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読書「黒と白のはざまBetween Black and White」ロバート・ベイリー著2020年刊

2022-05-26 15:45:28 | 読書
 アリバイなし動機と物的証拠がたっぷりという窮地に立たされているのは、黒人の弁護士ボー・ヘインズ。地元の資産家アンディ・ウォルトン殺害容疑。

 テネシー州プラスキという人口約8000人弱の街で起きた事件で、地区検事長ヘレン・ルイスによれば、ボー・ヘインズのアンディ・ウォルトンに対する長年の恨みが実行された結果だという。本人は全面否定している。

 そのプラスキという街は、テネシー州の州都カントリー・ミュージックの聖地といわれるナッシュビルから車で1時間10分ほどのところにある。
 私はこういう翻訳ものを読むときには、実に便利なgoogleマップのストリートビューで確認している。インターステートハイウェイを降りて郡道をプラスキにたどる道は、交通量の少ない閑散とした雰囲気で人家もまばら、夜は漆黒の闇だろう。そして交通標識の少なさ。T字路でも信号はあるが、案内板はない。日本の道路標識の有難味が分かる。

 このプラスキを著者によれば「クー・クラックス・クラン(K・K・K)誕生の地。テネシー州プラスキのことが人々の口にのぼるとき、誰もが思い浮かぶことだ。それはプラスキという街の歴史において、決して避けて通ることのできない一面だった。もともと南部連合の退役軍人6人が、気晴らしの社交クラブを作ったとき、ギリシャ語の「ククロスkuklos集まりの意」と名付けたのがK・K・Kの始まりだが次第に過激化していく」

 こういう土地柄の45年前、1966年8月18日ボー5歳の時、父ルーズベルト・ヘインズがK・K・Kのユニフォーム白ずくめの頭巾とマントの集団に呼び出され、大きな木に吊るさて殺された事件を目撃する。頭巾だから人相は分からないが、首領の声は聞き覚えのあるアンディ・ウォルトンだった。

 いずれは責任を取らせようと、アラバマ大学のロースクールに学ぶ。卒業後は地元プラスキで開業。順調な弁護士業を営んでいた。そこへ降ってわいた殺人容疑で逮捕される。過去の言動が災いしたのも確か。バーであけすけにアンディには、眼には眼をと聖書のくだりを声高に言ったりしていた。まさに四面楚歌。

 頼るのはアラバマ大学でロースクールの教授を務めていた、今は弁護士として活動している恩師のトム・マクマトリー。助手を務めるのは事務所のパートナーとして働くアリゾナ大学ロースクール卒の若きリック・ドレイク。
 さらに地元の弁護士を弁護団に加える必要があるため、トムの旧友レイモンド・ピッカルーを加えた陣容となった。

 追い詰められた被告をどのように弁護団は切り開いていくのか、興味津々で読み進めた。予想もしない結末には、驚くほかはない。

 著者ロバート・ベイリーもアラバマ大学ロースクール出身で、アメリカ南部在住ということでカントリー・ミュージックの数々が、場面に応じた曲を書き込んである。

 私にとってこれも嬉しいことの一つ。それらの曲は、古いナンバーでエディ・レイブン「アイ・ガット・メキシコ」、今でも現役のケニー・チェズニー「ノー・シューズ、ノー・シャツ。ノー・プロブレム」、「スィート・アラバマ」、ジョン・アンダーソン「ストレート・テキーラ・ナイト」、ウィリー・ネルソン「ウィスキー・リバー」。

 それではこの中からケニー・チェズニーの「ノー・シューズ、ノー・シャツ。ノー・プロブレム」を聴いていただきましょう。
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読書「帰らざる故郷The Unwilling」ジョン・ハート著2021年刊

2022-05-18 09:45:28 | 読書
 父は僕の肩に手を置き「手遅れにならないうちにジェイソンを見つけなければ……」と言った。僕も父も、世界が終ろうとしていることに気づいていなかった。

 1955年11月から1975年4月までおおよそ10年間続いたベトナム戦争さなかの物語で、1972年ノースカロライナ州シャーロットに元海兵隊員が刑務所から出所した。その男は、生まれ育った実家には立ち寄りもしないジェイソン・フレンチ。

