Wind Socks

気軽に発信します。

一流ホテルを格づけするアラフォー調査員の哀歓。映画「はじまりは5つ星ホテルから'13」イタリア 

2014-07-29 17:00:40 | 映画

             
 こういう仕事はイタリアにはあるんだろう。一流ホテルに泊まって接客態度や部屋の清潔度や料理に至るまで評価していく。

 仕事でホテルに泊まる調査員のイレーネ(マルゲリータ・ブイ)は、心から楽しむことが出来ない。年齢も40代半ばで独身。広いダブルベッドで独り寝程わびしいものはない。画面からひしひしと寂寥感が漂う。

 演じているマルゲリータ・ブイは実年齢が50代半ばでアラフォーを演じるには少し老けているといってもいい。しかし、顔立ちは好きなタイプで眺めているだけでよかった。

 出ている男優がいま一つという印象だった。冴えない感じだ。フランス映画もわたしの観た範囲では男優が印象に残らない。注目される男優は、みんなハリウッドへ行ってしまうのだろうか。そんな気がする。この女優、誰かに似ているんだが思い出せない。
         
         
監督
マリア・ソーレ・トニヤッツイ1971年5月ローマ生まれ。

キャスト 
マリゲリータ・ブイ1962年1月ローマ生まれ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2000字の小説「見えない神の手」

2014-07-26 21:11:14 | 小説

 飛行機の墜落事故。その飛行機に乗り合わせた人々の運命とはどんな糸で操られているのだろうか。

 2014年7月26日午前11時銀座の歩道。梅雨明け10日と言われるように、梅雨が明けて10日間は快晴が続くと言われている。その通りの青空に浮かぶ雲は、まだ春の名残を引きずって薄ぼんやりとしたものだった。それでも降り注ぐ陽射しは思わず手をかざして光を遮りたくなるほど強く暑い。

 この暑さの中、歩道は人の行き来で途切れることはない。その中にひときわ目に付く女性が銀座四丁目に向かって歩いていた。Tシャツにジーンズや短パンというスタイルが普通という時代にあって、つば広のブルーのサマーハットに薄いブルーのサマー・ドレス、足元は白のサンダル。足首にはプラチナのアンクレットが時折陽射しを反射していた。色白で肉感的な体つきに横顔の美しい女性三十代後半に見える45歳の川路美穂という。

 行きかう人々のうち男性は目を離せなくなるようで彼女をずーっと眺めている。女性でも振り向く人も多い。そういう彼女は、女優でもファッション・モデルでもない。ごく普通の下町の娘だった。しかも、夫がいる。

 新橋方面から銀座の方へ歩いている平凡な四十六歳の男神城健一は、ぴったりと体に合った鮮やかな紺色のスーツと真っ白なボタン・ダウン、シャツを着こなして平凡さを隠していた。馬子にも衣装とはよく言ったものだ。体つきは華奢でむしろ細い体躯だった。

 銀座四丁目の人ごみを俯瞰すれば、まるで蟻が右往左往している様とそっくりだろう。それぞれが目的地へ急いでいる。

 川路美穂は三越前で友人の加奈子と待ち合わせて、近くのホテルでランチ・バイキングを楽しむ予定だった。久しぶりの友人との食事とおしゃべりの期待が自然に歩みを速めている。

 神城健一は新橋の取引先に寄って妻から頼まれた買い物に伊東屋へ急いでいるところだった。三越前の信号が赤になっていて歩行者が群がっていた。健一はポケットから妻がよこした買い物リストを取り出して眺めた。信号が青に変わって群衆が動き出した。眼をリストに落としていた健一は、前の男が何か光るものを取り出したのを気配で感じた。

 眼を上げたとたん男は異様な叫びと共に前を歩く人々をなぎ倒しながら一点を見つめて三越前の群衆に迫った。健一はいつもとは違いとっさに男を追っていた。その男はブルーのサマーハットを被った川路美穂に迫った。「今日も俺を裏切るつもりか?」と言いざまレターマン・スパーツールの鋭利な刃をむき出したナイフを振り上げた。

