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手をつないで2時間ずっと語り合う  北に置いてきた二人の娘に会った母親は  老病でも娘たちの顔すぐに分かる 

2018-08-21 | 板門店宣言を次々実行

「サンチョル!」生き別れから67年ぶりに母は息子を抱きしめた

登録:2018-08-21 06:09 修正:2018-08-21 07:34

南北離散家族再会の初日 
すでに亡くなった夫の写真に涙 
手をつないで2時間ずっと語り合う 
北に置いてきた二人の娘に会った母親は 
老病でも娘たちの顔すぐに分かる 
「アイゴ」頬ずりしながら嗚咽

20日、金剛山ホテルで開かれた第21回南北離散家族再会行事で、南側のイ・グムソムさん(92)が避難途中で別れた当時4歳だった北側の息子、リ・サンチョルさん(71)と67年ぶりに会って抱きしめている=金剛山/写真共同取材団//ハンギョレ新聞社

 母親は67年前に避難の途中ではぐれた息子をぐっと抱き寄せた。「サンチョル!」数十年間忘れられなかったその名前を、何回も呼んだ。

 20日、金剛山で開かれた第21回離散家族再会事業でイ・グムソムさん(92)は、北側から来た息子のリ・サンチョルさん(71)の顔を撫でながら嗚咽した。彼女は朝鮮戦闘当時、避難途中で夫や4歳の息子とはぐれた。「お父さんです、お母さん」。サンチョルさんが生前の父親の写真を見せながら、こう言った。息子は、南北のように分断された両親の人生を無念に思ったか、涙を堪えられなかった。「子どもは何人いるの?」90代の老母は、これまで胸に納めてきた疑問を速射砲のように次々と吐き出した。2人は手を握り締めて積もる話をしていた。無情な時間が光のように流れた。

 催し初日のこの日、韓国側訪問団89家族197人が金剛山を訪れた。百寿を目前に控えたハン・シンジャさん(99)は、北に残してきた二人の娘、キム・キョンシルさん(72)とキョンヨンさん(71)に会った。北朝鮮から来た二人の姉妹は母が近づいてくると、腰を90度曲げて挨拶してから、涙をこぼした。言葉を詰まらせたハンさんが「アイゴ…」とうめき声を漏らした。戦争当時、ハンさんは生まれたばかりの末娘だけを負ぶって避難した。当時15歳と14歳だった姉妹はそれぞれ叔母の家と実家に預けた。2、3カ月で帰って来られると思っていた。子供たちを孤児にしたという自責の念に、数えきれないほどの眠れない日々を過ごした。老病で耳がよく聞こえなくなってから10年が過ぎており、白内障のせいで目もかすむ。それでも二人の娘の声と顔はすぐに分かった。

第21回離散家族再会行事1回目の初日の20日午後、高城の金剛山面会所で開かれた団体再会で、南側のハム・ソンチャンさん(99)が北朝鮮側から来た弟のハム・ドンチャンさん(79)と抱き合って喜んでいる=金剛山/写真共同取材団//ハンギョレ新聞社

 キム・ヘジャさん(76)は北側から来た弟のキム・ウンハさん(75)と話を始めてから5分後にようやく涙をこぼし始めた。「私の弟に間違いない!」。解放後、キムさんは父親と南に、母親は弟と母方の実家に行っていたが、戦争が起きて生き別れた。弟のウンハさんが亡くなった母親の写真を取り出して見せた。「お母さんに違いない、アイゴー、お父さん!」。キム・ヘジャさんは1983年にKBS(韓国放送)の離散家族捜索生放送をした時も、立て札を持って家族を探そうとしたことがある。「73年ぶりだよ、解放の時に別れたから。ああ、本当に嬉しい。もしかしたら違うかもしれないと心配していたけど、間違いない!」

 「ふろしき包みを背負って学校に通うときに」別れた南側のキム・ビョンオさん(88)と北側の妹キム・スノクさん(81)は、元教師と医師となって再会した。「再会が決まった日からほとんど眠れなかった」と兄は言った。「兄さん、これは私が医大在学当時の写真だよ。私、平壌医大を卒業した女医だよ。平壌で本当に尊敬されて暮らしている。ガスも毎月もらっているし」。妹のスノクさんは65年以上の歳月に追いつこうとするかのように、語り続けた。「妹がこんなに立派になって、本当に光栄に思う。私は30年間高校の先生をして、校長として定年退職してからもう10年だ」。兄妹は互いに顔を見合わせながら笑った。「血筋は隠せない。兄さん、本当に私にそっくり。兄さん、統一したら、どんなにいいか。統一したら、たった1分でもいいから、一緒に住んでから死のう、兄さん」

 兄のチョ・ジョンイルさん(87)は、北側の末弟、チョ・ジョンファンさん(68)を見た途端、涙をこぼした。「越南した家族が再会を申し込んだら、被害が及ぶかもしれないと思って」再会の申請すらとまどっていた彼は、「生死が確認できただけでも嬉しい」と話した。ジョンイルさんが直接名前を付けてあげた、戦争が起こった年に生まれた末弟は、家族写真を取り出した。色あせないようにきっちりコーティングした写真だった。「私と似てるでしょう。私は父にそっくりだよ」。チョさんは写真に見入っていた。

第21回離散家族再会行事1回目の初日の20日午後、高城の金剛山面会所で開かれた団体再会で、南側のチョ・ヒェドさん(86)が北側から来た姉のチョ・スンドさん(89)を見て嗚咽している=金剛山/写真共同取材団//ハンギョレ新聞社

 同日、南北の離散家族らは、写真を見ながら歳月をさかのぼり、年老いた顔から互いに幼い頃の面影を見つけようとしていた。キム・ダリンさん(92)が北側の妹キム・ユドクさん(85)に「年取ったね」と言うと、妹のユドクさんは「兄さんに会いたくてこんなに長く生きてきた」と言いながら涙を浮かべた。「どうしてこんなに年を取ってしまったの。子どもの頃の面影が薄くなった。目が大きかったのに。本当にお母さんによく似ているよ」。ムン・ヒョンスクさん(91)は北側の二人の妹から母親の面影を見た。北側の姉チョ・スンドさんに再会したチョ・ヒェドさん(86)は「美人のお姉さんがこんなに年を取ってしまうなんて。それでもすぐにわかったよ。私にそっくり」と言いながら笑った。「夢か現実が分からない」「嬉しすぎて、足が震える」「娘の結婚式を延期してきた」という家族もいた。

 南側の離散家族たちは同日、朝8時35分にバス20台に分乗して東海線陸路を経て、金剛山に到着した。その後、団体再会と北側主催の歓迎晩餐会に出席した。晩餐会で南側の老いた母親が震える手で箸を付けようとすると、北側の娘が素早く“唐揚げ”を母親の口に入れてあげる場面もあった。兄弟たちは大同江ビールで乾杯していた。21日には「個別再会」が午前10時から午後1時まで、外金剛ホテルで開かれる。

金剛山/共同取材団、ノ・ジウォン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)


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