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読書「月光の東」宮本 輝

2020-04-21 16:01:06 | 読書
 36年前、13歳の淡い記憶を辿って、同級生だった美貌の塔屋米花(よねか)の今を確かめたいと願う男の軌跡を描く。男の名前は、杉井純造。


 それは19年前、30歳の杉井純造の結婚式当日、一通の電報が届いた。発信人の名前のない「ワタシヲオイカケテ」という文面だった。一体誰だろう。瞬時に杉井の頭に浮かんだのは、塔屋よねかという名前だった。

 中学1年生の秋、転校していって音信不通になった塔屋よねかが、どうして結婚式の日取りが分かったのか。ある筈もないこととはいっても、十五夜の月見の夜、「私を追いかけて。ねェ、月光の東まで私を追いかけて」と言いながら橋を渡っていったよねかを思い出す。

 同級生で親交が続いている商社員の加古愼二郎の勤め先、シンガポール支店に問い合わせたが、よねかのことは分からないという返事。

 この件は、やがて忘れ去られた。月日は足早に通り過ぎて、杉井純造も塔屋よねかも加古愼二郎も48歳か49歳になった。人生で一番脂がのる時期と言うのに、加古愼二郎はパキスタンのカラチのホテルで首を吊った。自殺だった。

 その年の末に加古愼二郎の妻、美須寿(みすず)の突然の来訪を受けた。そして、美須寿夫人から驚くべき事実を告げられた。それは、ホテルのチェックインが塔屋よねか同伴だったことだ。美須寿夫人の動揺は、顔色・挙措すべてに表れていた。杉井とて同じでかつて恋心を抱いた塔屋よねかが加古と……嫉妬心が心の平穏を乱した。

 冷静になった時、杉井の心にぜひ塔屋よねかの足跡を辿りたいという思いが膨らんだ。絡んだ糸を解きほぐすように、ミステリアスな展開を伴ってほろ苦く甘酸っぱい青春の追憶が投げかけられる。

 塔屋よねかという女は、いったいどんな女なのか。謎の言葉、月光の東。それらを追ってページが進む。一人称形式で杉井純造のパートと加古美須寿の日記形式で語られる。

 その中で、杉井純造は中学生の頃を懐かしく思い出しながら「米花ちゃんは、とびぬけて美人で学校中の男子生徒の垂涎の的だった。他校の生徒もわざわざ見学に訪れていた。米花ちゃんは、漢字の米花がきらいで「よねか」と言ったり書いたりした。ただ、家庭環境が複雑で本当のところは誰も知らない。
 引っ越しが多く高校生のころには北海道の合田牧場でアルバイトをしていた」

 ちょっと寄り道すると、他を圧倒する美貌の持ち主は滅多に見かけないが、私の1960年代、当時サントリーのトリス・ウィスキーのアンテナ・ショップともいうべきトリス・バーが出来ていた。大阪・梅田にその店があった。ハイ・ボールがセールス・ポイント。
 今でいう店長が一目見ただけで言葉が出ない超美人なのだ。足しげく通う男どもで、カウンターはいつも満員。まるで電線に並んで止まる雀のようなのだ。そして誰もその美人にモーションをかけようとしない。男どもは身の程を知っていたのだ。どうせブ男で大金持ちの男の愛人だろうと誰もが思ったに違いない。真実は分からない。
 この店にはテーブル席もあったが、いつもガラガラだった。当時はアベックと言い、こんにちのカップルだが、来てもカウンターにいる美人に男は釘付け。女の方がこの店を敬遠するのは当たり前。超美人だけでは商売が成り立たない。しばらくして閉店した。

 塔屋よねかも他を圧倒する美貌を持っていて、その美貌を最大限に利用した。合田牧場で競走馬を買う美術商の津田富之に身を売った。「私を自由にしてもらっていいから、大学と留学の費用を出して欲しい」それが条件だった。その時、よねか高校三年生18歳。

 そして塔屋よねかを最も端的に語るのは、バーのオーナー柏木邦光なのだ。よねかと肉体関係を持った男の一人。

 よねかも50歳になった。成田空港のファースト・クラスのラウンジで柏木邦光がよねかを見かけた。読んでいる新聞の陰から見ると「よねかは今日も相変わらずキレイだった。ただやはり年齢は隠しようがなかったが……」

