アルカイダの指導者、オサマ・ビンラディンが殺害されたと言う報道が事実であるならば、この後、オバマ大統領の会見でその中身は伝えられると思います。世界がテロの時代に入ったことのきっかけが9.11で、世界史的な混迷の時代にあったとしたならば、象徴的なシンボルであれ、アルカイダのトップが終わった事の歴史的な意味合いは大きいと思います。アルカイダ的な動きがなくなくると言う事にすぐなる訳ではないとしても、after9.11の世界の中で長らく生きる事を、テロを恐れる状況が、世界中で続いていた時代が、思想的には終わる事になると思います。こうした状況は、after3.11の世界に生きる事を、余儀なくされている日本社会にとって、福島第一原発クライシスが継続する状況で、本質的な影響が出るのかを注視したいと思っています。勿論、直接何か起きる訳ではありませんが、こうした大きい感覚の変化が、歴史的には、まったく関係しないように思える事象への思わぬ強い影響もありうるというのが、僕の歴史的な感覚です。自分の勘でしかありませんが、注意したいと思っています。
今回の福島第一原発についておきている懸念を、僕なりの取材をして覚悟して伝えているのが、このブログの現在の状況です。僕個人について、既に複数のメディアが書かれているようですが、僕が取材に応じているものはありません。正しい内容もありますが、全く事実誤認としか思えない内容もあります。僕からの情報提供はしていません。僕がどうして、とりあえず西日本に、退避することを決めたのかについての社会的な背景は、この現在の事態の推移が明確になった時点、さらに僕個人のいろんな状況が確定した時点で、お伝えすることは構いませんが、現状は、いろんな社会的な関係性の中で僕も進行していますので、そんなことは現在はお伝えできないです。そもそも僕個人の事柄なので、ほとんどのみなさんには直接は関係しませんので、あまりそのことだけに関心を持つのは本質的な意味が無いと思います。僕はそんなに大した人間ではありませんから。皆さんの時間の無駄です。
勿論、今回の状況を見て、西日本に居た方が、いろんな意味で取材の自由も、発言の自由も、それ以上に自分がきちんと考える自由もあると思いましたので、この行動に踏み切りました。一定程度、危険を認識して行動したのはこれまでもご説明しているとおりです。臆病で逃げたのも本当ですし、考え抜いた末の行動であるのも本当です。勿論、事態がこのまま成功して、最小限の被害で済めば、喜ばしいことでありますし、僕が頭がおかしい臆病者として罵られれば良いだけの話です。ただ何回も言いますが、この方法しか、伝える方法が僕にはありませんでした。それは社会の外だけでなく、内に対しても、これ以外の方法で危険があると伝えることはできない状況であったことはお伝えしておきます。
なお、このブログは、この福島第一原発について書く以前から、コメントは承認制にしています。今回の事態の後は、完全なスパム以外、基本的に全て承認公開していましたが、僕の個人的な事柄についての書き込みは、承認公開する意味がそもそもありませんし(僕の事実関係を知らないで書いている書き込みも散見されます)、このブログの本題とは、どんどんずれますので、僕が判断して公開しない場合もありますのでご認識下さい。どうしても僕個人に直接おっしゃりたいなら、電話番号をメールされるなら、こちらからお電話をしてお話します。こちらも個人なので対応限界がありますので、ご了承下さい。
今も見続けていただいている皆様がいることを
嬉しく思います。
ブログの更新を怠っていて申し訳ありません。
言い訳すれば忙しくて手が回らないだけです。
本来、ミャンマーの新しい体制についての分析を
いち早く書かなければならない立ち位置にいるのは、
十二分に理解していますが、
実は新体制についての裏面でのコアな情報を
的確に把握できている状態ではありません。
表面的な事を書き記すことはできますが、
そこには納得がありません。
とりあえず、もう少し情報が精査できるまで
このことはお待ち下さい。
きょう書くのは、「コンタクト」という
昔、ニューヨークのリンカーンセンターで見た
