『簪(かんざし)』(清水宏、1941年、白黒)
{あらすじ}
日蓮宗の蓮華講の集団が山奥の温泉宿に泊まる。
そこには、学者(斉藤達雄)、傷痍軍人らしい青年(笠智衆)、新婚夫婦、孫二人を連れた老人、の4組が長逗留している。
学者は議論好きでいつも不満を漏らし、トラブルメーカーだが人のいいところもある。
蓮華講の団体が帰った後、青年が風呂に入ると、簪を踏みつけて足を怪我する。
学者が宿の主人に激しく抗議する。しかし青年は、この怪我は「情緒的なものを感じる」という。
学者先生は、だったら、その簪の持ち主は美人である必要がある、と解説する。
すぐに、蓮華講の一人の女性から、簪をなくしたので探してくれ、という手紙が宿に届く。
宿の主人が、その簪で客が怪我をしたことを伝えると、女性(田中絹代)は、詫びにやってくる。
簪の持ち主が美人だったことで、学者以下、長逗留の人々は青年のために喜ぶ。
女は、長逗留の人々の歓迎を受けて、自分もその宿に長逗留する。青年は子供たちと一緒に、歩行練習をしている。女も青年を励ます。
この女、東京で愛人をしている身の上らしい。しかし、これらの人々に囲まれた温泉でのひと時に心が洗われ、愛人生活をやめる決心をする。
長逗留の客は、一組ずつ東京に戻っていく。青年も東京に戻り、葉書をくれる。温泉で同宿した人々と東京でも常会をする、足も良くなり、松葉杖からステッキに代わった、という内容である。
誰も居なくなった山奥の温泉町を女は一人で散策する。
{批評}
この映画は、原作は井伏鱒二の「四つの湯槽」からとられている。
しかし、清水監督が1938年に撮った『按摩と女』に設定があまりにも似ているので、井伏の原作は一部を拝借しただけであろう。設定の類似とは、山奥の温泉が舞台で、東京で愛人をしている女性が主人公で、なおかつ愛人生活を放棄する話になっているところ、按摩や子供の様子が生き生きと描かれていること、などであり、雰囲気は二つの作品はそっくりである。
清水監督のお得意のオールロケーション、メインストーリーだけでなく各シーンが独立した世界をつくり、表現世界にリアリティと雰囲気があること、熱演をさせず自然な演技を求める点など、この映画でもあちこちに見ることが出来る。
ただ、作品の出来としては『按摩と女』のほうが上だ。撮影も、この作品では露出オーバー気味になっていて、白が飛ぶ。夏のムードは出ているが、かなり気になる。
清水監督が二つの作品で、東京で愛人をしている女が山奥の温泉町にきて、愛人生活をやめる決心する、という同じ類型の人物を描いたことについて考えてみたい。
この時代は、女性が働くことを「職業婦人」と呼んで、一種差別されていた。上流、中流の家庭の女性は働かずに、家に居るのが常識だった。このように、女性の就労に社会が扉を開いていない時代、お金持ちの愛人になる、というのは、現在と比べればかなり多く見られる現象だった。
私の母の姉妹たちは大正から昭和初期の生まれだが、彼女たちの年代の考えでは「甲斐性のない男の妻になるよりは、甲斐性のある男の妾になったほうがいい」という。最近もそんな話をしているのを聞いて、驚いたことがある。
戦前生まれの事業家、政治家などは「妾の一人や二人いるのは男の甲斐性」と言ったものだ。
こういう時代だから、妾=愛人になって生きた女性は数多かっただろうと思われる。しかし、清水監督の考えでは、そういう生き方は「悲しいもの」として写ったのだろう。贅沢は出来なくとも、遊んで暮らせなくても、愛人業をやめて自活するのをよしとする「道徳観」が彼にはあったからこそ、このような連作を作ったのだろう。
私の家は、私が生まれたころ遊郭を営んでいたために、芸者衆が周りに一杯居た。そういうこともあり、私が小学校のころ、元芸者で愛人を営んでいる女性の家に母と遊びに行ったことがある。その女性は、飛びぬけた美人で、こざっぱりした家に住んでおり、白い猫を飼っていた。子供心に私は、愛人というのはいいものだな、と感じた記憶がある。
働かず、人より贅沢な暮らしをする。その代わり、日陰の身分で、死んでも同じ墓には入れない。遊びと性の対象ではあっても、そこに家庭の温かな愛情は存在しない。そういう妾・愛人という存在に対して、清水監督は「憐れ」の感情を抱いたのであろう。この当たり、私と感覚は違うが、彼の人間に対する強い愛情を感じる。
余談だが、ヒロインの田中絹代と清水宏は結婚した後、離婚している。
また、『簪』のように、一つの宿を舞台にさまざまな人間模様を交錯させる設定を「グランド・ホテル形式」という。映画『グランドホテル』から命名されたものである。
