じいじのひとりごと

高齢者の悲哀と愚痴を綴っています
唯一の相棒、mシュナウザーのベルが残り人生を伴走してくれます

東平(とうなる)

2015年11月20日 | 日々のこと
昨夜の飲み会で友人から、
「ottchan、明日東平へ行くのだけど一緒にどう?」とお誘いがあった。
私も天気が良ければ、いつか行く予定だったので渡りに船、と
「行く行く!」と二つ返事した。
ところが聞くと麓のダムから歩きなのだそうで、そりゃ付き合えんわ・・・
「私は車で上まで行きます」

今朝は何だか二日酔い気味・・・
11時頃にラヴを乗せて出かけました。
「東洋のマチュピチュ」のキャッチコピーが受けて、
この季節、マイントピアの観光客が何台ものマイクロバスに分乗して連なって往復しています。
狭い曲がりくねった道路なので、バスの前を露払いの車が先導し、
対向車を少し広い退避場所に止めて離合します。

標高800m、今日は青空でポカポカ陽気でした。
紅葉はほぼ終わっていましたが今年は何処もイマイチですね。

東平は大正期以降の採鉱本部があったところで最盛期には3800人の人口でした。
私が当市に住み始めた頃はまだ採鉱が盛んに行われていて、軒を連ねた社宅や
多くの人たちが住んでいて小中学校、プール、劇場、病院もありました。
銅鉱石は長大な索道で運び出されていましたね。
バケットに人が乗って索道の点検をしている風景を見たことがあります。
巨大な石積みの貯鉱庫と索道基地が今も残っていて、城跡石積みのようです。
これをどこかの誰かが「東洋のマチュピチュ」と呼んだのが始まりらしい。
木造の建物は跡形なく撤去され、植林ですっかり森に戻っています。

昭和48年の全山閉山に先立って、昭和46年に東平地区は閉止されましたが、
それまで行き来はすべて歩きでした。私も当時には何度も登りましたよ。

車の通る道路が開通したのは閉山して更に後の事でした。
それほど急峻な山間部なのですね。

マチュピチュ全景



貯鉱庫跡




索道基地跡






第三通洞


変電所跡建屋





ラヴ 3枚






昔の東平

コメント (4)
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