ニュージーランド移住記録:日記「さいらん日和」

2004年に香港からニュージーランドに移住した西蘭(さいらん)一家。子育て終了、仕事もリタイア。好きに生きる記録です。

ピッピ二周忌

2009-09-18 | ペット・動植物
愛して止まない愛猫ピッピが旅立ってから今日で2年。
早かったような、長かったような、なんとも記憶のおぼつかない2年間。

一周忌のブログを読み返すと、生傷が完全には癒えていないのを感じますが、あの頃と比べると、今はすっかり落ち着いています。それは、
ピッピの記憶が薄れた
のではなく、
ピッピの姿が見えないことに慣れた
のだという気がします。


パソコンの壁紙はピッピなので、
朝パソコンを立ち上げれば、
「ピッピ、おはよ
夜パソコンを落とせば、
「ピッピ、おやすみ

パソコンの中だけでなく、仕事部屋にも寝室にも写真があり、
「やーねー、そんなとこで四角くかしこまっちゃって 」
とニヤニヤしつつ声をかける日々。

写真のピッピも、
「ふん。しょーがないだろ。ほっとけよ」 
と言わんばかり。
つまり、ピッピはいまだにワタクシの生活の一部として一緒にいます。

最初のうちこそ、姿が見えない、抱っこできない、声が聞こえない、外から帰ってこない、と言っては泣いて過ごしていましたが、そうした
「ナイナイ尽くし」には慣れました。

今はもっと大きな意味でピッピを感じられるようになり、チャッチャが1匹で寝ているのを見て不憫に感じることがあっても、その姿に涙することはなくなりました。
(ただ、どうしても満月に近い月を見ると、この記事のようにピッピを失ったときのことを思い出して目頭が熱くなります)

ピッピはいる
そう感じられることで、姿が見えないことの辛さよりももっと豊かで大きなものを学んだように思います。いつかチャッチャが逝ってしまっても、きっと同じように感じることができるでしょうし、人間同士でも同じなのではないかと信じられるようになりました。

映画「おくりびと」の台詞の通り、
死は門
なのでしょうね。

門をくぐり魂だけの存在になっても、それは消滅を意味せず、むしろ永遠の証明。魂はどこかの高みにでも昇華しない限り、
何度も門を行ったり来たりしている―――
と、今では心の底から信じられるようになりました。

特にピッピはチャッチャがいるせいか、しょっちゅう門から抜け出して帰ってきているような・・・・・´艸`
(そういうところは抜け目ないから。ねぇ、ピッピ?)

とはいえ、命日の今日で鬼月も終わり、正式な長逗留はおしまいです。
まずはお土産を背負って帰って、また出直して来てね、ピッピ。



【ピッピとチャッチャのプチ写真館】

2004年。
NZに来て1ヶ月の検疫所生活を終えて、いざ家に。

初めての場所に2匹ともテレビの後に逃げ込んでビクビクビクビク・・・・・・



やっと出てきてソファーでぐったり。
野良猫に間違われないように首輪をしていましたが、
賢いピッピは自分で外してしまい、チャッチャはかぶれてしまい

どっちも早々に断念。



チャッチャが大好きな夫の必殺技
『高速肉球マッサージ』
夫の手のブレ具合に“高速さ”が出てます。

うっとり~のチャッチャ。


ぜんぜんエンジョイしてないピッピ。
しらぁぁぁ~~




「降ろしてくれよぉ。」
と爪を出して嫌がるピッピ。
 
ひつこくやりたがる夫。 
どっちも「学ばないヤツら」でした。

カメラが大キライだったピッピ。
渋々ながらもカメラ目線の貴重な一枚。
(かなり怒ってマス)





ガン再発の発覚直後。
亡くなる4ヶ月前。
玄関先で2匹並んでまったり。







         

                              亡くなる2ヶ月前。

だいぶガンが大きくなり、いつもいつもチャッチャが寄り添っていました。ピッピは首のガンの部分を伸ばしていると寝やすかったようで(少しでも喉が詰まらないように)、この写真のチャッチャはガンを枕に寝ています。

最期までこんなに穏やかで幸せな光景が続きました。
 
苦しまなかったのは本当になによりでした。


今ではチャッチャが1匹で玄関先に。
その横にはきっとピッピが寄り添っているのでしょう。