 そんなよねかではあるが、登場人物全てが角が取れて丸くなり、まるで仏様のようになるのだ。よねか効果と言っていいかも。ただ、語られる塔屋よねかは傍証にすぎず、自身が語ることはない。そのせいか、この物語で判然としないものが三つある。一つは、杉井純造の結婚式をどうして知ったのか。二つ目、加古愼二郎の自殺のいきさつ。三つ目に、よねかの謎の言葉、月光の東。

 その月光に東について考えてみた。人は誰でも届かない夢を見ている。しっかりした目的とか目標と言ったものでなく、ただあんな風になりたいとかあそこへ行きたいというもの、いうなればシャングリラ(理想郷とかユートピア)を求める。私は月光の東は、このシャングリラではないかと思う。

 シャングリラは、「イギリスの作家ジェームズ・ヒルトンが1933年に出版した小説「失われた地平線」に登場する理想郷の名称という。この小説により「シャングリラ」という言葉は有名になり1930年代後半以後、ヒマラヤ奥地のミステリアスな永遠の楽園と見られるようになった。方角から見るとパキスタン北部やインド北部から中国西部、とりわけチベットやヒマラヤの高原では、観光用のキャッチフレーズにシャングリラという名が頻繁に登場する」とウィキペディアにある。

 この小説でも、よねかと津田の共通の友人古彩斎と三人でヒマラヤ・トレッキングに出かけている。それらを考えると、ヒマラヤ周辺ということでシャングリラに思える。ただ、このシャングリラをヒマラヤ周辺に限定することもない。広く大きく捉えれば理想郷なので、それぞれの到達点ということもできる。

 私がこのシャングリラという言葉に出会ったのは、マーク・ノップラーとエミルー・ハリスのデュエットで「Our Shangri-La」という曲。この曲はサーファーが落日を見ながら今日一日を振り返り、まさにここがシャングリラ(理想郷)だと思うというもの。それではこの曲を聴いていただきましょう。

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海外テレビドラマ「BULL/ブル~法廷を操る男シーズン3」

2020-04-15 16:00:03 | 海外テレビ・ドラマ

  

 アメリカの司法制度での陪審制は、刑事訴訟・民事訴訟において事実認定を行う。特に刑事訴訟が映画やドラマで取り上げられる。陪審員12人を選ぶために予備審問が行われるが、検察側・弁護側双方が慎重に自分たちに有利な陪審員を選ぶ。その過程で「理由なし忌避」が認められていて、そこにいわゆる専門家と言われる人たちが介入する。

 このドラマはまさにその専門家をドラマティックに描く。日本の裁判員制度では、とてもじゃないがこういうエンターテイメント性は望めない。

 さて、ドクター・ブルと言われるジェイソン・ブルが人間的な側面もあらわにしながら、問題を解決していく。

 そのジェイソン・ブルに「NCIS~ネイビー犯罪捜査班」で人気のマイケル・ウェザリーが演じる。女性捜査官ジヴァ・ダヴィード(コート・デ・パブロ)とロマンティックな関係を演じたのも印象に残る。ドクター・ブルは、TAC社(トライアル・アナリシス・コーポレーション)の代表でもある。ドクター・ブルは、あくまでも心理学者で弁護士資格がないため、義兄弟のベニー・コロン(フレディ・ロドリゲス)が弁護活動を行う。

 このフレディ・ロドリゲスは、葬儀社を舞台にしたドラマ「シックス・フィート・アンダー」で遺体修復師を演じていて印象に残った。「ブル」でもいつもスリー・ピースのスーツで予備審問の陪審員選びに鋭い質問を浴びせる。元検事という経歴。

 TACのスタッフに元国土安全保障省マリッサ・モーガン(ジェニーヴァ・カー)、チャンク・パーマー(クリストファー・ジャクソン)スタイリスト、スタイリストがここにいる理由は何だろう。推測でしかないが、被告人が法廷に出るときの髪型や衣服の助言かもしれない。ダニー・ジェイムズ(ジェイミー・リー・カーシュナー)元FBI捜査官、調査を担当している。テイラー・レンツェル(マッケンジー・ミーアン)。

