虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

問い方で思考する力が変化する

2012-11-08 12:27:20 | 幼児教育の基本

名古屋で工作のワークショップと勉強会に講師として行ってまいりました。

↑は年中さんの★くんの大作。

『モリコロパーク』なのだそうです。

★くんは頭のなかでさまざまなイメージを膨らますことと、物作りが大好きな

想像力と創造力が豊かな男の子です。

手前にあるのがモノレールで、その奥にあるのがプール、背後にあるのが最大級の観覧車だそうで、

モリコロパークに出かけたときの様子をひとつひとつイメージして作ったそうです。

 

↑は年長さんの男の子の制作風景。

『ゴーカート』なのだそうです。

お友だちが遊んでいます。

ゴーカートのレース場に車を速く動かすために入れていた

発泡スチロールの玉で静電気の実験中です。

ひとつひとつの素材の性質は、とても面白いです。

 

名古屋のワークショップから帰宅する新幹線で、小川洋子さんの『物語の役割』という著書を

読んでいました。小川洋子さんといえば、映画にもなった『博士の愛した数式』の原作を書かれた作家です。

小川洋子さんは、学生の頃を振り返って、

文学の書き方を大学で教えられるのかという批判的な見方もあったようだけど、

私自身は大学の文芸科に進んだことについて、進んでよかった

といったことを書いておられました。

その理由として挙げておられた内容が、わたしが今回のようなワークショップを通して

子どもたちに用意してあげたいなと思っている環境や、レッスンの場で大事にしていることと

重なったので、紹介させてくださいね。

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結局、技術的な問題は本人が独自に習得していかなければならないものですが、

文芸科に身を置いたことでよかったと思うのは、常に傍らに文学があって、

それを尊ぶ雰囲気、環境の中にいられたということです。

それがいまの私にとっての財産です。

 

国家資格がとれるとか、就職に有利だとか、目に見える目的のためだけではなく、

ただ心静かにに物語の世界に向かい合って、そこに立ち現れてくる人々との無言の会話を交わす。

そういう喜びのためだけに時間を使う。

それは尊いことなのだという雰囲気のなかに、少なくとも四年間いられたのが、

私にとっての幸いな経験でした。

           ( 『物語の役割』 小川洋子  ちくまプリマー新書)

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「常に傍らに文学があって、それを尊ぶ雰囲気、環境の中にいられたことが、わたしの財産」

その一言が心に響きました。

 

わたしも、文学ももちろんなのですが、科学にしても、数学にしても、国語にしても、芸術にしても、

教養全般にしても、常に子どもたちの傍らにあって、それを尊ぶ雰囲気

 を創って、子どもたちの将来への夢を育む 環境としたいと願っています。

 

工作のワークショップにしても、手先が器用になるとか、工作の技能がアップするとか、

将来の~に役立つからなんて目的ではなく、

イメージをふくらますこと、自分で考えること、何かを作りだすこと、科学の不思議、素材の面白さ、

仕掛けの楽しさを味わうことを尊ぶ雰囲気、

人と人が協力し合うこと、他の子の作品に感動すること、言葉で表現すること、

自由さや遊び心を尊ぶ環境、

そうした地味なもののなかに、かけがえのないすばらしいものを発見できるような

感受性を育てたいなと思っています。

またそうした場作りをしている親御さんたちの活動をサポートしていきたい

と感じています。

 

 

子ども時代というのは、

自分の心のなかの声、つまり内言が発達していく時期です。

内言というのは、「音声を伴わない自分自身の


ための内的言語で主として思考の道具に用いられる」と

言われています。

サピア・ウォーフの仮説によると、言語はその話者の

世界観の形成に関与する、とされています。

 

わたしも子どもの内言の内容や発達いかんによって、

その子の思考力の幅や質や世界の認識そのものがちがってくると思っています。

なぜ子どもを大人の指示で動かして、競争させて、

強迫的に何かを訓練させることがまずいのかというと、

最も重大な害は、

子どもの内言を失わせること、心の声を陳腐なものにさせること、

内面を雑音だらけにすること……と言えると思います。

 

