ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

また・閑話休題 ‐ ラファエロの恋

2011年04月24日 |  ∟イタリアの美術館

 パラティーナ美術館にひっそりと架かる一枚の絵。
 それは、ラファエロ・サンティ、「ヴェールを被る婦人の肖像 」。

 この絵にまつわる悲しい話は、ローマは下町の<トラステベレ>、ファルネジーナ荘から始まる。

  後60年、ラファエロの遺品から一枚の裸婦像が見つかった

 11_221_3ラファエロは、何ゆえこのような裸婦像を描いたのだろうか?

  描かれていたのはトラステベレに住むパン屋の娘、
 ラファエロの恋人でフォルナリーナと呼ばれていた
  当時彼は、ファルネジーナ宮殿で仕事をしていて、
 パン屋で働く彼女を知り激しい恋に落ちた

  彼は、愛する妻としてフォルナリーナを、当時、人
 妻であることを意味する、ターバンを巻く女性に描く

 その絵とは、ローマ国立美術館が所蔵する、「若い婦人の肖像 = ラ・フォルナリーナ」(右列)。

 ラファエロは世を去る4年前、ひとりの女性の肖像、「ヴェールを被る婦人の肖像 = ラ・ヴェラータ(左列)を発表する。

12_322_2  そのヴェラータから衣装を剥がすと、寸分違わぬ
 裸
体の、同じ髪飾りをつけたフォルナリーナになる
  彼は、美しいフォルナリーナを、
どうしても妻にした
 かった

1323  しかし、想いを込めたフォルナリーナの裸体は、秘
 密にしなければならない

  狂おしいまでの想いが、身代わりとして「ラ・ヴェ
 ラータ」を描かせたのだ

1424  自らの名前を 「ラ・フォルナリーナ」の腕輪に、
 “ この女性はウルビーノのラファエロの妻 ” と刻印、
 人の目に触れないように封印する

 ラファエロは、奇しくも37歳の誕生日に世を去ったとされ、その亡骸はローマの<パンティオン>に埋葬された。

  フォルナリーナ、本名マルゲリータ・ルーティは、その葬儀への参列さえ許されなかったという
  葬儀の翌日、ラファエロの妻を名乗る女性が修道院の門を叩いた
  修道女への道を選んだマルゲリータ・ルーティ、フォルナリーナその人だった (美の巨人たちから)

 ラファエロは 「ラ・フォルナリーナ」に非売の署名  “ E I ” を入れ(右列最上段の右下隅)、終生手放さなかったと言う。
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.317

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2 コメント

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ラファエロの恋、興味深く読みました。 (旅人)
2011-04-27 10:11:05
ラファエロの恋、興味深く読みました。
ところで、「ラ・フォルナリーナ」があるのは、テルミニ駅の近くのローマ国立博物館のことでしょうか?
返信する
旅人さん (ペトロ)
2011-04-27 10:34:54
旅人さん
少しややこしいのですが、私たちが訪ねた折には、「バルベリーニ宮」の中の「国立古典絵画館」となっていました。
その後、国立美術館に名前が変わったようです。トレヴィの泉から北東へ500mほどのところにあります。
ここには、ラファエロのほか、カラヴァッジョ、ティントレット、グレコなどもあります。ローマに行かれたら、訪ねてみてみて下さい。
返信する

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