ダンスプレイというかミュージカルというか演目のことです。
最近、同じレベルかどうかは別として
劇団四季が公演を同一演目で行っていますから
知っている方も多いと思います。
「コンタクト」というのは
まさに文字通りの演目で、
人間と人間が通じ合う難しさと
しかしながらその瞬間の大切さをどう把握し、どうつなぐのかを
テーマにした演目です。
心理的にも、生物としても、政治的にも、社会的にも、性的にも、
人と人が交わることが本質的に本当に難しく、
さらに現代のような高度に情報化し、資本化し、先鋭化した社会の中では
より困難であることを
いろんなシーンを使いながら描きます。
僕が最も影響を受けた
あらゆる舞台上での演目の筆頭は間違いなくこの「コンタクト」で、
プレイのみならず、
思想的にも「コンタクト」的な感覚は強くなりました。
確か9.11の一年位前にこの演目を見ていたことも
アメリカや世界を考える上で大きい手助けとなりますし
僕がプライベート的に生きている世界空間の中でも
この思想をうまく言語化し、
さらに洗練、発展できないのかと考え続けています。
ぼくの中でひとつだけハッキリしていることは
きちんとした「コンタクト」が少しでもできる時には
人間というのは、その人生や思考というものは、
何かしら具体的な意味を持ち始めるということです。
僕の人生でも
「コンタクト」できる時はほんのわずかしかありませんし
人と人とのつながり、
「コンタクト」を一定期間以上きちんと形成できたことは
ほぼない気がしています。
僕がダメなところです。
そして、ある意味自分の中でもあきらめていたような気がします。
長井健司の死というものは
その「コンタクト」が一瞬の断面にしか過ぎなかったにも関わらず
痛烈な印象とともに
ありとあらゆる人々の心を一度は捉えたとずっと感じています。
長井さんの運動を行うことは
僕にとっては「コンタクト」を捜し求める運動でもある気がしています。
しかしがら、実際、運動の中でのいろんなつながりはありましたが
そのつながりは、運動体としてのつながりでありますし
もう少し言えば、長井健司とのつながりよりも深くはなく、
変な言い方をすれば
長井さんが殺されたときの、一瞬の「コンタクト」に勝るものはありませんでした。
実は、自分がこの五年余り置かれていた(or置いていた)立ち位置が、
まさにここ言う「孤独の城」ともいうべき状態で、
その中からここ二ヶ月あまり無理やり抜け出してみると、
この五年間という時間の中でも
僕にもきちんと、あるだれかの「コンタクト」だけはあったことに
ようやく気づいています。
僕は気がつくのが、いつも本当に遅すぎるのですが、
気づいたら
「孤独の城」に引きこもることの意味のなさを強く思います。
つまりは、
自分が危ういときにこそ「コンタクト」が深く心に刻み込まれますし、
公には、闘いの戦士である自分には、
闘いの実感はあれど、敵が不透明であればある程、
敵との闘いでも生じる「コンタクト」という実感も乏しいままでした。
しかし、そういうことではなくて、
深い深い「コンタクト」をある程度前からは実は得られていたし、
さらには今もここにある、という実感は、
ここ半年位、いや二ヶ月位前から
ようやく、しかもはじめて認識したことなのです。
年齢を重ねて、ああこんな歳にという醒めた意識の僕が、
今更、こんなことに心があたるとは思いませんでした。
それこそが、まさに「コンタクト」なのです。
本当は気づいていたのに、気づかなかったこともわかる気がしている。
「泣けてくるぐらい、ここには何もないよ。」
禍禍しいものも、頼るべき縁も、核になるものも、
ここには、なにもいないという。
虚無。
強いものも、恐れるものも、災いも、
ここには何もないという。
空虚。虚無。
「何かまずいものが通ってきていても、ただ通りすがるだけ。
引っ掛けられる人はいても、それはそのときのことだけ。」
「何もないから支えるものもない。
支えがなくてがけの上にいるから、弱い人からずり落ちることもよくある。」
「本当に何もない。ここを愛している人は本当に一人もいない。」
「公共の道路を歩いているような感覚。メーカーの工場でもまだ何かいますよ。」
