基左衛門の独り言

坂東の風上毛の空と風景をブログで皆様へ、八十爺

今日は整形の診察日 坂東も下り坂上州は今夜から雨のよう

2016-04-27 17:25:47 | 日記・エッセイ・コラム

 今日は朝から曇り気温も低めでスッキリしない日だ、新聞の地方紙を読み終わりそうの時「お医者さんの日じゃないの早く行って来たら」との家内の声にもぞもぞと動き出す、「気を付けて」の声に送られてもう五-六年になるかに購入した愛車オーリスに乗って出発、多賀谷整形外科は向かう。

 多賀谷整形外科医院

 二週間ぶりの診察だが相変わらず患者がイッパイ混んで居る、前回と同じように先にリハビリをしてますかと云う事でリハビリ室へ、温湿布に重りあげ(足でゆっくり上げ下ろし)全身マッサージを済ませて四十分ほどで診察室へ、ちょうど少し待ちで診察「水は無いようですね」と云う事で水抜き無しで注射[ヒアルロン酸か]をしてお終い、ロキソニンの飲み薬も幾日か止めていたので湿布薬もあると言うので貰わず退散する。

 お医者さんは次回二週間でも三週間先でもイイですよとの事、大分回復したよう目出度い事だ、帰りにヨウカ堂へより昼飯用に果物、弁当、サンドイッチに夕飯用に牛肉切り落としなどを買い込み帰宅、

 イトウヨウカドウ

 昼食の後午睡、目覚めて何となく寒い、そうだ今朝夏用に半袖シャツ半ズボン下に着替えたのだと想いだし、此れから上州は雨になり気温は下がるとの予報だったと言うので長袖長ズボン下に着替える、オジンには未だ夏支度は早かったか若い気になってと言う処か、残念。


坂東も初夏近ずく 温暖化でアッチッチーもう直か

2016-04-26 17:32:06 | 日記・エッセイ・コラム

 春だと思ったら芽を出しはじめた木の葉もあっと言う間に緑を増してきた、今日上州は朝の内はうすら寒いような陽気だったが昼過ぎには長袖シャツではもうアッチチーとなり、窓を開け放して空気の入れ替えた。

  緑を増した庭木と赤く染まった枝垂れ楓

  濃緑に変り始めた公園の木

  今室温二十七度ほど太陽ももう西の空へ傾いたが気温は下がらない、特に二階の寝室は冬暖かいが夏も暑い、一階の和室とくらべると二‐三度高い様此れからが大変だ。

 列島も明日は震災の肥後の国から荒れ模様の様、お気の毒の限り何とも早くの揺れの鎮静化を祈るのみです。

 坂東は半日遅れで雨のよう、男心か女心か知らないが春の空は良く変わる様、しかしこの列島の良さでもと想う処です。

 豊葦原の瑞穂の国だから。

 


ああ美味いネギが食べたいナアー

2016-04-24 17:00:45 | 日記・エッセイ・コラム

 この頃想い出すたびに手に入らないので、無い物ねだりで欲しくなるのが葱である。子供の頃から戦後しばらくは何処にもあった葱、処が気が付いたらスーパーで三本束ねて二百円とか、刻んで饂飩や蕎麦のに入れて食べると堅い、納豆などに醤油を掛けて入れてもなおさらだ、全然うまくない、何故だろうと考えた、店頭での生鮮度持ちの為品種改良を生産者に強要して所為かもと、想うこの頃である。

 先日家内の買い物のお付き合いで農協百菜館へ行った折、入り口にネギ苗が在り買おうかと思ってが止め、後で行って見たがもう無くなって居た、帰りにホームセンターの苗売り場で買って見たが期待外れの品、庭の隅にでも植えようかと想うが何処かに苗を売って居ないかナアー。

  ホームセンターで買った苗、摘まんで食べるのだそうだ、

 昔子供の頃万場町「現神流町万場」の叔母の家(O酒店)に行き、従兄が美味そうに食べていた醤油かけ葱ご飯をまた食べて見たい、八十年近い昔の話だが万場町へ行けば在るだろうか、買いに行こうかなあ。