 チーム・ワークで乗り切ってきたTACであるが、最終話「愛か裏切りか」で対立が生まれる。ベニー・コロンの姉イザベラ夫婦が離婚問題を抱えている。その原因がイザベラ(ヤラ・マツティネス)とブルが成り行きのセックスと知ったコロンが激怒。とはいってもかつては、ブルとイザベルは夫婦だった。コロンは怒っているが、法廷での勝利の後、裁判所前の社用車にイザベルが待ち構えていてブルに激しいキス。さて、この行方も気になるシーズン4ではある。

    

  

 

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読書「冬の旅」辻原 登

2020-04-13 15:36:54 | 読書
 一人の人間を描くとき、絶海の孤島ならいざ知らず、複数の人間との接触を避けることはできない。ここでは、一人一人の人間が違和感なくつながっていく。そして人の心の動きが精緻に語られる。

 2008年の初夏、滋賀刑務所から五年の刑期を終えて出所した緒方隆雄。オガタ タカオと読む。罪名は、強盗致死罪。それは、ホームレス仲間と夜間ある住宅に忍び込み、隠し金庫から現金三千万円をずた袋に詰めているところへ,家人の主婦が顔を出した。その主婦をスパナで昏倒させ、物音に気付いた夫をペンチで頭を殴打して死亡させた。緒方隆雄は、外で見張りについていて共同正犯の罪に問われた。
 
 滋賀刑務所での緒方隆雄の親しい男が、高齢の久島という。久島は、64歳のとき、認知症の妻を首を絞めて殺した罪で服役。仮釈放されても、行き場所は路上しかない。窃盗、寸借詐欺、無銭飲食を繰り返して、5度捕まり5度出所して、今は6度目の懲役。その久島から教わったのは、宗教への目覚めだった。

  「おれの人生どうして悪いほうへ悪いほうへ傾くのか。 とずっとおかしいと思ってきた。バブルがはじけて、いくら不景気や言うても、運が悪すぎる、 と。しかし、これが宿業やったら、逃げ道はないな。どないしたらええんや」と緒方隆雄が呟く。

 久島は「南無阿弥陀仏、と唱えるんや。阿弥陀さんはな、仏になる前の菩薩の位にあるとき、阿弥陀さんと呼ぶものがおれば、その者を浄土に迎えてやろうという誓いを立てなすった。もしその誓いが成就されなければ仏にならぬ、と決心されたんや。たとえ極悪人であろうと、ナンマイダと唱える。そのとたん、阿弥陀さんが飛んできて、救うてくださる。そのとき、そこがもうそのまま浄土となる理屈や。汚れたこの世のその場所が、浄土となるんや。そやから、浄土とはな、極悪人が仏になるとこを言うんや」どうやらこの宗教、浄土真宗のようなのだ。
 
 浄土真宗の教義に「悪人正機(あくにんしょうき)」という重要な意味を持つ思想の「”悪人”こそが阿弥陀仏の本願による救済の主正の根機である。阿弥陀仏が救済したい対象は、衆生である。すべての衆生は、末法濁世を生きる煩悩具足の凡夫たる「悪人」である。よって自分は「悪人」であると自覚させられた者こそ、阿弥陀仏の救済の対象であることと知りえる」という意味らしい。これがこの物語の終末に凄惨な形で現れる。
 
 物語の舞台は大阪。大阪駅でSFまがいに緒方隆雄が二人に分割される。分けられた片方の緒方隆雄の出生からの生い立ちが語られる。

 京都・伏見区にある専門学校で、システムエンジニアを目指したが、途中でマスコミ・編集学科進んだ。中華料理チェーン店でアルバイトの途中で卒業、就職先が見つからず、店長の計らいで仮採用となった。三年が過ぎて店長候補とまで言われたが、誤解の上の同性愛者と見られ退職するハメになる。

 次に就職したのは、近鉄奈良線生駒トンネルに向かう途中にある石切駅下車の新興宗教「さには真明教」だった。在職中、編集学科の知識が役に立って本人は張り切っていた。そこへ阪神大震災。車を連ねて救援物資を運ぶが、ここでも神がかり的な事象も起こる。

 災害時と言うのは、人間の不安心理が増幅して入信する人が多い。「さには真明教」も信者が増えた。阪神大震災は、緒方隆雄にも幸をもたらした。知り合った看護師の鳥海ゆかりと結婚した。幸せは続かず、ある日ゆかりが謎の失踪をした。

