『神様はバリにいる』(2015年/李闘士男監督)を見た。
物語は、「照川祥子(尾野真千子)はビジネスの失敗で抱えた借金を苦にし、自殺するためにインドネシアのバリ島へとやって来たが、リュウ(玉木宏)に"自殺するなら他の場所を探してくれ"と言われる。その岬を含む地域一帯はリゾート開発予定地なので迷惑だというのだ。妙な邪魔が入って気が削がれた祥子は、連れていかれた場所のプールサイドで、やくざな風貌のとにかく破天荒な超大富豪、"アニキ"(堤真一)に出会わされる。ワインで泥酔し、ベッドで目覚めた朝、人生をやり直したいと願うに至った祥子は、アニキのもとで成功の秘訣をマスターするための人生哲学を学ぶことに決めたのだが・・・」という内容。
自殺を考えるに至った祥子の借金は、アニキのそのゲストハウスに置かれている盆栽や銅鑼よりも安いのだという。
将来への希望をまったく持てなくなったということが自殺を考えるに至った理由であるのだろうが、そもそもの原因は、やはりその借金の額なのだろうから、人によっては「何それ!?」ということなのだろう。
首からメモ帳とペンをぶら下げて、アニキと行動を共にさせてもらっている祥子は、その都度アニキの"金言格言"をメモしていく。
「悲壮感が縁を逃す」、「世間の常識を徹底的に疑え」、「ダジャレは新しい発想を生む」、「感謝の達人になれ」、「失敗した時こそ笑え」など、アニキの言葉はとにかく前向きで、疫病神を寄せ付けないようにというアニキのその思考にもなかなか馴染むことができない祥子。
「偉そうにウンチク語ってたって個人の会社は成り立たない」と、とにかくアニキの教えが理解できず、「会社を潰したのはまわりのせいだ」とまで言い切る。
キッカケを掴むにはそのための更なるキッカケも必要なのか。
「さわやかさがない」と何度も言われる祥子には長い道のりなのかもしれないが、アニキとの濃い人間関係の中で理解できるようになるのか。
実話を基にしているというナカナカに興味深い内容の作品だった。
物語は、「照川祥子(尾野真千子)はビジネスの失敗で抱えた借金を苦にし、自殺するためにインドネシアのバリ島へとやって来たが、リュウ(玉木宏)に"自殺するなら他の場所を探してくれ"と言われる。その岬を含む地域一帯はリゾート開発予定地なので迷惑だというのだ。妙な邪魔が入って気が削がれた祥子は、連れていかれた場所のプールサイドで、やくざな風貌のとにかく破天荒な超大富豪、"アニキ"(堤真一)に出会わされる。ワインで泥酔し、ベッドで目覚めた朝、人生をやり直したいと願うに至った祥子は、アニキのもとで成功の秘訣をマスターするための人生哲学を学ぶことに決めたのだが・・・」という内容。
自殺を考えるに至った祥子の借金は、アニキのそのゲストハウスに置かれている盆栽や銅鑼よりも安いのだという。
将来への希望をまったく持てなくなったということが自殺を考えるに至った理由であるのだろうが、そもそもの原因は、やはりその借金の額なのだろうから、人によっては「何それ!?」ということなのだろう。
首からメモ帳とペンをぶら下げて、アニキと行動を共にさせてもらっている祥子は、その都度アニキの"金言格言"をメモしていく。
「悲壮感が縁を逃す」、「世間の常識を徹底的に疑え」、「ダジャレは新しい発想を生む」、「感謝の達人になれ」、「失敗した時こそ笑え」など、アニキの言葉はとにかく前向きで、疫病神を寄せ付けないようにというアニキのその思考にもなかなか馴染むことができない祥子。
「偉そうにウンチク語ってたって個人の会社は成り立たない」と、とにかくアニキの教えが理解できず、「会社を潰したのはまわりのせいだ」とまで言い切る。
キッカケを掴むにはそのための更なるキッカケも必要なのか。
「さわやかさがない」と何度も言われる祥子には長い道のりなのかもしれないが、アニキとの濃い人間関係の中で理解できるようになるのか。
実話を基にしているというナカナカに興味深い内容の作品だった。