子どもにできあがっているものを見せて、

「どうしてこれは動くんだと思う?」とたずねると、

「そんなの、~にきまってるじゃん」

「そんなの当たり前じゃん」と馬鹿にしたように、つまらなそうに言い捨てることがあります。

 

でも、大人が問い方をちょっと変えると

同じ子らが、たちまち夢中になって考え始めます。

黙って、見つめる目の真剣さから、

心のなかで、内なる対話が活発に行われているのがわかるときがあります。

 

問い方をちょっと変えるというのは、場合によりけりなのですが……

わたしが上の写真で子どもたちに「動く仕組み」について考えさせているシーンを

例に挙げて説明させていただきますね。

 

子どもたちの前で、「見ててね」と言いながら、

トイレットペーパーの芯を転がして見せます。

「動け、動け」と芯を指さして命令していると、

前方に転がっていきます。

「どうして転がっていくのかな?」とたずねると、

「丸いとこがあるから」とか、「ころころするから」などさまざまな意見がでました。

 

そこで、「それなら、動け動け、ストップ!戻れ~って戻ってくるように

するにはどうしたらいいのかな?」と尋ねると、身を乗り出して

トイレットペーパーの芯をにらみつけて黙っています。

 

芯のひとつに小さな紙を貼って、転がすときには紙を芯の側面にぴったり沿わせて転がすと、

転がるうちに紙が広がって芯は止まり、

戻ってきます。

その時、「動け動け、ストップ!戻れ~」と声をかけて、

手で動きを表現すると、まるでわたしの声や手の動きに従うように動くトイレットペーパーの芯を

手品を見るように見つめる子らは、同時にこの種を見破ろうと必死になって頭を絞ります。

 

次に、芯のなかにビー玉を1個貼り付けたものも転がしてみます。

これも、「動け動けストップ!戻れ~」の指示に従います。

 

そんなとき、子どもは、「どうしてなんだろう?~だからかな?でもちがうみたい?

どうしてだろう?」とそれをすっきりとした言葉で言い当てたくて、

でも簡単そうでも言葉が見つからなくて、

もやもやした思いを抱えた状態で集中しています。

 

トイレットペーパーの芯で「動け、動け、とまれ、もどれ」という動きについて

考えてみる前に、写真のようなひもを広げると上に登っていく仕組みを子どもたちに

見せました。

すると、大人の方々は驚いて、「どうして登るのか」と気にかけていたのですが、

子どもたちは、「なんだ、そんなのひもを引っ張ったから上がるんじゃん」と、

鼻も引っ掛けない様子でした。

コップの底部分の直径と飲み口の直径の違いによって、

物が上下に移動するのですからなかなか面白い仕掛けなのですが、

「最初からできあがっている感じ」や「大人が子どもに決まったひとつの答えを出すのを求めているような雰囲気」が

あったのかもしれません。

こんな風に、いかにも答えを出させるための質問、子どもに知識を与えるための問いかけ、

という雰囲気では、子どもの頭はフリーズしたまま動かないものです。

大人が喜ぶような人工的で完成度が高そうな学習であるほど、

子どもにすれば、「すでに大人がわかっているんなら、

わざわざ自分が考えなくても、大人に正しい答えを教えてもらってから答えればいい」

「他の子ら答えて、間違えたら、自分は間違えなくても正しい答えが言える」と

考えてしまうのかもしれません。

 

疑問を抱くこと、内言を育てること、自分の心のなかで考えを追う楽しみを育てるには、

「教えよう」「知識を与えよう」という大人の押し付けが

ほんの少しでも透けて見えたら、

逆効果にもなってしまいがちです。

 

それなら、どのようにすると、子どもは自分の心のなかに疑問を抱き、

自分と対話し、自分自身で考えを深めていくのでしょう?

