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壬辰倭乱や丁酉再乱(文禄・慶長の役)当時、小西行長・加藤清正。豊臣秀吉は補薬として朝鮮の虎を競って殺した。

2018-09-04 | 私たちがあまり知らない日本

壬辰倭乱での加藤清正の朝鮮虎狩りの証拠が出た

登録:2018-09-03 09:59 修正:2018-09-03 11:46

商人に送った「皮を贈り物として送る」という手紙、新たに発掘 
豊臣秀吉「補薬として虎肉の塩漬けを送れ」という命令に 
武将らが競って朝鮮の虎狩りをした状況を示す

加藤清正//ハンギョレ新聞社

 壬辰倭乱や丁酉再乱(文禄・慶長の役)当時、倭軍の武将らは朝鮮の虎を競って殺した。代表的な人物が小西行長と共に朝鮮侵略の先鋒に立った加藤清正だった。豊臣秀吉は補薬として食べるために武将らに朝鮮の虎の肉を塩漬けにして送るよう命令し、実際に加藤は命令に従った。壬辰倭乱の悲しい歴史の一場面である加藤の虎狩りを証言する新たな資料が日本で発見された。

 毎日新聞は、加藤の朝鮮の虎狩りを示唆する内容が書かれた手紙が新たに発掘されたと2日付けで報じた。この手紙は加藤が大名にお金を貸すほどの財力を持っていたある商人に送ったもので、「虎の皮1枚と大きな器10個を贈り物として送る」という内容が書かれている。手紙を送った時期は丁酉再乱以降、17世紀前半と推定される。商人の子孫が代々に伝わる文書70点を最近京都府に寄贈し、京都文化博物館の西山毅の学芸員が文書の内容を調べているうちにこのような内容が明らかになった。熊本県立美術館の山田貴司学芸員は同紙に、加藤が商人に虎の皮を送ったことについて「加藤の虎狩りが豊臣政権内でかなり知られ、(加藤と)近い人たちの耳にも入ったのだろう」と話した。

 朝鮮で虎だけでなく多くの朝鮮人を殺した加藤は、丁酉再乱後日本に戻った。豊臣秀吉の死後行われた関ヶ原の戦いで徳川家康側についた。このために徳川幕府が発足した後も、熊本藩の大名となった。ただし、徳川幕府が息子の忠弘の領地を没収し、加藤家の熊本支配は2代で終わった。

東京/チョ・ギウォン特派員r(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

 



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