脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

鴎外試論(11)

2007年10月30日 13時39分28秒 | 読書・鑑賞雑感
『カズイスチカ』という短編の主人公、若い大学出の医師・花房は、 市井の開業医である父の仕事を手伝ううちに感じ始める。 「自分が遠い向こうに或物を望んで、  目前の事を好い加減に済ませて行くのに反して、  父はつまらない日常の事にも全幅の精神を傾注している」と。 「カズイスチカ」とは臨床報告といった意味らしいが、 鴎外の言葉で言い換えれば、「日の要求」であろう。 生きているということは、この世に生 . . . 本文を読む

鴎外試論(10)

2007年10月28日 12時50分14秒 | 読書・鑑賞雑感
大正五年(1916)四月、五十四歳になる鴎外は、 陸軍軍医総監、陸軍省医務局長等の官職を退いている。 同年は、十二月に漱石が没する年でもあるが、 以後鴎外は、『高瀬舟』や『寒山拾得』他、 『渋江抽斎』や『伊沢蘭軒』という史伝の執筆に専念する。 この時期、退職後の心境を語ったとされる書き物に、 『空車』(むなぐるま)という短い随筆がある。 空車とは、馬に引かせて街中を往く大きな荷車であるが、 文字 . . . 本文を読む

鴎外試論(9)

2007年10月26日 13時26分35秒 | 読書・鑑賞雑感
高瀬舟は、京都の高瀬川を上下する小舟であり、 徳川時代、遠島される罪人を運び、大阪に廻したそうである。 夏の暮れ方、夜舟は、静かな川面の水を掻き分けひっそり進む。 小舟に揺られているのは、町奉行同心・羽田庄兵衛と 住所不定で三十歳になる、蒼白く痩せた罪人の喜助である。 庄兵衛は、大勢の罪人の護送役を務めてきた役人である。 喜助が弟殺しの科にある罪人であることは知っていたが、 黙って月を仰いでい . . . 本文を読む

鴎外試論(8)

2007年10月24日 11時20分24秒 | 読書・鑑賞雑感
鴎外は人間を、価値システムの中を回転し、 かつ心理的細部のメカニズムで動くものとして、 その機微を捉えつつ、構造的把握で眺めているようにみえる。 また、「生」の苦悩を主題とした夏目漱石に比べると、 鴎外の文学は、「死」を巡るような対照を成している。 『阿部一族』、『興津弥五右衛門の遺書』、『堺事件』において、 彼が武士の殉死に見るものは、 自死者が代償を求める程度・意思に差異はあるものの、 命と . . . 本文を読む

鴎外試論(7)

2007年10月22日 15時54分39秒 | 読書・鑑賞雑感
『雁』という作品は、不思議な読み物である。 筋が単純なので読み易いが、一方でかなり意図的に、 寓意だか象徴が散りばめられているようにも読める。 深読みすれば、 人生とは何なのか、「偶然と必然」とは何なのか等、 そんな形而上の問いに、軽い物語作品で応えているかのようでもある。 作者は、何故、この作品に「雁」と題名をつけたのだろうか? 鳥の雁が作中に登場するのは、 池に居る雁に、遠くから投げた石が . . . 本文を読む

鴎外試論(6)

2007年10月20日 14時56分47秒 | 読書・鑑賞雑感
女には、「娼妓」か「母」の二つのタイプしかない。 『青年』の大村は、ワイニンゲルという厭世思想家の 女性観を引合いに出し、純一と問答している。 「なる程。そこで恋愛はどうなるのですか。  母の型の女を対象にしては恋愛の満足は出来ないでしょうし、  娼妓の型の女を対象にしたら、それは堕落ではないでしょうか。」 「そうです。  だから恋愛の希望を前途に持っているという君なんぞの為めには、  ワイニ . . . 本文を読む

鴎外試論(5)

2007年10月17日 10時47分39秒 | 読書・鑑賞雑感
鴎外という人は、 天空を飛翔する鷹のような眼を持ちながらも、 己が地上の身の丈を、着実に生き抜いた人物である。 鴎外は壮語を以って吐き出した力で、 自身を高みに押し上げることがない。 「世界」に対して背後に身を置き、 それへと静かに肩をたたくような、隔てた親しさを持つ。 彼の見え過ぎる眼は、超越的でないことによる。 眼は、現実を縦に眺めるより、横に連なる流れとして受け止めている。 この流れに覚 . . . 本文を読む

鴎外試論(4)

2007年10月15日 19時36分45秒 | 読書・鑑賞雑感
鴎外の『余興』という小品は、同郷人の懇親会の席での話である。 内容は薄いが、鴎外の人品を窺わせる処があり、採り上げたい。 主人公の「私」は、余興に赤穂浪士の浪花節を聴かせられる。 これが、ひどくヘタクソで聴くに耐えない。 だが、先輩諸氏の手前、退席するわけにもいかない。 物語が終わるや「私」は「鎖を断たれた囚人の歓喜を以て」、 一同に打ち交じって拍手をする。 その後に、顔見知りの芸者が「私」に . . . 本文を読む

鴎外試論(3)

2007年10月13日 12時03分20秒 | 読書・鑑賞雑感
鴎外は、阿部弥一右衛門に 主体をもつ個人の姿を描いているようにもみえる。 それは、彼が君主から外され、武家社会という世間からも弾き出されて、 行き着いた最後の場所としてである。 彼の自刃は、反世間、反君主的であり、その死の意味は反措定的に、 彼自身にのみ帰属する処となるだけのものである。 君主・忠利が、弥一右衛門だけに何故、殉死を認めなかったのか。 鴎外は、その明確な理由を記さず、両者のエピソ . . . 本文を読む