 

それには、子どもへの問いかけ方を工夫する必要がありますが、

その前に、普段の親や先生の子どもへの接し方が、

近視眼的でないことが重要だと思っています。

 

大人が子どものアウトプットに注目し過ぎない、

子どもの今を評価し過ぎない、

子どもに自分ができているかどうか、上手か下手かに注目させるような言動をつつしむ、

ことが大切です。

そういう意味で、たとえプールやソロバン教室のようなものでも、

まだ小学校にもあがっていないうちから「○級」に合格したかどうか

といった刺激にさらすことは、とても危険なことだと感じています。

 

なぜかというと、子どもはこの広い世界のなかではとても小さな存在で、

心がいつもまだ知らない広い世界に向かって開かれていなくてはならないのに、

年がら年じゅう、「小さな自分」にばかり注目するように癖付けてしまっては、

金魚蜂のなかの金魚のように、

認識している世界が狭い子になってしまうからです。

 

自分が今、何を上手にできようと、できまいと、

魔法のような不思議さと、たくさんのやってみたいことと、できるようになりたいあこがれと、

人と人が関わる場で新しく生まれてくる物語にどっぷりつかていることができるかどうか

が子どもの将来の伸びしろの大きさを決めるように感じています。

 

自意識過剰になって「小さな自分」にばかり注目するのでなくて、

自然に、今ある世界にいることができて、

そこで、泣いたり、笑ったり、恥ずかしがったり、怒ったり、ぐずぐずしたり、寝ていたり、ふざけていたり、

夢中になっていたり、感動したり、うまくいかなくてイライラしたりすることが、

とても重要だと思っています。

そうした感情が突破口になって、広い世界に対して、将来、出入りすることができるようになる入口が

作られるからです。

 

子どもが知らない価値はたくさんあります。

「なぜ」という疑問は無数にあって、それぞれに対する答えも無数にあります。

「○級」を取得するために必要なものだけが世界を形作っている価値だと

誤解してしまうと、

子どもの周りにどんなにすばらしい価値あるものがあっても、

その子が感じとれるものはごくわずかになってしまいますよね。

↑工作イベントにぜんまい式のおもちゃを分解したものを持っていくと、

手のひらに乗せて、

真剣に見つめている子がいました。

「ぜんまいの動きを使って、何かできないかな?」

とアイデアを募ると、

トンネルをくぐらせるアイデアと、ひげそりのシェーバーを作る案が出ました。

 

素朴に、ただ考えること……

 

それが、たまらなく面白い体験でもあるのです。

 

 

結局、どんな問い方が子どもの思考力を育てるの?

内言を発達させるの?

と疑問を抱えたままの方がいらっしゃるかもしれませんね。

 

私が思うのには、

子どもの感情が揺さぶられるような問い方、

それまであたり前だと思っていたことの思いもかけない側面を発見した時、

つまり「びっくりした」時にちょうどいい

問いを投げかけることだと思っています。

 

問いといっても

必ずしも言葉で問いかけるのではなく、

無言の手助けがそのまま

子どもへの問いである場合もあります。

あえて問わないことが、問いになることもあるでしょうね。

 

感情が揺さぶられるとき、人は本気で考えるものです。

つまり、揉め事のあるところには、

思いっきり知恵を絞る絶好のチャンスがあるということです。

 

問題を解決するために頭を使うのは、国の場合も、

危機に面した時ですよね。

 

子どもたちにしても、自分や友だちが揉めていたり、

何だか心が納得しなくてジレンマに陥ったりするときこそ、

みんなを巻き込んで考えることを楽しむチャンスでもあるのです。

工夫して解決したときには、本当にうれしいし、

解決しないときには、心に残るストーリーが記憶に刻まれますから。

 

今回の工作のワークショップには3歳の内弁慶の女の子☆ちゃんが

参加していました。

☆ちゃんは神経が過敏で繊細で恥ずかしがり屋さん。

反抗期の真っ最中ということも

あって、お友だちと仲良くしたいけれど、近づき過ぎるのは怖いし、

みんなといろいろしたいけど、自分の物を触られるのは嫌だし、

大好きなお友だちは自分の思うように手をつないでくれないしで、

気持ちが高ぶって、

廊下の暗闇に隠れてしまいました。

 

誰にも貸したくないとばかりに

ねんどで作ったお料理と、チーズの箱で作った椅子を抱えています。

 