 健一はそのナイフしか眼に入らなかった。その腕に飛びついて全体重をかけぶら下がった。男は力強かった。男が振りほどこうとしたとき健一の腕につめたい感触が走った。数人の男が暴れる男を取り押さえていた。

 まもなく救急車とパトカーが勢いよく停止した。一帯は通行止めになった。行き場を失った車と人で混乱状態になった。パトカーは犯人を連れ去った。神城健一は、救急車で病院へ搬送された。

 青ざめた川路美穂に警官が近づいた。
「あなたの知り合いですか?」
「いえ、まったく知らない人です」
「近くにいた人の証言では、俺を裏切るつもりかというのを聞いたと言っていますが?」
「ええ、でも知らない人です」警官は美穂の身上調書をとった。途中から友人の加奈子も加わって美穂の言葉の裏づけとした。

 最後に美穂は聞いた。
「怪我をなさった方はどちらの病院へ送られたのですか?」
警官は事務的だった。「それはお伝えできません。事件発生直後ですから」
「そうですか。犯人は私に向かってきて、犯人の手を止めさせたのが怪我をした人ですからお見舞いにあがりたいと思っているんです」
「ええ、よく分かりますよ。じゃあ、こうしましょう。捜査が一段落すればすべてお話できるかもしれません。ここに私の所属と電話番号を書いておきますから、二・三日したら電話をください。よろしいですか?」
「ええ、結構です。お手数かけますがよろしくお願いいたします」

 それを眺めていた造物主つまり神は、あごに手をやって「うん、どうしたものかな! 二人ともパートナーのいる身だし、女が見舞いに行ったとたん二人は電気に討たれた様に離れられなくなるのは確かだ。神としても考えどころじゃのう」見えない神の手は、今日も忙しそうだ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

放浪する父と息子の関係「ロバート・デ・ニーロ エグザイル’12」劇場未公開

2014-07-23 20:24:51 | 映画

              
 タクシー・ドライバーをしながらノーベル賞を狙う大作家と思い込んでいるジョナサン・フリン(ロバート・デ・ニーロ)。うつ病ではない。18年も音信不通のジョナサンから息子のニック(ポール・ダノ)に電話がかかるくらいだから。しかし、ひょっとして自己愛性パーソナリティ障害かもしれない。

 息子のニックも作家を目指しているが定職がなくスチュワーデスの女性と同棲中。それも彼女の留守中の浮気がばれて同棲解消となる。この辺は親父ジョナサンの血をひいているのかも。

 友達の友達からの紹介でマフィアが持っていた元ストリップ劇場に同居することになる。それらのツテでホームレス・シェルターを手伝うことになり、まさか父親が現るとは思っても見なかった。

 そういう社会の底辺をこのデ・ニーロとダノが重くならずといって軽くもならず、ほど程の人情劇となっている。不思議な映画でただ父と子の関係をさらりと描いて印象が残る。

 最近のデ・ニーロはつまらない映画にも出るがこういういわゆる儲かる映画でない作品にも出ている。ということは、なにか思うところがあるのかもしれない。

 地味すぎる映画ではあるが心の琴線を震わせるものがある。ポール・ダノも抑えた演技で印象的だったし、ガールフレンドになるデニース(オリヴィア・サールビー)も爽やかな印象を残した。
           
           
           
監督
ポール・ワイツ1965年ニューヨーク市生まれ。

キャスト
ロバート・デ・ニーロ1943年8月ニューヨーク市生まれ。
ポール・ダノ1984年6月ニューヨーク市生まれ。
ジュリアン・ムーア1960年12月ノース・キャロライナ生まれ。
オリヴィア・サールビー1986年10月ニューヨーク市生まれ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

珠玉のラブ・ストーリー3部作の3作目「ビフォア・ミッドナイト’13」劇場公開2014年1月

2014-07-20 20:11:51 | 映画

               
 ロマンティックな場面がほとんどないかわりに、どこにでもあるような夫婦喧嘩が印象に残る。ギリシャが舞台で風光明媚な景色も見られるのかと思ったがそれはない。ギリシャと聞けば財政危機を思い出してしっくりこない。

