徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

電話

2009-01-30 19:58:36 | Works
3年がかりの書籍になってしまった『漣流』(書名もほぼ決定)も最終段階に入り、取材関係者に電話連絡しつつ、最後のチェックをお願いするためにFAXを一斉送信。来週、再来週が山場で、ようやく今月中には終わる…か。

レッズのことについて書くことになったので吉沢康一さんとちと電話で話す。

Jファン高齢化 40代以上4割超(東京中日スポーツ 1月28日付)
Jリーグ 若年層のファン開拓は難問?(産経新聞 1月28日付)
Jのさらなる飛躍のために(オギライズ)

最近、このニュースが気になっていた…というか、まるで承服しかねる内容だったので、この辺も踏まえつつ、レッズのコアはなぜ魅力的に「見えるのか」の原点。
それにしても「若い客をほとんど見かけないという意見もある」(産経)、これはないよ。どこで「見て」んだよと思う。きっと「どこか」で見てんだとは思うが。若年層の増加=右肩上がりの成長は幻想に過ぎないと思うんだがね。もう認識がまるで旧いとしか思えない。もう本質を棚に上げた無邪気なマーケティングはやめようよ、という話。

万歳三唱/デイヴ平尾 トリビュートパーティー

2009-01-27 02:35:27 | Music
日曜日。朝5時に帰ったのに14時には横浜にいたりする。

横浜・タイクーンで「THE GOLDEN CUPS PRESENTS 追悼 デイヴ平尾トリビュートパーティー」。昨年11月10日に急逝したデイブさんを追悼する<パーティー>である。追悼だけどパーティー。それがまたいい。おそらくお客さんも含めて参加者の平均年齢は余裕で50越え、もしかしたら60over。

司会は何と近田春夫氏。横浜、ディスコティーク、ハコバン、これが日本のロックの歴史だよ。
オープニングのフィルムが流れたあと、挨拶にはカップスのメンバーに加え、岸部一徳、沢田研二両氏も登場。もうそれだけで盛り上がる。浅野孝已、陳信輝、石間秀樹、カーナビーツにジャガーズなど等、カップスゆかりのミュージシャンが次々と登場する中で、圧倒的にライブのクライマックスはピンク・クラウド&金子マリWithミッキー吉野、難波弘之。これはさすがに前日からの疲れも吹っ飛んだ。
ライブの最後には参加者全員でデイブさんの新しい門出を祝って万歳三唱。この辺はしみったれてなくて嬉しくなる。ご遺族の方々は実際に火葬場でも万歳三唱をしたそうで、さすがに横浜の人間……というかデイブ平尾一族か。

帰りがけ、出口付近で6時間近くのパーティーの司会を務めた近田さんと遭遇したので思わず握手。いいライブだった。
次号のLBでレポート予定。

必勝祈願

2009-01-27 01:50:37 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス06~10
土曜日。
10時30分から清水の魚町稲荷神社で清水エスパルス必勝祈願。
ちょうど目の前に新加入の永井がいたのだけれども、永井の左右は純平と一樹、真後ろがベーニシという完璧なウェルカム状態のフォーメーション。いや、何だか自然に溶け込んでた感じがしたのでひとまず安心(って大人なんだから当たり前だが)。


午後からは静岡に戻り、ツインメッセでサポーターズ・サンクス・デー。過去最多の人出ということで、もうちょっとこの会場では手狭な感じだ。イベント的にもコンパクトにひとつの会場にまとめるのも無理があったし(特に音響的な問題が大きすぎる)、季節的な問題はあるのだろうけれども、去年のようにドリプラ周辺エリアでやるのが一番いいと思うのだが…。
山ちゃんなき後の選手会ステージは、掛川のコブクロ、兵働の藤岡藤巻はさすがにベテランの余裕で出色だったが、基本的に出落ちのネタが多いから、あれでは出ているプレーヤーも難しい。特に<青>というだけで青山テルマでステージに上がったアオは相当後悔しているようだが、それは当たり前というものだろう。ステージに上がった瞬間に落ちているネタなのに、あれで歌わせるのはアオの性格を考えても拷問に近い。