 教団の信者が増えるに従い、政治家、有名大学教授、俳優、タレント、作家、評論家などにも触手を伸ばし、機関広報誌「サニワ」の巻頭を彼らが飾った。そんな中、緒方隆雄は毎月の校了期、編集・取材費、稿料・インタビュー料などの精算時水増し請求を思いついた。これもすぐにばれてクビ。

 このあたりから転落が始まっていく。次に職探しの合間に手伝ったおでん屋の火事で全くの失業者。それに加えて、薬物のアンフェタミン吸引の鳥海ゆかりがベランダから飛び降りて死亡したという知らせだった。怒りや憎しみ悲しみでなく無気力が支配した。刑事から渡された遺品の想い出のCD「レーニョ・ベルデ」を聴くこともなく、ハサミで寸断した。

 さまよいながら川原で段ボールの家に住み着く。そこで知り合った二人の男とともに盗みに入った。

 出所した後、天王寺駅中央改札口で、緒方隆雄は分身と合体した。紀伊田辺へ向かう列車を無賃乗車。海辺の小さな村をさまよう。空腹に悩ませられているとき、親切な老婆に出会い入浴と食事と寝床にありついたが、夜中に金目の物を物色していると、老婆に見つかる。老婆は何も言わず、自分の部屋に戻る。緒方隆雄は、刃渡り20センチの菜切り包丁を握りしめ老婆の部屋の障子を開ける。そこには爺さんと婆さんが優しい目つきで緒方を見上げた。

 「お金をあげたいけど、うちには一銭もないんや」緒方は膝をついて、包丁を向ける。二人は穏やかな表情で緒方に向かって手を合わせ「南無阿弥陀仏」を唱えた。「……で降りるんや。仏さんに会えるで」と久島のじいさんが言ったのは、ここのことやったんか。と緒方隆雄。

 血まみれになった包丁を眺めながら、おれは死刑になるという、近い将来の見通しが立っている。流れに流された人生に、はっきりとした目標が示された。たとえ死刑という現実であっても、ようやく自由になれたと思える。阿弥陀仏の化身、爺・婆のおかげ。神がかりなSF。主題がはっきりと明示されるエンディング。この小説をどう読み解くかはそれぞれでしょう。

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読書「北朝鮮外交秘録」太永浩(テ・ヨンホ)著

2020-04-06 17:02:41 | 読書
 北朝鮮の元外交官太永浩は、1962年生まれというから今年で58歳。脱北したのは2016年、長男に帰国命令が出たことから韓国に亡命する。

 亡命した最大の理由は、子供の教育の問題だという。わたしから見ればすぐにうなずけないが、北朝鮮には未来がないと思う人、特に若い人に多い事情があるらしい。それでも納得するのは難しい。本心が別のところにある気がしてならない。

 北朝鮮が国際的に存在するための欺瞞に満ちた戦略を駆使することを明らかにしていて、これはロシアや中国という共産主義国家の共通点なのだろう。決して信じてはならない国、北朝鮮であり、共産主義国家なのだ。

 この本で一番知りたかったのは、日本人拉致問題だ。残念ながら日本語版への序文で「北朝鮮が日本人を拉致したという事実を知らない外交官はいない。だが、拉致された日本人が北朝鮮でどんな人生を送っているのか、生存者がどれくらいいるかは、だれも知らない。金日成(キム・イルソン)、金正日(キム・ジョンイル)政権下では、拉致被害者の居場所は極秘事項とされ、北朝鮮社会から徹底的に隔離されていたからだ」

 2002年9月17日、日朝平壌宣言を発表した。当時の小泉純一郎首相は、安倍晋三内閣官房副長官を伴って金正日と会談。日本側の強硬な交渉手段で金正日が「私も最近知った。今後はこういうことはないだろう」と事実上認め謝罪したとこの本ではなっている。

 ウィキペディアによると「特殊機関の一部が妄動主義・英雄主義に走って日本人を拉致した」となっている。当時のメディアは、こちらの方を報道していた記憶がある。しかし、どちらにしても嘘の発言であることは、この本で明らか。

