天寿を全うして・・

2006-03-13 | Weblog
祖父が亡くなりました。

今年に入って少し元気が無さそうだと聞き
「帰省したら会いに行こう」と姉と話していたのですが
間に合いませんでした。
正月に帰らなかったことが悔やまれます。。

明日お通夜のため帰省します。
ブログは暫くお休みします。


一年半ほど前、あの中越地震があった日、
祖父の百歳を祝う会があり私も帰省していました。
  あの地震に遭遇したことも一つのきっかけとなり
  ブログを始めたのでした。
  直接ではないけれど、祖父がきっかけを
  与えてくれたことになります。
  不思議な縁ですね。。

百歳の時も、とても元気でした。
骨折が元で車椅子生活になってしまい
入院してはいましたが・・。
自宅で記念写真を撮るのに時間がかかっても
意外なほどシャキッとしていました。
宴会場では、ご馳走も食べ、皆の間を回り
最後にマイクで挨拶まで。

昨年お見舞いに行った時も元気そうでした。
たまにしか会えない姉や私のことも忘れず
歯が無くて聞き取りにくいながらも
嬉しそうにお喋りしていたのが思い出されます。

90代でも殆ど病気もなかったようです。
毎日ごはんをしっかり食べ、お仏壇にお経をあげ
寝たきりにならないために自宅廊下で
歩くトレーニングをしていたそうです。

元気すぎて、庭木の手入れをしようとして
転んでケガをしたことも。
その時も周囲の心配を他所に元気に回復しました。
一緒に暮らす伯父(父の兄)が
「自分らも歳だから、寝たきりになったら
入院してもらうしかない」と言ったので
家にいるために祖父は頑張ったのです。

祖父の家はお年寄りばかりの3人家族でした。
従姉妹達が嫁いだあとで跡取りの一人息子が
30歳で亡くなってしまったのです。
同じ年、胃がんの手術後だった父が
腸閉塞で他界したのは、そのショックも
多少影響したのかもしれません。。
孫と次男が相次いで亡くなる・・・
そんな悲しみも乗り越えて祖父は生きてきました。
101年間。
辛いことも多かったでしょうが
喜びもまた多かったに違いないと信じています。

従姉妹達の嫁ぎ先も遠くないため
何かと世話を焼いてくれていたようです。
百歳のお祝いでも常に従姉妹が寄り添っていました。
家で世話は出来なかったけれど伯父夫婦や
叔父叔母も代わる代わる見舞っていたはず。
きっと幸せだったろうな、と思います。

特に悪いところもなく、痛いとか苦しいとか
そんな辛さも少なかったのではないでしょうか。
そう思えることは、残された者にとっても
とても有難く幸せなことです。
畳の上で、は無理でしたが・・・それでも
羨ましいくらいの最期ですよね。。

もちろん祖父自身も健康に気をつけて
寝たきりにならぬよう頑張りました。
骨折後も懸命にリハビリをして
退院間近までいったのに、病院でも転んで
そのまま家に帰れなくなったのでした。
初めのうちは帰りたがっていた祖父も
次第に病院の方が楽だと思うようになり
帰ると言わなくなったそうです。
さすがに気力が続かなかったのでしょうか。


おじいちゃん、精一杯頑張って生きたね。
お疲れさま。。
どうか、安らかに眠って・・・。
天国でお父さんによろしく。。