チョットのうちに花交代 GW近ずく

2016-04-22 17:49:01 | 日記・エッセイ・コラム

 熊本地震は過去例の無い物の様で気象庁も想像がなかなか着かな様お手上げか、早い終息を願うのみ、今日から続々とボランテアもお出ましの様頼もしい限り、避難所での並んでの食糧配給を待つ姿と併せて世界に誇れるわが国民の姿でしょう。

 しばらく歩いていないのでと思い外へ出て見たら、わずか一‐二週間の間に街路樹はハナミズキが咲き始め公園の桜は葉桜、あれだけ咲いていた堤防下の菜の花は小さな菜種を付けていた。

 咲き始めたハナミズキ  公園のタンポポ

 葉桜に          菜種が付いて」

 堤塘を歩いていると藤や躑躅が咲き賑やかだ、

  堤防下の藤や躑躅の花

 帰りはもう一度公園で一休み、タンポポなど眺めて家路につく、本日の歩数二五〇〇歩、少なめだがリハビリとすればちょうど良い処だろう、ダンダン増やす事にしよう。


上州は良い天気 日常色々有るものですね

2016-04-20 17:39:39 | 日記・エッセイ・コラム

 上州は昨日今日とたいへん良い天気だが、十四日の晩から熊本県益城町の一揺れから始まった熊本地震は十六日未明の本震の大揺れを含め大変な大災害になってしまった、何ともお見舞いの言葉も無い次第皆様のご健康を祈るのみです。

 昨日は昔三十年ほど前に仕事を共にした後輩N君の葬式に参列してきた、野球少年は生涯野球少年だったよう、仕事も真面目で良く遣って居たし付き合いもよく広く性格もすごく良かった、そんな事で参列者もすごく沢山で還暦野球チームのユニホーム姿も居て本人の性格が良く出た葬儀だった、六十七年の生涯はこの長寿の時代ではちょっと短かったのではと想う歳だ、ご冥福を祈るのみである。

 今日は朝から家内の買い物のお付合い、農協の売店百菜館で買い物の時入り口でネギ苗を見付けたが、後で家内と相談してと想ううちの忘れて西友での買い物を済ませて帰宅、想いだして相談した後農協へ行って見たがもう無くなって居た。ホームセンターセキチュウへ回り苗売場を見たら在ったので買い込み、少ないのでプランターに植えこみ、ついでに草むしり更にシンビジュウムの鉢の花を摘んだ後の手入れと済ませて、更に新聞売込みの撃退等まで済ませて上がる。

 あるときは随分いろいろあるものだ。明日も良い日にと想うが坂東雨模様の様、そうは上手く行かな様だ、残念・・・。

 


宝憧院観音祭りへ

2016-04-18 17:31:48 | 日記・エッセイ・コラム

 まあ何と久しぶりの様に想うが観音祭りへ行って来た、役員総代を辞めて何年になるだろう甲状腺を全摘して今年は七年目か、其れから三年ぐらいだったかすると四年経つ、一度いってるから三年ぶりか、何故か群大病院の甲状腺ヨード治療の準備や後遺症のため行けなかった。

 観音祭りの様子(正面本堂左観音堂)

 十時過ぎに出て着いて見ると読経はもう終わって居た、知った人ばかりだが早速祈祷の済んだお札を戴き、勧められて本堂へ上がり住職に挨拶お茶を戴き御供物を更に戴き失礼する。

 帰りの昔の同僚だった森村さんと同門会(管理職OB会)の出欠席等相談して帰途に就く、今日は古いお札を、本山長谷寺の孫二人分の入試合格祈願も含めて納められて片が付き良かった。

 それに珍しい人にも逢えた、近所の須田さん暫く逢わないなあーと想っていたが、妹の文江さんに逢い聞くと「姉さん施設へ入ったんですよ、私もデーサービスへ週二回ほど行って居るんです」との事、どうりで逢わない分け元気で良かった良かったである。


県民のシンボル熊本城天守閣哀れ 2

2016-04-16 16:28:25 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日の投稿の後、今日になり早朝と云うか未明と云うかに起きた熊本の本震の報には驚いた、解説によると一昨夜の地震は本震で無く今朝のマグネチュード7,3の地震が本震との事である。

