても豊かな気持ちで過ごせました。

ホテルに帰れば、まずレポートの続き、朝早くに起きて勉強。

自分だけの豊かな時間。

これって、幸せなことだと思いました。

2日間の授業も無事レポートを提出して終了。

翌日は少し早めにホテルを出て、札幌の大通公園を散策してと思っていたのですが

結局は、テレビ塔に上ってお土産買ったら時間がなくなり

札幌の駅に着いたら、千歳空港行きのJRの電車が全面運休。

バスでのアクセスを案内されて行けば、長蛇の行列。

飛行機に間に合わなければ、今日中に岩手に帰れなくなるので

一人また一人と、タクシーでの相乗りを声掛けし始め

私もほかの見知らぬ人たち3人と相乗りし

タクシーに乗り込み、これで大丈夫かと思いきや

道路が大渋滞。

タクシーの運転手さんは、こんなこと今までになかったと言い始め

高速に乗っていくにも、高速の乗り口が渋滞。

右折の渋滞を無視して直線を走り、右折する時に脇入り。

気が付いたら高速に乗れて、これでもう大丈夫かと安心したら

千歳空港への出口で2キロ手前から渋滞。

それでも、なんとか強運に恵まれギリギリ空港に間に合い

もちろんタクシーのおじさんには交通違反までしてもらったので、チップを渡し

空港内へ入ったら、JALの搭乗手続きが全く見当たらず

ANAの人に聞いて2階の奥まで駆け上がり、着いた時には荷物預ける最終アナウンスがされていて

思わず、私預けますって、大きな声で叫び

あとどこに行けばいいんですかって聞きながら

保安検査場もハアハア言いながら通過し、もう10分しかないのにトイレに行ってないし、お土産買ってないしって一人で焦って

17番のゲートに到着し、荷物を預けたことを忘れ、荷物がないって右往左往しながら

なんとか飛行機に乗り込んだら、誰も乗っていなくて

やっぱり、JRの電車が動かないから、みんな乗れないんだと思った次の瞬間

どこにいたのこの人たちはというくらいの人が、次々入ってきて

結局は満席になり、無事離陸。

飛行機って、いろんな意味で怖いなーってつくづく思いました。

でも、飛行機から見えた雲海はとてもきれいで、

窓から、ずーっと眺めて一人で感心していました。

子供みたいに見えたでしょうね、キャビンアテンダントのお姉さんはにこにこしながら私を見ていましたから。

今はキャビンアテンダントって言わないんですかね?










引っ越し、そして、新たな発見

2013-07-04 10:39:25 | 日記
土曜の2時に出発し、日勤の仕事を終える息子と合流。

新しい官舎を見学し、今夜はこの新しいところに泊まるべく

カーテンを買い、必要物品をニトリで購入し

夕食を食べた後、布団とテレビとおふろセットを持って引越し先に行き、

明日の引っ越しの段取りなどを話しながら、一夜を明かしましたが

なにせ、暑いとはいえ、布団もないところで寝たものだから

疲れていてもなかなか眠れず

結局朝早くに目が覚め、近くのコンビニまで30分の散歩。

歩きながら、いつも、子供のところに泊まると、寝付けなくて朝早く目が覚めるんだなーと

変に神経質なところが自分でも嫌になりながら、それでも、朝早くの散歩は意外と気持ちよかったです。

そして、いよいよ引っ越し開始。

夫は、私が冷蔵庫や洗濯機を2階の部屋から車まで

一緒に持てる力があるかをとても心配していましたが、意外と大丈夫で、

最初に冷蔵庫、そして、次に洗濯機と順調に往復5回で引っ越しが完了しました。

まあ、一人暮らしでしたから、荷物と言ってもそうそうないのですが

つくづく、就職して3年。ここで、一人で暮らして頑張ったんだなーという思いで

簡単でしたが、掃除をし、最後にありがとうございましたと部屋のドアを閉めてきました。


わたしはどうもモノにも心があるような気がして、むすこの乗っているアルトにも

昔私が乗っていた車ということもあって、何時も岩手に帰ってきて、山形に戻る時

車に向かって、息子をよろしくと触って声をかけるようにしているのです。


そういえば、娘が働いている病院のそばを帰りに通り過ぎる時も、必ず、娘をよろしくって言って気持がいっぱいになったりしていますね。

性格が、そういう、感情失禁タイプなんですかね。わかりませんが、まあ、基本、泣き虫かもしれません。


そんなこんなで、筋肉痛になりながら、山形を後にして

帰りの車の中で、夜に、「ここは少し広いから、今度は観光しに来たとき、ここに泊まれるな」ってお父さん言っていたよって話したら

来なくていいよって言われた話に対して、

「冷たいよね、引越しだって、半日で引っ越ししてあげたのに、あんまり感謝していなかった気がする」と私が言ったら

夫は、「そういう考え方しない方がいいと思うよ。息子の引っ越しをしてあげることができてよかった、手伝うことができてよかったって思えないかな」って

私は、ちょっとびっくりしながらも、「へー、なに大人みたいなこと言っているの」と言いながらも、自分の心の狭さに、反省したり

それでも、悔しくて、負けたくないものだから、「私はそう思えない」なんて、強がっていたけど、意外にその言葉が心から離れなくて

何日も考えていました。

親って、子供の事をさせてもらえて、感謝できるんだなーって

私は、やっぱり子供なんだなと改めて、恥ずかしくなりました。

夫は、私より2歳年下で、思慮分別も対して大人と感じる時もありませんでしたが、

今回は、ちょっと見直したかな。