 バスターミナルからマリファナ吸引で退職を余儀なくされた元刑事の目撃電話を受けたのが、ジェイソンの父、殺人課刑事ビル・フレンチだった。ビルの家庭環境は、妻ガブリエル、ベトナムで戦死した長男のロバート、次男のジェイソン、そして大学受験を控えた高校生の末っ子ギビー。

 どこの家庭でも何かしら問題を抱えていることが多い。フレンチ家も例外ではなかった。長男のロバートが戦死したとき、ロバートを溺愛している妻ガブリエルの一言「ジェイソンだったらよかったのに……」。この不用意な言葉が、ジェイソンを家族から離反させ悪の道へと追いやった。

 両親と反目するジェイソンではあるが、弟のギビーにとっては大事な兄なのである。ジェイソンをロバートに重ねて見ているギビーで、この物語は主にギビーを中心に展開されていく。

 さて、重大な事件の発端となるのがジェイソンの女友達タイラ・ノリス殺人事件。当然のように親しいジェイソンに容疑がかけられる。ジェイソンの父が殺人課刑事のビルも当然のこととして捜査からか外される。

 義憤にかられるのがギビーで、なんとか犯人を突き止めたいと頭を絞る。友人のチャンスの協力や憧れの美女ベッキー・コリンズとのファーストキスからファーストセックスまで思春期の瑞々しさも織り交ぜてある。

 読者にはタイラ・ノリス殺人の犯人が明らかにされている。これには黒幕がいる。レーンズワース刑務所の地下二階に君臨するXという死刑囚の男。絶大な富と力をもつ。一部の看守は勿論、刑務所長まで自由に動かせる男なのだ。

 このXが冴えない中年男に見える殺し屋リースに命じたものなのだ。動機? って他愛無いもので、ジェイソン、タイラ、サラ、ギビーがドライブ中、レーンズワース刑務所の囚人護送バスに追いつき並走してタイラが裸になったりして囚人たちの劣情を刺激し侮辱したというものなのだ。
 とは言っても普通に考えれば、この程度で人まで殺すかというわけで、これはXの深謀遠慮でラスト近くで明らかになる。

 ジェイソンの人物像も1968年3月のソンミ村虐殺事件再来かという小隊の狂乱事態に直面して、ジェイソンらの隊が33人の死体も発見、指揮を執っていた狂乱の中尉を半殺しの目にあわせた、上官に対する殴打は軍規違反になる。

 軍はレヴェンワース連邦刑務所で10年服役するか、秘密保持契約書に署名して不名誉除隊を受け入れるかを迫った。これはいわゆるもみ消しで、裏にはこのジョン・G・ラフトナー中尉が陸軍参謀長の部下ラフトナー将軍の息子ということもあって厳しい判断につながった。

 しかもジェイソンを殺さない代わりに薬物中毒にして不名誉除隊とした。しかし、すべての海兵隊員たちは、ジェイソンの功績を讃えていてこんな場面がある。

 シャーロットにある新兵募集の事務所。18歳になれば志願できるので、ギビーも事務所前に車を停めて考え込んでいると、片腕のない採用係が手招きした。名札にはJ・マコーミックとある。
 いろいろな話の中から父や兄の話になり、父は朝鮮戦争、兄ロバートはベトナムで戦死、どこの所属だの質問からロバート・フレンチと告げると採用係は「もう一人のお兄さんは、ジェイソン・フレンチかな」と言って新聞を滑らせた。

 殺人と裁判所と勾留という文字が並ぶ下にジェイソンの写真があった。ギビーが思わず「兄はあの女の人を殺していません」と言った。「信じるよ」と採用係。そして言った。
「お兄さんにメッセージを伝えてほしい。第二十六海兵師団第二大隊ジョン・マコーミック中尉からだと伝えてくれ。私のことなどお兄さんは知らないだろうが、それはどうでもいい。彼のベトナムでの行動を知る海兵隊所属の全戦闘員の気持ちだと伝えてほしい」
「なんと伝えればいいのですか?」
「これだけだ」がらんとした部屋で椅子を引いた。瞬きして涙らしきものを払い、わけが分からず言葉もなく呆然と見ている僕の前でピンと背筋を伸ばし、残った方の腕で海兵隊員だった兄に敬礼した。