 とにかく結婚して二人の子供に恵まれてはいるが、ちょっとしたことで夫婦喧嘩が始まる。なにやら自分たちの生活を見ているようで落ち着かない。例えば、ギリシャの友人が気を利かせて、夫婦二人きりの時間を過ごすためにホテルを予約してくれたが……最初はエアコンがあるとかバスタブがいいとかうれしい最高よなどと言うがセリーヌ(ジュリー・デルビー)は「娘たちに会いたい」と呟く。
「僕は全然」セリーヌが窓から外を眺めながら「素晴らしい景色よ」
「僕が見たい景色はただ、ひとつ……」と言いながらジェシー(イーサン・ホーク)はセリーヌの肩紐をほどいて乳房を露にする。

 ここからは並みのポルノ映画になるかどうかの瀬戸際。それを難なくこなして二人は徐々に高まりを見せる。そのとき携帯電話が鳴る。ジェシーの元妻との間の息子からだった。セリーヌが電話を取り話し終わって切る。それに文句を言ったのがジェシー。もうおきまりの夫婦喧嘩の序章と相成る。

 それにしても実年齢の役柄だからジュリー・デルビーが44歳、体型は1作目とはまるで違う。このジュリー・デルビーを見ていると顔立ちがヒラリー・クリントンを連想させられた。老け始めたヒラリー・クリントンを。

 この3作目は、すでに結婚して二人の娘がいる設定だが、むしろ結婚で結ばれるという設定の方がよかった気がするが。だから私としてはあまり印象に残らない映画となった。
           
監督リチャード・リンクレーター
キャストイーサン・ホーク ジュリー・デルビー
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

珠玉のラブ・ストーリー3部作の2作目「ビフォア・サンセット’04」劇場公開2005年2月

2014-07-10 21:24:26 | 映画

              
 「半年後にここ9番線ホームで午後6時に……」と言って別れたジェシー(イーサン・ホーク)とセリーヌ(ジュリー・デルビー)その後は一体どうなったのだろうか。9年後の再会となると何か訳がありそうだし、アメリカとフランスに分かれている遠距離恋愛の難しさか。年齢も20代から30代に入り仕事も円熟の境地に入る頃だ。

 ジェシーは、作家となってヨーロッパの書店に出かけサイン会を精力的にこなし、最終日はパリで読者からいろいろな質問を受けていた。
「列車で会ったフランス女性は実在しますか?」
「そのことは大して重要じゃありません」
「つまりイエス?」
「ここはフランスなので“イエス”ということに……」

 そこでふと横を向いた。向いたその先に書棚を背にした紛れもないセリーヌが立っていた。

 店主が「著者は、今から空港に向かいます。質問の受付はこれで終わります。シャンパンなども用意してありますのでご自由にどうぞ」

 外で待っていたセリーヌに「やあ、元気?」これは万国共通でこれしか言いようがない。熱い抱擁もキスもない。9年間という歳月は二人に心をリセットする効果があるようだ。

 セリーヌは真っ先に聞いた。「12月にウィーンに行った?」あれこれと言葉のやり取りがあったが、結局ジェシーは行ったが、セリーヌは祖母の葬式で行けなかったということ。

 これなんか1作目で住所も電話番号の交換もしないで別れていたから9年間という無駄な歳月が流れた。それで気になっていたことがある。1作目のラスト・シーン。 半年後の再会を約束してセリーヌは列車に乗り込む。そして振り返りもせず座席に向かう。ジェシーはすごすごと構内を出て行く。これなんか欧米人気質で当たり前のことなんだろうか。あれほど別れを惜しんでむさぼるようなキスをしていたのに。あるいは半年後の暗示なのか。いまだに気になる。

 今回は観覧車もないしキスもない。ジェシーは結婚しているし、セリーヌは報道写真家と同棲中という。しょっちゅう海外へ出かけているから一人が多い。

 まあ、二人の会話が重要な要素となっているから、流れの脈絡はたいした問題でもないのかもしれない。というのも2作目のラスト・シーンは、セリーヌのアパートでセリーヌの歌を聞いた後、「空港へ行く時間よ」とセリーヌが言って「分かってる」とジェシーが答えて終わる。
           
           
           