「とりあえず身近なところから守っていくしかないと思うよ。」
護摩が終わった後、僕から、彼へ返した言葉は、
「ここが空虚であることは、その機能から考えて、その影響は日本全体におよびますよね。
ここが空虚であることと、今の日本が空虚であることは、シンクロしている気がします。
ここの名前は、ある意味、名だけですが、国の映し鏡でもあるとも思いますから。」
全体が空虚であり虚無であるということは、
自分の立ち居地を、
新たに自分が構築せねばならいという感覚に思い至る。
闘う相手が実体としては不在であるという認識を確認したことも
僕の心のある部分でのパラダイム転換も不可欠なのだろう。
自分が「虚無への供物」的感覚にいた訳だろうし。
恐らく、自分から身近な周りへと広げて、
さらには組織全体に実を抽入しなければならない。
自分を新たに築くこととから
全体を新たに築くことに移行していかねばならない。
どちらにしても、新たな創造に向かわねばならない。
強固に持続しておこわなければならない。
日本のためにも。
追伸
そして、この後、夜、
菅のブレーンと赤坂で密談した。
「君と僕とはいろいろなところで意見が違うけれども、
結論だけはおなじなんだよ。
このまま放置して、すべてが終われば、まったくの虚無。
何もない空っぽまま。空虚な日本だよ。
それを阻止しなければということだけだよ。
君と僕との同じ想いは。」
空虚な日本。
その虚無の広がりを何としてもくい止めなければならないだろう。
それだけは、強く思う。
僕の根幹的な仕事だと思っている。
長井さん殺害の抗議署名を
ミャンマー大使館が
はじめて受け取ったことが
僕らにとっては一番大きなことでした。
さらに
長井健司のビデオカメラとテープを
取り戻すべく頑張りたいと思います。
個人的には12月から極端に忙しくなるだけでなく、
特に夏以降のいろんなことが
怒涛のような展開で押し寄せてきました。
僕より若い知人がこの半年で四人も亡くなりました。
僕の中では、この禍々しい暗雲を
なんとしてでも打ち払おうと強く強く思っています。
今も阿修羅のごとく闘い続けています。
皆様のご支援が支えになります。
来年もよろしくお願いします。
追伸
先週のPVは
二万PV近くまでなっていました。
2010.12.19 〜 2010.12.25 19752 PV
山路・麻木・大桃騒動の余波ですが
新規のPVの中に
長井さんの事を気にしてくれる人なんて
たぶん一人もいないんでしょうね。
今の日本を象徴するダメな出来事でした。
あーあ。
きのうの会見で
過去に婚姻関係を結んだたため、
「松本」姓になっていたという説明が
ご本人からあったようです。
戸籍上の姓は、
厳密な意味での確認はできていませんが
婚姻関係は現在解消されていると
きのう会見により
双方が公にされたことになりますので、
姓も元の姓で表記すべきと判断しました。
(離婚後も結婚した後の姓を名乗ることができるので。
戸籍などを見ないと厳密には確認は難しいです)
実質的には「山路」姓ですし、
法的にもその可能性の方が極めて高いと思います。
以上を総合的に判断して
本日より、何かこのブログで言及することがある場合は、
「山路徹代表」と表記します。
まあ、昔の表記に戻ったということです。
長井健司さんを通じて知り合っていて、
それは十年以上前にさかのぼります。
はじめて、西新宿のホテルの一室で
三人で話した時間のことは僕は今も忘れていません。
松本(山路)徹代表について
当時、あまりよいうわさを聞いていなかったので、
本心では会うことを躊躇していましたが
僕が信頼する長井さんが
「山路とあわせたいんだよ。頼むよ。一度あってよ。」と
ニコニコ笑いながら話してきたことに
うまく言い訳できず、実はしぶしぶ会いました。
けれども初めて会った松本(山路)徹代表は
いささか怪しい部分はあるものの、
思った以上に魅力的な人物で、
取材に関しての情熱と感覚は
僕も同じジャーナリストとして
共感できるものがあり、
うわさがすべてではないことをかなり実感しました。
この後、ある出来事をきっかけに
長井さんを介さずに松本(山路)徹代表との
やりとりも始まりました。
