一粒のタイル2

平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。(マタイ5:9)

テサロニケとベレヤの好対照(2017.9.10 礼拝)

2017-09-11 15:11:32 | 礼拝メッセージ
2017年9月10日礼拝メッセージ
『テサロニケとベレヤの好対照』
【使徒17:1~12】

はじめに
 きょうから使徒17章の学びに入って行きます。
 始めに地図を見ておきましょう。パウロたちは16章まではピリピの町にいました。そして17章に入ってテサロニケに行き、さらにベレヤに移動しました。きょうは、このテサロニケとベレヤの二つの町での出来事を見ます。

テサロニケへ移動したパウロたち
 17章の1節と2節までをお読みします。

17:1 彼らはアムピポリスとアポロニヤを通って、テサロニケへ行った。そこには、ユダヤ人の会堂があった。
17:2 パウロはいつもしているように、会堂に入って行って、三つの安息日にわたり、聖書に基づいて彼らと論じた。

 この17章は、「彼らは」で始まります。従って、ピリピには同行していた記者のルカが、このテサロニケには同行しなかったことがわかります。テサロニケに入ったパウロとシラスたちは、いつもしているようにユダヤ人の会堂に入って行って、聖書に基づいて会堂に集っている人たちと論じました。
 続いて3節と4節、

17:3 そして、キリストは苦しみを受け、死者の中からよみがえらなければならないことを説明し、また論証して、「私があなたがたに伝えているこのイエスこそ、キリストなのです」と言った。
17:4 彼らのうちの幾人かはよくわかって、パウロとシラスに従った。またほかに、神を敬うギリシヤ人が大ぜいおり、貴婦人たちも少なくなかった。

 4節にあるようにパウロとシラスに従う者たちがいました。こうしてテサロニケにも教会が形成されました。ここでテサロニケ人への手紙第一をご一緒に読みましょう。

1:1 パウロ、シルワノ、テモテから、父なる神および主イエス・キリストにあるテサロニケ人の教会へ。恵みと平安があなたがたの上にありますように。

 シルワノというのはシラスのことです。テモテはこの第二次伝道旅行に始めからずっと同行していました。続いて、2章の1節と2節を交代で読みましょう。

2:1 兄弟たち。あなたがたが知っているとおり、私たちがあなたがたのところに行ったことは、むだではありませんでした。
2:2 ご承知のように、私たちはまずピリピで苦しみに会い、はずかしめを受けたのですが、私たちの神によって、激しい苦闘の中でも大胆に神の福音をあなたがたに語りました。

 パウロたちは、まずピリピで苦しみに会い、はずかしめを受けました。これは先週学んだ箇所のことですね。パウロは、占いの霊に憑かれた女から、その霊を追い出しました。それで女の主人たちは占いによってお金を儲ける望みがなくなったのに怒ってパウロとシラスを役人たちに訴えました。それで二人はムチに打たれて牢屋に入れられてしまいました。

テサロニケのユダヤ人たちが起こした騒動
 パウロがこのテサロニケ人への手紙の中でピリピでの苦しみに言及したのは、テサロニケでもまた大変な目に遭ったからであると思われます。使徒の働き17章に戻ります。テサロニケの町でパウロの話を聞いた人がイエスを信じる信仰に入ったことは、ユダヤ人のねたみを引き起こしました。5節と6節をお読みします。

17:5 ところが、ねたみにかられたユダヤ人は、町のならず者をかり集め、暴動を起こして町を騒がせ、またヤソンの家を襲い、ふたりを人々の前に引き出そうとして捜した。
17:6 しかし、見つからないので、ヤソンと兄弟たちの幾人かを、町の役人たちのところへひっぱって行き、大声でこう言った。「世界中を騒がせて来た者たちが、ここにも入り込んでいます。

 ねたみにかられたユダヤ人は町のならず者をかり集めて暴動を起こしたとありますから、神を敬う人ではありませんでした。このような者たちは、そもそもパウロの言葉に耳を傾けようという気はありません。このような態度は、後で見るベレヤの町の人々とはまったく異なります。
 彼らはヤソンの家を襲いました。ヤソンという人物の詳細はわかりませんが、テサロニケにいた者でした。そして、大声でこう言いました。「世界中を騒がせて来た者たちが、ここにも入り込んでいます」
 こうして見ると、この騒ぎを起こした者たちは、かつてのパウロと同じようにも見えます。パウロがまだサウロと呼ばれていた時、同じようにキリスト者を捕らえて、ひどい目に遭わせていました。ただし7節以降を見るとサウロとは違うように見えます。