 今日一日中テレビは被害の現状を画面で伝えている、熊本県内の被害状況は本震後更にひどく、傷んだ建物の上にさらに強い揺れがきて、引っ切り無しの余震が続いている。

 だんだん収まりはじめるかと待つ被災者の上に更なる被害である、大変な天災が来たものお気の毒の限りである、しかも今夜から荒れ模様の予報である、早くの安全な場所への避難誘導をお願いしたいものである。

 県民シンボルの熊本城の天守閣もさらに石垣が、凄く大きな本震から余震と有るごとに崩れているよう、更に二つの廓の石垣も昨日も書いたが長塀も崩れたとの事、城の縄張りの天才と云われた清正公も此れではまさにお手上げだろう、後々の復興こそ清正公へのご供養となるのでは。

 それより何はおいても早く県民の安全と安心を図ることが先決だろうし、早い復興を祈るのみである。


県民のシンボル熊本城天守閣哀れ

2016-04-15 16:38:42 | 日記・エッセイ・コラム

 昨夜八時からテレ朝の捜査一課長を見ていたが、九時二十六-七分ごろ突然画面が変わり熊本地方で震度七の揺れを感じたとの特報が在り、以後この地震情報一辺倒と成ってしまった。

 熊本テレ朝の放送室が揺れて居る処、熊本市内の様子や車の動きなどが映し出されていたが、画面は普通の夜景の様に明るく大きな変化は無い様だった、その後博多市や大分市が移されていたが同じよう、マグネチュード六,五だったかで数字は大きいが大きな変化は見えない、しかし大変な事が起きているんだろうと想いつつ寝てしまう。

 そして今朝昨夜の夜景を想像してテレビ画面を見て驚いた、震源は熊本市のすぐ隣の益城町が震源の様、報道各社が現地に入って居る様、次々に映し出される映像に驚くのみ、幸い津波は無かったとのことだが町の建物の被害は大きい、何しろ余震の規模回数の多い事、この余震でもろくなった建物はさらに被害を多くしていたよう。

  テレビ画面の被害状況と解説図

 空からもカメラが入りさらに詳細な被害状況が見えてくる、シンボル熊本城が見えて来た、一見綺麗に見えた城も天守の入口左の石垣が崩れ、その奥も屋根は瓦が揺れかたの所為か左反面が大きく崩れてて落ちている、名物長壁も倒れてしまった様、

 テレビ画面の崩れた石垣と天守閣

 瓦の落ちた天守閣

 さすがの設計者綱張りの名人清正も自然の猛威には敵わなかったか。国宝熊本城の復興も含めた熊本の復興、勿論五年前の東日本地震特に東北の復興も含めてだが今後の大きな課題となるだろう、国はオリンピック予算を縮小しても急ぐべきだ、人間国民の生活を第一に考えるべきが国の務めだからだ。


もう二週間か 膝痛チエックに整形外科へ

2016-04-13 18:09:15 | 日記・エッセイ・コラム

 早いものだがまたまたロキソニン服用を減らしたのでか痛み若干有りと云うので出かける、診察前に混んでるようでリハビリをと云うのでリハビリ室へ、最初は温湿布をする暖かい布を合わせて膝の周りは巻きつけて約十五分程、次いで両足を交互に重りを水平まで持ち上げる道具で四十回、次が気持ちいいベットの機械で温水が足の付けなから肩まで順次揉みあげてくれる、なんて良い機械なんだろうきっとプログラム制御で機械の方で揉みながら体の体形から何から理解して終うのだろうなと、推察するところ、高い機器だろうなとも。

 湿布  足の上げ下ろし

 気持ちいいー

 診察室前で暫く待ち呼ばれて「水が在りますかね」など言いながら鍼を刺し「ありましたね 17CCです」と云う事で水を取られてまた二週間頃おいで下さいとのこと、会計して帰路へ、今日は混んで居たので昼過ぎてしまった、家へTELしておいてラーメン屋へ、これがまた大変なんとチャーシュウは大きくていいが、麺が少なくモヤシを食べさせられて居る様、何ともりむら内科の帰りによる店と比べるととんでもない違いだ。

 次はあの店か安い店探すかさてどうし様。


放送番組が変更しきり ウタコンとは

2016-04-13 17:13:38 | 日記・エッセイ・コラム

 NHK何を考えて居るのか昨日の歌謡ショウからウタコン歌の祭典とは、始めは良かったが途中サブが司会者の俳優だったかに「俺が好きなんだって」とか言い始めたのであきれて、BSのTBS日本名曲アルバムにチャンネルを変更、こちらの方が御品のいい内容で感激して拝見した、特に合唱の女性コーラスの横浜にあると言うフエリス女学院?と云うのか知らないがたいへん良かった。