{あらすじ}
日蓮宗の蓮華講の集団が山奥の温泉宿に泊まる。
そこには、学者(斉藤達雄)、傷痍軍人らしい青年(笠智衆)、新婚夫婦、孫二人を連れた老人、の4組が長逗留している。
学者は議論好きでいつも不満を漏らし、トラブルメーカーだが人のいいところもある。
蓮華講の団体が帰った後、青年が風呂に入ると、簪を踏みつけて足を怪我する。
学者が宿の主人に激しく抗議する。しかし青年は、この怪我は「情緒的なものを感じる」という。
学者先生は、だったら、その簪の持ち主は美人である必要がある、と解説する。
すぐに、蓮華講の一人の女性から、簪をなくしたので探してくれ、という手紙が宿に届く。
宿の主人が、その簪で客が怪我をしたことを伝えると、女性(田中絹代)は、詫びにやってくる。
簪の持ち主が美人だったことで、学者以下、長逗留の人々は青年のために喜ぶ。
女は、長逗留の人々の歓迎を受けて、自分もその宿に長逗留する。青年は子供たちと一緒に、歩行練習をしている。女も青年を励ます。
この女、東京で愛人をしている身の上らしい。しかし、これらの人々に囲まれた温泉でのひと時に心が洗われ、愛人生活をやめる決心をする。
長逗留の客は、一組ずつ東京に戻っていく。青年も東京に戻り、葉書をくれる。温泉で同宿した人々と東京でも常会をする、足も良くなり、松葉杖からステッキに代わった、という内容である。
誰も居なくなった山奥の温泉町を女は一人で散策する。
{批評}
この映画は、原作は井伏鱒二の「四つの湯槽」からとられている。
しかし、清水監督が1938年に撮った『按摩と女』に設定があまりにも似ているので、井伏の原作は一部を拝借しただけであろう。設定の類似とは、山奥の温泉が舞台で、東京で愛人をしている女性が主人公で、なおかつ愛人生活を放棄する話になっているところ、按摩や子供の様子が生き生きと描かれていること、などであり、雰囲気は二つの作品はそっくりである。
清水監督のお得意のオールロケーション、メインストーリーだけでなく各シーンが独立した世界をつくり、表現世界にリアリティと雰囲気があること、熱演をさせず自然な演技を求める点など、この映画でもあちこちに見ることが出来る。
ただ、作品の出来としては『按摩と女』のほうが上だ。撮影も、この作品では露出オーバー気味になっていて、白が飛ぶ。夏のムードは出ているが、かなり気になる。
清水監督が二つの作品で、東京で愛人をしている女が山奥の温泉町にきて、愛人生活をやめる決心する、という同じ類型の人物を描いたことについて考えてみたい。
この時代は、女性が働くことを「職業婦人」と呼んで、一種差別されていた。上流、中流の家庭の女性は働かずに、家に居るのが常識だった。このように、女性の就労に社会が扉を開いていない時代、お金持ちの愛人になる、というのは、現在と比べればかなり多く見られる現象だった。
私の母の姉妹たちは大正から昭和初期の生まれだが、彼女たちの年代の考えでは「甲斐性のない男の妻になるよりは、甲斐性のある男の妾になったほうがいい」という。最近もそんな話をしているのを聞いて、驚いたことがある。
戦前生まれの事業家、政治家などは「妾の一人や二人いるのは男の甲斐性」と言ったものだ。
こういう時代だから、妾=愛人になって生きた女性は数多かっただろうと思われる。しかし、清水監督の考えでは、そういう生き方は「悲しいもの」として写ったのだろう。贅沢は出来なくとも、遊んで暮らせなくても、愛人業をやめて自活するのをよしとする「道徳観」が彼にはあったからこそ、このような連作を作ったのだろう。
私の家は、私が生まれたころ遊郭を営んでいたために、芸者衆が周りに一杯居た。そういうこともあり、私が小学校のころ、元芸者で愛人を営んでいる女性の家に母と遊びに行ったことがある。その女性は、飛びぬけた美人で、こざっぱりした家に住んでおり、白い猫を飼っていた。子供心に私は、愛人というのはいいものだな、と感じた記憶がある。
働かず、人より贅沢な暮らしをする。その代わり、日陰の身分で、死んでも同じ墓には入れない。遊びと性の対象ではあっても、そこに家庭の温かな愛情は存在しない。そういう妾・愛人という存在に対して、清水監督は「憐れ」の感情を抱いたのであろう。この当たり、私と感覚は違うが、彼の人間に対する強い愛情を感じる。
余談だが、ヒロインの田中絹代と清水宏は結婚した後、離婚している。
また、『簪』のように、一つの宿を舞台にさまざまな人間模様を交錯させる設定を「グランド・ホテル形式」という。映画『グランドホテル』から命名されたものである。