『SOSタイタニック 忘れえぬ夜(原題A Night to Remember)』(1958年/ロイ・ウォード・ベイカー監督/イギリス)を見た。
この映画の原作本『タイタニック号の最期』(ウォルター・ロード著/ちくま文庫)には、「多くの資料と生存者の談話をもとに、その伝説の真相にせまった優れた記録文学」(細野晴臣)との解説があるようだし、映画では「生存者の方々の協力に感謝します」とのコメントがあったので、この映画はかなり真実に近い内容が描かれているのではないかと思った。
作品の時間は1時間58分だが、これにレオナルド・ディカプリオとケイト・ウィンスレットのエピソードを加えると、『タイタニック』(1997年/ジェームズ・キャメロン監督/アメリカ)の長さ(3時間14分)になるのか。
(^_^;)
あの映画では一番近い距離に"カルパチア号"がいたとされていたと思ったが、この映画では、わずか15kmほどの距離に"キャリフォルニア号"がいたものの、見張りと通信士がタイタニック号の遭難信号に気付かなかったとされていた。
両作品ともドキュメント作品ではないのだが、生存者の談話を基にした原作本を基本としている本作のほうに信憑性が感じられるのだった。
物語は、「"タイタニック号"は処女航海中の1912(明治45)年4月14日深夜に北大西洋上で氷山に接触、翌日未明にかけて沈没したという20世紀初頭に建造されたイギリスの豪華客船。犠牲者数は(諸説あるらしいが)乗員乗客合わせて1,513人を数える当時世界最悪の海難事故だった」という事実を踏まえた内容だが、リズ・ルーカス夫人(オナー・ブラックマン)をはじめとする登場人物の多くはおそらく架空の登場人物なのだろう。
結構引き込まれて見てしまったが、当然ながらこの映画は沈没までの約2時間半の様々な人たちを詳しく描こうとしているため、主人公のライトラー航海士(ケネス・モア)についてそれほど深く描かれていなかったような感じもした。
物語自体が悲劇なのだから、彼をヒーローとして描くのには限界があったということか。
また、タイタニック号の出航シーンには、どうやら一部実際の記録フィルムが使われていたようで、隅のほうにそこそこ大きそうな帆船が映っていたのだが、1912年といえば日本でいうと明治45年のこと。
当時最新だっただろう技術と、ふんだんにお金を使った贅沢な装飾を施した巨大な鉄の塊を浮かべたことに慢心して、乗員には緊張感の欠如もあったのだろう。
実際の事故に関して少し調べてみたのだが、氷山情報を提供してくれる他船の電信に対し、客の私信の発信を優先し、「あとにしろ」と打電していたという事実があるらしい。
氷山の情報についてマッタク知らなかったということではなかったようだが、氷山の南下ぐあいを甘く見ていたらしい。
まさに悲劇だ。
この映画の原作本『タイタニック号の最期』(ウォルター・ロード著/ちくま文庫)には、「多くの資料と生存者の談話をもとに、その伝説の真相にせまった優れた記録文学」(細野晴臣)との解説があるようだし、映画では「生存者の方々の協力に感謝します」とのコメントがあったので、この映画はかなり真実に近い内容が描かれているのではないかと思った。
作品の時間は1時間58分だが、これにレオナルド・ディカプリオとケイト・ウィンスレットのエピソードを加えると、『タイタニック』(1997年/ジェームズ・キャメロン監督/アメリカ)の長さ(3時間14分)になるのか。
(^_^;)
あの映画では一番近い距離に"カルパチア号"がいたとされていたと思ったが、この映画では、わずか15kmほどの距離に"キャリフォルニア号"がいたものの、見張りと通信士がタイタニック号の遭難信号に気付かなかったとされていた。
両作品ともドキュメント作品ではないのだが、生存者の談話を基にした原作本を基本としている本作のほうに信憑性が感じられるのだった。
物語は、「"タイタニック号"は処女航海中の1912(明治45)年4月14日深夜に北大西洋上で氷山に接触、翌日未明にかけて沈没したという20世紀初頭に建造されたイギリスの豪華客船。犠牲者数は(諸説あるらしいが)乗員乗客合わせて1,513人を数える当時世界最悪の海難事故だった」という事実を踏まえた内容だが、リズ・ルーカス夫人(オナー・ブラックマン)をはじめとする登場人物の多くはおそらく架空の登場人物なのだろう。
結構引き込まれて見てしまったが、当然ながらこの映画は沈没までの約2時間半の様々な人たちを詳しく描こうとしているため、主人公のライトラー航海士(ケネス・モア)についてそれほど深く描かれていなかったような感じもした。
物語自体が悲劇なのだから、彼をヒーローとして描くのには限界があったということか。
また、タイタニック号の出航シーンには、どうやら一部実際の記録フィルムが使われていたようで、隅のほうにそこそこ大きそうな帆船が映っていたのだが、1912年といえば日本でいうと明治45年のこと。
当時最新だっただろう技術と、ふんだんにお金を使った贅沢な装飾を施した巨大な鉄の塊を浮かべたことに慢心して、乗員には緊張感の欠如もあったのだろう。
実際の事故に関して少し調べてみたのだが、氷山情報を提供してくれる他船の電信に対し、客の私信の発信を優先し、「あとにしろ」と打電していたという事実があるらしい。
氷山の情報についてマッタク知らなかったということではなかったようだが、氷山の南下ぐあいを甘く見ていたらしい。
まさに悲劇だ。