脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

『まっとうな人生』(絲山秋子)読後。

2022年11月24日 21時26分20秒 | 読書・鑑賞雑感
この1~2年、体温が35度台しかないことが多い。何がその原因か判らない。
そのせいかお腹が冷えるのか、急に下痢をしたり変な調子が続いていたが、
このところ体温が36度台に少し戻りつつある。まさかコロナ・ウィルスのせい?
自律神経がおかしいのは確かだが、他に大病が隠れてないことを願う。

絲山秋子の『まっとうな人生』という近著を読んでいた。彼女の文章は好きである。
話体文にさりげなく知恵が溶けているから。ふと次の箇所(前掲書190P)に眼が留まった。

「 お互いを識別しすぎないということは、他人の生活を変えようとしないことでもあった。
 人が人に見えてくると、問題が起きる。共感や承認を求めようとするし、自分と比べたり
 もする。支配や制御の気配を感じて息苦しくなる。人を人とも思わない、というのはいい
 言葉ではないかもしれないけれど、人を人としか思わなければ、それがちょうどいい距離
 感なのだった。(中略) 節度という言葉はこういうものなのかもしれないと思った。 」

その人の素性やら何やら識別し過ぎた「個」として、他人と付き合うことよりも、偶々電車で
隣り合って言葉を交わしただけの「人」としてのように、他人と付き合っている方が、節度の
ある程良い距離感でいられる、そんな話。

私の世代ならずとも、「個」の尊重とか個性が大事とかいつも言われてきたが、それは以前の
社会が人権をあまりに軽るんじた反省と反動でもあると思う。日本国憲法にも、「全て国民は
個人として尊重される」とわざわざ明記されている。そんな事は当たり前の世の中になって欲
しい。が、尊重されているのは個人ではなく、地位とか帰属とか富だったりするのが世間だ。

しかしながら、そのこと(個の人権尊重)とは逆に、他人との触れ合いや付き合いにおいては、
相手を「個」として重々しく扱うより、「人」一般として空気のようにお互い軽く流れた方
が、かえって節度のある丁度良い関係が保てる、と教えられたようで、私なりにハッとした。

相手の「個」というものを余り意識せずに、相手を皆「人」として平等に遇しふれあう。
情報過多と過剰コミュニケーションの世の中である。そこに蠢くのは共感や承認、更には騙し
や釣り出しだのと、対人欲望のむさ苦しい雑踏のような有様である。

プライバシーには勿論、寧ろ相手の「個」に立ち入らない、「人」一般として向き合った軽い
触れ合いや付き合い方。相手とは接点を共有しない人間関係みたいなものかな。
それが今の時代、少なくとも一面では、相応しい身嗜みかな、と思った。

  

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