ポルトガルのポルトからスペインの港町ヴィーゴへ向かう国際列車のことは、「ローカルな国際列車」(09.08.10)で書いた。
その続き、二回目は「聖ヤコブの道」のリスボンからポルトまでを綴る。
ユーラシア大陸の西イベリア半島の西端にあって、鉄砲伝来や南蛮交易で日本とも馴染みが深いポルトガル。
かつて、エンリケ航海王子の大航海時代(写真上:発見のモニュメント)インドやブラジルなどを植民地に栄えた。
しかし18世紀初頭、ナポレオンの侵略により情勢は一変、戦況不利を悟ったジョアン6世一族、持てる限りの財宝を懐に臣民を見捨てブラジルに逃避行。
ブラジルの植民地と揶揄された宗主国、あえなく没落の道を辿ったのは言うまでもない。
19世紀の初め金とダイヤの鉱脈を持つ植民地?ブラジル帝国が独立、この国は文字通り最大の金脈(植民地)を喪失する。
爾来、歴史の表舞台から姿をひそめ内変に明け暮れるようになる。
かいつまむとこの国の近代までの歴史、こんなところになるらしい?
話は大きく逸れたが、リスボンからサンティアゴ・ディ・コンポステーラ、国境を越える列車は一日に2往復しかなく、朝の8時前にポルトに着いていなくてはならない。
陸路で一日は無理なようだ。
その時刻に着くリスボンからの列車はなくポルト近辺に泊まるか、午後の便を利用して夜遅くヴィーゴに入るしかない。
飛行機にすれば苦労することもないのだが。
結局、ポルトで1泊、翌朝、ポルトガル国鉄(CP)の国際列車でポルトガルの国境駅のヴァレンサ、スペインのトゥイを経てヴィーゴへ。
さらにヴィーゴから、スペイン国鉄(RF)に乗換えコンポステーラへ向かうことにした。
ポルトまではCPが誇るアルファ・ペンドゥラール(写真中)、この列車はいわばこの国の新幹線。
政治の街リスボンと商業の街ポルトの二大都市を結び、途中古い大学の町コインブラを通る。
トリコロールに装ったかものはしのようなこの列車、コインブラ(B)、アヴェイロを経てヴィラ・ノヴァ・デ・ガイアに着く。
終着近く列車は、ドウロ渓谷に架かるあのエッフェルが設計した、「ドナ・マリア・ピア橋」(写真下)の美しい姿を左に渡る、らしい?が、車中、ビールを少し?飲んで舟を漕ぐ誰かはそれを目にしていない。
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