17:7 それをヤソンが家に迎え入れたのです。彼らはみな、イエスという別の王がいると言って、カイザルの詔勅にそむく行いをしているのです。」

 サウロの場合はカイザルの権威を持ち出すことはなかったはずです。サウロは自身の聖書の理解に基づいてイエスの弟子たちを迫害していました。しかし、このテサロニケで騒ぎを起こしたユダヤ人は聖書からは離れていたことが伺えます。それは次のことからもわかります。
 続いて8節と9節、

17:8 こうして、それを聞いた群衆と町の役人たちとを不安に陥れた。
17:9 彼らは、ヤソンとそのほかの者たちから保証金を取ったうえで釈放した。

 彼らが騒ぎを起こしたのは金目当てだったようにも見えます。とにかくひどい連中でした。

信仰に入ったベレヤの人々
 さてパウロとシラスはテサロニケからベレヤに移動しました。10節、

17:10 兄弟たちは、すぐさま、夜のうちにパウロとシラスをベレヤへ送り出した。ふたりはそこに着くと、ユダヤ人の会堂に入って行った。

 ここでもまたパウロとシラスはユダヤ人の会堂に行きました。11節と12節、

17:11 ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。
17:12 そのため、彼らのうちの多くの者が信仰に入った。その中にはギリシヤの貴婦人や男子も少なくなかった。

 この11節と12節の記述は興味深いですね。ベレヤのユダヤ人はテサロニケのユダヤ人とはまったく異なり、非常に熱心にみことばを聞き、さらに聖書を調べてパウロの言うことがその通りなのかを調べました。そうして多くの者が信仰に入りました。
 きょう見たテサロニケのユダヤ人とベレヤのユダヤ人の違いは、信仰のあるべき姿を分かりやすく示していると思います。テサロニケのユダヤ人はパウロのことばに耳を傾けもせず聖書を調べもせず、ただ単に騒ぎを起こして、しかも金まで得ました。一方のベレヤの人はみことばに耳を傾け、聖書を調べました。ここから神との対話が始まります。ベレヤ人たちは神と対話し、神の招きに応じました。信仰とは、神の招きに応ずることだとも言えます。
 ヨハネの福音書のイエスさまの第一声は「あなたがたは何を求めているのですか」(ヨハネ1:38)であり、第二声は「来なさい。そうすればわかります」(ヨハネ1:39)だということを、これまで繰り返し話して来ました。イエスさまの招きの言葉に応答するものが信仰に導かれます。ベレヤ人たちは、このようにイエスさまの招きに応じました。
 このベレヤの町の人々には、霊的な事への餓え渇きがあったのだろうと思います。何か心に満たされない空しさがあり、その空しさを埋めてくれるものを求めていたのではないかと思います。

おわりに
 先週の水曜日の祈祷会では旧約聖書の伝道者の書を開きました。最後に、きょうも伝道者の書の1章をご一緒に読みたいと思います(旧約聖書p.1102)。1節から9節までを交代で読みましょう。

1:1 エルサレムでの王、ダビデの子、伝道者のことば。
1:2 空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。
1:3 日の下で、どんなに労苦しても、それが人に何の益になろう。
1:4 一つの時代は去り、次の時代が来る。しかし地はいつまでも変わらない。
1:5 日は上り、日は沈み、またもとの上る所に帰って行く。
1:6 風は南に吹き、巡って北に吹く。巡り巡って風は吹く。しかし、その巡る道に風は帰る。
1:7 川はみな海に流れ込むが、海は満ちることがない。川は流れ込む所に、また流れる。
1:8 すべての事はものうい。人は語ることさえできない。目は見て飽きることもなく、耳は聞いて満ち足りることもない。
1:9 昔あったものは、これからもあり、昔起こったことは、これからも起こる。日の下には新しいものは一つもない。

 旧約の時代には、聖霊が一部の預言者たちにしか注がれませんでした。聖霊を受けていなければ心に空しさが生じるのは仕方のないことです。聖霊だけが私たちの心の空しさを埋めてくれます。
 ベレヤの町の人々は、きっと伝道者の書の記者のような心の空しさを感じていたのだと思います。それゆえパウロが語るみことばに耳を傾け、聖書を調べ、そうしてイエス・キリストを信じて聖霊を受けることができたのだと思います。
 私たちの周囲にも、心の空しさを抱えたままで日々を過ごしている方々がたくさんいます。これらの人々に福音を宣べ伝えて、聖霊を受けることができるように導いて差し上げたいと思います。そのような働きができますように、お祈りいたしましょう。

17:11 ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。
17:12 そのため、彼らのうちの多くの者が信仰に入った。その中にはギリシヤの貴婦人や男子も少なくなかった。
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