平和への道

私の兄弟、友のために、さあ私は言おう。「あなたのうちに平和があるように。」(詩篇122:8)

X線的聖霊論(2015.9.30 祈り会)

2015-10-01 13:13:51 | 祈り会メッセージ
2015年9月30日祈り会説教
『X線的聖霊論 ~聖霊による人心と聖書の透視』
【ガラテヤ5:18-23、ヨハネ8:25-30】

はじめに
 きょうのメッセージのタイトルは「X線的聖霊論」で、サブタイトルは「聖霊による人心と聖書の透視」です。
 「X線的聖霊論」などと言うと、私がまたしても変なことを言い始めたと思われるかもしれませんね。しかしこれは、私の霊的な目に見えていることを、何とかして皆さんと分かち合いたいという私の強い願いによって様々に模索している中の一環ですから、ご容赦願いたいと思います。試行錯誤で模索していますから、ダメなら取り下げて、また別のことを考えますが、今度の例えはかなり良い線を行っているのではないかという気がしています。とは言え、かなり良い線と感じるのはいつものことであり、自分ではかなり良いと思ってもあまり理解されないのが常ですから、今度もどうなるかはわかりません。しかしこれまでの繰り返しで少しずつ前進している気がしますので、どうか忍耐をもってお付き合い願いたいと思います。

人心の透視
 今回の例えは、聖霊をX線に例えるものです。ご承知のようにX線は透過力が強いので、人体や物質の内部を透視して見るのに利用されています。特に医療の分野においては、胸部のレントゲン撮影やCTスキャンなどでガン等の病変の発見に役立っています。そうしてガンを早期に発見できれば治療によって命を救うことができますから、人の命を救うこと、すなわち「救命」に役立っています。
 一方、聖霊は人の魂を救うこと、すなわち「救霊」の役に立ちます(魂を救うのですから「救魂」なのかもしれませんが、「救霊」という言葉が使われます)。聖霊にはいろいろな働きがありますが、今回は人の心の中や聖書の中を透視する働きを指摘したいと思います。
 まず、分かりやすい例としてガラテヤ5章の「御霊の実」の箇所を挙げたいと思います。ガラテヤ5章の18節から23節までを交代で読みましょう。

5:18 しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。
5:19 肉の行いは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、
5:20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、
5:21 ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。
5:22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
5:23 柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。

 胸部のレントゲン撮影では病変があると影が写ります。そして人の心を聖霊のX線で透視した時に、もし19節から21節に掛けて書いてあるような汚いものが心の中にあるなら、これらが写ることになります。その反対に22節から23節のような御霊の実ができているなら、これらの実が写ります。或いは、御霊の実を持つことはイエスさまのような心を持つことでもありますから、心の中にイエスさまがいるのが写るとも言えるでしょう。

エリヤとエリシャの中にいる霊的イエス
 また聖霊には人の心だけでなく、聖書も透視して見せる働きがあります。聖書の表面の字面だけ見ていてもわからないことが、聖霊の光で透視するなら中身の深い部分が見えて来ます。例えば旧約の時代の預言者の中には霊的なイエスさまがいることが透けて見えて来ます。このことをヨハネの福音書が教えていることは、これまで話して来た通りです。
 例えば、ヨハネ4章でイエスさまがサマリヤの女に水を所望している場面(ヨハネ4:7)では、旧約の時代のやもめに水を所望している預言者エリヤ(Ⅰ列王17:10)の中に霊的なイエスさまがいることが透けて見えます。また、ヨハネ6章の「五千人の給食」の場面では、パン20個と新穀1袋で百人を賄った預言者エリシャ(Ⅱ列王4:42-44)の中には霊的なイエスさまがいることが透けて見えます。旧約の預言者たちには聖霊が注がれていましたから、三位一体の神であるイエスさまもまた預言者の中にいます。
 旧約の預言者の中にはイエスさまがいたということは、ヨハネ8章のイエスさまの言葉からも伺い知ることができます。今度はヨハネ8章の25節から27節までを交代で読みましょう。

8:25 そこで、彼らはイエスに言った。「あなたはだれですか。」イエスは言われた。「それは初めからわたしがあなたがたに話そうとしていることです。
8:26 わたしには、あなたがたについて言うべきこと、さばくべきことがたくさんあります。しかし、わたしを遣わした方は真実であって、わたしはその方から聞いたことをそのまま世に告げるのです。」
8:27 彼らは、イエスが父のことを語っておられたことを悟らなかった。