青山「もう思い出したくない、早く忘れたい」(Sの極み 1月26日付)

しかし、アオよ。大人になるってことは、思い出したくない、忘れたいことを積み重ねるということなのだ。だから大人は酒を飲む。来年は再び、その辺は吹っ切れている一樹と廣井に期待したいところ(というか、このコンビ主体だった去年の選手会ステージの完成度が高すぎた)。
でも、やっぱり楽しかった。今年こそタイトルを獲るシーズンが始まるよ。

サポサン終了後、静岡駅で白木と合流しサザナミ本のゲラを渡しつつ酒。焼酎のボトル3本飲んだら、さすがに白木の帰りの電車がなくなってしまったので、さらに始発まで付き合って酒。何で朝方まで熱く語ってんだよ、オレ。

でも静岡(緑茶)割りって意外と後に残らないですよ。

気のせい

2009-01-23 00:46:16 | Works
年明けから始まったサザナミとナカスの怒涛の作業も、ひとまず、何とか、見通しがついた(ツー・スリーの皆、申し訳ない)。ブログ更新しないまま、Kトラ本の打ち上げだとか、思ってもみなかった部位に激痛が走ったりだとか、アレとかコレとか、凸とか凹とか、まあ年明け早々からいろいろあったのだけれども、風邪も発熱も痛みも忙しさのピークをすぎると治まった。何なんだコレ。

ということで明日から来週にかけては次の仕込みとサザナミ最終決戦。
その前に明後日は静岡でエスパルス総決起集会

その男、田口トモロヲ/LB2008年6月号

2009-01-23 00:32:27 | お仕事プレイバック
田口 その前にもいくつかフリーのノイズバンドをやっていたりしましたけれども、きちっとしたパンク・バンドをやろうという形で結成したのがばちかぶりです。それ以前は叫びとノイズみたいな形で2、3年やっていたという形ですね。

--ばちかぶりが活動していく上で田口さんにとってJAGATARA(当時のバンド名は、暗黒大陸じゃがたら、じゃがたら)の影響が大きかったそうですね。

田口 そう……そうだと思います。僕、今でも日本で一番好きなバンドはJAGATARAで、尊敬しているミュージシャンが江戸アケミさんなんですね。アケミさんの姿を見て、JAGATARAを観て、バンドをやりたいと思ったんです。やっぱり……かっこ悪いというか、アケミさんのヴィジュアルを見るとそのへんのオッサンみたいですよね。

--確かにそうですね(笑)。

田口 そのアケミさんが歌い出したときはものすごく衝撃を受けました。それまでのロックのバンドは、バンド名も横文字で、ヴィジュアルもかっこいいんですよ。世界同時多発的パンク思想という意味では、僕も彼らと志は一緒なんですけど、何か乗っていけないものがあったんですよ。そんなときにJAGATARAと出会って「これだ!」と思ったんです。かっこいいものは人に好かれるし、人が惹かれるのは当たり前だけれども、かっこ悪いものの中にこそ美を発見することの方が僕には合っているというような……うん、そんな感じがあった。そんな意味合いでJAGATARAは僕の中では本当にストライクだったんですね。歌詞も日本語だし、ダサくてかっちょいいという。そのリアルなサジ加減のヴァイブスにガツンと来たんです。

--ばちかぶり時代の田口さんにはステージでの嘔吐や脱糞という伝説的なパフォーマンスが残っていますけど、それはアケミさんの影響はあったんでしょうか?

田口 パフォーマンスに関してはアケミさんや(遠藤)ミチロウさんが真剣にやっていたことを、もう少しエンタテインメントにして見せたいという欲求がありました。踏襲しても勝てないと思い、ただ裸になったり、脱糞するのではなくて、ブラックな笑いとして、ギャクとして提示したんだけれども……誰も笑わず引かれました(笑)。

--なるほど(笑)。

田口 表現としては失敗という(笑)。ジョン・ウォーターズの『ピンク・フラミンゴ』でディヴァインが最後に犬のウンコを喰うという場面は笑いとして提示しているじゃないですか? そういう形のものを表現したかったんですけどね。

--エンタテインメントという視点はどういうところから生まれたんでしょう?

