ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

10/01/26 歌舞伎座千穐楽夜の部(2)勘三郎の「京鹿子娘道成寺」歌舞伎座での舞いおさめ

2010-01-28 23:57:29 | 観劇

勘三郎の「京鹿子娘道成寺」は2005年4月の襲名披露公演で観ていて、「勘三郎箱」も買ってしまったのでDVDでも何回か観た。さて、今回はどうか?!歌舞伎座の壽初春大歌舞伎の感想を順不同で書いていく。(「春の寿」と順を入れ換えましたm(_ _)m)
【京鹿子娘道成寺 道行より押戻しまで】
今回の配役は公式サイトより以下、引用。
白拍子花子=勘三郎 大館左馬五郎=團十郎
所化=高麗蔵、松江、種太郎、新悟、種之助、宗之助、ほか

3階11列のセンター右寄り席だったが、花道で登場した花子が止まる位置も上半身がよくみえてラッキー。花子のひらり帽子の上の飾りには翼を広げた鶴のデザインがあったのかと今頃気がついてみたり、勘三郎の頬がいつもよりこけて見えるのはこの大曲を一ヶ月の公演を踊りきった千穐楽だからだろうかと思ってみたり。玉三郎はもう本公演では踊らないというくらいだし・・・・・・。

それにしても道行のところの勘三郎花子の表情があまりにも寂しげなので、何故なのだろうと思いをめぐらす。・・・・・ハッと思い至る。今日が勘三郎が現歌舞伎座で道成寺を踊る最後の日なんだ!勘三郎花子がいろいろな方向に思い入れをして劇場のあちこちに視線を止める時、ここを見るのも最後とか思いながら、万感の思いを抱きながら踊っているのかもしれない。勝手にそう推測してしまったのだが、私はそんな舞台を見ることができたのかという感慨が押し寄せてきて、なんだか目頭が熱くなってきてしまった。

「♪道成の卿うけたまはり~」からの謡いも所化との長い問答もなし。所化の白拍子かと尋ねるのに答えて鐘を拝ませてという必要最低限の会話のみにするのは、女形をする時の勘三郎の声はハスキーすぎるせいかと推測。踊り手によって融通無碍にするのだろう。

烏帽子があるのでそれをつけて舞えということになり、所化のひとりが三宝に載せたのを渡す「金冠渡し」は小山三。襲名披露公演の時は確か芝翫が渡していたと記憶しているが、そういう役に先代からの最古参の弟子をつけたところが勘三郎らしい。子どもの頃から世話をしてきた小山三も万感の思いで渡しているのだろうとか思うとここでもぐっときてしまう。所化姿はいつものように目尻に赤を入れていて可愛らしい小僧さんに見えた。金冠渡しの後もすぐに引っ込まずに、慈愛のこもった表情で後輩の所化たちを見ていたようだった。マイミクさんが「小山三!」と大向こうをかけるのもしっかり聞こえた。いいねぇ。

花子が能がかりで舞ってから引っ込んでいる間、「まい尽くし」を披露する所化は勘三郎の部屋子の鶴松。「歌舞伎座が建替えになっても忘れるまい」などとさよなら公演らしいくだりも入れ込んでいるし、リズム感よく立派に語りつくしたのもよし。

花子が着替えて出てきて「言わず語らぬわが心~」からはぐっとくだけて歌舞伎舞踊になる。寂しげな表情からは一転、気を変えて花街の女のいろいろな場面を踊っていく。
鞠歌を踊るところを見ていて気づく。これって禿のころのおきゃんで可愛い子ども時代を踊っているのかなぁと。そこから娘になって店に出される遊女になって、本気の恋をして、浮気な男心に苦労して......。その時、その時に生きている花子のイメージが広がるような踊りだった。
勘三郎はこんなに可愛く表情豊かに踊るんだとあらためて感心。「顔で芝居をするな」とも言うが、それは身体全体が芝居をしないで顔だけでするのを戒めているのであって、踊りも同じなのだと思う。身体の動きも実に多彩なしぐさを自然に滑らかにつくりだし、見ていて飽きることがない。

玉三郎の花子はずっと異界の者が人間の姿で現れている感じがあるのだが、勘三郎の花子は実に人間臭い感じがする。安珍に恋をした清姫は田舎大臣の娘だっただろうし、それが勝手に安珍に思いをかけてかなわず、妄執にこりかたまっていくのだから、高貴な感じはしなくてもいい気がする。鐘の中に隠れた男への恨みというよりも、思う相手が自分を全く無視していることを勝手に我が侭に拗ねているような表情がなんともいえなく可愛い。
本性を現して鐘に飛び込んだ花子に「あーあ、しょうがないなぁ。早く出ておいでよ」とでもいいたい感じの感情移入がある。

だから鐘が持ち上がって出てきた、茶色の髪がざんばらとしていて二本の角が生えた鬼女もなんだか可愛い。
後シテに変わる間に花道では鱗模様の四天たちが「とう尽くし」を披露。勘三郎が出ているマクドナルドやサッポロビールのネタや「自分にファイトウ」なども飛び出して、三階さんたちの見せ場もつくるという大舞台なんだなぁとあらためて思う。

團十郎の大館左馬五郎が「歌舞伎の花の押し戻し」として登場する。演舞場でも海老蔵が同じような扮装で荒獅子男之助で押し戻しをやっているが、團十郎のそれは存在感の大きさだけでなくふんわりとしたおおらかな感じがあるのが愛おしい。喉をガラガラ鳴らすようにして見得を切る、荒事のお決まりの発声も聞き苦しさを感じないのは現時点では團十郎と吉右衛門の二人だなぁと貴重さを痛感。
勘三郎の後シテが二段の赤い台の上に立ち、四天が蛇体のように連なる。團十郎の押し戻しと絵面に極まっての幕切れは実に贅沢だった。勘三郎の歌舞伎座での道成寺の舞いおさめ踊りおさめに立ち会えたことに感謝したい。  

夜の部はこの「京鹿子娘道成寺」(今回の絵看板)とその前の「車引」が双璧だ。
写真は千穐楽の幕のかかった歌舞伎座正面。
1/26千穐楽夜の部(1)雀右衛門不在の「春の寿」


最新の画像もっと見る

コメントを投稿