 こういう場面は、わたしの琴線に触れ涙ぐむのが常なのだ。先の太平洋戦争では、わたしは十代の子供で戦場の経験はないが、戦争の経験はある。空から降る爆弾と焼夷弾のザーという音は耳に残っている。焼け野原になった大阪の街に、黒こげの死体も見た。航空母艦から飛来したグラマン戦闘機のパイロットが、遊びで機銃掃射をして銭湯の壁に大きな穴をあけたことも。ついつい思い出してしまう。

 その反面、甘い思春期も。ギビーとベッキーのデート。
「プリンストン大学のことは二か月前に両親から知らされた。奨学金をもらっても無理だって」とベッキー
「それはがっくりくるね。残念だ」とギビー
「それが人生よ。でもね。おかげで自分の力でなんとかできることと、できないことの違いがわかった。ここに連れてきたのはそれが理由」 
「どういうことかわからないな」
「そう?」
 ひんやりとした風が吹きつけ、髪が顔にかかる。彼女は僕がうろたえているのを見てほほ笑んだ。
「キスして、ギビー」
「本気?」
「二年生のときからあなたにキスしたいと思ってた」
「でも、そんなこと言ってくれなかったじゃないか……全然、知らなかった」
「でも、いまはもうわかったでしょ」
こういう会話をみていると、いつの時代も男の子はウブで、女の子のオマセは変わらない。

 ベッキーが進み出たので、ぼくは彼女にキスをした。最初は軽く、やがてあまり軽いとは言えないキスまで発展した。

 私がギビーなら絶対ベッキーを手放さないだろうなあと思う。こんな聡明な女性って滅多にいないからね。こういうエピソードを含みながら、家族の対立と和解を緻密な構成と文体で飽きることはない。

 ただラストが気に食わない。すべてが一段落したあと、ギビーとベッキーの余情のある場面にしてほしかった。もう一つ気になることがあって、それは冒頭「僕(ギビー)も父も、世界が終ろうとしていることに気づいていなかった」のくだり。なんでわざわざこんな文言を入れたのだろうか。物語の流れから見てどうも死刑囚Xが政府機関のシンボルではないかと思ってしまう。ベトナム戦争で堕ちた政府の信用、著者は告発したかったのかも。

著者ジョン・ハートのウェブサイトより、
 ジョン・ハートは、ニューヨーク・タイムズのベストセラー『嘘の王』、『ダウン・リバー』、『最後の子供』、『アイアン・ハウス』、『リデンプション・ロード』、『ザ・ハッシュ』の著者です。
 連続小説で最優秀小説エドガー賞を受賞した歴史上唯一の作家であるジョンは、バリー賞、南部独立書店フィクション賞、イアン・フレミング・スチール・ダガー賞、南部図書賞、ノースカロライナ文学賞も受賞しています。
 彼の小説は30の言語に翻訳され、70カ国以上で見つけることができます。元弁護人で株式仲買人であるジョンは、バージニア州の農場に住んでおり、フルタイムで執筆しています。

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読書「夜はやさしTender is the night」F・スコット・フィッツジェラルド著1934年上梓

2022-05-06 15:50:48 | 読書
 「善い人間でありたい、やさしい人間でありたい、勇敢な賢い人間でありたい。でもどれもなかなか難しい。それに俺は愛されたいのだ。他のこととの兼ね合いがうまくいくなら」と考え行動にも表れているのがアメリカ人で精神科医のディック・ダイヴァーなのだ。
 このディックをめぐる二人の女性とのラブロマンスの行方が、克明に描かれている。

 その女性二人の名前は、ニコルとローズマリー。フィッツジェラルドが描くニコルは、「雨にかすんだ夕暮れの光を浴びて、金色に輝く象牙の色合いに染まった彼女の顔には、ディックがこれまでお目にかかったことがないような美の萌芽が見える。高い頬骨。かすかに青ざめた肌には、熱よりむしろ冷ややかさが漂っている。将来有望な子馬の体つきを思わせる美しさ――そこに約束されているのは、若さの持つ輝きを灰色にあせていくスクリーンに投影されただけの未来ではなく、真の成長だ。この顔はきっと、中年になっても美しいだろう。老年になっても美しいだろう。確固とした骨組みと無駄のない秩序がそこにはある」

