戦国時代から450年、500年後人類は生きているだろうか

2024年04月07日 | 日々のこと
いい天気、陽の光が明るくなったのが実感できた朝。
ヒノキの花粉が飛びはじめたみたい。
庭仕事、マスクを着けていたら、息切れする。
先日山登りした時も、このマスクのせいで息苦しくなったのかも。
1時間半ばかりで裏庭を終わりにする。
前庭は見なかったことに(笑)

家中といっても1階だけ掃除機を掛け、義母の部屋の断捨離を少し前進。
有料老人ホームから戻ってきた時のバスタオル8枚とタオル10数本。
特養にお世話になっている今、これを持って来いという場面はないだろう。
ウェスに刻んだり、新しい物はそれぞれの収納に入れ、2つのタンスの内1竿を空にした。
けど、私がこれを使いきるまで何年だろうかと、苦笑。
1年に何枚使う?
減らしているけれどもなかなか減らない。
新しいのは息子ファミリー回せば簡単なんだけどね(笑)


先日登った「平尾城跡」は山城である。
急な山道・・・・・林の中を行くのだわね・・・・・昔の人はエライと思う。
日ごろから身体を鍛えていたのだわね。
イザという時が毎日あったわけではなかろうが、イザという時にこの山城を登り下りしたのだから。

平成11年に調査された「宮坂武男」氏による。
小県郡の依田氏は、宝徳・享徳の頃、佐久の大井持光に連年攻められて、その幕下となり、修理亮為安は平尾に移って平尾氏を名乗る。
以後、天正18年(1590)年、小諸城主松平(依田)康勝の藤岡への転封に従って、平尾守芳が平尾を去るまで、五代にわたってこの地に居住したのが平尾氏の館である白岩城。
この場所は現在小学校が建っているあたり。

戦国乱世の中で、大井氏、村上氏、武田氏、最後に依田氏に属しながら、比較的幸運に恵まれて、本拠の平尾は戦火に合うことはなく過ぎ、平尾氏が去って後に利用されなかったため、平尾氏当時の姿を知る上で貴重な遺構といえよう。

山城は大体みんな同じパターンで築城されているような気がする・・・・・とは言ってもたくさん見ている訳ではないが。

私はこの地で生まれたのではなく、嫁に来た地であったから、いまいち郷土の歴史に目覚めるのが遅かった。
戦国の世の、この地を支配する者が次々と変わり、郷土の歴史家の本を何回読んでもその全容が頭に入らなかった。
この時代の歴史小説を読んでいると、不思議に郷土の歴史に結び付いてきて、これはなかなか面白かった。

山城に登り、450年前のことに思いを馳せる。
自分が生まれて70余年。
この400~500年の間に、世の中はどれだけ進歩したのかと驚く。
そして変わらないのは、群雄割拠の範囲が国内だけではなく、世界規模に大きくなったということ。
人類は進歩はしたけれど賢くなったわけではない。
これからは、さらに加速を付けて文明は進歩するだろう。
今後500年経った時、人類は生きているだろうか。

読みいただきありがとうございました。

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コメント (2)
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