 イエスさまは26節で、「わたしはその方から聞いたことをそのまま世に告げるのです」と言っています。「その方」とは父のことですから、イエスさまは御父から聞いたことをそのまま世に告げています。旧約の預言者も父のことばをそのまま世に告げていますから、預言者の預言はイエスさまが話しているのと同じことだと言えます。例えばエレミヤ書には「主の御告げ」という言葉が繰り返し出て来ます。ですからエレミヤによる預言は、イエスさまが話しているのと同じことです。これが聖霊のX線を聖書に当てると見えて来ることです。

エレミヤの中にいる霊的イエス
 エレミヤ23章を開いて下さい。1節から6節までを交代で読みましょう。ここで注目したいのは「牧者」という言葉です。この「牧者」という言葉は、ヨハネの福音書ではヨハネ10章でイエスさまが「わたしは良い牧者です」という時に使っています。後でヨハネ10章も開きますが、まずエレミヤ23章の1節から6節までを交代で読みましょう。ここには先ず「悪い牧者」のことが書いてあり、次いで「良い牧者」のことが書いてあります。

23:1 「ああ。わたしの牧場の群れを滅ぼし散らす牧者たち。──【主】の御告げ──」
23:2 それゆえ、イスラエルの神、【主】は、この民を牧する牧者たちについて、こう仰せられる。「あなたがたは、わたしの群れを散らし、これを追い散らして顧みなかった。見よ。わたしは、あなたがたの悪い行いを罰する。──【主】の御告げ──
23:3 しかし、わたしは、わたしの群れの残りの者を、わたしが追い散らしたすべての国から集め、もとの牧場に帰らせる。彼らは多くの子を生んでふえよう。
23:4 わたしは彼らの上に牧者たちを立て、彼らを牧させる。彼らは二度と恐れることなく、おののくことなく、失われることもない。──【主】の御告げ──
23:5 見よ。その日が来る。──【主】の御告げ──その日、わたしは、ダビデに一つの正しい若枝を起こす。彼は王となって治め、栄えて、この国に公義と正義を行う。
23:6 その日、ユダは救われ、イスラエルは安らかに住む。その王の名は、『【主】は私たちの正義』と呼ばれよう。

 このようにエレミヤは「主の御告げ」という言葉を繰り返し使い、悪い牧者と良い牧者について預言しました。このエレミヤの中にはイエスさまがいました。そして、そのことはヨハネ10章の記述からも透けて見えます。ヨハネ10章の10節から14節までを交代で読みましょう。

10:10 盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。
10:11 わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。
10:12 牧者でなく、また、羊の所有者でない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして、逃げて行きます。それで、狼は羊を奪い、また散らすのです。
10:13 それは、彼が雇い人であって、羊のことを心にかけていないからです。
10:14 わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。また、わたしのものは、わたしを知っています。

 このヨハネ10章は、預言者エレミヤの中には霊的なイエスさまがいて「主の御告げ」の預言をしていたことを教えてくれています。

エゼキエルとハガイの中にいる霊的イエス
 そうして、これまで何度も繰り返し話していますが、ヨハネ10章40節でイエスさまがヨルダン川を渡った箇所は滅亡寸前のエルサレムから人々が捕囚としてバビロンに引かれて行ったことと重ねられています。ですから、捕囚として人々と共に引かれて行った預言者エゼキエルの中に霊的なイエスさまがいたことが透けて見えます。そしてヨハネ11章の死んだラザロは滅亡したエルサレムのことであり、イエスさまが再びユダヤに戻ってラザロをよみがえらせた箇所は、捕囚から帰還した人々を励ましてエルサレムの神殿の再建を促した預言者ハガイの中に、イエスさまがいたことを示しています。

私たちの中にもいる霊的イエス
 このように聖霊が注がれた預言者たちの中にはイエスさまがいたことを、聖霊のX線は透けて見えるようにしてくれています。そしてイエスさまを信じて聖霊が注がれた私たちの中にもイエスさまがいます。ただし私たちの中にまだ多くの汚いもの、すなわち、不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興がまだまだ残っているなら、私たちの中にいるイエスさまの姿が透けて見えることはないでしょう。
 しかし私たちの心を聖霊に明け渡してきよめていただくなら私たちの中に御霊の実、すなわち愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制が形成されて、私たちの中にイエスさまがいることが透けて見えるようになって来ます。

おわりに
 X線には人の体を透過する力があることを用いて人の命が救われているように、私たちは聖霊の力をもっと良く理解して、救霊の働きに用いられたいと思います。そのために聖霊について、もっと良く理解できるようになりたいと思います。そうして、この教会の救霊の働きが進むなら、神様は私たちの教会をますます祝福して下さるでしょう。
 そのために、お祈りしたいと思います。
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