「木下黄太のブログ」 ジャーナリストで著述家、木下黄太のブログ。

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速報「きょうの地震で福島第一原発の危険について小出先生の見解」

2011-04-11 17:58:18 | 福島第一原発と放射能

 

京都大学の小出先生の話です。

1号機から3号機に電源がつながらず、水が注水できていないということですよね。水を入れなければ、炉心は溶けますから、とにかく、水をいれるしかない。なんとも状況がよくわからないが、現況でもかなり発熱をしている。すでに一ヶ月たっても発熱量は一定以上なんです。僕の類推では一号機でも三千キロワット、二号機から三号機も四千五百キロワットは少なくとも発熱が続いている状態です。冷やせないと、炉心の状態が、なんとも困った状態になるだろうと思います。一日何もできないと、炉心が本当に溶けきります。つまり、水蒸気爆発による破局、木下さんも私も最も恐れていた事態になる可能性が出てきます。大変な状態になりかねません。とにかく、一刻も早く水をいれてください。真水でも海水でもかまわない。とにかく、冷やすしかない。さらにもっと溶ければ破局に向かいます。何時間で大丈夫とはいえくません。一日近く、放置されれば大変なことになります。大変緊張する状況です。

福島第一1~3号機、外部電源切れ注水一時停止(読売新聞) - goo ニュース


福島の浜通り地域で震度6弱です。第一原発の外部電源つながらず要注意。

2011-04-11 17:51:51 | 福島第一原発と放射能

福島第一原発の周辺でまたしても強い地震です。

現在東京電力の会見によればモニタリングポストの数値に変化はないようですが、作業員が退避している状況で、現在詳しい状況は不明です。これだけ強い地震が続く状態は、福島第一原発に何らかの影響が出ないか大変に心配です。そして、今ほわかりましたが、福島第一原発の1号機から3号機に注水するシステムへの外部電源がつながっていないようです。要注意です。要注意です。

 

福島・茨城で震度6弱、茨城沿岸に津波警報(読売新聞) - goo ニュース


計画的避難地域とするのがあまりに遅すぎるし、まだ不十分です。

2011-04-11 16:33:01 | 福島第一原発と放射能

福島県葛尾村、浪江町、飯舘村、川俣町の一部、南相馬市の一部を計画的な避難地域に設定するということです。非常に曖昧な形で推移していたことが、多少前進したことは評価したいと思いますが、はっきりいってまだ足りないです。年間二十ミリシーベルトは外部被曝のみに限っても毎時2.28シーベルトです。郡山市や福島市などの人口を抱えたエリアをどうするのか、そしてもちろん内部被曝を考慮に入れた場合は、さらに様相が異なります。当然ながら年間1ミリシーベルトを超えるべきではないという、公衆被曝という従来あった話は放置されたままです。そもそも、年間二十ミリシーベルトというラインがあると感じるなら、なぜ発生一週間程度でこの判断をしないのか、高濃度に汚染されている地域の住民を政府が一ヶ月放置していた現実だけは認識してほしいと思います。

20キロ圏外に「計画的避難区域」設定へ(読売新聞) - goo ニュース


逃げたくても逃げられない人々に対して何ができるのか

2011-04-11 05:23:17 | 福島第一原発と放射能

 きのうもいろんな方々と電話していてつくづく思ったのですが、危険がどいう形で明確に有るのかということが、明示して具体的に示すことが本当に難しい状況が続いていると思います。もちろん、モニタリングポストで一定程度数値が出ていることは、当然、一つのメルクマールになりますから、毎時数マイクロシーベルトの数値が出ていれば、実は危険が迫っていることはあきらかなのですし、それ以上の数値であれば、僕からすると判断の余地はほぼないのですが、それすら、「直ちに」というごまかしの言葉を使って、国から放置されるのが現状と思います。こうなると、国が避難させる事を定めた地域以外に居住していて、現在の状況が固定化したと考えた場合にも、一定程度の被曝が想定される方々のうち、ほとんどの人々は逃げることは現実に難しいとおもいます。もちろん避難するとか避難しないとかは、個人の責任に帰着するものともいえるのですが、これは逃げてみたら実際によくわかることかもしれませんが、逃げるためには相当な覚悟のみならず、資金も人脈も含めていろんことが必要とされるのです。何を言っているのかというと、「逃げたくても逃げられない人」が、福島第一原発の近隣のエリアでも相当な数、いらっしゃるのではないかと思ったのです(前からそうだろうとは思っていましたが)。特に、妊婦や子ども、若い女性など被曝による影響が出やすいと考えられる人々であっても、そのまま居続ける以外の選択肢がないという現実をどう考えるのかと言うことです。もう少し言うと、その人々の間でも、危険性の認識が何もないのなら、居続けるのは、ある意味そういうものかなとも思います。でも危険がわかっていても、いろんな手段を得る方法がなくて、居続ける選択肢しかないケースもあるだろうなと思ったのです。本来であれば、国がきちんとした避難指示を出すと言う判断があると思うのですが、その指示がいずれにしても為されない事を前提として考えた場合に、次なる策として何が考えられるのかということです。