 多分、3作目はまったく違う場面から始まるはずだ。しかも今度も9年後だから。セリーヌ役のジュリー・デルビーはかなりの才媛のようで歌ったのは自作のもののはず。CDも出すくらいだから相当なもの。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

珠玉のラブ・ストーリー3部作の1作目の「ビフォア・サンライズ恋人までの距離'95」

2014-07-10 21:20:54 | 映画

               
 7月2日に3作目のDVD「ビフォア・ミッドナイト」が発売された。映画専門サイトで絶賛されていて、1作目も未見の私にとっては最初から順次観ることにした次第。

 さて、この1作目は物凄く身近に感じる。ラブ・ストーリーは、憧れや夢を求める部分もあるが、この映画は私たちの日常を隈なく描出していてリアルな演出が新鮮だ。

 とにかくアメリカの青年ジェシー(イーサン・ホーク)とフランス娘セリーヌ(ジュリー・デルビー)が、列車を途中下車してウィーンの街をさまよい夜明けまで一緒に過ごす。この二人の会話が全編を通じて続く。退屈そうに感じるかもしれないが、まったくそんなことはない。

 生い立ちや自分の両親、愛やセックス、結婚、死、つまり人生を語る。二人の出会のシーンから気に入ってしまった。

 列車の中でドイツ人夫婦が喧嘩をしている。反対の窓際に座って本を読んでいるセリーヌも、あまりのうるささに席を替える。替えた席の反対の窓際にこれも本を読んでいるジェシーがいる。やがてドイツ人夫婦は席を立ってどこかへ……。

 ジェシーとセリーヌが顔を見合わせる。「何を言い争っていたの? 英語 話せる?」とジェシー。「ええ、でもドイツ語はよく分からないわ」とセリーヌ。自然な出会いの場面には納得したが、この何気ない会話にはアメリカ人とフランス人の特徴がよく出ているんじゃないだろうか。

 食堂車でセリーヌが「外国語はダメなんでしょ?」と言う。「どうせ僕は下品で教養のないアメリカ人さ。外国語は何も出来ない」とジョニー。

 ジョニーはいたるところで「英語話せる?」と聞きまくる。考えてみればこんな独善的な態度があるとはねえ。これは製作者の自虐的な皮肉と言えるかもしれない。そしてフランス人。フランス人は自国の言葉に異様なほど誇りを持っていると聞く。で、ドイツ語を学ぼうとしない。どちらも似たり寄ったりかも。

 ウィーンの街を歩いたり路面電車に乗ったり、そしてあの有名な観覧車に乗る。たしか「第三の男」にも出てきた気がするが。

 黄昏の街ウィーンを眺めながら二人の気持ちが高揚する。どういうわけかあの観覧車で二人っきりになるとキスしたくなるのは国籍を問わないようだ。情熱的な口づけのあとの二人の態度の変化が見事だ。よそよそしさから密着型への変化。確かにキスを境に劇的に関係が進むというのはよくあることだ。

 それにしても、もしジョニーのようなアメリカ人が日本に来たら戸惑うだろうなあ。「英語話せる?」「ノー」取り付く島がない。

 さて、いよいよ別れのとき、パリに帰るセリーヌを列車の乗降口まで送ってきたジョニー。二人の心の中は、二度と会えないという思いで一杯。発車間際の一秒でもいいから一緒に居たい。

 思い余ったジョニーは言った。「もう一度会いたい」セリーヌは感極まって「その言葉を待ってたの」むしゃぶりつくようなキス。半年後のここ9番線ホーム午後6時に……主に二人だけの会話で成り立っているが、イーサン・ホークとジュリー・デルビーの自然な表現に友人の二人のやり取りを見ているような錯覚すら覚えた。

 巷に氾濫するラブ・ストーリーとは、一味も二味も違う味わいを堪能できる。さて、2作目は9年後の出会いから話が始まるそうだ。じゃあ、半年後の9番線ホーム午後6時はどうなったんだ。それも明らかになるはず。
           
           
           
           

監督
リチャード・リンクレイター1960年7月テキサス州ヒューストン生まれ。

キャスト
イーサン・ホーク1970年11月テキサス州オースティン生まれ。
ジュリー・デルビー1969年12月フランス、パリ生まれ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする