ジャズ高に 残るニギリギン 教育論?
24年11月30日{曇りで寒い。出雲大社神社祭最後の神有月終わる。3度
雲を染めて昇り来るお天道様
すぐに雲の中にお隠れの朝陽
明るくなってくるので覚醒する。障子とカーテンを開けると、雲を染めてお天道様が昇ってくる。
今日はお天気になるかと、期待していたがすぐに雲の中に隠れて出てこない。氷点下ではないが寒い朝である。
今朝も布団の中で、昨夜からの本をしばらく読んでいる。
7時30分には起床して、賑やかな馬鹿馬鹿しいような朝ドラを見る。
何となく元気がでるような、気がする日もあるのだが・・・
斜面の記事は、きのう告示された東京都知事選。13年続いた石原知事の評価も検証される。
都知事選が衆院と重なるのは、18回目となる今回が初めてとか。
投票率が50%を越えるのか、浮かれているのは新しい党ばかり。
小沢氏を制せないで、官僚が制せるかという「未来党」はユニークだが。
アリオのチラシに「立科町美味フエアー」広告
ユーユーたてしなで配付したパンフでは、11月28日から12月3日{月)と
なっているのだが、このチラシでは12月2日までとなっている。
お手伝いにはいけないが、多分3日までやっていることだろう。
生産者が喜ぶような結果が出てほしい、第1回の開催である。
N歯医者での治療
やっと仮歯を入れてもらう。10時から11時45分と思ったよりも時間がかかっている。次回は12日の予約である。
五無斎お手植えの2代目木々
蓼科高校・ジャズ高の玄関先に育っている木々は、初代五無斎校長が、細谷のK寺院のM氏からもらってきて植えた樹という。
今育っているのは、2代目の樹であるそうだ。
S先生採集の鉱石類
「武石(ブセキ)」と呼ぶそうだ。これが「たけし」命名の原点とか。
この石も今はあまり採集できないそうだ。
「玄能石」は五無斎が石の採集を始めたきっかけと言う
第4回 保科五無斎講座・・・蓼科学
弁舌豊かに熱弁のS先生
初代校長を辞任したあと、お金には苦労しながら、石の狩人~新聞の発行~保科塾~筆売りをしながらも。教育への情熱は全うされたとか。
五無斎と地質学
東大の先生に褒められたこともあり、石の採集に傾注していったようだ。
北・南・ッ中央アルプスと、高い山にも登り、登山の先駆者でもある。
服装からは想像できないほどの、几帳面な性格でメモ帳にはびっしりと様々なことが書かれている。
長野県に走る2本のフオッサマグナ
二つの島であった証拠が長野県の中央に走るマグナで、左は四国まで延びているそうだ。
日本列島は最初は、二つの島からなっていたそうだ。
初めて見る五無斎寄贈の鉱石箱
230種類の岩石の標本を100個以上作ったようだ。蓼科高には寄贈したようだが、他の99校には生活のために売ったようだ。
ストーブの後ろにある箱で重いのだ。生徒が4人でやっと運ぶほど。
郷土・立科が誇れる人材である。
日頃の鬱憤晴らす傑作な狂歌
素晴らしい狂歌が沢山残されており、才能の豊かさを物語っている。
世の中に対する日頃の鬱憤を、狂歌に託したのかもしれない。
ニギリギン式教育論
評価する人もいたが、全体的には異端者とされたようだ。
全部が100点を取るような、教育が理想と朝飯前の授業もされたそうだ。
「ゴムの悪口演説」といわれるように、訊ねる学校で先生を集めたは演説をしたとか。
しかし死後100年を経てもなお、窒息状況にある、今の教育界に大きな光明を示しうる人物である。とS先生の締めの言葉である。
生徒のほかに地域の人の参加は、10名足らずといつもと同じくらいか。
12月7日には別の先生による。五無斎100年講演も予定されている。
福島の飯館村では、放射能でセイタカアワダチソウやアブラムシに奇形がでているとか。
チェルノブイル以上の放射能が出ているそうだ。政府による早い瓦礫処理など、手を打たないと危険である。
「脱源発」卒原発」もいいが、早い処置を現場では待っているのだ。
年賀ハガキが届く。昨年は400枚だが、今年は350枚にしてある。
敬妻は寒い!寒い!といいながら、午前はお人形作りにお出かけ、午後は母の面倒と読書をしていたようだ。