田口 パンクというのも、その時代が選んだオリジナルな大衆的エンタテインメントだと思うんです。エンタテインメントである以上、ただのマスターベーションでは、表現はいけないと思っているんです。マスターベーションを見せるのであってもツールとしての方法論が必要だと思っていて、それをきちっと通過できれば作品として人前に出せる。いろんな表現が時代時代にはあったし、僕もそれを見てきたし、自分も何ができるんだろうと悩んだりした中で、最終的には自己満足ではいけない、と。
LB中洲通信2008年6月号

2月号

2009-01-12 23:29:26 | LB中洲通信2004~2010
すっかり更新が遅くなってますが……中洲通信2月号は<永遠の不良番長>と題して辰兄ィこと梅宮辰夫さんの特集。
ということで既に関係各位など等には発送済みです。ご協力ありがとうございました。

このご時世に年頭からありがたいことなのだけれども、やること山積み。年末年始にもう少しやっときゃ良かった……。

それぞれのスタート

2009-01-07 21:28:19 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス06~10
9番とサポーターの期待を背負いながら結局何も残せずたった3年で出て行くバカと、暗黒時代から苦労して代表になって、クラブも優勝候補の手前まで来ているのにキャリアを台無しにして出て行くバカ(キャプテン)。
アレックス流出以来の屈辱。呆れて物も言えない。
諸々の大人の事情があるのは理解できるが……できるのだが、理解しちゃ駄目ですよ。最悪のタイミングでの決断なのだから、豚の頭を投げつけるぐらいの精一杯のブーイングを送るのが、この場合は礼儀というものです。

ということで、今季の人事異動も本日でひとまず終了。
西澤、山西、戸田に幸あれ。西澤の最終節での行動はちょっとアレだが、彼らは本当に清水を愛してくれた。
永井、太田、木島君、竹内君、清水に来てくれてありがとう。
復帰する平岡も楽しみだ

今季こそ優勝できるぜ。
24日は静岡で新チームのお披露目。絶対行く。

市川森一 僕が描いたドラマの「負けっぷり」/LB2005年3月号

2009-01-03 03:46:26 | お仕事プレイバック
アテネオリンピック、女子レスリング準決勝で浜口京子が負けた時、父・アニマル浜口はテレビで見ているこちらが恥ずかしくなるぐらい、文字通り暴れ、身体全体で悔しさを表現していた。その後、3位決定戦に現れた浜口京子と父・アニマル浜口は、不思議なくらい気負いを捨てた清々しい顔で会場に現れた。そしてほんの数時間前の負けっぷりが不思議なくらい、見事な勝ちっぷりでメダルを獲得した。
日本人は4年に一度、日本人の勝ちっぷり負けっぷりを再確認する。白黒がはっきりつくスポーツの世界だからこそ、“その時”の振る舞いは国民性を写す鏡なのかもしれない。

“その時”とは勝ちっぷり負けっぷりを越えた、勝負の終わりに対する心持ち。
70年代から80年代にかけて映画、テレビドラマで描かれた日本人はどのように“終わり”を描いてきたのか。
思い出したのは『傷だらけの天使』最終回。
勝ちっぷりが鮮やかだった綾部さんは船中で逮捕され、勝ったり負けたりしていた辰巳さんは逮捕の瞬間、最後の最後で足掻いてしまった。情けない負けっぷりばかり演じていたオサムは風邪で死んだアキラを夢の島に捨てると、荷車を引きながら叫ぶ--「まだ墓場にゃいかねえぞ!」
ドラマとスポーツから日本人の勝ちっぷり、負けっぷりを考えます。

--今回は「勝ちっぷり負けっぷり」というテーマでお願いしたいんですが、結局これは、物事の終わり方をどうするか。終わり方の美学だと思うんです。終わり方の美学があるからこそ、単純な勝ち負けは、もう超えているんだと思うんですね。そのへんが、たとえば『傷だらけの天使』(日本テレビ系 74年10月~75年3月放送)であったり、『淋しいのはお前だけじゃない』(TBS系 82年6月~8月放送)というような、市川さんの代表作の中に表現されていると思うんです。

