「木下黄太のブログ」 ジャーナリストで著述家、木下黄太のブログ。

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窒素注入後に1号機におきていることなどから考える

2011-04-09 00:06:07 | 福島第一原発と放射能

窒素注入後に本当に何が起きているのか、計測器の故障と言うたまたまの事柄だけなのか、なぞは残りますが、そもそも窒素注入はどういうことなのか、小出先生にも聞いてみた中身です。

容積が限られている中で窒素をいれるということは、あたりまえだけれども、高濃度のガスを出すことにつながる。でも、そうすると、影響はでますよ。できればやりたくない。できればやりたくないけれども、やるしかない。やらざるをえない圧力の問題もあるし、水素爆発の危険の回避もある。。つまり、元々、日本の原子力の皆さんはそういう手法でやってきたのですから、今回もそういう感じでやるのがごく普通かもしれません。ドライベント並みの高濃度の放射能が結果的に出ても、先にきちんと報告しないと言うのも従来からの体質となんら変わらないと思いますよ。危険度は変わっていないのですが、結果がいつ出るのかと思いつつつづけて、破局が来るのか来ないのか、見えないまま一ヶ月が過ぎた。悪くなる方向はもちろんあるままですけれども、こうしたよくわからない状態が数ヶ月続くことも想定できるでしょう。これは冷やし続けるしかない。水を入れ続けるしかない。水は大量に入れ続けるしかない。この水をどうするのかという手段はほとんど何もない。大量に掛けて冷やし続けるしかない。たまった水は大量になる。大量になればなるほど、処理する術がない。結局海に流すしか方法が無い。そうすると目に見えるところで、大量の海水に流れているという報道になるけれども、実は地下のコンクリートで、目に見えない形でしみこんでいる。ずっとしみこんでいる。これは判らないから議論もされなさそうだけれども、本当はずっと多いですよ。この一連の流れで地下のコンクリートが健全な状態だと考えるほうが不思議。目に見えないから認識されにくいだけですよ。そして、もちろん大気中に放射性物質は降り続ける。今の状態は最低で数ヶ月は続きますし、場合によっては年単位で続く。今の段階でも最悪のシナリオは回避できると、自信をもっていえないんですよ。発生から、一週間程度で、僕は決着すると思い込んでいたのですが、結局そうはならず、事態はずっと継続されたままなんですよ。それでも、最悪の状態が回避されたとはとても言えない感じなんです。一つは、燃料の崩壊熱があまり減っていないことです。一ヶ月たつのにあまり減っていない。一ヶ月が経過していますが、この時期では崩壊熱はへり方がゆっくりとなるんです。こっからが長いんですよ。最初は急速に下がりますが、もうこの段階は逆にへり方がゆっくりだから、崩壊熱は長く続く。人は生身、被曝線量とのからみで働ける人が一体どこまで残るのか、どこまで続くのか、兵站がこちらからは見えにくくさらになります。そういうことから考えて危険は去っていないし、やはりその方向に進んでいる状態だと゜私は思います。どこまでも、続いていますよ。

 小出先生もおっしゃるように、水で冷やす以外の有効な解決策が捉まらない中、官邸にはある種の土木作業的なプランが次々と持ち込まれているようです。ただ、水以外に冷やす方法が結局無ければ、土木作業的なことは副次的な汚染防止という意味合いをなかなか超えることはできないかもしれません。そうすると冷やすための兵站というのをどう考えるのかということにるのかもしれません。

 そういう点から、これは、考え方として興味深いと思ったので紹介しますが、山田さんと言う方がいて、福島原発阻止行動プロジェクトとというのを立ち上げたそうです。存在をきょう知って、先ほど電話で話しましたが、山田さん自身は、住友系のプラントエンジニアリングの仕事をされていて、今は六十歳をすでに超えられています。彼は、元々、左翼系の人で(こんな大雑把な括りですいませんが)、反安保の写真展なども企画されていますが、今回の発想には、彼の元々からある、政治的なスタンスを超えて、僕には面白かったです。六十歳以上の退役の技術者が一定数集まって、福島第一原発で身を挺してやりたいというのです。高被曝を覚悟して一ヶ月で、冷却システムのプラントをくみ上げてしまうと言うものです。要は、自分たちは年寄りで死んでもよいから、これ以上の災厄を食い止めたいから、決死隊として冷却システムを作るからやらせてくれと言う話です。彼も今の状態は汚水を流しても冷却し続けるしかないのだから、とにかくいち早く冷却システムを作り上げるしかないが、技術屋の目で見た場合、東電は後手だけではなくて、なんとかやりくりしている感じでこれは根幹的に破局を止められない。もしかしたら行かない方向にではなくて、絶対に破局にしない方向に行くしかない。そうすると年寄りの技術者が集まって、ぎりぎりの戦いを挑めないのか、技術屋として純粋な戦いをしたほうが、東電と言う立場よりもフラットに考えて、立ち向かえると。覚悟がある年寄り数千人が死ぬか、数千万人の未来に傷がつくのか、どちらを選ぶのですかとも。「ぶっちゃけ、死んでもいいんです」と彼は話します。この企みがうまくいくかどうかはともかく、チェルノブイリの時のことを考えても、ある程度、犠牲になることを覚悟した人々がいないと、収束は大変に難しいものがあります(チェルノブイリは無理やりやらされた人も多いでしょう)。その意味では老人技術者による決死隊というのも、妄想ばかりではないと思います。それは兵站。具体的にはきちんとした作業ができる人が被曝線量をひきあげても、いなくなりつつあるという実態です。作業ができる人がいなければ、事は終わりません。そして、確かに、冷却できるシステムがきちんと組めないと、一定水準以上の解決はありません。こうした発想を言うことは、だからよくわかります。フェイルセーフというのがプラントというものの根幹で、誤操作・誤動作による障害がおきたら、常に安全に制御する側にさせるシステム作りがプラント屋の根幹でもあるらしいですから、そうした人々から今回の状況がどれだけ歯がゆいものなのかということです。山田さんの話も、本当に退役技術者が数百人集まり、命がけで作業する実働グループという実体ができあがると、この話も変わるだろうと思います。

 いずれにしても、危機をどう乗り越えるのかが、ハッキリとはしない中での日々が続いています。僕も自分がどんなに風に生きていくべきなのかを、実は毎日、いろんことを考えながら過ごしています。ただ危機が迫っている感覚を持ち続けている人は、僕の周りにも、ブログの皆さんにも一定数いることは間違いありません。そして、全体を見ると、この危機を実感している少数の人と、実感しない多数の人というのが今の大きな構図と思います。その意味では、僕が危機を認識していることと、僕が臆病者であることは、同じなのかもしれませんが、臆病者であるからと言って、危機があると主張するなと言うのは、おかしいと思います。危機があると思えば言い続けるのが、僕のスタンスです。本当に危機がないとはとても言えない曖昧な状況の継続を痛感していると、こうした流れの中で自分が発信することをやめることはできないと思います。これが僕なりの方法ですから、誰が何を言おうとも関係ありませんというばかりなのかもしれません。福島第一原発の状況は、まだ好転していません。