仕事の面では素晴らしいことも多々ありますし、
僕を助けてくれたことも多いですし、
感謝していたことも多いです。
2007年にミャンマーで長井さんが殺害されてから、
一年間は、お互い長井さんを思いながら、
お互いの立場で、できる限りのことをしたと思いますし、
そこくらいまでは、僕と彼の間には
大きな齟齬は無かったと思います。
しかしながら、その後の明石昇二郎氏が
原稿レベルの低い「長井本」を
勝手に出版を強行した一連のトラブルがあり、
そこに松本(山路)徹代表が介在していることが、
明確に確認された時点から、
関係が疎遠になったと思っています。
去年のブラックノート事案の際にも、
新聞報道された後でも、
僕には何も説明はありませんでしたし、
「あいつとは二度と連絡をとらなければいい」と
発言していることを
他人から聞かされ、僕は複雑な思いでした。
そして、この秋に彼がミャンマーで拘束される前に
僕は事前に、彼の一連の行動などを外から観察していて、
今回は、ミャンマー側に拘束される可能性が高いと思っていて、
僕の周辺のメディア関係者や当局担当者には、
事前にちょっとした危機感を伝えていました。
実際拘束された後には
当局担当者には解放に向けて努力してくれるように
できる限りの要請はしていました。
(もちろん僕の要請の有無にかかわらず、
当局は適正に対応してくれたことも間違いないので、
僕が具体的に役に立った訳ではありません。)
僕自身、長井さん殺害の悲劇が
次は喜劇になり、
さらに今回、バラエティになっている事態は残念でなりません。
僕自身いろいろ考えているのですが
一番強く思っているのは
十年以上前に長井さんと松本(山路)徹代表と
三人で話した光景です。
もう、あの時に戻ることはもちろんできないのですが、
今、これから、あの光景をもう一度思い出しながら、
これから本質的に僕が何をできるのか
問い直す必要を強く感じています。
長井さんのカメラを取り戻すことは
僕が代表である
「ミャンマー軍による長井さん殺害に抗議する会」の
活動の大きな目的ですし、
僕の個人の、ジャーナリストとしての目標でもあります。
これがまずは一番大切なことです。
今の状況と十年以上前の光景の狭間で思考が揺らめきながら
僕は何をすべきかを強く思考しなければならないと感じています。
そして長井さんという存在の本質を
僕がもう一度深く考えなければならないと
僕は強く思います。
そして、敢えて言いますが、
松本(山路)徹代表も
長井さんという存在の本質に
もう一度、きちんと、本質的に立ち返ることしか、
方法はないと僕は思っています。
僕の言葉の意味が、
彼に本当に通じるかどうか、僕にはわかりません。
ただ、こうやって書いておくことしか、
僕にはできないと思っています。
APF松本(山路)徹代表について
ツイッターを契機とした
本当にどうでもよい報道が相次いでいますが、
当方はとってはあまりにも
馬鹿馬鹿しいだけですので
こちらに問い合わせることはおやめ下さい。
迷惑です。
しかしここまで来ると喜劇どころか
バラエティに突入ですね。
ただ、長井さんに対して、
本当に恥ずかしいことだなあと強く思います。
他者との関係において
心底、納得が行かないことがあったり、
その人が自分にとって関係を持つ意味が無くなると、
人間関係を即座に断絶する志向ばかりが強まっています。
もちろん、僕が忙しくて
相手にしているひまな時間がないことが
大きなポイントですが
ある意味、
そういう人達に
思いっきり嘗められているのだなという感覚に
とらわれることがあります。
そういう事に最近、我慢がきかなくなりました。
ある意味ひどい人間ですから。僕は。
今月から僕の勤務部署が変化していて、
スケジュールが大きく変わっています。
端的に言えば「忙しい」のです。
五年ぶりぐらいにそういうスタイルで生きているため、
ネットに関わる時間が大きく減っています。
今のところ、ブログの更新はあきらめていませんが
難しいこともまた事実なのです。
ご了解くださいね。
この動きについて何も
コメントができず、すいませんでした。
今回の動きは予想されていた範囲内ですし、
