脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

『累犯障害者 獄の中の不条理』(山本譲司)を読んで。

2012年09月15日 10時58分24秒 | 発達障害
この本を読むまで知らなかったが、日本の刑法には聾唖者(ろうあ
しゃ)に刑事罰を科さない(又は減刑)規定があったそうである。

「瘖唖者ノ行為ハ之ヲ罰セス又ハ其刑ヲ軽減ス。」(刑40条)

瘖唖者(いんあしゃ)は聾唖者を差す法律用語であり、先天的又は
幼少期に「耳」と「口」の能力を失った人のことである。

刑40条は、1995(平成7)年の法改正で既に削除されているが、
明治~平成の長きにわたって、聾唖者が刑事事件を起こしても罰せ
られない扱いだったとは、つい知らず、不勉強だった。

学生時代、私も刑法を学んでいるが、不罰規定というと専ら39条の
心神喪失・心神耗弱が詳細に論じられて、40条の説明や解説など、
授業でも教科書からも、だいぶ省かれていたのではなかろうか。


本書では、2005年に浜松で起きた聾唖者による不倫殺人事件が取材
されている。加害者は48歳の聾唖の男性Hである。Hには聾唖の妻
がおり、殺害された不倫相手である主婦K(47歳)とその夫も聾唖者
だった。この四人は、同じ聾学校高等部の同窓生である。

加害者Hは名古屋在住で、被害者Kさんは浜松に住んでいた。やや遠距
離の不倫恋愛であるが、聾唖者のコミュニケーション事情を一変したの
は、携帯メールの普及であると言われている。従来、聾唖者のコミュニ
ケーション手段は手話(ときに筆談)であり、昭和の頃であれば、この
不倫カップルは成立しにくかったのかもしれない。

交際期間3ヶ月半の間に、HはKさんに7312回、KさんはHに5416回の
メールを送信していたという。Hは仕事に就いていた訳であるが、どち
らも日に50~70回ものメールを相手に送っており、尋常ではない頻度で
ある。それほど熱烈な不倫恋愛だったのだろうか。何か「繋がること」
或いは、コミュニケーションへの飢餓感のようなものを、私は感じる。

Hは名古屋から自家用車(妻の所有)で浜松に赴き、Kさんとの逢瀬を重
ねていた。あるとき、Kさんから「不倫を家族にバラす」「10万円ほし
い」と要求されたことに腹を立て、Hは車中でKさんを絞殺し、遺体を
乗せたまま山間部を走り回り谷間に遺棄した、という。

事件そのものは、ありふれた痴情のもつれによる殺人事件であるが、
著者は、聾唖者同士のコミュニケーションに潜む陥穽や、聾唖者特有の
メンタリティに注目しているようである。

KさんのHへの「脅迫」は、本心、本物だったのか?
そんな疑念を、著者は抱いているようである。Kさんの「脅迫」が、不
倫に戯れる女性の「恋の駆引き」みたいなものかは、法廷でも問われて
いたようである。

二人の交際の様子を追ってみると、Kさんの「不倫をバラす」も「10万
円を誕生日までにほしい」も、好きな相手を困らせて反応をみてみたい、
試してみたいという恋愛遊戯、近しい者への甘えや小さな毒の一種、健
常者なら「なんちゃってぇ~」と巧みに茶化して、冗談半分に丸めてし
まう類の、心情の表出だったのかもしれない。

だがHは、それらを額面どおり受け取り、自分への重大な脅威として殺
害に至る。どうも両者には、何処かにコミュニケーションのズレやすれ
違いがあったのだろうと思う。それに、Hの短絡的な思慮が加わり、事
態は殺人にまで飛躍してしまった。事件の深層の構図にそんな可能性を
感じる。その点をHに問い質しても、Hには抽象的な思念は、理解が及
ばないかのようである。


手話は、健常者(聴者)の言葉による表現世界に比べると、伝達し得る内
容は大雑把であり、対人感情のニュアンスまでは、伝えにくい制約をも
つもののように思える。そのような手話が作るコミュニケーション世界
の幅にしか、彼等、聾唖者の精神世界はないのではなかろうか?

手話で育った聾唖者には、言葉を使って描かれる細かい表現世界への理
解が追いつかないし、身にも付いていない。そのために、聾唖者のメン
タリティは健常者に比べて、拡がりや深みを欠いたものに成りがちで、
メールや筆談での文章表現を見ても、何か内面の発達に乏しい稚拙さが
現れているように、私は感じた。
(勿論、全ての聾唖者がそうであるという訳ではないが。)

彼等、聾唖者の精神世界や感受性、そこから派生する行動や倫理感とい
うものは、聾唖者同士相互にもズレを孕みやすいし、健常者とも自然と
異なって形成され易いものだとしたら、その点には、もっと世間が眼を
向け、配慮し理解を深める必要があるだろう。


Hの犯行はすぐに発覚し、逮捕・起訴され刑事裁判となるのだが、手話
通訳付きの法廷でのやりとりも「空気が読めない」ようにズレている。

Hは「Kさんはどうして不倫を承認したと思うか」と問われて、「嬉し
いから」と答えている。情事の様子を問われては「最高 気持ちいい」
と語っているらしい。山中に死体を遺棄した理由については、「車が妻
のだから」と方向違いな返答をしている。
Hは、抽象的な言葉への理解が乏しいというより、アスペルガー等の自
閉症者の特徴にも似て、他人の内心や意図を推し量る能力が極度に乏し
いのではないのだろうか。

一体、聾唖者と自閉症者の脳器質には、類縁性があるのだろうか?

聾唖者による不倫殺人事件のことばかり記してしまったが、
本書の眼目は、知的障害者が累犯者にならざるを得ないような、福祉行
政のエアポケット、刑事政策や司法のあり方に照明を当てた点だと思う。

刑務所受刑者の3割は、重度~軽度の知的障害者が占めているという。
彼等は置き引きとか食い逃げ等、確かに罪を犯しているが、後見人等
の身寄りがなく、福祉からも見捨てられたような生活困窮者である。

刑事・司法行政では、社会秩序維持のため、行き場がなく累犯傾向にあ
る障害者は、微罪でも、刑務所送りの処遇になってしまうようである。
刑務所に代用福祉施設の役割を課しているのである。また、それ以外に
は生きる場所も術がないので、自ら刑務所を望む障害者もいる現状だと
いう。障害者問題に関心のある方は是非、本書の御一読を。

(参考:『累犯障害者 獄の中の不条理』(山本譲司著)新潮社)




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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2021-01-18 04:45:28
書かれていることには大筋で納得できるのですが、手話で育った聾唖者の精神性は深みや広がりを欠いたものになりがちという部分には少し疑問を覚えました。
手話で育つのが問題というより、コミュニケーションの機会・量・質ともにどうしても健常者に劣りがちになることが問題だと言った方がより正確ではないかと思うのです。
ご意見ありがとうございました。 (脳辺雑記帖)
2021-01-21 10:57:07
記事を丁寧に読み込んで下さり、ありがとうございました。ご指摘を受けて、確かに私の表現、「聾唖者の精神性は深みや広がりを欠いたものになりがち」は、やや差別性を含むように感じました。ある障害故に「精神に深みや広がり」を欠くとは表現すべきではなかった。健常者より劣るのではなく、彼らには彼ら独自の尊重すべき精神性や世界があるはずですから。自分でも期せずして、人間を上下で眺めていたことに気づかされました。貴重なご意見、参考にいたします。




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