   

   TBS大変良かったです

 どうしてさぶなどにああいう事言わせて平気で出演させるのか、何時かわ恩師の作曲家に対する態度など今でも気に食わない、無礼千万と言う処では。

 本人は大御所にでも成ったつもりか、誰もそんなこと思っても居ないのに。 


豪華では無いが 良く咲いた二本幹のシンビジューム満開となる

2016-04-12 16:36:19 | 日記・エッセイ・コラム

 シンビジュームを手掛けてもう十年を超えたか、一時十鉢ほどになったが植え替え鉢替えなどと手が回らず、現在半分の五鉢を弄って居る。

 今年は暮れから咲始めたが正月用を失敗「手を呉れようとして幹を折ってしまう」してしまい、正月前半シンビジュームの花無し、後半より咲き始めて次々と花芽を付けた幹が出て伸び良く咲いてくれた、処が三月半ばに暮れに失敗した鉢から花芽を付けた幹が伸び始めているではないか、しかも二本幹である、早速居間へ移し栄養剤を呉れたりしながら面倒見る、他の鉢が終盤を迎えると言うのに咲き始め現在四月半ばに成ろうと言うのに満開だ。

  花は日当たりの南から見ると一斉に太陽を見ている

                              画面をクリックお願いします

  裏側から見ると花は少ない

 手を掛けると植物はそれに応える様だ、今年も植え替えをしたりと面倒見る事にするか、来年の花を楽しみに。


家内の父宇一郎氏の命日の墓参り

2016-04-10 17:28:44 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日家内あて弟進氏よりTELにて連絡あり、今日午後二時法長寺にて待ち合わせて墓参との事、定刻に出かけて来た。

 家内の兄弟は四人だが近い所にいる三組夫婦六人での墓参となり、済ませて岡部家へ、お茶などしながら雑談の中波志江町八坂の従姉の葬儀の話となり、今流行の家族葬と云う事で皆知らない内に済んでいたとの事、せめてお焼香ぐらいは行かなとと云う事で上げ物を用意と云う事になり、葬祭仏具店へ家内と妹を連れて出掛ける。

 線香の葬式用に上げる物をと、最初昭和町の光雲堂へ行って見たが、葬儀屋で無いのでやって居ないとの事、次に赤石今泉堂へ着いて見ると工事用の塀をめぐらし工事中、帰路家内と妹照子女子と「お包みでいいのでは」と云う事で合意が出来たよう、帰着後三姉弟妹でで話し合い決めて我が家へ帰る。

 最初の光雲堂

 着いて見ると暖かったからか庭のチュウリップが一斉には大袈裟か兎に角よく咲いていた、だが先日GOO事務局からの連絡の昨年ブログより一週間ほど遅い満開のよう、去年の方が暖かかったのかナアー?。

  楓の新芽と満天星躑躅とチュウリップ


お釈迦様の花祭りにショッピングモールスマークへ歩行訓練に

2016-04-08 17:06:25 | 日記・エッセイ・コラム

 今日はお寺さんの花祭りニュースを見て思いつく、お釈迦様の誕生日だ。「天上天下唯我独尊」と空を指さし言ったとか、果たしてどうかな、お寺さんの傍で過ごした幼少年期、小さな空を指さすお釈迦様像へ甘茶を掛けてお誕生を祝ったことなどを思い出す、八十年ほど前の思い出だ。

 午後になり暫く膝痛のため少なくなっている歩行量を補おうと、家内と大型ショッピングモール(スマーク)へ出かける。

 家内は三越へオイドンは三階の小売店を覗くかしながら歩き始め、三-四十分して待ち合わせ場所の三越前へ、姿無し良く見ると展示用品の陰で見えなかったが、店員相手にブラウスかを物色中のよう、店前の通りの椅子で品定めの終わるのを待つこと暫く、漸く現れた家内とこれからどうしようか打ち合わせ、

