ふるさとの 歴史を学び 再感動
20年8月31日(日)210日 21度
児童館を出発
今日で8月が終わる。夏の最後の日・210日である。眼下には穂をつけた稲が風にそよいでいる。台風よ来ないでくれと祈る。
天気が心配で早めに起きる。雨は止んで曇で山は見えない。
朝飯を済ませて、児童館の駐車場に向かう。
第8回歴史探訪教室で、津金寺の歴史と文化財を学ぶ日である。
8時の集合だが早めに集まってくる。定員16名の限定であるが2~3人多いようだ。山裾の人の姿が見えないのが淋しいが、昨年にで見学したということだ。
私などもう何10回にもなるが、何度でも聞いて自分のものにしたいと参加する。
住職にT先生も講師で来てくださる。8時に予定どうり出発する。
九頭龍権現社 (表鬼門)
平成14年に建替えられた素晴らしい表鬼門である。
Y住職が謂れなどを説明され、地図を示して北西に戸隠の九頭龍権現があるという。方角が丁度我が家の辺りなので驚く。
裏鬼門は津金寺の宝塔の上にある。
権現山から望む津金寺全景
運動公園から津金寺の全景が見える。かってはこの辺り一面が津金寺の境ない内であったほどの名刹である。
新鐘楼
昨日に滋賀県から納入された鐘と突き棒が、白い布を被っている。
10月に祝事を採り行ってから突き始めるとのこと。
素晴らしい音色が町中に鳴り響くことだろう。安全と安心を祈念して・・・
古い鐘楼
歴史を奏でてきた古い鐘楼は、明日には取りり払われて堂内で保管されるそうだ。
町文化財・観音堂
元禄15年に再建された観音堂。織田信長により、比叡山の焼き討ちとともに県下の天台宗の寺はすべて焼かれたので再建されたもの。
立川流の見事な彫り物が、外に中にと彫られている。
毎年多くに催事が執り行われる場所でもある。
町文化財・妙見堂
普段は鍵がかかっており拝見することが出来ない彫り物。
これも分業で彫る立川流の見事な造作である。荘重な作りに優雅な彫刻だ。
県文化財・滋野氏宝塔
滋野一族は,望月牧の牧官として東信一帯を支配した名族である。
石造塔婆で時代的特徴を表している重要な数少ない石造文化財である。
客殿での五無斎・保科百助
長野県が誇る教育者・五無斎のビデオを始めて拝見する。素晴らしい出来栄えである。
44歳で亡くなって一年足らずで、石碑が津金寺と長野に建てられるような、立派な人物で日本百奇人伝の一等になったほどの人である。
いつもながらT先生の話には感銘する。ビデオを見た後なので、五無斎が10年間で学校を6箇所もなぜ変わったのか?自分の責任ではなく、周りが変えたのだという原因を話される。
縁談を断られるいきさつなど、人間的に可哀想な人で酒も原因して早世したようだ。
立科の町おこしになってくれそうな人で、アピールをしたいものだ。
津金寺さんには住職の説明とともに、場所や飲み物、記念品まで頂戴と随分お世話になった。感謝申し上げます。そして休みにも来て、面倒をいただいた教育委員会のY氏にもサンキューを申し上げたい。
立科の素晴らしい歴史にふれ、心も高揚して外に出ると天気は快晴、夏の陽気になっている。
8時に児童館を歩き始め、戻ったら12時30分頃である。
有意義な半日なり。午後は畑でもと思ったが、土がぬかっており明日の心とする。
写真の拡大は技不足で、間に合わない。ごめんなさい!!
20年8月31日(日)210日 21度
児童館を出発
今日で8月が終わる。夏の最後の日・210日である。眼下には穂をつけた稲が風にそよいでいる。台風よ来ないでくれと祈る。
天気が心配で早めに起きる。雨は止んで曇で山は見えない。
朝飯を済ませて、児童館の駐車場に向かう。
第8回歴史探訪教室で、津金寺の歴史と文化財を学ぶ日である。
8時の集合だが早めに集まってくる。定員16名の限定であるが2~3人多いようだ。山裾の人の姿が見えないのが淋しいが、昨年にで見学したということだ。
私などもう何10回にもなるが、何度でも聞いて自分のものにしたいと参加する。
住職にT先生も講師で来てくださる。8時に予定どうり出発する。
九頭龍権現社 (表鬼門)
平成14年に建替えられた素晴らしい表鬼門である。
Y住職が謂れなどを説明され、地図を示して北西に戸隠の九頭龍権現があるという。方角が丁度我が家の辺りなので驚く。
裏鬼門は津金寺の宝塔の上にある。
権現山から望む津金寺全景
運動公園から津金寺の全景が見える。かってはこの辺り一面が津金寺の境ない内であったほどの名刹である。
新鐘楼
昨日に滋賀県から納入された鐘と突き棒が、白い布を被っている。
10月に祝事を採り行ってから突き始めるとのこと。
素晴らしい音色が町中に鳴り響くことだろう。安全と安心を祈念して・・・
古い鐘楼
歴史を奏でてきた古い鐘楼は、明日には取りり払われて堂内で保管されるそうだ。
町文化財・観音堂
元禄15年に再建された観音堂。織田信長により、比叡山の焼き討ちとともに県下の天台宗の寺はすべて焼かれたので再建されたもの。
立川流の見事な彫り物が、外に中にと彫られている。
毎年多くに催事が執り行われる場所でもある。
町文化財・妙見堂
普段は鍵がかかっており拝見することが出来ない彫り物。
これも分業で彫る立川流の見事な造作である。荘重な作りに優雅な彫刻だ。
県文化財・滋野氏宝塔
滋野一族は,望月牧の牧官として東信一帯を支配した名族である。
石造塔婆で時代的特徴を表している重要な数少ない石造文化財である。
客殿での五無斎・保科百助
長野県が誇る教育者・五無斎のビデオを始めて拝見する。素晴らしい出来栄えである。
44歳で亡くなって一年足らずで、石碑が津金寺と長野に建てられるような、立派な人物で日本百奇人伝の一等になったほどの人である。
いつもながらT先生の話には感銘する。ビデオを見た後なので、五無斎が10年間で学校を6箇所もなぜ変わったのか?自分の責任ではなく、周りが変えたのだという原因を話される。
縁談を断られるいきさつなど、人間的に可哀想な人で酒も原因して早世したようだ。
立科の町おこしになってくれそうな人で、アピールをしたいものだ。
津金寺さんには住職の説明とともに、場所や飲み物、記念品まで頂戴と随分お世話になった。感謝申し上げます。そして休みにも来て、面倒をいただいた教育委員会のY氏にもサンキューを申し上げたい。
立科の素晴らしい歴史にふれ、心も高揚して外に出ると天気は快晴、夏の陽気になっている。
8時に児童館を歩き始め、戻ったら12時30分頃である。
有意義な半日なり。午後は畑でもと思ったが、土がぬかっており明日の心とする。
写真の拡大は技不足で、間に合わない。ごめんなさい!!