市川 そうですよね。挫折以外の青春があるのか、あの頃も、今もそう思っているのですけども。挫折し、打ちのめされてこその青春じゃないですか。自分の経験から照らし合わせてもね。だからその繰り返しでしかないわけで、『傷だらけの天使』も『淋しいのはお前だけじゃない』も。結構みじめな思いをさせられているよなあ--と日常、自分を振り返れば、そういうことでしかないわけですから。そうしたら自分をごまかさないで、とにかく無様なラストしか出てこないですね。でも、まだ終わってはいないと、またどうせ負けるんだろうけれど。なんか世の中見ていると、いい奴が、素敵な奴が勝つとは、絶対限らないわけですから。映画では(石原)裕次郎とか(小林)旭とかね、素敵な奴がなぜか勝ち残っていきますけど、現実はむしろ逆じゃないのと。

--また今日も『傷だらけの天使』の最終回を観て来たんですけども、あの辰巳さん(岸田森)の終わり方、じたばたしてすごくみっともない。でも、あれすごく感動するんですね。

市川 辰巳さんは、まさに作者の分身みたいなところがあるわけで、一番無様で虚栄心ばかりがあって、実態が伴わない。ほんとの土壇場の現実にさらされると、あたふたとして無力なね。

--でも、ロマンチストなんですよね。

市川 ええ(笑)。それで言えば(『傷だらけの天使』の最終回で)水谷豊か殺そうとしたのも、何か一番みっともない死に方ねえかなと思って書いたんですね。大体皆さんが想像するのは、路上で刺されてね、のた打ち回って死ぬ。でも『太陽にほえろ!』的な死に方は、あまりに格好いいと。一番みっともないのはやっぱり病気。それも風邪で死んじゃう。風邪こじらせて肺炎で死んじゃうのは、一番、人にも言えないっていう感じで(笑)。台詞にも多分あったはずですけど、「風邪で死ぬなんて、格好悪い」。同じような“仲間”がブラウン管の向こうから呼びかけて、俺たちはこうだけど、お前はがんばれよみたい。そういう呼びかけの方が、僕はいいんじゃないかなと思って書いたんですよね。当時はまだ僕も30代でしたから、ほんとうに自分もあの世界で、一緒にうろうろしていたんですね。だからあれは僕にとっては、生々しいドキュメンタリーだったんですね。
LB中洲通信2005年3月号

天皇杯その他

2009-01-02 11:58:32 | Sports/Football
あけおめでございます。

元旦は国立競技場で天皇杯決勝。
まあ準々決勝で負けておいて今更何なのだけれども、繰り返される柏のパスミス、ゴール前でのツメの甘さ、ほとんどらしさのないガンバの出来を観るにつけて、やっぱりこれは優勝できた大会だったなと思うわけです。マジで。
前半15分まで、それから後半フランサの出場10分以内に決めるところを決めていたら柏が押し切っていたんじゃないかと。それにしてもフランサの電池切れの早さはものすごい。ボールが収まるので局面局面ではポイントにはなっていたけれども、あれじゃあ柏は一人少ないのと同じだぜ。で、ああもぐだぐだな展開になれば、いくら疲労が酷くたって地力に勝るガンバが勝つのは順当(内容的にはPK戦が順当だが)。非常に癪に障るのだが、ガンバのACL出場決定。

終了後、新宿でもつ鍋。斎藤君、いい年して笑っちゃうぐらい爆食。
店に財布を忘れそうになったが靴を履く前に店員さんが気づいてくれた。元旦から恐ろしい……。しかし無事手元に戻ってきたので、今年は幸先がいい、ということにしておく。さらにしょんべん横丁(新宿西口商店街)で焼き鳥。店員がアジア系、横丁を歩いている人たちもほとんどガイコクジン観光客。どこなんだ、ここは。
元日のうちに無事帰宅。呑みすぎというよりも喰いすぎで気持ち悪い。

皆様、ことよろです。