ブログとはログの一種ですので、昨日の記録的な地震のことを残しておこうと思います。
最初の14:46の最大震度7の地震の時、我が家のエリア(東京某市)は震度5-でした。
その時刻、私は入間の会社で仕事中でした。初め細かく速い縦揺れが次第に大きくなりやがて地鳴りをあげて非常に大きな横揺れに変わりました。自分の人生経験で一番大きな揺れでした。木造の工場が激しく暴れ、作業は当然中止。ここでこのすごい揺れなんだから震源地の方はどれだけ凄まじかったのだろうかと思います。
その後しばらくはテレビで報道をチェックしてました。
逃げ走る車を次々と後ろから津波が飲み込んで行くというあまりに悲惨な実況ヘリ中継には恐怖心というより、見ている自分にはどうにもできない無力感・無情感を覚えました。
昨日は納期に充分余裕がある作業だったこともあり早々に仕事を切り上げて帰ることに。私は自動車通勤であるため無事帰ることができました。大渋滞でいつもの倍の時間がかかりましたが、鉄道が止まり都心から帰ることができない人たちに比べればましです。我が家は新宿からまっすぐ伸びる幹線道路の脇にあるのですが、ふだん人通りの少ない夜の歩道はまるで通勤ラッシュ時のように大勢のサラリーマンとOLが一様に疲れ果てた表情で続々と歩いて通過していきました。濁水が出たので飲料水を買いに行こうと一時表に出ましたが、道沿いのいくつかのコンビニでは砂漠のオアシスのごとく徒歩で帰る人々が休憩し、ごったがえしていました。水はもちろん売り切れでした。
被災された方には心よりお見舞い申し上げます。
ここからは家の様子の記録。うんと軽いほうでしょう。東京なんぞ被害は無いに等しいです。
まず玄関。オブジェ的に飾っていたガラスのボトル類が粉々に。気をつけて家に入りました。さすがに震度5-ともなると上の物は下に落ち、陶磁器やガラス製品は家中のどの部屋でも砕け散っていました。ただ不思議なことに、CDラックやトールボーイ型スピーカーはなぜか倒れませんでした。
食器棚がやられました。こんなに動くのかと驚きました。この他にも家中の扉のついた家具類は開いて中身が出てました。扉が開かないようになっていたらダメージは少なかったと思います。キャスターのついた台に載せていた電子レンジ等は大きく移動してました。
水道からは濁水が出て困りました。
首吊りスタンドのNS-2だけがまるで生存者のようにぽつんと立っていたのを見た時は一瞬ほっとしたのですが、
よく見ると落下物が当たっていたようで、
傷が…
しかし東北の被害を見ればこんな程度で悲しんでいる場合ではありません。
お向かいさんの瓦屋根もたいへんなことになってました…。
地震はまだまだ続いて、そこそこ大きな揺れが今も時々あります。
今後は福島の原子力発電所がとても気になります。あれやばいんじゃないでしょうか?
お陰様で家は、特になにもなかったようです。
会社のエレベータがとまってましたので、
非常階段13Fまで上っておりましたが、
ところどころ壁が崩れているところがあり、コンクリートの破片が落ちているのを見ると大変なことであること認識しました。
この経験を活かして今後につなげないといけませんね。
記憶って薄れるけど記録は残る。
さて、PC消そう。
ご無事で何よりでした。
私は本屋さんで、もろ本が私に向かって崩れ落ちてくるという・・・恐ろしかったです
ただ、家があるだけ私は幸せなのかな?と思います。
原発・・・大丈夫なのでしょうか?
心配です
おっしゃるとおりですね。今回は地震もすごかったけど建物倒壊数は阪神大震災の教訓が活きてたように思えます。ところが教訓のない津波と原発でしょ。現在手遅れですが、以後、津波が来ても被害の少ない海沿いの街のあり方や、大地震ぐらいでイカレないタフな安全対策を講じた原発づくりに役立てなければ、今回の尊い犠牲がうかばれませんね。
※殿
そう、忘れるんですよね。自分のブログも後々振り返るとまさに戒めになっていることが多いです。つぶやきじゃこうはいかない。
高い所にワレモノ置くのはもうやめよう。ギタースタンドの配置ももうちょっと考えねば。
chieさん
お!お元気ですか?そちらこそご無事で嬉しく思います。本屋とはまたえらい所で直面しましたね。危ない所でしたね。
津波跡の惨状を見ると本当に、どんなに物が散乱しても家があるだけで幸せだと思います。
原発についてはだんだん最悪のシナリオを辿っているように思えて非常に心配ですね。政府、原子力安全保安院や東京電力からの情報が嘘臭く、その対応がまどろっこしくて歯がゆいです。第二のスリーマイルかチェルノブイリが迫っているというのに!
しかしまぁ…
こんな時にたよりない民主って…
こんな時も政局にらんで国会に協調しない自民公明って…
私もPC消そう。節電に協力しましょう。
今回被害に直面した三陸地方は、日本で唯一
津波対策をしてた町だったらしいです。
約50年前、津波の経験をして以来対策を講じて
津波対策の町づくりをしてたらしいです。
想定外それ以上だったらしいです。
自然の前には人間は何もできないのですかね。
人間の常識を覆してしまうんですよね。
恐ろしいです
地震発生当時、小学校にいましたが
岐阜でもそこそこ揺れました。
今後もお気を付けください
そうなんだ、しっかり対策を練っていた地方なのに…
なんとやるせない話でしょう。
nikki_crue_sixxさん
ご心配をかけしてすみません。お気持ちとてもありがたいです。こちら被害はほとんどありません。
我々無事な地方の者はみんなで力を合わせて被災地を援助してまいりましょう。