実際、長井さんの署名をミャンマーサイドが
受け取った時点から
ミャンマーの体制内部にわずかな変化が
おきはじめているのだと思っています。
軍政が悪というだけで解決できる方程式とは思いません。
少しずつ粘り強く変えていく事が大切です。
そういう中で
彼女が解放されたという具体的事実は、歓迎したいです。
こうした流れの中で
長井さんのカメラとビデオテープも
返還されることを期待しています。
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「一連の流出が、ある種の似たような考え方の人々が、意図せず、
しかし同時多発的におきている可能性を考えている。
次なる最悪の事態は何があるのだろう。
ある種のテロル的な感覚。ファシズムの恐れ。
国民が所得が減らされている背景も拍車を掛ける気がする。
さらにテロ的な事件が起きなければよいが。」
5:14 AM Nov 5th webから
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基本的に僕は、
同じ感覚の中にいるが、
警察や海保で流出が起きていることが、
個別の単独犯による犯行という可能性が
強まっている中で、
事件の筋読みとしてさらにどういうふうに考えるべきなのだろうか。
実は一般の見方とは少し異なり、
今段階での、僕個人の見解は
似たような考えの人々が
シンクロしておきているとも考えられるけれども
この似たような人々が
なんらかのゆるい紐帯があるような気がしている。
それは政治思想的に似かよった広いグループでの
それぞれの存在という
ケースも考えられるし、
ある種のカルト的な思想背景をもった
グループ的な繋がりかもしれない。
本来大掛かりなものでなくても、
今、この時点で、日本の世界の中で
何かを具体的に思考し、何かを始めようとする
人や集団が実際には圧倒的に少ない現実を考えると、
思想背景があり
現実に踏み出す感覚のある人々の動きというのは
少数でも思った以上に力を持つことになる。
これは大変なことなのである。
思想が具体的な現実にコミットメントが始まると
強い力を持つ。
菅直人総理や仙石長官がどこまで
この緊迫した状況に立ち向かう腹があるのか。
きわめて疑問な状況。
彼らの思想も問われているのだ。
根本原理だ。
ただ、もちろん既に書いている通り、
僕の中では、
菅内閣はとっくに終了してしまっているのですから。
石にすがりつくだけでは無理に決まっている。
最近、かなり調子が上がっていますが、
まだまだ著名な存在ではありません。
彼女のことを知らない人に
はじめてで、尚且つ、お薦めできる感じの
コンサートがなかなかありませんでした。
今回のこのイベントは
三人のオペラ歌手が著名な方で、
レベルも高く、
その上、安心できる司会者。
さらに新居さんのピアノですから
本当にお薦めできるイベントになりました。
都内から
海老名まで行くのが面倒であること以外は
特に問題はありません。
ご関心のある方は是非。
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■ 森麻季・崔兄弟 〜世界名曲の贅沢競演〜
ソプラノ : 森 麻季
バリトン : 崔 宗順
バ ス : 崔 宗宝
司 会 : 青島 広志
ピアノ : 新居 由佳梨
日時 ・・・・・・ 12/12 (日) 開場 14:30 開演 15:00
会場 ・・・・・・ 海老名市文化会館 大ホール
料金 ・・・・・・ 指定席 4,000円 自由席 3,000円
チケットお取扱い・・・海老名市文化会館 046-232-3231
あつぎミュージックドリーム 046-297-3933
プログラム
三大アヴェ・マリア (作曲 シューベルト/グノー/カッチーニ)
ヘンデル : ラルゴ
シューベルト : 魔 王
R.シュトラウス : 献 呈
山田 耕作 : からたちの花
C.ピグミオ : マンマ
レハール : メリー・ウィドウ・ワルツ
ほか多数
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