そこで、わたしは☆ちゃんに、「ここに☆ちゃんのお部屋を作ってあげようか?」と

たずねました。

すると、☆ちゃんは目をキラキラさせてほほえんで、こっくりしました。

 

段ボールを貸してくださる方がいたので、それを立てて壁やドアにすると

素敵なお部屋ができました。

 

すると、うらやましそうに他の子らがぞろぞろ集まってきました。

お友だちが口ぐちに「お家に入れてよ」と懇願しますが、☆ちゃんは「いやー!だめー!」と

断固拒否。

ちょっとお姉ちゃんの◇ちゃんが「ケチはだめ」とばかりにたしなめて、軽く☆ちゃんのおでこを

ペチリとたたきましたが、☆ちゃんは誰も家に入れようとしません。

 

どうしても家に入りたかった●ちゃんが、ワンワン大きな声で泣き始め、

「●ちゃんにもお家を作ってあげよう、ここではどう?これはだめ?」となだめすかしても

泣きやみません。

●ちゃんは、●ちゃんで、自分の家が欲しいのではなくて、

「意地でも誰も入れないぞ」とがんばっている☆ちゃんの感情が

その場にかけている不思議な魔法が魅力なのです。

 

本当に、どうしてこんなに手に入らないものは魅力的なんでしょうね?

 

この後で、激しい「お家に入れて!」「いや!」の争いは、

素敵なドラマを生みました。

というのも、実はそれまで☆ちゃんは、●ちゃんが好きで、仲良くなりたくて、手をつないでもらいたくて

しかたがなかったのです。でも、追いかけ回されて、友だちになって~と迫られると、

逃げたくなるもので、●ちゃんはずっと☆ちゃんを拒否していました。

 

それが、突然、ものすごく魅力的な豪華?(段ボールの壁の……↑の写真のスペースです)な家の持ち主となった

☆ちゃんの株は、この揉め事で一気に急上昇し、

●ちゃんの大泣きの末、☆ちゃんと●ちゃんは仲良さそうに手をつないで

ずっと遊んでいたのです。

 

子どもの思考力を育む問い方、

やっぱりよくわからなかったという方がいらっしゃるかもしれません。

確かに、「問いといっても

必ずしも言葉で問いかけるのではなく、

無言の手助けがそのまま

子どもへの問いである場合もあります」というあたり、

何が言いたいのやら……と。

 

前回、☆ちゃんがその場にいる緊張から暗い廊下に身をひそめてしまった話を

しましたよね。

そうした時のサポートの仕方というか、大人の心のあり様のようなものが、

自分で考える子になるか、自分で考えようとせずに、すぐに他人に頼ったり、すぐにあきらめたり、

すぐにキレたり、大人の指示に従いすぎたりする子になるかを

分ける分岐点となるように感じています。

 

どういうことかというと、

人が頭を使うのは、必要があるときで、

必要があるときというのは、解決したい問題を抱えているときですよね。

動物を箱に閉じ込めたら、一生懸命知恵を絞って出ようとしますよね。

でものんびり餌を食べているときに、いくら「頭を使え」と命令したところで、

考えようとはしないでしょう。

 

子どもにしても同じで、子どもは自分で「あれが欲しい」とか、「お友だちと遊びたい」とか、

「あんなことができるようになりたい」といった欲望を感じて、

すぐにかなえられないとジレンマに陥ります。

葛藤を抱えて、泣いたり、わめいたり、自分の殻に閉じこもったりします。

 

そのひとつひとつの欲望は、ある意味、子どもにとって非常に大事な

成長の起爆剤です。

 

子どもが自分で作りだす

自分の発達をうながすための創造物であり、道具といえるのです。

 

ですから、

大人が葛藤が起こらないように、揉め事がないように

先に手をまわしてしまうとか、

葛藤が起こるやいなや、解決法を提示して

大人が解決してしまうということは、

ママ友の関係維持にはいいことかもしれませんが、

その分、子どもの成長を遅らせてしまうのではないでしょうか。

 

といっても、子どもたちが揉めるがままに放っておいたのでは、

暴力に訴えるようになったり、

友だちと遊ぶのを怖がるようになったり

しかねません。

 

それなら、どのようにサポートすればいいのでしょう?