 しかも、横田めぐみさんの偽遺骨問題で100億ドル(約1兆1千億円)の経済協力も消えてしまった。北朝鮮側は、この100億ドルで道路や鉄道という基本インフラをすべて現代化できると期待していたのに。

 金王朝の元首、金正恩(キム・ジョンウン)は、かなり非情な男。祖父や父親から引き継ぐ血統なのだろう。義叔父の張成沢(チャン・ソンテク)を罪をでっちあげて殺したり、異母兄の金正男(キム・ジョンナム)をマレーシアで暗殺したりした。その金正恩も体を壊して危ないとか、妹の金与正(キム・ヨジョン)が実権を握ったとか、世情はかまびすしい。

 いずれにしても、核を放棄することはないし、拉致被害者返還もどうなるか分からない。そんな中で著者は、南北統一に情熱を燃やしている。

 そして不思議に思うのは、北朝鮮の恥部をさらけ出した本を書いた元外交官が無事であることだ。巧妙に日本人を拉致した工作員が居るというのに。何故だろう???

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読書「死んだら飛べる」スティーヴン・キングとべヴ・ヴィンセント編のアンソロジー

2020-04-02 16:44:17 | 読書
 「飛行機が怖い」私がそうなのだ。「酸素で満たされた金属チューブに足を踏み入れたうえ、引火性の高いジェット燃料の上に座るという事実は変わらない」と旅客機を喩えているのは、スティーヴン・キング。

 こういう不安な乗り物にまつわるホラーやサスペンスに満ちた短編集がこの本なのだ。

 実際のところ、ドンと後ろから背中を押されるような衝撃を受けたとたん、ジェット旅客機は滑走路を疾駆しながらふわりと浮き上がる。機体は45度ぐらいの傾きで上昇する。この時さっと不安がよぎる。全エンジンがストップしたらどうなる? 恥ずかしい姿で尻もちをついて炎上。その不安を増幅するかのように、機体は右に傾いて旋回する。水平飛行に達するまで体は硬直したままだ。水平飛行に移ったとたん機内食が待ち遠しい。

 ところが、私の妻は不安なんてこれっぽちもない。飛行機が楽しくてしようがないらしい。「何かあったら死ぬだけでしょ」と。私にとって不安の最たるものは、飛行機の下に何もないということ。

 この本でも不安の数々が書いてある。隕石が直撃して穴が開けば、乗客はまさに宇宙の旅。非常扉が開いても同様だ。考えたらきりがない。

 スティーヴン・キングは、「乱気流エキスパート」として、飛行機が乱気流に飲み込まれたらそれを助ける役割を担う男を描く。それは予知能力のある男から連絡があって派遣される。パイロットの腕が乱気流を制御しているのでない。こういう男の助力によるものなのだという。本当? 

 トム・ビッセル「第五のカテゴリー」からは、独特の比喩に唸らされる。「ジョンは静電気に打たれたように、思い出せない夢から覚めた。ガトリング砲式にまばたきして、目の照準を再調整する」これは書き出しの一節。

 ちなみにガトリング砲というのは、南北戦争の時代に生まれた手動の機関銃のようなもの。西部劇ではよく見かける。また日本でも戊辰戦争(1868年)で使用したという記録があるそうだ。

 主人公ジョンは、朝鮮系二世アメリカ人。アジア人の男は一様に白人女性に弱く、ジョンもバーで女性に会う。「彼女はほれぼれするほど美しく、小銭入れの中にピッタリおさまりそうな黒いドレスをまとっていた」肌もあらわなと表現しないところがいい。

 作者のトム・ビッセルは、女性を細かく描写しない。上記のように「ほれぼれするほど美しく」とある。読者一人一人に「ほれぼれするほどの美人のイメージ」に委ねた形。

 今の映画界ではニコール・キッドマン以外思いつかない。そのニコール・キッドマンもややくたびれてきた。私の若い頃といえば、エリザベス・テイラー、ヴィヴィアン・リー、イングリッド・バーグマン、エヴァ・ガードナー、グレイス・ケリーと多彩。最近は美女というより個性派の女優が多い気がする。

 それはともかく、本作は変わった視点の短編が網羅してあり、高度1万メートルのありえない話を堪能できる。原題は「FLIGHT OR FRIGHT」飛ぶか! 怖気るか!

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