 これは、策というレベルのものではないのかもしれませんが、福島県内の少なくとも毎時数マイクロシーベルトの線量が出ている、自治体の住人の中で、特に妊婦や子どもなどを優先的に、避難を希望して、申し出がある家庭を、避難させる策を講じると言う方法論はあるのではないかと思いました。国が自治体を通じて、住民の意向を確認するというのか、広報をして、住民から申し出があった場合に、対応する考え方です。こうした場合には、避難させる先が必要になりますから、例えば単純に一時的に体育館やホテルに置くというスタイルではなく、西日本の、例えば過疎のエリアの空き家や公営住宅を用意して、一年以内から場合によっては数年間を想定して、考えていくやり方はどうだろうと思った訳です。福島県内の内陸部で震災の被害が大きくなく、モニタリングポストの数値も県内の中では大きくないところは、日常がかなり戻っていると言う話の中で、逃げているのは、わずかの人々をと伺ったことからも、逃げる人と逃げない人という区分けというよりも、「逃げたくても逃げられない人」という存在を考えないといけない気がしたのです。先ほどの西日本の特に過疎のエリアであれば、居住可能だけど、空き家になっている場所は少なくはありません。こうした環境でも、避難することを優先したいと考える人々、特に原発から近接している地域、具体的には福島県内の人々に対して、次善の策として考えられないのかと言うことです。勿論、こうした避難の場合、資金的に全て国におんぶに抱っこという方法では無理かもしれませんが、こういう方法もあり、自身の選択したい人に適応するべきです。やり方も人脈もわからないし、多額の資金は無いと言う人でも、一定程度の覚悟と多少の資金はある人々に対して、国や自治体が協力して対応する方法論です。自主的に避難させるエリアを拡大させるのは愚の骨頂で、避難できない人を多数を放置するというとんでもないことになりますから論外です。避難すべきエリアは具体的に定める(これも半径何十キロで定めるのに加えて、例えば飯館村のように突出して高いエリアを抱える自治体は、その自治体ごとにでも、エリア外であっても国として認定していく)。このエリアは全て国が責任をもって退避させる。このエリアに含まれていないが、福島県内の近隣エリアで、先ほどのから言っているようないわゆる「あっせん避難」というスタイルを作ることはできないだろうかという提案です。

 こうした避難の前提になるのが、結局どの程度、放射線の数値があるのかと示す、モニタリングポストの増設で、僕に近い官邸のスタッフは五十キロ圏内で簡易的なモニタリングポストの増設を提案していて、これだけは、なんとか前向きだと話していました。勿論、こういう機械の増設はすすめて頂くしかないのですけれども、一番難しいのは、いくら機械を増設しても増設しても、その数値の解釈分析をだれが行うのかということです。何度も書いている、内部被曝という観点から考えた場合には、モニタリングポストの数値だけでは、判断が難しいでしょうから、併せていろんな放射性物質の値をはかる作業も拡大して行う必要があります。こうした作業が継続してきめ細かに行う体制が整うことと、「逃げたくても逃げられない人」に対しての、何らかの対応策を考えていくことも、表裏な事なのだろうとは思います。

 しかしながら、官邸の中は、現況の危機がある程度の固定化を示していると感じているようで(僕にはその根拠は全くわかりませんが)、なんとなく安定しているような感覚が蔓延しているとも聞いています。福島第一原発についての危機意識をペーパーであげている人達が、「ペシミスト」呼ばわりされている感じの状況とも聞いています。具体的に危機が回避できている担保があれば、「万歳」と叫んでしまいたくなりますが、そういうわけでもないのに、何かそのことの危険を言う人々がペシミストとされる状況が官邸の中にあるという現実だけは、お伝えしておきます。こうした中で、いろんな方々から意見を集めて、危機がありうるという状況を伝える努力を継続している方々の意識が、どこまで維持できるのかということも心配しています。

 反原発のデモが都内であり、一万五千人(主催者発表)のデモだったそうです。デモという形式が現在の日本になじみにくいスタイルとなって、大衆の意識の中で固定化してから一体何年が経過するのか僕にはわかりませんが、こうした現状があっても、意思表示をする人の方が、世の中から異端視されるくらいの数でしかないのが日本の現実と思います(遠いドイツでは今回数十万人規模ですから)。勿論、デモの参加者で全てを考えるわけにはいきませんが、漠たる不安が広がる中で、声を伝える方法も、声を受け止める方法も、困難になっている現実が続いているのだなと思います。西日本の田舎に居て、僕ができることをもっと思いつかなければならないと、毎日自分の心には問い続けているのですが、できることにも、思いつくことにもいろんな限界を感じながら、このブログを書き進めています。ブログをご覧いただく皆さんが、万単位にはなっていて、大変にありがたく思いますが、できましたら、いろんな声を、特に具体的な話をメールでもいただければ大変にありがたいと思っています。よろしくお願いします。

「追記」

 避難の指示について、政府の方針も具体的な変更があるようですが、僕はこの感覚でもまだ甘いと思います。健康被害が極力でないようにするのが政府の務めであって、泥縄で拡大する状況は、どうしても後手に後手に回ります。状況を固着化すると判断したならば(もちろん最良想定ですが)、さらにすすめていかなければ、思わぬ落とし穴があると思います。この場合に、内部被曝という観点を軽視すると(国の姿勢は常にそうですが)、後で国が問われることになります。もちろん「直ちに」ではなくて、「後で」ですから、人としての当事者が変わるから構わないと考えているのかもしれませんが。

20キロ圏外にも避難指示へ 住民準備に1週間猶予(朝日新聞) - goo ニュース