 

子どもが葛藤を抱えているとき、

大人は子どもが自分たちで解決していく力を尊重しつつ、

次のようなサポートができます。

 

 

◆ 危険のない形で、感情を十分表現させる。子どもの気持ちを受け止める。

 

◆ 新しい別の視点から今起こっている出来事を眺めるヒントを与える。

 

◆ 創造的な解決法をしめす。

 

◆ 子どもが葛藤に陥っている本当の理由を見抜いて、

心から満足できる体験が味わえるようにする。 

 

◆ 子どもが葛藤の末 手にいれようとしている新しい理想的な自分像に気づいておく。

 

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葛藤があるところには、たいてい成長の可能性があります。

 

暗い廊下に隠れてしまった☆ちゃんの行動も、

☆ちゃんが今の状態よりもより成長した自分になりたいという

向上心が潜んでいます。

 

これまではお友だちといっしょの場所でも

☆ちゃんはママとふたりで仲良く遊んでいれば満足だったのです。

 

でも、そうじゃなくなった。

それだけじゃ、イライラする。ママじゃなくて、お友だちと仲良くなりたいって欲望が目覚めてきたのです。

でも、どう振舞ったらいいか

わからないし、何だか怖い。拒否されそうだし、実際、強く拒否されもするから、

先に自分が乱暴に振舞っておく。

でも、それでは少しもお友だちと仲良くなれない。

 

そんな悪循環から抜け出すすべもなくて、

暗い場所に隠れてしまったのでしょう。

 

そうした時に、近くにいた大人が

☆ちゃんと同じ視点で、今起こっている揉め事を鎮めることばかりに

気持ちを集中させて、

「~言いなさい」とか、「仲良くしなさい」とか、「優しくしなさい」と指示して、

納めてしまったのでは、

その出来事が成長には結びつかないかもしれません。

 

今回の工作の集まりは「虹色サークル」という虹色教室通信の読者の方々が作っているサークルなので、

こうした子どもの揉め事にも、親御さんたちは余裕を持って、

見守っておられました。

それで、

◆ 危険のない形で、感情を十分表現させる。子どもの気持ちを受け止める。

 

◆ 新しい別の視点から今起こっている出来事を眺めるヒントを与える。

 

◆ 創造的な解決法をしめす。

という3つは、自然と親御さんたちの間から、子どもを主にした形のアイデアが出て、

「問題が起こった時やイライラを抱えてしまった時、

知恵を絞って、工夫すると、こんな楽しい結果が得られるんだ」と子どもが気づけるような

サポートをしておられました。

たとえば、☆ちゃんのお家に入れてもらえなくて

悔しがっていた子には、戸の隙間を利用して、忍者の密文をやりとりする

新しい遊びを提案していました。

 

ただ、

◆ 子どもが葛藤に陥っている本当の理由を見抜いて、

心から満足できる体験が味わえるようにする。 

 

◆ 子どもが葛藤の末、手にいれようとしている新しい理想的な自分像に気づいておく。

という2つについては、

「やれやれ、揉めてたのがおさまったわ~」とホッとした時点で、次につなげる視点は

持っておられないようでした。

 

そこで、工作後の大人だけの勉強会では、

雑談を交えて、子どもを成長させる環境やサポートについて

親御さんたちとじっくり話し合いました。

 

 また別の機会にこの話題についてもう少しくわしく説明しますね。

 


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1 コメント

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難しいです・・・ (KOYAMA)
2012-11-08 14:40:40
先日は「就学準備レッスン」に参加させていただきましてありがとうございました。

娘の言葉の理解力や発言の拙さを心配するあまり、アウトプットされる言葉にばかりに私の注意がいってしまい、内言をもっと拾ってあげる努力をしていなかったことに気づかされました。

何度も先生が同じようなことをブログで書いてくださっているのにいつのまにか忘れてしまって、また気づくの繰り返しです・・・。

でも、今日娘が保育園から帰ってくるのが楽しみです。
私がもっと想像力を広げて耳を傾ければいつもより色んなことが聞こえてきそうな気がします。

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