  三越前の通り

 なじみの店も余り様がない覗いて見る程度で、スマークのキッチンへ、ここでアイスクリームと思ったが時間が三時過ぎ、店員が少なくて待ち人が多そうなので、再び一階のタイ焼き屋へ、ここだらたい焼きの間に買える、早速ソフトアイスクリームを二つ買い込み食べ始める。

 ソフトアイスを兼ねて売るタイ焼きや

 斜め前にフライドチキンのケンタッキーが在った、早速アイスを家内に預けてケンタッキーへ行き六チップのひと箱を買い込み千四百七十円也を払い家内のもとへ、

 ケンタッキーの店 同厨房

 ソフトクリームを食べ終わりこれで来るとき入った四階妙義口へ向かう、車はすぐ傍である乗り込み帰路につく、四時頃には帰着約二時間ほどの歩行訓練だった。

 ちなみに二千二百歩ほどの歩行距離だ、少ない距離だが暫くぶりだから止むを得ないか、イキイキ歩数が出ないのがおかしいが此れも野外でとは違うのか?、まあ段々だろう妙に納得して終わる。


真中の好天日で芽吹きの最適日か

2016-04-06 16:58:47 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日はよく冷えた、全国的に好天のお花見日和の様だったが、ここ上州いや坂東と云うべきか冷たい東寄りの風が吹き込み冷え込んだ底冷えのする一日だった。 その分と云うか今日は朝のうちは冷えこんだが、日中は最高気温二十二度もある暑いくらいの日となり、近所のチビ連の女の子一‐二年生くらいか、四-五人が半袖短パンで走り回って居た羨ましい。

 庭のチュウリップが最初の一輪が綻び、見ると盆栽のとは言えないか鉢植えの姫林檎の花も咲き始めていた、さらに満天星躑躅(ドウダンつつじ)ももう花を数輪付けているではないか、驚き桃の木山椒の木である。

 

 上からチュウリップ、姫林檎、満天星躑躅の花

 庭木の枝垂れ紅葉やしゃらの木、もっこく木犀の木もそれぞれ新芽をニョキニョキと出し初め、生き生きと活動を始めている。

  枝垂れ紅葉とシャラの木

 庭え出て見るとその分雑草もボツボツ生え始めている、前の歩道を見るとアスハルトの舗装と側溝の間の隙間にも、例年の事だがあの狭い中に元気と云うか強いと云おうか生え始めている、膝の痛みをかばう様に作った段ボール箱の腰掛を使い、小一時間掛けてこれらの除草をする、一応綺麗にして久しぶりに「アッチチー」と云いながら上がりお八つのお茶とする。

 もらい物の紅茶を常温で飲み茶菓子の羊羹を食べて驚く、「美味い」聞いて見ると先日娘が金鍔と一緒に送ってくれた物との事、包装紙を調べて見ると佐賀名物小城羊羹とある、何と遠い佐賀名物か旨い分けだ、未だ次のお八つ分もあるそうだ楽しみだ。

 予報によると明日は雨で荒れ模様のよう、冷え込んだ雨と荒れ模様の雨の日の間の晴れの一日は意義ある日と為ったか、さて如何か。

 


芽吹きの頃イキイキする自然

2016-04-03 16:38:44 | 日記・エッセイ・コラム

 坂東は曇り空の一日の様だが上州は午前中より晴れい、午後には薄曇り時々晴れの穏やか天気だ。

 居間のシンビジュームも最後の一鉢が今まさに満開、正月から咲始めた鉢から数えて五鉢目だが、今咲いているのは三鉢目から五鉢目までだ。

 今正に満開のシンビジューム

 良く咲いてくれたものだ、未だ半月は咲いているだろう、庭ではチュウリップが蕾みを膨らませている、あと四-五日もすれば開花か 楽しみだ。グラジオラスも新芽を出し始め五月には咲くことだろう、球根から生えるその他の花や菊の芽ももう大分伸び始めて来た、まさに芽吹きの時期だイキイキとして。

 チュウリップの蕾 何色だったか

  グラジオラスの芽吹き

 今日は珍しい人も現れる、新専務の三井君が小玉スイカを持って現れしばらく話して行く、お堅い事だが嬉しいものだ、一緒に仕事をしたのは十七-八年前の事あの頃から良く出来た若者だった。ご活躍祈るのみだ。