仁左衛門日記

The Diary of Nizaemon

天地明察

2017年03月08日 | ムービー
『天地明察』(2012年/滝田洋二郎監督)を見た。
物語は、「江戸時代。第4代将軍・徳川家綱(染谷将太)の頃。本因坊道悦(尾藤イサオ)、安井算知(きたろう)らと共に将軍に囲碁を教える役目の安井算哲(岡田准一)は、星の観測と算術の設問を解くことが好きな男だった。形ばかりの勝負となった囲碁に次第に疑問を抱き、真剣勝負の場に身を置きたいとの願いを持つようになっていた折、家綱の後見人である会津藩主・保科正之(松本幸四郎)から、近年ズレが目立つようになってきた暦を新しいものに正すという一大事業の任につけられ、建部伝内(笹野高史)、伊藤重孝(岸部一徳)と共に国内各地での星の観測に当たるのだが・・・」という内容。
算哲の理解者である水戸光圀(中井貴一)は、「天下泰平の世は、戦う気概を忘れさせ、ぬくぬくと暮らし、羽ばたく意欲を奪う。それは新しい息吹を消すことだ。このままでは大和は滅んでしまうのぅ」(確かそのような台詞)と言う。
かつて唐の国から輸入したという"宣明暦"を800年間も使っていたというのだから、確かにそのままでは滅びの道をまっしぐらだろう。
(^。^)
唐ではその後、"大統暦"を使い、明の時代になってからは、より正しい"授時暦"が使わているということだったが、大和朝廷は、ズレが生じているのを承知しながらも、明の"授時暦"を採用しようとはしなかった。
暦の管理は朝廷の専権事項であり、また、その管理をすることで利権にあずかれる者の策略もあって、幕府といえども口出しができなかったらしい。
庶民にとっては"蝕"が1日~2日ずれようとも、さほどの一大事ではなかったのだろうが、「蝕が始まったので本日の公式行事はすべて中止とする」などという人達にとっては、正確な情報を押さえることができず、行事予定が成り立たなくなってきていたのだろう。
「天を相手に真剣勝負」という算哲には、これ以上ない舞台が与えられたわけで、村瀬えん(宮崎あおい)を何年待たせることになろうとも熱中できたわけだ。
待たされるほうはたまったものではなかっただろうが。
(^_^;)
観測台を襲撃から守ろうとして犠牲になった山崎闇斎(白井晃)と、"授時暦"の第一人者でありながらも改暦の事業に関われなかった関孝和(市川猿之助)の2人が少しばかり残念な登場人物だった。