 ディック・ダイヴァーを愛するニコルだが、実は統合失調症(かつて精神分裂病と言った)なのだ。主治医と患者という関係から、周囲の反対を押し切って夫婦という関係を築き上げた。夫婦の間には子供二人に恵まれ、ニコルも回復の途上にあるときハリウッド女優のローズマリー・ホイトが現れる。

 フランスのマルセイユからイタリアにかけて広がる地中海に面したフレンチ・リヴィエラに、堂々たる外観の大きなバラ色のホテルがある。目の前にはこじんまりとしたビーチが広がっている。そこでディック・ダイヴァーの家族や知人の家族が夏のひと時を楽しんでいるとき、母と娘が姿を現す。

 娘はローズマリー・ホイト「魔法を秘めたピンク色の手のひら、それに頬の輝きはかわいらしい炎を灯したかのようで、宵の冷水浴を終え興奮冷めやらぬ子供の顔のほてりを思わせる。美しい額はゆるやかな曲線を描いて髪のはえぎわに達し、その額を紋章の盾の形に縁取っているブロンドの髪が、そこから一気に、微妙な濃淡のある多種多様な巻き毛になってこぼれ落ちている。目は明るく、大きく、澄みきって、濡れてキラキラと輝いて――女としての完成に近づいてはいたが、まだあどけなさが朝露のように残っていた」

 フィッツジェラルドの比喩やユーモアに意味が理解できないものもあって、このごてごてとした文体に疲れを覚えることも多い。それでも先を読みたいという欲求は衰えない。

 ハンサムで人をそらさないディック・ダイヴァーに魅了された18歳のローズマリー。二人っきりになる機会をとらえてディックに「あなたが好き」と言い続ける。ニコルを愛し支えているディックは、やすやすと一線を越えない。

 ローズマリーが21歳になったとき、遂に二人が一体となる。これの表現がいともあっさりとしたものなのだ。「ローズマリーはディックのものになりたいと思い、そうなった。ビーチで子供じみた恋として始まった関係が、ここにようやく成就したのだった」ふーん、そうかい。もっと味のある表現できないのかい? と思ったものだ。

 一方ニコルとの長い物語には自伝的要素もあり、フィッツジェラルドとゼルダの関係がディックとニコルの関係と思える。精神科医として療養所で重きをなし、患者から好かれ有意義な生活を送っているが、ローズマリーに会ってからニコルとの関係が少しづつ変化の兆しも見え始める。

 女性の鋭い感受性は、ニコルにも響いたようで固く縛ったロープがゆっくりと緩みを見せる。ニコルは自分を献身的に支え愛してくれたディックだが、彼の心が自分から離れていく兆しを感じるのだった。

 ローズマリーにしても、あれほど憧れ心酔していたディックであるが、女に求めるものが他の男と全く同じなのが期待を裏切ったと感じる。従って、ローズマリーは静かにディックから離れていく。

 この本で村上春樹が所見を述べているが、その中でフィッツジェラルドの長編小説の中で、質として最も高いのはなんといっても「グレート・ギャツビー」だけど、個人的に最も心を惹かれるのは「夜はやさし」かもしれないと多くの人が語ると書いている。
 どちらも主人公の男の哀しみに包まれた結末だが、心に残ることに異論はない。

 F・スコット・フィッツジェラルドは、1896年ミネソタ州セントポールに生まれ、1940年44歳でこの世を去るまで、長編小説4篇ながら第1次世界大戦後の価値観に懐疑的な世代(ロストジェネレーション)を代表する作家といわれる。1920年にゼルダ・セイヤーと結婚、娘フランセスをもうける。ゼルダは1948年、入院中の病院の火災に巻き込まれ死亡。フラッパーといわれ行状は型破りのようだった。フィッツジェラルドもゼルダも時代の寵児となった。ゼルダの生涯をウィキペディアで読むと面白い。
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